デーモンハンターって馬鹿みたいじゃないですか





 この地上は依然として終末後の世界ポストアポカリプスの状況にあるが、さりとてすべての文明が跡形もなく燃え尽きてその残滓しかないというような状況でもない。


 後世の人間のイメージと異なり、当時、人類の文明の崩壊は段階的に進んだ。

 デーモン襲来とその前後に起きた世界的な災害の頻発をひっくるめた大崩壊ダウンフォール――災害から復興する暇もなく、デーモンとの紛争状態に突入して廃棄された都市は数知れない。


 とはいえこのときはまだ、世界各国は余力を残していた。

 デーモンが如何にそのサイズに比して強力な存在と言っても、現代兵器の飽和攻撃を食らえば大抵の個体は撃破できる。

 それゆえに軍隊という暴力装置や、その前提となる社会秩序、生産設備が生きているうちはある程度、対抗できていたのである。


 しかしながら軍の庇護を受けられるのは、比較的ダメージの浅い地域の一部の人間に留まっていたのも事実だ。

 全世界に同時多発的に現れ、殺戮の限りを尽くした異種知的生命体デーモンとの紛争は、いつ何時、どこかが戦場になるかもわからないという緊張状態を世界にもたらした。


 その結果、国家首脳部やインフラの基幹部が優先して守られたのは必然的な流れである。

 もちろん、そんな理屈で見捨てられた側の人間はたまったものではなかった。


 デーモンハンターの始まりは、そういう見捨てられた土地に自然発生した自警団だった。

 無知でろくに武装もしていない素人の集まりなど、自警団を組んだところで使い物になるはずもない――九割九分が返り討ちに遭って死んでいったが、一部の幸運な人間は、どういうわけかデーモンを殺すことに成功してしまった。


 そして彼らは知ったのである。

 デーモンを殺し、その命の光――エーテルの崩壊光を間近で浴びた人間は、超人的な能力に目覚められることに。


 よもや現実世界に人の枠を超えて強くなるレベルアップの概念があるなど、想像できるはずもない。というかゲームのやり過ぎで頭がおかしくなったバカの戯れ言にしか聞こえない。

 ともあれまともな武器もないまま、デーモンとの戦いを繰り返していったことで、在野の素人自警団の中から超人的に強い個人が出始めた。


 その中にはデーモンと同じ魔法が使えるようになったものもいて――それが今日の事象変換術フェノメノン・コンバータの起源である。


 その後もゆっくりと時間をかけて、デーモンと人類の戦いの影響は表面化していった。

 既存の軍隊を成立させていたサプライチェーンの崩壊、弾薬や砲弾備蓄の枯渇、高度な電子機器を維持するための部品の払底。


 海路に出没し始めた海魔種クラーケンの大型デーモンは、世界中で深刻なエネルギー危機と食糧問題を引き起こした。

 当初、近代国家の機能不全と呼ぶほかなかった惨状は、加速度的に文明そのものの崩壊に繋がっていった。


 結局、人類は、使えるうちに弾道ミサイルと核兵器を使うというを発露させた。

 それだけ状況が末期的だったとも言えるし、それだけ人間は愚かだったとも言える。


 いくつもの人道危機が頻発し、組織的虐殺が横行し、おおよそ考えうるあらゆる悪徳が再演された――そのすべてを二百年近い旅路で見届けてきたレンが、半ば世捨て人のようになっていたのも無理からぬことであろう。


 そして現在。

 ヨミナガ市の市場を見て回るレンとミスラは、食料品や生活必需品の市場価格を目ざとくチェックしていた。何か異常があれば真っ先に市場の品に影響が出る。相手がデーモンにせよ異常気象にせよ戦争にせよ、これは世の普遍の真理である。


 顔なじみの相手に挨拶して回るついでに、甘い果物を買ったり――ミスラは甘いものが好きだ――もするし、ちょっとした世間話もする。

 市内は綺麗に舗装された地面の上にブルーシートを敷いて、テントを日よけにした出店がずらりと並んでいる。いずれも機械化された工業設備の産物だった。


 ヨミナガ市そのものは高度な工業力を自前で保有していないが、経済的に強い結びつきがある国家との交易により、大量になだれ込んできた品である。おかげで市民はボロボロの布きれでテントを作らなくてよくなった。

