混沌の女クレハ





美少女カワイイだろう?」



 問いかけに、レンは即答した。

 砂埃のひどい郊外での仕事を終えたあとですら、さらりとした黒のロングヘアには砂粒一つついていない。

 彼はマイクロメートル単位での精密な事象変換術の制御により、体表のゴミを瞬時に吹き飛ばすことができるのだ。


 一般的に防御術式の類は身体からある程度の距離を離して展開する――そうでないと肉体を巻き込んでしまう恐れがある――ことを考えると、ほとんど神業と呼ぶしかない技能である。


 灰色の髪の美女は、あぐあぐとホットドッグを咀嚼して飲み込むと、勝手に事務所の中のそれを持ってきたらしいグラスの中身を飲み干した。

 どうやら不法侵入者と旧知の仲らしいレンは、目を細めてこう声をかけた。


「……何十年ぶりだろうな、クレハ」


「へぇ、あんた数も数えられなくなったわけ?」


 親しみの込められた言葉に返されたのは、嫌味たらしい皮肉だった。そんな灰髪の女の言にも構わず、レンは淡々とミスラに向けて知己を紹介した。

 師匠と侵入者の顔を交互に見て、困惑しきっている少女のことをおもんばかったのだろう。


「こいつはミドウ・クレハ、傭兵だ。あまり深く関わろうとしなくていいぞ、ミスラ」


「はっ、流石に良心価格でクソみたいなデーモン討伐も請け負う何でも屋は言うことが違うわね? 道徳モラル高くて反吐が出るわ」


「カナさんに俺たちのことを紹介したのはお前だな?」


 以前受けた家出少女の依頼――結局、オークの軍勢を相手にする羽目になった――を思い出す。

 そういえば依頼人の少女は「通りすがりの旅人」がアサバ探偵事務所で依頼をするように勧めていたと言っていた。


 あれはレンの知人が仕事を斡旋した、ということなのだろうか。

 その割には二人の間に流れている空気は剣呑だ。


「アレよアレ、見定めていた……ってやつ? あたし、これでもあの村のことは気にかけてたのよ? あんたが逃げるように撤退したあとの地元の警備隊への通報もしてやったわけだし?」


「マジか、ありがとうクレハ。正直かなり助かった」


 それまでの態度が嘘のように、ふんわりと笑って礼を言うレン――毒気を抜かれたように、きょとんとした表情でクレハが呟いた。


「急に素直になったわね、あんた……」


「あのときは離脱を優先したから、アフターケアしてやれなかったからな。うん、本当に助かったよ」


 心の底からそう思っているらしいミスラの師匠は、底抜けのお人好しに見えた。

 正義感が強いミスラがそう感じる程度に、レンの対応はダダ甘だった。右手に抜き身の刀を持ったままなのが異様だったが、その表情と声はとても柔らかい。

 まるで懐かしい友達に会ったような声音だった。


「事務所のドアを破壊していったことは不問にしてもいい、昔馴染み同士の思い出話なら歓迎するが――」


「冗談。あんたと今さらなれ合うわけないでしょ」


 そしてその好意は、にべもなく切り捨てられた。

 灰髪の女――あるいは赤いコートの傭兵ミドウ・クレハは、ハイブーツに包まれた長い足を事務所の床につけて立ち上がった。

 にやり、と不敵に笑う猫科の猛獣。



?」



「断る。今すぐ帰れ」


 途端、レンの態度も硬化した。

 一瞬「そのガキ」というのが誰のことかわからず、それが自分のことらしいと気づいて、ミスラは困惑した。


 これまで自分の人生に一ミリメートルたりとも関与したことがない、赤の他人もいいところのレンの旧知に身柄を狙われる理由がわからない。

 ただ警戒感を強めて、手の中に握った剣杖の柄を強く握りしめた。


 ボブカットの頭髪を形よく切りそろえられ、身だしなみにも気を遣っている少女は、誰の目から見てもレンに可愛がられている存在だ。

 それを見て取ったのか、クレハは嘲るように喋り始めた。




――少女の過去を。




「今から五年前、ヤトガミの方で虐殺があったわね? 暴走した連邦陸軍の現地部隊が発砲、大勢ぶっ殺された。そこには現地人に崇められてたクソカルトの一族もいて、まぁ皆殺しにされたそうなんだけど――



