異常師愛者ミスラ
「
「突然誰も聞いてないモノローグ紛いのこと言うのやめろ」
高度な文明世界から都落ちしてきた痩せぎすの医者は、不景気そうな面でレンにツッコミを入れた。
ここは関東平野の片隅にある都市ヨミナガ。
二十世紀に築き上げられた文明世界がデーモン襲来で崩壊しようと、人間というのはたくましいもので、百八十年も経つと一定規模の街を作りあげてしまうものらしい。
最近、例外ができるまでは独立都市として周辺の列強勢力と一定の距離を置いていたヨミナガ市は、流れ者が行き着くにはうってつけの条件がそろっていた。
その一角にある雑居ビル――建材は生体コンクリートと呼ばれる素材でできており、見た目は鉄筋コンクリートそっくりだ――の一室。
医院と住処を兼ねているような闇医者の住処に、レンは上がり込んでいた。もちろんばっちりゴスロリ姿で帯刀しているが、このビルの主はそれを咎めたりはしない。
レンの友人である闇医者テルヒサは、レンの奇行にも慣れていた。
「ちょっと情緒が不安定で……」
「いつものことすぎて病気かどうかも診断しかねるな……」
「うぬぼれるなよ外科医崩れが……おまえに精神鑑定する資格はないだろうに」
「急に辛辣になるなよ、真夏でもゴスロリ着てるやつがよぉ……」
事実である。
事象変換術によって肉体を自在に操作できるレンは、真夏であろうと汗一つかかずに活動可能だ。
ちなみに常人がこれをやると死ぬ。
まさに選び抜かれた
「テルヒサ、人は自由な姿でいるべきだ。たとえ次の瞬間に死んで死に装束になろうと後悔しない格好をな」
「哲学か?」
「つまりこうだ、俺は美少女」
「ちょっと感心した俺に謝れ」
テルヒサはキレた。
くっくっく、と喉を鳴らして笑いながら、レンはこの男の絶対的弱味を口にした。
「その自分を美少女だと思い込んでいる女装ゴスロリ剣士に情熱的なナンパを仕掛けてきた医者がいるようだな……」
「があああああぁあ!」
テルヒサは頭を抱えて悶絶した。
哀れな生き物である。
「やめろ! 俺の忘れたい過去を思い出させるな!」
「おまえ、いつもああいう口説き文句をぶつけてるのか? わりと気持ち悪かったからやめた方がいいぞ」
「テメエ……!」
テルヒサはうめいたあと黙り込んだ。
若き日の過ちを客観的に突きつけられて、逆上することもできずに沈黙してしまったのだ。
こういうところが可愛げだよなこの男、と思いつつ、レンは謝罪することにした。
「いや、俺もすまないことをした。有性生殖が目的の男に無残な記憶を刻んでしまったのは、ひとえに俺の不徳ゆえ……」
「マジでぶっ殺すぞこの野郎……」
もとい煽った。
ちなみにこれだけボロクソに挑発されようと、テルヒサは決してレンを罵らない。つまるところ彼は数少ない高度な文明世界で生まれ育った男であり、たとえ辺境の街に流れ着こうと育ちの良さは隠せないわけである。
そして何より、テルヒサはレンの可愛さを認めているのである。そういうところでちょっぴり承認欲求を満たされて、レンは「うむうむ」とうなずいた。
そして持論をのたまった。
「美少女とはカワイイを極めたものだけが名乗れる称号だ。有性生殖の規範に囚われぬ究極の美意識と言えよう。そして俺はカワイイ」
ぬるくなったコーヒーに口をつけて、テルヒサはゾンビのような目でレンをねめつけた。
そして深々とため息をつくと、その理論の穴を的確に刺したのだった。
「その理屈だとミスラちゃんとお前はどっちがカワイイんだ」
レンは固まった。
明後日の方向を向いて動かなくなった女装ゴスロリ剣士は、気まずい沈黙を返すほかなかった。
何故ならミスラのことを目に入れても痛くないほど、レンは可愛がっているからだ。
それを至高の美少女でないなどとどうして言えようか。
「…………………………………」
「完全なデッドロックに陥ったようだな……」
しばし瞑目したあと、レンは意を決したように口を開いた。
黒い瞳には悲壮な覚悟が宿っていた。
「そのときは……あの娘と美少女頂上決戦をしなければなるまい……まるで聖なる樹の王のように……」
「こんなクソみたいな金枝篇あっていいのか!?」
「
「ダンテかよ、思ったより壮大な世界観だなオイ」
呆れたようにツッコミを入れたあと、テルヒサはコーヒー(連邦の農業プラントで生成された代用品のみを指す。コーヒー農家はおそらく絶滅した)をすすって。
飲み干したコーヒーカップをソーサーの上に置いた。
「それでどうだ、そっちの調子は?」
「よくはないな。依頼は絶えないが、つまりデーモンの被害も多いということだ」
「それで飯食ってるやつがよく言うぜ……」
「俺はデーモンハンターだ。戦えない人たちの代わりに、デーモンと戦うのは使命みたいなものだよ」
