第16話 準決勝第一回戦

     二


「さて、覆面マンが真性のロリコンと判明しました、ハルク! 準決勝第一試合は『最強』対『謎の男』! 事実上の決勝戦と見る者も多いこの試合、実はイケメン対ロリコンというハルマゲドンでもあったようです。イヤン怖い、ロリコン!」


 市川のアナウンスと同時に巻き起こるロリコンコール。

 教室が一致団結し、輪になっていた。

 それに図らずも貢献した『謎の男』覆面マンだったが――、


「覆面マン! 覆面マン! 市川たちは盛り上げようとしているだけですよぉ! 落ち着きましょうよぉ! ぐおぉぉっ! スゴイ力だぁ! この怒りはおいらでは止めきれないぃ! まさか、おいらが引き摺られるとはぁぁぁっ!」


 大暴れだった。

『ちゃんこ』伊藤が必死に止めるが、『謎の男』の暴走は止まらない。


「とりゃー!」


 伊藤に加えてISFの面々までもが足元にタックルして、それでようやく動きが止まっていた。それでも完璧ではない。

 覆面マンは血走った目で、荒い息を吐く。


「コォフー、コォフー、コォフー!」

「呼吸音がヤバイよぉ! 人類が発していると言うよりぃ、未来から救世主を狩るためにやってきた電脳戦士みたいな呼吸音だぁ! 覆面マンはお怒りですじゃぁっ!」


 あまりの暴走に乱心した伊藤が絶叫している横で、


「なるほど……怒りで力を蓄えているわけか……さすがはわしの目標だぜ、覆面マン」


 と、感心して頷いている『番長』黒埼の姿があるのは閑話休題。


「おぉい、南口ぃ! さっさと試合してくれよぉ!」


 伊藤の必死の懇願に『最強』は不自然なくらい鷹揚に頷いた。


「あ、うん。そうだね」

「南口くんってば、意外と余裕だね。相手は、えっと、ゴ……いや、『謎の男』だよ」


 根の良い『トレーニング狂』本岡はここまで来ても名前で呼ぶのは躊躇する。左足にタックルしながらの体勢は窮屈そうだったが、南口は平然と会話を続ける。


「大丈夫だよ、本岡くん。相手も人だからね」


 その会話の直後、


「……るるるるるるおオオオオオオオアアああああああばばばばばはるおあっ……!」

「大変! 怪人みたいな声出している! なんて残酷なの!? 変身しちゃう!」

「落ち着け! 落ち着くんだ、覆面マン! くそう……斬るしかないのか……!? この封印をついに解くことになるとは……! 我が斬鉄剣の錆にしてくれるわ!」

「鈴木が厨二病発症しちゃった!? ワクチンどこ!?」


 覆面マンの雄叫びに『アマゾネス』共恵と『達人』鈴木、元宮たちが混乱しているが、それさえも今の南口にはBGMでしかない。

 それくらい『最強』の集中力が高まっていた。

 弛緩と同時に張りもある理想的なスタイルで、彼は試合を待っていた。


「さぁ、試合です」


 そう呟いて、南口自身はゆったりと目を閉じた。

 それを見て、ようやく理性がわずかに戻ったのか『謎の男』覆面マンは言う。


「倒す……!」

「そして、俺は琴梅ちゃんを手に入れる……ってか? うわー、変態……キモッ」


 と、珍しく本岡以外に対しての毒舌をふるう悠里。ただし、それは『トレーニング狂』に向けるような軽口ではなく、本気で気持ち悪そうだったが。


「……まぁ、冗談はこれくらいにしてだな」


 急に覆面マンは真剣な声になった。

 そして、グルグルと腕を回し、首をゴキゴキと鳴らして、大きく伸びをした。


「さて、ウォーミングアップ終了だ。覚悟は良いな」


 その言葉に不穏な空気が流れたが、『番長』だけは感心したように頷いている。


「おおっと、準備は万端なようだ! さて、見合って見合って……」


 もう市川も余計なことは言わなかった。これ以上の混乱は収拾がつかなくなると判断したのだろう。

 観衆もようやく素直に盛り上がり始めた。


「お願いだァ! 南口ぃ! 負けないでくれぇ!」

「琴梅ちゃんをその変態にやるなぁ! 暴動が起きるぞっ!」

「もし、お前が負けたら死人が出るぞぉ! 俺は自分を止められる自信がないっ!」


 ――今回の勝負は、金銭以上のものが賭けられているから、一層の盛り上がりだった。声援も偏ると言うか、一方的になる。

 そして、南口と覆面マンはがっちりと手を組んだ。


「よろしくお願いします」

