一日目(1)

 列車に揺られ目を覚ますと車窓からの景色はもう夕日に染まっていた。すっかり眠ってしまったらしかった。変な体勢で寝落ちしたせいか首回りと肩の痛みがひどい。


「あ! りっくんおはようっ! なんかお疲れのご様子だったから起こさないでおいたんだけど、元気になった? あっ、でもねでもね。もうしばらくしたら駅に着くってアナウンスが流れてたからあとちょっとしたら起こそうとは思ってたよ!」


 まとわりつく眠気を振り払うようにガシガシと頭をかく。ふと横に目をやると、確かにもうそろそろ目的地に着きそうな様子だ。


「ほらっ! 見てよ! あそこ海だよ海っ。ちょうど夕日が海で海水浴してるみたいに見えるよっ。今回のとこは海水浴場あるかな。前のとこは砂浜すらなくて崖だらけで私の魅惑みわくのボディをりっくんに見せてあげることが出来なかったからなー。あったらいいなー。」


 そんなものに興味はない。


 でも。彼女の言う通りいい夕景だった。

 大きな三日月形のいりうみを取り囲むように低層の建物が階段状に並び立っている。すり鉢を真っ二つに割ってそのまま海に添えつけたような街並みだ、なんて呑気のんきな感想が浮かんだ。

 そんな特殊な街並みが、彩度を思い切り上げたオレンジ色の夕日によってハイコントラストな仕上がりをみせている。オレンジ色はそのまま空を我が物顔で染め上げ、暗い青を持った波の形が遠くからでもはっきりわかる。今日は風がゆるやかなのかそれともこの町の空気がんでいるからなのか、ガラス越しでも透明感があった。見事な湾があるのに観光をウリにしている理由が一目でわかった。

 それからほどなくして列車は駅に停車した。トランクを握り列車を降りる。大半の乗客はこの町が目当てだったらしく、ホームにはたった今降車した人たちでごった返していた。


「うー。りっくんどうしよう。これじゃぜんぜん駅から出れないよう。私たち急いでるのにっ」


 できれば今日中に居場所をつきとめて済ませておくつもりだったけれど、しかしあの人波ひとなみにのまれていたらそれも叶いそうにない。


「仕方ないな……はぁ」


 溜息ためいきと共に手袋に光線が走る。そのままホームの柵をぐいとつかんで飛び越えた。勢いのまま体は空中に投げ出され、きれいな放物線をえがこうとしている。


「わわわ! りっくん! 私たち飛んでるよっ。ほら。もう駅があんなに遠くに──って、切符! 私たちまだ駅員さんに切符渡してないよっ」

 「俺は乗る時も降りる時も『国家術士の手帳パスポート』を見せるだけだから別にいいんだよ。切符とかそういうのは。」

「そっか。まあ……確かにそうかも? でも帰るときはちゃんと駅員さんに謝りに行くからね!」


 思い切り力を入れて踏み切ったせいか、特殊な街並みの高低差か、思ったよりも滞空時間が長かった。

 すり鉢にダイブしてるみたいで不思議な感覚だ。

 ちょうど広い公園にあたりをつけて、適当な人気ひとけのない場所に着地した。


「まだホテルも見つけてないし、さっさと行くか。間違っても野宿なんてまっぴらごめんだしな」


 つぶやきながら、服についた砂を払いのけて歩を進める。


「もう。だから予約しとこうって言ったじゃん! 私泊まってみたいとこあったのにっ。ここ超有名な観光都市だから当日じゃ絶対どこも埋まっちゃってるよ……りっくんっていっつも『事前に』とか『備えて』とか全然できないよねっ。先見の明ってやつがないんだよりっくんには。センケンノメーがさ」

「悪かったな。センケンノメーがなくて」

「あ! ちょっと! その感じ、全然悪いと思ってないでしょ!」


 適当にあしらいながら、とりあえず近くの宿がどこにあるのかたずねてみようとあたりを見回しても、当然人気のないところを選んでいたため人影すら見当たらない。気がつくといつの間にか公園を散策するような形になっていた。


「あのー、りっくん? 散歩するのもいいけど、そろそろ本気で探さないと……私的には人に聞くよりとりあえず繁華街はんかがいに行っちゃうなんて方法もあったりなかったりするのかなーなんて思ってるんデスケド……」