 樹脂製コンテナの上に野菜を並べている出店の主が、レンの特徴的な格好――この街で白昼堂々、ゴスロリ姿で帯刀しているのはレンくらいのものだろう――に気づいた。


「あぁ、レンさん。この前はありがとうございました」


「うん、その後はどうかな? 農場の方で被害は出ていないか?」


「えぇ、おかげで若い者が怖がることもなくなりましたよ。やっぱりデーモン見たときはレンさんに頼むのが一番だ、仕事が速い」


「ははは、あのとき活躍したのはミスラだ。褒めるならうちの弟子の方だよ」


 レンとミスラの師弟は、ここヨミナガ市民の間では馴染みの相手として知られている。

 腕利きで迅速に対応してくれて良心的価格――あくまで相場の範囲内だが――のデーモンハンターは、ヨミナガのような自治都市においては需要が尽きることない存在だ。

 一都市の経済規模であり、細々としたデーモン被害に対応できるほどの軍事力を持たないヨミナガでは、デーモンハンターの存在感が大きい。


 レンのようなフリーの傭兵から、組織的な結びつきの強いデーモンハンター協会まで、多種多様なデーモンハンターが市民や行政からの依頼を請け負っている。

 しゃくしゃくとリンゴをかじっていたミスラは、突然、師から話を振られてびっくりした。少女は急いでリンゴを咀嚼すると、ごっくんと飲み込んで言葉を発した。


「いえ、そんな……わたしがやったことといえばデーモンの種類の特定と、住処への追跡と、討伐前の準備くらいで……」


「ははは、農業と同じだ。収穫までの作業が一番大事な仕事だからな」


「ミスラちゃんは若いのにすごいよ、この前、うちの若いもんが雇ったハンターなんざえらいヘボでさあ……」


 あ、不味い。

 同業者の不始末の愚痴を聞かされるのは、いろんな意味で面倒ごとに繋がる。愚痴を聞かされているだけでも、後々、誰それの悪口を言っていたと曲解されるのが世の常人の常である。


 レンとミスラは目配せして早々に話を切り上げた。ミスラなどはちゃっかりお土産の野菜までもらっていて、布製の買い物袋に根菜を突っ込んでいる。

 恐るべき美少女パワー、「流石は俺の弟子だな……」と戦慄するレンだった。

 いつものジャケットにショートパンツ姿のミスラは、誰がどう見ても素晴らしい美少女だ。


 至高の美少女の座を賭けて争う日も近いだろう。

 さて、日が暮れる前に我が家――わりと儲けている方であるレンは、雑居ビルの一角を自宅兼事務所として借り上げている――に帰るかと思い立ったときだった。

 ゴスロリを着た男の耳が喧噪を聞きつけた。争いの兆候を聞き逃さないのは優秀なデーモンハンターの必須条件なので、当然ミスラもそれに気づいている。


「師匠……これは」


「うん、ちょっと見てくる。荷物を見張っていてくれ」


 騒ぎになっているのは歓楽街の方だった。

 すっかりボロボロになった仮設住宅の成れの果て、そこそこの手間をかけているが経年劣化が見て取れる木造建築、そして連邦の支援で建てられた生体コンクリートのビルディング。


