後悔
内地での生活は想像していたものとは全くの別物だった。
渇望感を煽るようにせわしない街とガサツな人間。そこに文化的な生活などみじんも存在しない。新天地でも自分の愚かさを問い詰められた気分だ。過去も今もすべてなかったことにするように俺は魔術の研究に没頭した。脳を感情が支配しないように努めた。隙を見せたらたちどころに壊れてしまいそうだった。
幸いに研究の方は順調に進んだ。
思いついたアイディアはすぐに形になり、大小数えきれないほどの新しい術式を生み出した。新しい術式を運用するたび戦況がこちらに傾くのはひそかな快感として俺を満たしていった。
内地での暮らしも五年が経ったある日。
俺はたまの休日に羽を伸ばすように朝早くから繁華街へ足を延ばしていた。初めは気になっていた都会の喧騒にももうすっかり慣れた。埃で肺を満たしても気にならないし、道ゆく人を意志あるものとして捉えることもない。
しかし。外に出たはいいものの特に目的もなく思い付きで行動したためあまりに手持無沙汰だった。
「都会ってのは何でもある雰囲気だけで、いざ行ってみるとなにもすることがなくて退屈だな……」
内地に対してこの感想だけは変わらなかった。
欲しいものがないウィンドウショッピングにも飽きて、売店で適当な新聞を数種類買ってそのへんのベンチに掛ける。普段の生活は睡眠、食事、魔術、風呂の四つで構成されているためこういう時に俗世の情報を仕入れておくのが肝心だった。
ファッション。ゴシップ。スポーツ。目を通し次のページをめくる。通し終えたら次は別のを手に取る。全国紙はあらかた読みさあ次は地方紙だというところでひとつの記事が目を引いた。
「ん?」
その記事はトップ記事の斜め下で控えめに鎮座している三番記事だったが、珍しく隣国との小競り合いについて書かれているようだった。
『鉄壁の防御魔術 破れる』
ついこの前提供した大規模魔術が、たしか絶対の貫通タイプだったはずだ。
町は国境に近いほど張られる防御も堅牢になり攻略しにくくなる。
けれどこれはもう終わった話のはずだ。なにせそれを運用したのは一週間も前で、実際効果もなかなかのものだったと聞いている。
大衆まで情報が降りるのはこんなにも遅いのかと呆れながら記事本文に目を通すと、しかし俺の予想は全く見当違いだった。
『本日未明。国境近くに位置する要所の一つとして知られるバックルタウンの防御魔術が崩壊したとの公式発表があり──』
バックルタウンは俺の故郷の名前だった。
要所のくせに特に発展もしていなくて、すこし歩けばいやってほど自然が広がっていて、あの小高い丘があって、そして小さなパン屋が繁盛している。そんな町だ。
「へぇ……」
漏れた言葉はあまりにもあっけなく無味だった。そもそも防御を破っただけなのかもしれないし、実際記事には被害状況の詳細は載っていなかった。
このとき動揺を押し殺すためにこんな言い訳じみたことを考えていたわけではなかった。故郷が焼き払われた可能性に対して全く動じない自分に焦っていた。
そして何より、防御を破った魔術に心が惹かれていた。
国境沿いの防御魔術はすべて自分が刷新したものでこの先十年は耐えられる構造にしていたつもりだったが、相手にも優秀な術士がいるのかもしれない。出来るなら直接話してみたいとさえ思った。
数日が過ぎ。
ふと気が向いてバックルタウン方面の列車に乗った。本当に理由なんてなかったけれど、しいて言うならあの新聞の記事を見て少しだけ故郷が恋しくなった。あの澄んだ空気で体を洗い流したい。しかし車窓からの景色は一向に晴れなかった。
列車は線路断絶の影響でひとつ前の駅で止まり、そこからある程度歩かなければならなかった。
故郷は壊滅状態に近かった。
爆弾がいくつも落とされたような、そんな印象だった。建物は軒並み倒壊してがれきに。そのがれきが尽きない薪となって町を灰で満たしていた。昔の記憶を頼りに足を進める。舗装が割れていて今踏みしめている場所が道なのかどうかわからない。
思い出の場所は見る影もなくなっていた。丘一面を埋め尽くしていた芝生は死体のようにその青さを失い、樹は葉がすべて焼け落ち息苦しそうにたたずんでいる。
背後に気配を感じた。振り向くと見覚えのない格好の集団がこちらを観察するように見つめている。
「両手を頭の後ろで組んで膝をつけ。民間人なら手荒な真似はしない」
どうやらその集団は隣国の軍人らしい。銃を構えているものが半分と、両手を開けているものが半分。兵士と術士が半々という人員構成だった。
「…………」
いう通りに両手を後ろで組み膝をつく。素直に従う姿を見てその集団はにじり寄ってきた。縛り上げて拘束するために術士らしき男が俺の手をつかむ。
「ばん」
芝生に血をまき散らしながらその術士は倒れた。一瞬で倒された味方には目もくれず軍人たちは各々攻撃姿勢をとるが、その手はもうすでに手首から先がない。
一撃で場を制圧し、目の前には倒れこんでいる軍人たち。
「ずっと研究室にこもっていた割にはうまく体が動いてくれたな」
呟きながら、敵を処理する。
自ら人を手にかけるのは初めてだったが、戦地という特殊な環境からか特に何の感慨もなかった。
町に侵攻してきた部隊は思っていたより多くすべてを相手するのは骨が折れた。最後の一人を始末するころには魔力もあらかた使ってしまって、はたから見たらひどく無様な戦いに見えただろう。
崩れるようにその場に座り込む。
それは見覚えのあるものだった。目の前の倒壊した建物。折り重なるがれきから割れた赤い木の板が飛び出している。灰と煙でよく見えないが白い文字がうっすらと確認できた。
『……akery』
この町には、少なくとも俺が町をでるまでは、それは一軒しかなかったはずだ。人口に対して店舗数が少なすぎると常々思っていた。普段の評判は良かったが、毎月出す新作が妙に攻めたもので常に売れ残っていた。しかしそんなことは全く気にならないといった様子の看板娘とその家族で切り盛りしていた。
「……」
縋るようにがれきをかき分ける。火の燻っているところを見るにがれきになってから時間が経過しているのは明白だったが、皮膚が裂け爪が剥げ荒れても手を抑えられなかった。
ペンダントはしっかりと握られていた。
その手が一体誰のものなのかを確かめる勇気はなかった。
「…………」
蓋をし抑圧してきた感情があふれる。情けない泣き声もとめどない涙も、誰にみられることもなく戦火に飲み込まれた。
その後の調査資料によると被害の大半は最初の一撃によるものだった。つまり。俺が組んだ防御を破ったその魔術はそのままの勢いで町に降りそそぎ悉くを焼き尽くした。
そして。現場に残っていた魔術残渣から、貫通の大魔術とよく似たもので防御が破られていたことが認められた。
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