第2話 武術訓練初日

 異世界にやってきて最初の朝だ。まだ一夜を過ごしただけだがここでの暮らしは悪くない。ベッドの質も悪くないし懸念していた衛生面も問題なさそうだ。日本人の舌からすればやや味付けが単調だが食事も悪くない。しかし、これがこの世界のスタンダードだと判断するのは早計だろう。なぜなら僕達を召喚したのはここウォーテイル王国の王室と教会であり、僕達の宿舎も彼らの予算で建設されたものだからだ。この世界における最高水準に近い待遇を受けていると想定しておいた方が後々落差にショックを受けなくて済みそうだ。そういうわけだから今日から始まる訓練も王室の全面協力を得て行うことになる。体力や戦闘の訓練は騎士団が、魔術の指導は魔導院という王室直属の魔術研究部門が行ってくれることになっている。

 食事を終え、数少ない友人達と喋りながら指定された訓練場へと向かう。これも僕達のために用意されたものらしい。救世主と呼ばれる僕達に向けられた期待の大きさが伺い知れるというものだ。しかしながら、何から世界を救ってほしいのかは未だ分かっていない。昨日の時点で聞き出せたのは救世主を召喚するに足る脅威が存在しているということだけだ。

 かなり余裕を持って出たつもりだったのに、訓練場には既に騎士団員と見られる面々が揃っていた。彼らのうちの一人がこちらに向かって歩いてくるのが見える。僕は不自然に見られないように何気なく朔の後ろに下がった。

「これはこれは救世主の皆様、おはようございます。集合にはまだ早いというのにいらっしゃるとは関心ですな。私はウォーテイル王国騎士団副団長のアンドレア・ドミナスタと申します。気軽にアンディと呼んでいただいても構いませんぞ」

若輩である僕達にかっちりと礼をし朗らかに笑うその騎士はパッと見た感じ50代くらいだ。だというのにここにいる誰よりも気力に満ちている。がっしりとした肩幅と服を持ち上げる胸筋を見れば僕にだって彼が相当な手練れであることが理解できる。艶やかなグレーの髪色も彼がただ歳を重ね衰えた人物ではないことを想像させる。個人的には理想的な歳のとり方だ。そんなことを考えていたら二人の友人の視線がこちらに向く。どうやら考えごとをしているうちに自己紹介の順番が回ってきたようだ。

「……若宮柊です。若輩者ですが訓練についていけるよう努めますので何卒よろしくお願いします」

頭を下げて3秒、ゆっくりと頭を上げる。どう考えても堅くなり過ぎた。もう少し自然に敬意を示せたら良かったが、過ぎたことは仕方ない。

「ははは、そう緊張なされるな。むしろ、あなた方に合った訓練を提供し各々の才覚を引き出していかなければと団員達と話していたところです。そのためにこれだけの人員を用意しているのですから、無理せずきついことはきついと言っていただかなくては」

「そう言っていただけるとありがたいです」

「柊殿は特に礼儀正しいですな。まだしばらく時間があります。どうぞ、気を楽にしてお待ちください」

お言葉に甘えて僕達はだだっ広い訓練場の隅の方でくつろがせてもらうことにする。

 それから少しずつ同級生達がやってくる。彼らの大半は僕達と同様どこか緊張した面持ちだ。当然と言えば当然か。いきなり異世界に連れてこられて魔物と戦える力を身につけろなんて言われているんだから。一方で、妙に落ち着いている者もいるようだ。あまりに現実味がなくて感情が追いついていないのか、別の理由があるのかはわからない。全員が集合してから程なくして、アンドレアさんが台の上に立って話し始める。

「高いところから失礼します。これも一人ひとりのお顔を見ながら話すためのこと、どうかご容赦願いたい。私はウォーテイル王国騎士団副団長のアンドレア・ドミナスタ、皆様の武術訓練を取り仕切る責任者です。まずはこの訓練の意義と現時点での予定についてご説明を──」