 見た目も立てられた年代もバラバラの建築物が建ち並ぶヨミナガの歓楽街は、夜を待たずして酔客であふれている。

 野次馬の中に見知った顔を見つけて、レンはひょこひょこと近づいて声をかけた。


「もしご婦人、これは何の騒ぎだろう」


「あ、レンさん。相変わらずそのひらひらした服なのね」


「ゴスロリは生き様だからな」


「酔狂よね……ほら、半年前から連邦の兵隊が来てるじゃない? なんか若いハンターの子が喧嘩ふっかけて、酒場の前で殴り合ってるのよ」


 人混みでよく見えないが、なるほど、確かに若者同士の諍いらしい。

 一声かけてレンは介入することにした。


「ありがとう。ちょっと止めてくる」


「気をつけてね、レンさん」


 聖塔連邦。

 デーモン来訪後に発達した技術体系、事象変換術フェノメノン・コンバータを応用した大出力常温核融合炉〈聖塔〉の実用化に成功し、いち早くを再建した国家勢力である。


 膨大な電力に支えられた生産プラントにより、大崩壊以前の消費文明を追い抜いたとすら伝えられる強大な列強は、ここヨミナガ地方にもその手を伸ばしてきていた。

 そのやり口は実に単純だ。

 都市郊外のスラム化と無秩序な拡大による治安の悪化が進む都市ヨミナガに対して、彼らは温かく手を差し伸べた。


 無償でのインフラ整備や工業プラントで生産された製品の大量出荷は、この支援事業の一環と言っていい。住人の暮らしは確実に以前よりよくなったと、この街に数年間、滞在しているだけのレンですら思う。

 そうして市民の暮らしに連邦の援助が欠かせなくなったタイミングで、彼らは実にわかりやすいを申し出た。

 それが「デーモン被害に対処するための軍の駐屯」である。



――誰がどう見ても、独立都市であるヨミナガを連邦の勢力圏に組み込むための方便であった。



 流れ者が行き着く街と言えば聞こえはいいが、ヨミナガは政治的敗北者や犯罪者が落ち延びる街でもある。

 当然のことながら、ヨミナガ市民の暮らしを人質に取るような聖塔連邦のやり方は大いに反感を買ったし、デーモン被害を飯の種にしているデーモンハンターも連邦の駐留軍を目の敵にしている。


 しかもから派遣されてきた兵士たちは、当然のように現地人を見下している。

 彼らは「哀れで貧しい暮らしをしている可哀想な人たちの援助」に来たつもりだったので、ヨミナガの民から向けられる敵愾心に大いに困惑した。


 そしてすぐ「恩知らずの田舎者」と見下すようになった。

 まあ、それはもう揉めるに決まっている。

 血気盛んな若いデーモンハンターと駐留軍の兵士が喧嘩をしないわけがない。

 よせばいいのに、レンは騒ぎに首を突っ込んだ。


「よっと、失礼する――」


 人混みを掻き分けてすぐ一目でわかった。結論から言えば、喧嘩は一方的な展開だった。

 オリーブグリーンの軍服を着た軍人が、デーモンハンターらしき若者をぶん殴っている。


 一対一の殴り合いで普通に惨敗しているのだ。周囲を取り囲む兵隊たちはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて、突っかかってきたらしい若者を見るばかりだ。

 実力不足の跳ねっ返りが、巡回に来ていた兵隊に喧嘩を売った挙げ句、ボコボコに殴られている――何ともみっともない光景であった。


 デーモンハンターは文字通り、異なる世界からやってくるデーモンを駆除する職業である。特別なるのに資格は必要ないし、そもそもそんな風に規制して強制力を発揮できる主体がヨミナガ地方にはない。

 つまりそこらのチンピラもデーモンハンターを名乗ることはできる。そしてデーモンハンターは危険だが高額の報酬が期待できる職業だ。


 実際のところ事前準備の手間を考えると割がいいかは微妙であり、その辺の安全管理まで気を遣うデーモンハンター協会の仲介する仕事は仲介料がえげつないのだが。

 軍隊格闘術の訓練を受けている兵隊に手も足も出ないチンピラが、デーモンハンターを名乗るようなことはありえる。


 ふらふらになった若者は、とうとう地面に倒れ込んでしまった。

 追撃の蹴りが入り始めると不味い。

 打ち所が悪ければ命に関わる。

 レンはすいっと人混みから前に進み出ると、声を張り上げて自分の方に注意を惹いた。


「通りすがりのものだが、皆様方、そろそろ手を引いてやってはくれないだろうか? 流石に衆目の前でこれだけ勝ち負けがはっきりつけば、そちらの腹の虫も収まったのではないか?」


 答えはない。

 彼らからしてみれば、レンはいきなり場に現れたゴシック・アンド・ロリータのドレス姿の怪人だ。


 場違いすぎて注意を惹くことには成功したが、じろりと警戒の視線を向けられた。そしてレンが右腰のベルトで提げた刀――剣杖ソードロッドを見て、怪訝そうな声が返ってくる。


