二日目(1)

「──っくん──りっくん」


 誰かが名前をよんでいるのが聞こえるが、まだ頭が重い。


「りっくん! ほらもう朝だよ! はやく起きないと。遅刻しちゃうよっ」

「うう。別に……時間に追われてはないだろ……」

「そんな細かいことはいーの。おはようりっくん!」

「ああ。おはよう……」


 二日目の朝だ。

 列車に長く揺られていた疲れがどっと出て、昨日は風呂を出てすぐ眠りに落ちてしまったようだ。身に着けていたのは下着だけだった。別でペンダントは首にかけている。

 さっと身支度を済ませて朝食のサービスを頼む。パンとライスのどちらにするか尋ねられたが、「私はパンがいいと思うなぁー」とのことでパンに決定した。

 当然一人分である。

 俺の妄執に食事を用意する必要はない。


「あ。それってちょっとひどいんじゃない。りっくんと一緒に朝ごはん食べたいのにさっ」

「はいはい。じゃあいただきまーす」

「んもー! ムシしないでよっ!」


 部屋まで届けてもらった朝食。小ぶりのクロワッサンとバターロールの盛り合わせにオレンジジュース、そしてサラダとよくある内容だったが、今までにないくらいおいしかった。スイートの金額パワーかそれとも元々ここのホテルの朝食がおいしいのか、本当のところはわからない。

 レドガーさんは『眺めのいいところ』としてここを紹介してくれたわけだけど、じゃあ『朝食のおいしいところ』は一体どれだけおいしいのだろう、と昨日の会話を思い浮かべた。


「いい人だったよね。レドガーさん。初めて会ったのにすごい親切だったし。目つきの悪いりっくんに最初っから優しい人ってあんまりいないもんね」

「目つきは……仕方ないだろ。生まれつきなんだから」

「いっつも不愛想なりっくんとは大違いですな」

「……」


 一度言い訳する隙を与えているのが巧妙だ。最近どうにも詰り方がうまくなっている気がする。


「それでー。今日のご予定はどうするのー?」

「ああ。そうだな──」


 『好奇の魔術士』。

 二世代前の──つまり俺が魔術を学ぶ前の時代の魔術士。戦闘、生活、構造──実用的でないものから学術的でないものまで。ありとあらゆる種類ジャンルの術式を発見し成立させた。魔術の進歩に大きく貢献し、それはもう絶大な影響力を持っていたらしい。

 らしい、と曖昧な言い方でにごしたのは『好奇の魔術士』に関する資料は徹底的に破棄されていたからだ。なんでも倫理的にアウトなことをなんどもしでかしていたらしい。その名前は剥奪され学会からも永久追放されたって話だ。今この名前を出してみてもピンとくる人はいないだろう。手がかりを見つけるのにひどく苦労した。


「ふーん。じゃあその人はここらへんに住んでるってこと?」

「そ。わかる限りの最終的な住所がこの町だったってワケ。つまり。ドアをノックして誰も出なかったらこの町とはもうさようならってこと」

「えー! まだ観光っぽいことなんにもしてないよっ。ダンコ反対です!」

「俺は旅行に来たつもりはないからいいんだよ」


 文句を垂れているエルをよそめに最後のパンを口に放ってオレンジジュースで流し込んだ。時計を見るともう十時を回っていた。


「ほら。そんなに思い出が欲しいんだったら窓からの景色でも眺めとけよ。せっかくお前の意見を尊重してここにしたんだから」

「そーゆー問題じゃないよー!」


 結局エルは部屋を出る寸前まで窓にかじりついていた。

 チェックアウトを済ませて外に出ると、昨日の小道はもうあの吸い込まれるような闇をまとっておらずいたって普通の様相を呈していたのが少し残念だった。

 まっすぐ目的地へむかう。地図をみるとしばらくまだかかりそうだった。


「でもさ。一つ気になったんだけど」

「なんだ?」

「魔術士ってみんなそういう別の名前がついてるの? 『好奇の』みたいなさ。漢字二つのやつ」

「いや。あれは称号みたいなもんだよ。ある程度実績だったり功績だったりを残すと勝手にそういうのがつくんだ。別にうちの国に限った話でもない」

「じゃありっくんは?」

「は?」

「りっくんもすごいんでしょ? 乗り物はタダだし、いっぱい技みたいなの使ってるし。やっぱりかっこいいやつで呼ばれてるんじゃないの?」

「…………絶対に教えない」

「あー! また私にだけヒミツなの? そういうフセージツな態度が二人を引き裂くんだって本にも書いてあったよ!」

「そうそう。俺はフセージツの魔術士だよ」

「もー! うそつきっ」


 そもそも俺とお前は引き裂こうとしても引き裂けないだろ。

 そんなことを考えていたらもう目的地についていた。

 建物の外観はいたって普通で、他の家々と同じく二階建てでこの町の景観を破壊しないようなものになっていた。表札はあったが、本名がわからないためまだここに住んでいるのかはわからない。