 語られた言葉が記憶を呼び起こし、ぶるり、とミスラは震える。

 忘れえぬもの、魂に刻まれた死のにおい。銃火が瞬き、悲鳴が止まず、誰もが平等に死んでいった故郷の風景。


 その寒々しい冬の空気を思い出して、ミスラは細い肢体を震わせた。

 そんな少女の様子を無視して、ミドウ・クレハはゴシック・アンド・ロリータを着ている旧知の男に要求を突きつけた。


「あんたがその現場で拾ったガキ一匹の身柄を預けろって言ってるのよ。犬や猫みたいに、気持ち悪い」


「ミスラは


「ここ一番のタイミングでの繰り言、薄っぺらいのよ」


「肝心なときに何もできなかったのはおまえの方だ、半端物が吠えるなよ」


 かつてなく剣呑な態度の師匠の姿に、ミスラは言葉を失った。ここまで感情を露わにするレンを、ミスラは久しぶりに見た気がする。

 柔和な微笑みアルカイックスマイルを浮かべているか、ふざけておどけているか、作り笑顔で受け流すかが大半のレンにしては珍しい様子だ。


 しかし一体どんな因縁があって、何の話題でここまで険悪な雰囲気になっているのか、ミスラには見当もつかなかった。

 レンの後ろで困惑している少女を置き去りにして、クレハがとどめを刺すように言葉のナイフを投げた。


と思ってるなら中坊で卒業しなさい――の墓の前で同じこと言えるわけ?」


「――――ッ」


 レンが黙り込む。

 代わりにその沈黙を破ったのは、クレハの台詞を聞いたミスラだった。



「……キサラギ・ミオ? 確か……事象変換術フェノメノン・コンバータの基礎理論を作った人ですよね?」



 急に教科書にも出てくるレベルの有名人の名前が出てきて、ミスラは思わず反応してしまった。

 何せ物理学者として初めてエーテルの存在に言及し、その論文が事象変換術フェノメノン・コンバータやその増幅器である剣杖ソードロッドの基礎理論になっている偉人だ。


 大崩壊の混乱の時代にもかかわらず、その功績がはっきりと残っている早世の天才。

 レンが調達した事象変換術に関する教科書――復興に成功した文明世界で用いられているものだ――で知識を身につけていた少女にとって、キサラギ・ミオという名前はそういう歴史上の偉人を意味する。

 その師弟の温度差を面白がってか、あるいはレンとミスラの情報格差を見て取ったか、クレハが口の端をつり上げた。




「へえ、何あんたオタク? その割に無知みたいだから教えてあげる。そいつはね、二百年生きてる最古のデーモンハンター、ついでに人間もぶっしゃぶっしゃ斬り殺してた〈斬伐者ザ・スラッシャー〉アサバ・レンよ」