「デーモンハンター? そのなりでか?」


「もちろん。そちらの若い衆に非があるのは承知しているが、そろそろ勘弁してやってもいいのではないかと思ってな。これ以上は殺人になる」


「ヨミナガのデーモンハンターは変人奇人の巣窟と聞いたが……なるほど、ニイジマ大佐の言うとおりだ」


 自称デーモンハンターの若者は息も絶え絶えで地面に倒れ伏している。

 それを見て、やっと頭が冷えてきたらしい兵隊の男は「くだらん……」と吐き捨てた。


「ニイジマ大佐? ……確か、新しく着任した基地司令の名だったか」


 レンがわざとらしくそう呟くと、ぴくり、と兵隊たちが反応した。


「何故、一介のデーモンハンター風情がそんなことを知っている?」


「新しく着任した駐屯軍の司令官のことぐらい、そこらの子供でも噂話で知っているだろうよ――病的なまでに基地の敷地から出ようとしないと聞くがね」


 件の基地司令の評判はかんばしくない。ただでさえ列強の圧力で強引にねじ込まれた駐屯軍なのに、都市の有力者に挨拶一つないのである。

 複雑怪奇な寄せ集めの街であるヨミナガでは、だからこそ建前の礼儀はとても大事だ。


 少なくとも「表面上、私はあなたと敵対する気はありませんよ」という意思表示すらせずに、大量の兵隊を連れ立ってやってくるボス猿など評判がよくなる要素がない。

 最低限の社交辞令のコストすら払おうとしない件の基地司令官が、まともな人間だとはレンには思えなかった。


 レンは聖塔連邦がどんな文明世界なのか知らないが、存外、テルヒサのように地元に馴染む人間の方が珍しいのかもしれない。

 彼らも評判のよろしくない上司には思うところがあるのか、レンの揶揄するような言葉を否定はしなかった。


「ふん……命拾いしたな、ゴロツキめ」


 実際問題、地面に倒れているデーモンハンターのやったことは無謀である。即席の野外ボクシング会場で拳闘のサンドバッグにされただけマシであり、その場で殺されてもおかしくない振る舞いだった。


 数人の兵隊たちの振る舞いは横暴――我が物顔でヨミナガの街を歩き、私刑紛いの拳闘を始めたことからもそれは明らか――だが、かといって度を超えているかと言われればそうでもない。


 要するに命の取り合いをやる理由が、相手にもレンにもない。

 そういうわけで、兵隊たちは喧嘩の熱が冷めると、すぐにその場を立ち去っていった。野次馬たちのブーイングなど歯牙にもかけていないようだった。

 その後ろ姿を見送ったあと、レンはそっと地面に倒れている若者へ駆け寄った。身をかがめる。ぱっと傷を見た感じ、存外、手加減されていたようで見た目ほどひどいダメージは受けていないようだった。


「…………んで」


 殴り倒されて息も絶え絶えのチンピラが、掠れた声でうめいた。


「ん?」


「なんで……よけいなまね、しやがって……」


 プライドを傷つけられたゴロツキの恨み言だった。

 悲しくなるぐらいに短絡的な反応に、レンは困ったように眉をしかめた。

 若干面倒くさくなってきた。

 なので作り笑顔で応じる。


「俺は人助けが趣味なのだ――すまない、余計な真似をしたな」


 嘘である。

 たぶんレンは、助けた人間の数より斬り殺した人間の数の方が多い。

 立派な危険人物だ。

 顔が腫れ上がった若者は、天使もかくやというレンの笑顔を見て「ちくしょう……」とうめいて。


 涙を流しながら気絶した。

 近寄ってきた野次馬に介抱を頼んで、すっくとレンは立ち上がった。後始末にまで付き合う義理はなかったし、駐屯軍絡みの騒ぎだから市警察も介入してこないだろう。


 その場から立ち去ると、すぐに弟子の姿が見えてきた。

 日差しが陰り始めた午後の空の下、師を待っていたミスラが駆け寄ってくる。


「遅いですよ、師匠」


「すまんすまん、野暮用で遅くなった」


 レンの長い黒髪が風に揺れる。

 デーモンハンター師弟の休日は、かくして平穏無事に過ぎていった。





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