 とりあえず。呼び鈴を一回。


「……」

「でてこないね」


 呼び鈴は鳴っているから音が聞こえないというわけではないだろう。念のためもう一度押して、今度はノックも加えてみる。


「…………」

「もしかしたらお出かけ中なのかも──って。わあ!」


 ばこんと派手な音がしてドアが。どうやらきちんと施錠していなかったようだ。随分と不用心だ。そのまま家の中に踏み入る。


「ちょ、ちょっと。さすがに勝手に入っちゃうのはまずいよりっくん。ドアも粉々になってるし。ばれたら私たち捕まっちゃうよっ」

「ドアは帰るときに元通りにすればいいし、物色中に家主が帰ってきたら……まあ。なんとかなるよ」

「先見の明だよ! 昨日もいったじゃん。先のことを予測して行動しないと大変なことになっちゃうよ!」


 昨日は棒読みだった単語がもう漢字になってインストールされている。子供の成長は早い。


「違うよー。そういう話じゃないのにー」


 やけに生活感のある部屋だ。それがここに入って最初に抱いた印象だった。積み重なった読みかけらしき本の山。ついさっきまで誰かが立っていたようなキッチン。白いシャツは物干しざおにいくつもかかっていて、掃除もある程度行き届いているように見える。

 『好奇の魔術士』は二世代前の人間だ。もし生きているならもう八十を超えている計算になる。少なくともそんな老人が暮らしているようには見えなかった。

 半ば諦めつつ家の中をあらかた調べる。特に決定的なものは見つからなかった。

 家を去る前に、ここに来るまでに予想していた最後の案を試してみる。

 そもそも二階建てでは狭すぎるのだ。魔術の研究をするのにふさわしくない。もし自分がここに住むとしたら──おそらくこうする。

 立ったまま掌を地面にかざす。


「りっくん……それってまさか……」


 そのまさかだ。地面にむけておもいきり魔力をぶつけると、ついさっきまで足元だった部分は簡単に崩れ落ちた。足場をを失って盛大にしりもちをつくがそんな些細なことは気にならなかった。

 地下室だ。想定していたよりずっと広い空間が広がっていた。この家にもともとあったものではないのが明らかだった。


「な? 俺の推察がおおあたり。これがほんとの先見の明ってやつね」

「絶対違うよっ。ちゃんとした人はドアを粉々にしておじゃましたり人の家の床をぶち抜いたりなんて絶対しないもんっ」


 そこはまあ。魔術士の常識ってことにしておく。

 ともかく。近くにある資料から手当たり次第目を通す。何年ここに住み続けていたかはわからないがその量は膨大だった。もしまともに読み込むなら数年じゃ足りないだろう。


「そんなペラペラめくってるだけで何が書いてあるか本当にわかるの……?」

「ん? ああ。実際にその魔術を使えるのか、って話になると別だけど、なんの術式なのか、何をしようとしてるのかってことならわかる。結局パターンの組み合わせなんだよこういうのは。似たようなピースが無限にあるパズルみたいなもんだよ。それに。あんまり突飛なものを組んでも再現性がなくなっちまうからな」

「ふーん? そうなんだ?」


 せっかく質問に答えたんだからそんな味気ない反応をされても困る。答えがいがない。エルのこういった気分屋なところは昔からやりづらかった。

 三十分ほどたっただろうか。目につく範囲の資料の山を三分の二ほど切り崩したところで異変は起こった。さっきまでは流ちょうにページをめくっていた指が止まる。術式が今までに見たことのない方式で書かれ始めたのだ。


「……芳しくないな」

「なになに。もしかしてお困りですか?」


 にやにやと嬉しそうに口角を上げながら話しかけてくる。おそらくもうこの秘密の地下室にも飽きたんだろう。はじめはうろちょろと探索していたが、自分にとって面白いものがないとわかるとすぐに引っ込んだ。


「少しな。この資料──いや、多分残ってる資料もみんな同じなんだろうけど、今まで読んでたやつとは違う」

「別の国の言葉で書かれてたってこと?」

「いや。文化的な意味での言語じゃないんだ。そうだな。わかりやすく例えるなら──学校で算数の授業があっただろ。四則演算。それで出てくる問題が、途中から数字じゃなくなってたら?」

「こまっちゃうね。だってそれじゃ解けないもん。足すとかかけるのとこしかわかんないってことでしょ?」

「そう。今そんな感じ」

「なるほどね! りっくん足し算できなくなっちゃったんだ!」


 今度は納得したらしい。気持ちよさそうにくすくすと笑っている。

 足し算が出来なくなった、という表現もあながち間違ってはいないしむしろ的を得ていた。なにせどんな数字を使っているのかわからないため手の打ちようがない。完全に行き詰ってしまった。

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