過去

 朝起きて一番にポストを見に行くと新聞やチラシに混ざってお目当ての封筒が入っていた。

 いてもたってもいられずその場で封を破り中身を確認すると、そこには合格を証明する書類と手続きに関する案内が同封されていた。

 きっとこの時の俺は喜びのあまり随分締まらない顔をしていたんだろう。道すがらすれ違う人たちの怪訝そうな視線を感じたが全く気にならなかったことを妙にはっきりと覚えている。

 エルの家に近づくにつれ香ばしいにおいが濃くなっていった。

 パン屋の裏口に回り呼び鈴を押す。すると少しした後に玄関のドアが開いた。


「おはようございます……当店は朝八時から開店で……って。ええっ!リアンじゃん!」


 眠そうに目をこすりながらエルが出てきた。仕込みを手伝っていたのかエプロン姿だった。髪がポニーテールにまとめられかぶっている三角巾から垂れていた。


「ひっさしぶりじゃん。元気してた? てかなんで急に? パン買いに来たの? ならもうちょっと待ってね。あと少しで今日発売の新作が焼きあがるからさ。それか別のやつ買いにきたの?」


 もちろんパンを買いに来たのではない。

 しかし。何か言葉にしようとしても久々の再開に緊張して何を話せばいいのかわからなくなってしまった。


「あっと……エ、エルの焼いたポニーテールが聞きたくて……」


 沈黙をごまかしたくて、つい口を衝いて意味の分からないことを口走ってしまった。


「ふっ。なに? リアンってしばらく見ないうちに冗談言えるようになったんだ。なんかめっちゃ変わったね。それにしても……あっはは。『焼いたポニテ』って」


 エルは虚を突かれたのかこらえきれないようにに笑い出した。

 変わったのはむしろエルの方だと思った。背丈は俺と同じかそれ以上にまで伸びていたし、体つきはより女の子らしくなっていた。なにより名前で呼ばれたことに驚いた。笑顔にも昔のあどけなさのようなものは感じられない。

 もう自分の知っているエルはそこにいないような気がした。


「その。ほんとは話したいことがあって来たんだ」

「ふーん。それってなに?」

「俺さ。内地の魔術機関の職員になったんだ。ほらコレ。合格って! さっき封筒が届いてさ。一番最初にエルに伝えたかったんだ」


 手に持っていた封筒を開き例の書類を広げ、エルに見せた。


「えっ! 凄いじゃん! いーなー。内地ならいろいろ買い物できるよね」エルは心底羨ましそうに言う。「この前友達が内地で買ってきたコスメ見せてくれたんだけどめっちゃよくてさ。特にシャドウなんか私が使ってるやつと全然発色が違うんだよっ」


 不気味な雰囲気だった。

 何もかもが食い違っている、意識と認識がバラバラになっているような感覚。

 そんな不安をかき消すかのように俺は口を開いた。


「そう……それでさっ。一緒に行こう。忘れてないよな、あの約束」


『もし俺が魔術師になれたら一緒に内地に行こう』


「あっはは。むりだよー」


 エルは笑っていた。

 さっきと同様に。

 それが冗談かのように。


「でも──」

「そんな子供の頃のこと真に受けちゃだめだよ。あっちで悪い人に騙されちゃうぞ。リアンって昔から真面目すぎるんだから」エルはそう言って人差し指で俺をさした。「ね。今日の午後空いてる? 私学校終わったらヒマなんだ。もし空いてたら遊びに来てよ。また昔みたいに樹の下でお話しよっ。じゃ。私そろそろ戻らないとだから。」


 帰り道は長かった。

 どんな言葉で表したら適切かわからないほど俺の中身は空っぽだった。

 何よりあの約束を大事にしていたのが自分だけだったという事実が俺を苦しめた。

 数日後。俺は再びエルと話すこともなくこの町を発った。

 

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