一日目(2)

「ここから宿まで少しかかるんだ。お互い代名詞だいめいしで呼び合うのもなんだし、まずは軽く自己紹介でもどうかな。名前ぐらいは構わないだろ?」


 男はひどく落ち着かない様子だった。


先攻せんこうは提案した僕から。今回の案内役をつとめさせてもらうレドガーだよ。よろしくね」

「リアンです」

「そして私はエルちゃんでっす! りっくんと一緒に旅してますっ。好きな果物はもも! 缶詰でもOK! よろしくぅ」

「ははっ。随分ずいぶんと元気がないね。おしゃべりはあんまり好みじゃなかったかい? まあそれでもつかみは上々って感じだ」


 ドルフは上機嫌じょうきげんに喋りだした。退屈していた、というのも本当なのだろう。見た目とは裏腹にやけに舌が回っている姿がちぐはぐに思えた。

 でも。この調子が到着までずっと続くのだろうか。わざわざ親切を買って出てくれた人を無下むげにするわけにもいかない。ついていくのに骨が折れそうだった。


「で、だ。リアン君はどうしてこの町に来たのかな?」

「えっと。それは──」

「いやいやいや待ってくれよ。これはクイズだよリアン君。僕が回答者で、君は質問者。回答が出揃う前に答えを明かされちゃあ僕の立つ瀬がなくなってしまうだろう?」


 ギブアップだ。会話はていよく相手をすることにしよう。ここからはホテルまでの地味な道のりを描写することがたった今確定した。

 二階建ての住宅がゆるい曲線を描いた道沿いに所狭ところせましと並んでいる。

 まるで市販の積み木を各々おのおの住処すみかとして利用しているようだった。ドアや壁の意匠いしょうは数パターンしかなく、なんなら建築様式はすべての建物が同じだ。個性を出せているのはせいぜい表札ぐらいだった。


順当じゅんとうにいけば旅行客。でもその無骨ぶこつ格好かっこうや荷物の少なさをみるにその線は薄い。さすらいの旅人って予想はイカしてるけど、旅に出るというよりは家出をしてるって方がまだ説得力のある若さだね。となると残された可能性は、迷子をよそおって僕の身ぐるみをぐつもりの盗人ぬすっとか、はたまた貨物室に隠れて密入国した不法滞在者か……困ったな。このままだと君を警察に突き出さなきゃいけなくなっちゃうな。」

「旅行ですよ。一番最初のが正解です」


 とりあえずこの辺でブレーキをかけておく。勝手に暴走した挙句あげく犯罪者に仕立て上げられても洒落しゃれにならない。どうやら街並みを観光モノローグする余裕すら与えられていないようだ。


「別に挙げた候補すべてを回答にするつもりはなかったんだけどな」少し残念そうに呟く。「ふうん。実は一番意外な選択肢が正解だったなんて。この世界と一緒だね。『最もことわりの外にある選択肢こそ君が求める唯一ものだ』これは引用だけど──」

「アーキユリアの『魔導書グリモワール』……ですよね。俺も小さいころ読んだことあります」


 そう。あの樹の下で。幼い頃の思い出。いまだに鮮明なものとして思い起こすことが出来る。


「りっくんが私に告白した日だねっ」


 違う。

 あれは、お前と俺が友達になった日だ──。


 レドガーさんは興奮したように「やっぱり知ってたんだね。そうじゃないかと思っていたんだ」と言ってこちらを向いた。操り人形のように胴をひねり腕を大きく広げる。はずみで袖口そでぐちからのぞいた手首はやはり異様に細く、血管が配線のように伸びていた。


「僕は魔術についてさっぱりなんだけどね。あれは学術書というよりは実用書だと思ってるんだ。生きていく上で指針になってくれる考え方がいくつも載ってる。いやあ。僕に魔術の才があればなあ。もっと深く読み込めるのに」


 言う通り確かに、レドガーさんには全くと言っていいほど才能がなかった。ぱっと見ても魔力の絶対量が圧倒的に足りない。魔術のレベルは術者のもつ魔力量に依存いぞんするため、これではまともに扱うことすらままならないだろう。


「ふふ。僕ばっかり喋ってしまって悪いね」レドガーさんは歩調を緩めた。

「人と話すのは久々でね。ついテンションが上がってしまったよ」

「むしろ案内までしてもらってるのにお礼一つできなくて、こっちが申し訳ないです」

「そこは気にしなくても、ちゃんとお礼は貰っているつもりだよ」


 住宅街を抜けて何か裏道めいた小道を進む。小道を覆い隠すように木が乱立してまるでホテルまで直通のトンネルのようになっていた。空はもう夜闇にまれ月明かりだけが薄く足元を照らしていた。丁度この町と同じ三日月形だった。二人の言葉と靴音だけが世界を支配しているような感覚だった。


「新鮮な言葉は相手を刺激し自らをより深く理解するきっかけになってくれる。これは引用じゃない。僕の持論じろんさ。コミュニケーションは貴重な材料なんだ」


 僕みたいに暇を持て余してる奴は特にね、とレドガーさんは悪戯いたずらっぽく付け加えた。

 何か相槌あいづちを打とうかと思ってはみたが適切な言葉が浮かばなかった。


「お。そろそろ時間切れみたいだ。ほら。見えてきたよ」


 レドガーさんが指をさしたその先には、今までは目にしなかった高さの建物があった。

 ぼんやりと暗闇に浮かび上がった外観は、少し前の時代からずっとそのホテルが営業していたことを感じさせる豪奢ごうしゃなものだった。満室ではないのか窓からの光はまばらだった。


「わあっ。なんかお城みたいだよ。偉い人が泊まるホテルなのかな? もしかしてベッドがひらひらしたレースのやつかもしれないねっ。りっくん」


 それは是非ぜひとも勘弁してほしい。


「ふふ。この町に来てから四階建てなんて初めて見ただろう? ここは景観を保護するための条例がとても厳しいんだ。ほんとはどこも二階建てじゃなきゃダメなんだけど、あのホテルはその条例が出来る前に建てられた代物でね。それに三日月の外側に近いから上からの眺めも特に邪魔じゃましないってことで見逃されてる特例なのさ」


 あの綺麗なすり鉢にはそんな理由があったのかと妙に納得してしまった。

 歴史の名残なごりを感じる建物を再度見上げていると、いつの間にかレドガーさんは俺の少し後ろで足を止めていた。


「ここまでくればもう僕は必要ないかな。君との時間はとても楽しかったよ。ありがとう。えんがあれば今度はゆっくり話そう」


 レドガーさんは俺の言葉を待たないうちに深い闇に消えていった。最後にきちんと感謝を伝えたかったけれどその言葉は月明かりの中で軽くひびいただけだった。

 届いた気はしなかった。

 重いホテルの扉を押し開き、フロントへ向かう。


「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」

「いや、してないんですけど──予約なしでも入れますか?」

「現在空いているお部屋がダブルかスイートのみとなっております。恐れ入りますが何名様でのご利用でしょうか」

「一名です」

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