百華の魔術師

宮入嫌味

約束

 小高い丘の真ん中で一本のあおい樹木が悠々と枝葉えだはを伸ばしていた。その堂々とした樹は大きな影を広げて、幹を背に座り読書にふける少年の日傘となっていた。芝生を走り抜ける風の音に紙をめくる音が運ばれていく。たまに木の葉がざあざあと激しく鳴いても、それはむしろ少年にとっては心地いいものだった。

 町の方から少女が大きな泣き声とともにこちらに向かって一直線に駆けてきた。少女はブレーキをかけるつもりなど少しもないようだ。


「りっくぅぅぅぅぅん!」


 少年は本から目を上げることもなくと身をかわし、終点を見失った少女はそのまま幹へと激突した。鈍い音にあわせて樹は葉を揺り落した。


「どうしてよけるのっ!」

「だって、ぶつかったら痛いじゃん」

「わたしはりっくんに飛び込みたかったのっ!」


 言いながら少女は再度抱きつこうとする。少年は今度こそ観念したように本を閉じ芝生に手をついた。見ると、幼い顔立ちが涙でぐずぐずになっている。

 慣れた手つきで少年は彼女の感情の高ぶりをなだめるように軽く頭をでた。


「で、どうして今日は泣いてるのさ。どうせまた学校の奴らとやりあったんだろうけど。『うちのパンは変なんかじゃない!』とかなんとか」

「そうなの。この前出した新発売のパンがあるんだけどね。ママといっぱい相談して作ったのにさ。さっきとなりのクラスの奴が『わけわかんないもん売るな』とか『そんなゲテモノが食品衛生法しょくひんえいせいほうを通るわけがない』とか。ひどくない!」


 確かに酷い言い草だ。少年は呆れるような調子で「で、どんなパンなんだよ。その新発売のやつってのは」


「トマトマスタードクリームパン!」


 話は終わりだ、というかのように腕を振りほどき少年は立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待ってよりっくん! これ本当においしいんだって! トマトソースの酸味とマスタードの辛味をクリームがやさしく包み込んでくれて……ってそうだ! 今度持ってくるから一緒に食べようよぉぉぉ」


 なおもしがみついてくる少女をそのままに歩みを進めようとする。が、また声を上げて泣き出したのをみて、さすがにいたたまれなくなったのか彼女の手を取った。


「もう、わかったよ。相手するから泣かないで」

「うん……」


 取った手は土や涙やらでどろどろになっていた。少年は構わずに強く握り、それにこたえるように彼女も握り返した。

 樹の影から出て少ししたところで少年は立ち止まり、空いた方の手で服の裏に隠していたペンダントを取り出し、外した。それは赤い小さな宝石に銀の縁取りをほどこしたもので、日の光が反射し深い赤色のきらめきを見せていた。


「ほら。コレ。握って」


 差し出されたペンダントを受け取った少女は、言われるがまま強く握りしめた。両手に力が入り自然と目も閉じてしまった。


「よし。じゃあいくぜ。百花の魔術──」


 一瞬だから見逃すなよ、という彼の声につられ彼女が目を開くと、そこには視界を埋めつくすほどの花吹雪が一面に広がっていた。中にはこの地域では見られないような品種も混じっていた。大小さまざまな花が咲き誇り、風に花弁はなびらを散らしている。散った花弁は二人を誘うように舞い上がり大きなうねりを見せた。

 その時少女は花々の綺麗さに見とれたというより、その魔術の息をのむような美しさに圧倒されていた。

 数瞬が過ぎ、花はほどけるように散ってしまい緑の中に二人分の色が浮かび上がった。


「ありがとうりっくん」

「どう? 涙止まった? ケッコー凄いよな、ソレ。なんでも宝石に魔術が組み込まれてる珍しいものなんだって。慣れるまでは使うのにちょっとコツがいるけど」

「そうなんだぁ。りっくんってすごいね」

「あげるよ。ソレ。」

「えっ」

「内地土産だって父さんが買ってきてくれたんだけどさ。『パパがいないときも寂しくないように』って、ちょっとずれてるよな。俺はもう10歳だぜ? こんなのなくたって一人でやってけるってのに」と言って少年は改めて少女に向き直り、

「だから、あげる。泣き虫のお前にぴったりだしな」


 にやりと口角を上げた少年の憎らしさの残る笑顔は涙の引いた彼女の目には全く別のものとして映っていた。

 上気じょうきするほほの熱さをごまかすように少女はあわてて口を開き、


「ま、魔術ってすごいんだねっ。なんか危ないものってイメージだったよ。こんなきれいなのがあるなんて全然知らなかった」

「そうだな。俺らにとって魔術は『戦争』とか『武器』ってかんじだよな。でも実はさ、俺、こっそり魔術の勉強をしてるんだ」

「えっ。どうして?」

「もし魔術の勉強を続けてたらさ、内地の学校とか専門のとこに推薦されるかもだろ? これが内地で暮らす一番簡単な方法だと思うんだよな、俺」


 彼らの住む町は国境の近くに位置する要所で隣国から戦火の火の粉が降りかかることが少なくなかった。

 二人の持っている魔術への暗い印象は、子供の喧嘩とは違った大きないさかいからくる漠然ばくぜんとした恐怖に由来していた。


「りっくんはどうしても内地に行きたいんだね」

「まあね。だってずっとこんなとこいても退屈だし。俺はさっさと大都市にいってもっと文化的な暮らしがしたいの。各国から集められた特産品市場、収蔵点数しゅうぞうてんすう500を超える中央博物館、世界で見ても指折りの歴史ある劇場。想像するだけでもワクワクしない?」

「ふーん。なんかすごいね。わたしは──内地はいいなって思うけど、そんなふうに考えたことぜんぜんなかったや」

「それに泣き虫の相手も飽きたしな」

「ちょっと! さっきはなんとなく見逃しちゃったけど、その呼び方やめてっていっつも言ってるじゃんっ!」

「泣き虫が泣き虫なのが悪いんだろ。どうでもいいことですぐ泣くし。お前には草原で夕日に照らされながらわんわん泣いてるのがお似合いだよ」

「うぅぅ……」

「じゃ。もう帰れよ。遅くなるとおばさんも心配するぞ」


 少年は言うと、そのまま樹の方へきびすを返した。

 厳しかった西日ももうすっかり暮れて、連なる山々が太陽をおおい隠そうとしていた。樹が落とす影も随分と長くなり、少し歩を進めただけでその日傘に足を踏み入れることが出来そうだった。


「じゃ、じゃあさ……」


 振り向くと。いまにも大声をあげて泣き出すんじゃないかと思えるほどに涙をため両手でスカートをくしゃくしゃに握りしめている彼女の姿があった。いつもとは違うなにか覚悟を決めたようなかたくななものをしっかりと結んだ口の端から感じた。うるんだ瞳は夕日のせいかなんなのか妙にきらめいて見えた。


「私も、いっしょにつれてってよ」少女はいつになくはっきりとした口調で続ける。

「もしりっくんがすごい魔術師になって、内地に行くってなったら、私もいっしょにつれてって」

「なんでだよ」

「だって……もしかしたら内地に行けば私の泣き虫も治るかもしれないじゃん……その……ブンカテキなくらしってやつで……」


 彼女なりの無理のある言い訳だったが、少年はなにか考えを巡らせるようにじっとその場から動かない。


「いいぜ。約束な。もし俺が魔術師になれたら一緒に内地に行こう」


 少年の顔は逆光でかげり、少女からはよく見えなかった。しかしその表情は今まで彼女が見たことのない優しい笑顔だったように思えた。


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