本気かよ、と呟いてテルヒサはレンの方を見た。あながち冗談とも思えない神妙な顔つきで、レンはコーヒーカップを片手に物憂げな表情をしている。
こうしていると本当に美人ではある。
「お前が滅私奉公するのは結構だけどよ、ミスラちゃんはどうなんだ? 金にならないだけならともかく、危ない仕事はさせるなよ?」
友人からの忠告に、レンは「そうだな」とうなずいた。
もちろん師であるレンがついている限り、万が一にも死なせるつもりはない。それを傲慢でないと言い切れる程度に、彼は最強のデーモンハンターだ。
だが、ミスラはもう十四歳だ。独り立ちする時期が来たとき、あっさりと死ぬようなことになって欲しくはなかった。
万感の思いを込めて呟いた。
「あの子は強くなるべきだからな……自分の身を守れるぐらいに」
「まぁこんなご時世だ、
「うん、まあそういうことだ。テルヒサの方こそどうだ、アキラちゃんは元気か?」
アキラというのは、テルヒサが面倒を見ている女の子である。
この男、やれこんなご時世だと言いつつ、大して関わりもなかった身寄りのない子供を引き取って育てるぐらいには善人だ。そういうところが気に入っているので、レンはこの医院のことがなんだかんだ好きだった。
その武力で、ヤクザもの紛いの後ろ盾になってもいる。
ヨミナガ市にも警察機構は存在するものの、この闇医者のように厄介ごとに巻き込まれやすい人間には、そういう後ろ盾が必要だった。
テルヒサは無精ひげを撫でながら、「あー、まあ元気だよ。昔の漫画見つけて読んだりしてる」と言った。
「この街はいいな。読み書きができる人間が多い。いいことだ」
「なんだその昔を懐かしむ感じ……ジジイかよ」
「放っておけ」
テルヒサはレンの実年齢を知らないので、こういうことを言えるのだ。本当に文明崩壊がひどかった時期のよその土地と比べている不死者など、早々、まともな土地で育った人間に想像できるものではない。
デーモンハンターが魔法で超人的に強くて加齢が遅いのと、不老不死に等しい存在がいるのとは等符合で結べるものではなかった。
真っ昼間にデーモンハンターと闇医者がだらだら雑談できるのは、基本的にいいことだ。
二人が忙しくなるときは、すなわち他人の不幸に等しいのだから。
「ミスラとアキラちゃんは仲良くやっているかな」
「あぁ、上でアキラとくっちゃべってるよ」
◆
「師匠の貞操を奪いたい~!」
「控えめに言って人間としてはクズの部類に入る鳴き声だよ、ミスラ」
雑居ビル二階のとある一室。
来客用と思しきローテーブルとソファーに、二人の少女が並んで座っている。
一人はジャケットを脱いでノースリーブのインナー姿になっている黒髪の少女ミスラだ。
もう一人は『勧善懲悪』と四文字熟語が書かれたよくわからないTシャツを着た少女――名をアキラという。
常日頃、ミスラの素っ頓狂な言動に呆れている彼女のまなざしは、微妙に冷たい。
だが、友人からのありがたい忠告を聞いても、この胸のときめきは止まらない。
ミスラは机に突っ伏しながらうめくように衝動を口にした。そう、初恋に燃える乙女としての切ない慕情を一言にまとめるならば。
「師匠でハメを外したい~!」
「クズの鳴き声!?」
だいぶヤバい感じの台詞が飛び出てきた。
アキラはショートカットの茶髪を指で梳きながら、心底、嫌そうな顔でミスラの方を見た。
「チィッ……なんで僕の友達がこんな異常者なんだよ……!」
「フフフ、類は友を呼ぶそうですよアキラ?」
「クソみたいな自爆やめてくれるかなぁ!?」
アキラの悲痛な声を聞いて、ミスラは元気になった。
少女はサディストだった。
「まぁ師匠が童貞である可能性もなきにしあらずですが、それは流石に夢を見すぎなので……なんですか清純派アイドルとか信じちゃうタイプですか?」
アイドルとは大崩壊以前の文明に存在した処女崇拝と資本主義が一体化した宗教の一種である。
よってミスラも実物を見たことはないが、物の本で概念は知っていた。
「……あのさー、たぶんだけど……レンさんにとってミスラは娘みたいなものだよ? 現実を見ようよ、まだ野良犬とアイドルが結婚する確率の方が高いよ」
「だまれ……ころすぞ……!」
「野良犬の吠え声かぁ……」
「発情期になると盛る獣と一緒にしないでください、わたしは理性的に判断しています」
「ふぅん……理性的に欲望を発露させるのはもうただの計画的犯罪者なんだよね、すごくない?」
野良犬から犯罪者に格上げされた。
どうやら輪廻の輪で畜生道を脱出できたようですね、と満足げにうなずくミスラ――変な方向に自己肯定感が強い親友に対して、アキラはどこまでも辛辣だった。