 訓練の意義については昨日も聞いた通り、魔物と戦う力量をつけるためのものだ。そして、訓練の予定だがこれから柔軟に変更していくことを前提に組まれている。今日から継続して行ういわゆる筋トレ的な鍛錬と格闘術・剣術の訓練を通して各々の特性を把握、そこから各自に合わせた武器の扱いを含むより実践的な訓練に移行していくようだ。実践的な訓練の中には魔力を使った単純な身体能力の強化という項目も含まれている。これが後回しにされているのは武術訓練と交互に行われる魔術講座を経てからの方が順調に行えるという判断によるものだ。

 さて、肝心の訓練だが……とてつもなくしんどかった。自分の運動不足とセンスのなさを思い知らされ打ちのめされる結果となった。あれでもかなり加減してくれていたようだがインドア派の僕は明日まともに動けるかわからない。しかし、トレーニングメニューはイメージと違って結構面白かった。筋トレといえば黙々と筋肉を鍛えるためだけの行動を繰り返すものかと思っていたが、高低差のあるコースでランニングしたり、特設の壁を登攀したりと野外での活動にも役立つメニューが織り交ぜられていたのだ。そう、だだっ広い訓練場の奥にさらにこれらのコースが設けられていたのである。魔術がある分施工費用は少なく済みそうだが、それにしたってすごい気合いの入りようだ。この世界の事情など知ったことではないはずなのだが、これだけされては応えたいという気持ちになるのも変ではないだろう。

 現在は夕食を終え、大浴場で揃って入浴しているところだ。思い切り体を動かした後のご飯とお風呂は格別で、昨日とは満足度が段違いである。訓練を経て吹っ切れてきたのか皆口数が多くなっているのを感じる。夕食の際には訓練の感想を言い合ったり、祝福について情報交換をしたりしている姿が見られた。そして男子の聖域、大浴場では異性に関するトークが繰り広げられている。体育の授業ではあり得ない量の汗を流している女子の姿が琴線に触れた男子や登攀の際に隆起する筋肉の魅力について語る男子など、このクラスにノーマルな人間はいないのかと不安になるような内容だ。よくよく聞いてみれば納得してしまいそうなのが腹立たしい。

「若宮はなんかグッッとくる仕草とかシーンとかなかったん?」

「え、僕?僕は特に……」

「特にないはずないよな。若宮だって男子だろ」

一人離れてリラックスしていた僕にキラーパスをしてきたのは上田光輝うえだこうき。名前の通り陽のなかの陽だ。グッの発音に無駄に力が入っている辺り本人は相当に興奮したんだろう。ちなみに先の会話で筋肉の魅力を語っていたのが彼だ。本当に特にないのだが、先回りして逃げ道を潰されたのが腹立たしい。しかし、強いて、強いて言うのであれば……

「いや、いつも髪を下ろしてる女子が髪を結んでたのが良かったかなって」

「おー、ベタだけどそれいいよな。若宮って結構ノリいいじゃん」

「ノリがいいっていうか今のは乗せられただけでは」

「確かに!いや、若宮って朔と仲良くしてるからどんなやつなのか気になってたんだけど何か仲良くできそう。あらためてよろしくなー」

何だろう。文字に起こして見たらちょっと嫌なノリに見えそうだが、表情や抑揚、心底共感してそうな声のトーンのせいでそれほど不快ではない。これが僕にはないコミュ力というものか。

 男子特有のトークも落ち着いたところで一旦部屋に戻った僕は寝間着から運動用の服に着替え、木剣を持っていそいそと宿舎の裏へ向かう。あそこにはちょっと体を動かせる程度のスペースがあったはずだ。明日には筋肉痛になるんだから今日のうちに格闘術と剣術の復習をしておこうという算段である。同じような考えに至ったのか先客がいた。彼女は山田真夜やまだまや、そういえば彼女は普段髪を下ろしているが訓練のときには結んでいた。先程の会話のせいで妙に意識してしまう。だが、そんな雑念はすぐに吹き飛んだ。訓練で習ったものそのままではないが、彼女が繰り出す剣の型は驚くほど洗練されている。つられるように僕も剣術の復習から始めることにする。

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