 たくさんの耳慣れない単語、そして不穏な二つ名が飛び出てきた。ミスラはあまりにも理解しかねるクレハの言に混乱した。

 師匠が二百年も生きている大昔のデーモンハンターで、殺人者で、ええとついでに二つ名が〈斬伐者ザ・スラッシャー〉。


 そんな急にとっておきの真実みたいな顔をして言われても、ミスラとしては「情報量が多すぎる」と困惑するほかない。

 目をぐるぐる回しているミスラを尻目に、レンは肩をすくめた。


「最強最古と言え、人聞きが悪い。あとな、二つ名が殺人鬼みたいで嫌だ」


「はぁ? この期に及んで開き直り……?」


 わからない。

 何もかもわからないことだらけだ。

 だが、そんなミスラにも一つだけ理解できたことがある。

 師の旧知らしいこのミドウ・クレハという女は、目に余るほどねちっこく、アサバ・レンという男に執着している。


 抱えている愛憎の理由はわからなくとも、その態度の悪さは形容できてしまう。

 そして未成熟な十四歳の少女は、言わなくてもいいことをぽろっとこぼしてしまった。




「…………?」




 場の空気が冷え切った。

 そしてミスラが二の句を告げるより早く、目にも止まらぬ剣閃。

 火花が散る。


 レンの日本刀型の剣杖ソードロッドと、クレハが抜き放った短剣型の剣杖がぶつかり合い、刀身に充填されたエーテル体が燐光となって迸っているのだ。物理的強度をエーテルの霊的密度で補填する行為――平たく言えば強度補助の術式が使われている。


 凄腕のデーモンハンターが扱う剣杖は、それ自体が複合素材の装甲すら切り裂く凶器だ。

 瞬時にミスラの首を掻き切ろうとしたクレハの斬撃を、レンの刃が防いだ。

 刹那の攻防を文字で表現すればそういうことになる。


 怪物じみた瞬発力の為せる一撃。むっちりとした太ももが事務所の床を蹴り、クレハの左手が二本目の短剣を引き抜く。逆手で抜刀された刃はレンの手首を狙っていた。

 身をひねってそれを躱したレンはそれを剣杖の鞘でいなし――刃の側面を鞘で叩くという神業――て、日本刀の刃を滑らせてクレハの短剣を握る右手を狙う。

 たまらず飛び退いたクレハは、灰色の髪を揺らしてぶち切れた。


「チッ、昔より腕上げた? 何そのバカ魔力?」


が俺だ」


「床屋の息子がホラ吹いてんじゃないわよ! しばらく見ない間にコスプレ趣味に目覚めたってわけ!? 救えない自己愛マゾ野郎ね!!」


「そういうおまえは千葉生まれのフリーターだろう」


 剣閃、剣閃、剣閃。

 縦横無尽に刃が虚空を走り、激突の火花が散る。

 たった数秒の間に目にも止まらぬ攻防を繰り広げられ、ついて行けなかったミスラは呆然とするほかない。


 動体視力や反射神経の問題ではない。

 単純に攻撃の予兆とする予備動作が少なすぎて、気づいたときには剣杖ソードロッドを抜かれていたのだ。


 レンが咄嗟に刃で斬撃を受けなければ、間違いなくミスラは即死していただろう。

 二百年の時を生きる最古のデーモンハンター同士の白兵戦は、少女には目で追うだけで精一杯だ。

 あまりにも速すぎる事態の進行速度に、ミスラはよくわからないことを口走った。


「床屋の息子……師匠がやたら散髪と髪質の管理に強かった理由が……!?」


「クソガキ、反応するところおかしいわよ!」


 次の瞬間、腹に蹴りを叩き込まれたクレハが「ぐぇっ」とくぐもったうめき声を上げて吹き飛ばされる。

 かと思えば、その勢いを利用して全力で飛び退った灰髪の女は、真っ赤な耐環境コートの裾を翻して事務所の床を蹴った。


 攻撃術式を起動させる暇もなかった。

 アサバ探偵事務所二階の窓ガラスが、ミドウ・クレハの放った何らかの事象変換術で叩き割られた。硬質な防弾ガラスが瞬時に粉砕され、粉々になったガラス片と共に女の姿が空中にかき消える。


 二階の窓から飛び降りながら存在隠蔽ステルスの術式を展開したのだ。

 化け物じみた早業だった。

 捨て台詞すら残さずに、アサバ・レンの昔の女(仮)は去っていった。

 嵐のような不審者だった。


 レンが静かに剣杖を鞘に収める。

 あとに残されたのは剣戟でめちゃくちゃになった事務所と、破壊されたドアと窓だけだ。



「あいつ……窓ガラスまで破壊していったぞ……」



 呆然と呟くレン。

 その言葉に応えようにも、意味深な情報が多すぎてミスラは何も言えなくて。

 ただ雨音だけが、優しく気まずい沈黙を塗り潰してくれた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る