「欲望をストレートに叩きつける暴力を至上の愛情表現だと勘違いしたクズの中のクズの称号、それがヤン・デレなんだよね。その情熱だけで突っ走る姿は数え切れない物語で愚行として描かれているのにね? 僕は君がそうなったら石を投げて処刑してあげるよ、ゴリアテを倒したダヴィデ王のようにね……」
「さりげなく巨人あつかいされた……!?」
「たとえキリストが制止しようと僕は石を投げる……ダヴィデのように……!」
「行動が……クズ市民……!」
ミスラの親友は年頃の少女にしては屈折しきった恋愛観を持っていた。というかストレートな暴言を吐かれた気もする。
だが、ミスラは気にしない。
心が強いのだ。
恋する乙女なので。
黒髪の美少女は、見るものが見惚れるような極上の微笑みを浮かべた。
「落ち着いて聞いてください、アキラ。わたしとて恋する乙女、めちゃくちゃ強くて頼りになる年上男性に惹かれるのは摂理だと昔の恋愛小説にも書いてありました」
「自分が信じたいものだけ
親友の言葉に耳を傾け、ミスラはその師匠理解度の低さに笑った。
ちょっと勝ち誇った笑みだった。
「師匠のゴスロリ・ファッションは趣味ですよ。ちょっとネジが外れてるナルシストですけど」
「本当に好きなのか疑わしくなる酷評するじゃん……」
「師匠は情が深く真面目な人なので、日々のストレスの高まりをゴスロリ・ファッションで発散しなければいけないのです。可愛いですね?」
ミスラはうっとりとした恍惚の表情で呟いた。
もちろんアキラはドン引きした。
冗談抜きの嫌悪感を込めた言葉が投げかけられた。
「本当に気持ち悪いねミスラ……ねちっこすぎる……まるで屈折した愛情を執着対象に向ける変質者みたいな気持ち悪さだ……」
「わたしと変質者を同時に罵倒する意図はなんですか!?」
「シンプルに君が気持ち悪いってことだけど?」
「だまれ……ころすぞ……!」
「否定しない!?」
ちなみにすべて、二人にとってはじゃれ合いの一環である。
そういうことになっている。
そのときである。
事務所のドアが開き、黒いロングヘアを背中に流したゴスロリ姿の美人が入室してきた。
レンである。
「師匠」
「ミスラ、名残惜しいだろうがそろそろお暇する時間だ」
「あ、はい」
ミスラがソファーから腰を浮かしかけた瞬間。
何故かアキラが決断的に立ち上がり、じっとレンの顔を見つめてきた。
肉の薄い身体を覆うシャツには『勧善懲悪』の四文字。
ダサいTシャツにしても自己主張が強すぎる。
悪い予感がした。
レンは思わず、よせばいいのに、こう尋ねてしまった。
「どうしたんだ、アキラちゃん?」
「レンさん、あなたと先生の悪い噂を聞きました……」
「アキラちゃん……?」
レンは困惑した。
知り合いの女の子の様子が突然おかしくなったら、そりゃあ心配もするだろう。
それを見て「流石ですね師匠アキラに対しても優しいとは」と謎の太鼓持ち顔しているミスラ――親身になったゴスロリ帯刀男に対して、小柄な
「うちのろくでなしの先生と昔寝たって本当ですか!?」
「えっ」
方向性が直球で下ネタだったので、レンは真顔になった。
ちなみにアキラの方はといえば、すごい真面目な表情である。断じて友人の保護者を下ネタでからかおうなどというクソガキ根性ではない。
どういう感情からかは定かではないが、少女が真剣なのはレンにも理解できた。なので対応に困った。
「あー……思ったよりエグめの質問してきたな……」
「師匠すいません、今ちょっと黙らせますから」
そのときだった。ミスラがゆらりと立ち上がり、アキラに近づいた。レンが身体に叩き込んだ格闘術で親友を失神させようとしているようだった。
能面のような無表情である。
普通に怖い。
この少女、暴力に対してためらいがなさ過ぎる。
「やめろミスラ、暴力を友達に振るうな」
「しかし……一線を越えている無礼は血であがなうべきでは?」
「殺伐とした価値観してるな、弟子よ……教育間違えたかな……」
ちょっとレンは天を仰いだ。
自分は決して信心深い方ではないけれど、こうも無残な状況に放り込まれるとお天道様を恨みたくもなる。
そうして、ゴスロリの男はどう答えても親愛なる友の名誉を守れないことを悟って。
一番ダメな対応をした。
「その話はやめるんだアキラちゃん、テルヒサの名誉に傷がつくからな……」
何か多大な誤解を招きそうな言い方をして、レンはその場を誤魔化すことにした。
多感な時期の少女アキラは「嘘でしょ……こ、こんなことが……こ、こんなことが許されていいの……!?」とショックを受けている。
ミスラはどこから治療したらいいのかわからない惨殺死体みたいなシチュエーションに困惑して「二人ともバカなんですか?」とため息を一つ。
――もちろん後日めちゃくちゃテルヒサに怒られた。
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