 それもそうかと足先を出口の方に向けたとき、ふと、視界の端がなにか白い石段のようなものを捉えた。これ見よがしに配置された木々の間でつつましくも存在感を放っていた。

 折角せっかくだし公園全部をまわっていくか、そう思い近づいてみるとそれはやっぱり階段で、数段の階段と展望台があり、上るとそこには一人の男がいた。男は両肘りょうひじを柵について眼下がんかに広がる街並みを眺めていた。

 いけられた花のような男だと思った。

 すこし灰の混じった白い髪は無造作むぞうさに伸びていて襟足がシャツの襟をおおい隠している。対照的に白いシャツにはしわ一つない。大きく開いた胸元から風が入り込んで、まるで大きな翼を震わせるかのようにはためいている。しかし。なんといっても一番目を引くのはその肌の白さだった。真っ白な絵の具を全身に塗りたくったかのような肌。男が痩身そうしんなことも相まって、病気か何かに侵されていることが容易よういに想像できた。

 今まさに柵を乗り越えて飛び降りてもおかしくない弱弱しさだった。


「おや。僕に何か御用かな?」


 声をかけようと近づく前に、男はこちらを向いて話しかけてきた。

 顔を見て、失礼だけれど驚いてしまった。少なくとも自分と同年代。もしくは下なのが顔立ちで分かった。

 男は人当たりのよさそうでやわらかな笑み浮かべこちらを見る。薄い色がついているサングラスの奥から透き通るような赤い瞳がのぞいていた。

 まるで新品のキャンバスに小さな汚れがついているようで、なぜだかとてもいやな気持ちになった。


「すみません急に。今少し困ってて。さっきこの町に着いたところなんですけど、生憎あいにく今晩泊まる場所が見つかってなくて。近くにホテルがないか誰かに聞こうと思ってたんです。それでちょうど人を見かけ──」

「ふぅん。『さっき』か。この町に着く列車は、時刻表じこくひょう通りなら確か10分前だった気がするんだけど。どうやって展望台ここまで……?」

 

 失言だった。

 別に術士であることを隠してるわけではないが、それで話がこじれても面倒だ。取りつくろうために何か言おうとしても、不意の出来事にうまく言葉が出てこなかった。


「まずいよりっくん! そんなあからさまにあたふたしてたら私から見ても怪しいよっ」


 けれど男はくすり、と笑って「ごめん。冗談だよ」と軽く流した。


「思いついたことはなんでも喋っちゃう性質たちなんだ。それで相手がどう思うかは二の次でね。揶揄からかっただけさ。今のだって、ただもっと前の列車に乗ってきたとかそんな話なんじゃないかな?」

「ああ、えっと……大正解、です。ハハハ……」


 助かった、と内心胸をなでおろした。

 こういった自分のペースで会話の雰囲気ふんいきを作り上げていくタイプは苦手だ。こっちが相手のノリに合わせなければいけないのが疲れる。何かにつけてギャーギャー騒ぎ出す幼馴染おさななじみなんか、特に。


「ちょーっと。りっくん? それは一体だれのことかなー? もしかして私? ひょっとして私のこと? まさかりっくんがエルちゃんのことをメンドクサイって思ってただなんて。ショックで今夜は眠れそうにないよっ」


 そういうところだよ、と不意に口をいて出そうになったが、あわてて口をつぐむ。


「そういえば『今夜の寝床を探してる』って話だったよね」と、男は自分から脱線した話を元に戻した。


「うん。ここら辺は結構住宅街が広がってるって感じなんだけど、ホテルもいくつかはあったはずだよ。きっとまだ部屋も空いてる。なんせここは『景色の町』だからさ。観光客用の施設ばっかりで、犬も歩けば宿に当たるって、アハハ」


 男は相変わらずの調子で続けた。


「よかったら教えるついでに案内しようか? 穴場のとこを知ってるんだ。それにわざわざ口であれこれ道順を説明するよりわかりやすいし、格段に手っ取り早い。まあ。退屈してる僕の相手をしてほしいっていうのが何よりの本音なんだけどね」


 それはこちらとしても願ってもない話だった。迷わず快諾かいだくする。


「よっし。じゃあ話は決まりだね。早速さっそく向かおうか。候補としては朝食がおいしいところ、温泉がついてるところ、部屋からのながめがいいところ。三択だけどどこがいいかな」

「じゃあ、朝食が──」

「ハイハイハイ! 私は眺めがいいところがいいと思います! 理由は、そっちのほうが寝る前も起きた後もテンションが上がるからですっ」

「えっと……眺めがいいところでお願いします」

「うん。うん。それがいいね。あそこは夜景もきれいだから。きっと気に入ると思うよ」

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