「……礼儀正しいが、そこは『上等!』とか言って欲しいな」


 そんなやり取りの中、市川は宣言した。


構えよ。そして闘えREADY FIGHT!』


 その瞬間、南口が囚われたのは奇しくも先ほど共恵が抱いたのと同じ気持ちだった。

 すなわち「なんだ、これ!?」という驚愕である。

 まるで根でも生えたような重さに戦慄したが、全力で歯を食いしばって――『最強』は耐えるしかなかった。

 そこで『謎の男』覆面マンは低い笑い声で言った。


「そんなものか?」


 その言葉は教室内に衝撃と納得を同時に与えた。


「やっぱり、覆面マンが一歩上手か……」

「ロリコンパワーは違うわね」

「殺す……殺す……殺す……殺す……殺す……殺す……殺す……殺す……殺す……」

「圧倒的な鍛錬か……元の素材で南口が劣っているとは思わんけどな」

「だな。南口は『最強』と呼ばれるだけの素質は備えているだろうけど」

「でもさ、どうしてだと思う?」


 観衆の誰かが疑問を投げかけた。


「何が?」

「賭けの内容さ。おかしいと思わねぇか?」

「覆面マンが羨ましいとしか思えないが?」


 そうだけどさ、と観衆の一人が笑いながら肯定した後、疑問を呈する。


「いや、アメフトだよ。なんで南口にやらせない方向で約束させたんだ。やらせた方が良かったんじゃないか? メチャクチャ熱心に勧誘しているんだぞ、あのおっさん」

「あー、確かになぁ」


 驚愕すべき事実だが、その会話を聞き取るだけの余裕があったのだろう――覆面マンは笑いながらその疑問に答えた。


「クックック……なぁ、貴様らの敬愛する武藤先生が、どうしてXリーグに入らなかったか知っているか?」


 そこで元宮が間髪をいれずに言った。


「まず、どうしてもこの一点だけ許せないから訂正しておくけど、敬愛はしてないわ。あと、Xリーグって何?」

「コラ! そこは一応敬愛しているフリくらいしてあげなよ!」


 それだけは許せないと鼻息荒い元宮へ共恵がより失礼なフォローを入れた。

 覆面マンはどこか憮然とした声で注釈を加える。


「……Xリーグは社会人のアメフトリーグだ。企業に所属して仕事をしながらアメフトをするんだよ。正月にやっているライスボウルって試合を知らんか? あれは大学生と社会人で日本一を決める試合だけどな。

 あと付け加えておくが、日本のアメフトのレベルは世界的に見れば高いんだぞ」

「へぇ、そうなんですか」


 と、あまり興味はないらしく、どうでも良さそうに相槌をうつ元宮。

 しかし、それは観衆のほとんどが同様だった。

 覆面マンはフフン、とすこし自慢気に言う。


「ちなみに俺は一部リーグの数社からオファーが来るくらい有名だったんだ」

「あんたは覆面マン! 『謎の男』覆面マンですから!」


 市川のフォローはただひたすらに虚しかった。


「だが、俺は気づいた……日本はアメフトの認識が低すぎる、という現実に!」


 察しの良い観衆の誰かがポンと手を叩いて言った。


「つまり、有望な選手を多く勧誘し、認知を広めるために教鞭を取ったと?」

「そうだ」


 重々しく頷く覆面マンは、何度も言うようだが試合中である。どれほどの余裕を隠し持っているのだろうか。圧倒的であった。

 事実、会話する覆面マンに対し、南口は歯を食いしばって必死に耐えているだけだ。

 その状況を横目に元宮がボソッと感想を言う。


「全く成功していないわね。無駄骨?」

「トミー! ダメ! 言わなくてもみんな気づいているけど、ダメ!」


 共恵のより失礼なフォローに、覆面マンの厳しい視線が市川に飛ぶ。


「……市川ぁ! 志藤の教育はどうなっているんだ!」

「どうして俺が怒られるんです! というか、教育は教師であるあんたの……ゴホンゴホン! すみませんでした、覆面マン!」


 結局、平身低頭する市川だった。

 覆面マンはゴホンと咳払いし「まぁ、良いがな」と言った。

 そこで誰かが更なる疑問を加える。


「でもさ、別にそれってクラブチームにいても可能だと思うんですけど? むしろ、そっちの方が現場のことを忘れなくて良さそうですけど」


 実際、クラブチームや大学のチームの中には、ボランティア活動や地域の子供に対してタッチフット教室をすることで交流を深めているところも少なくない。強豪大学の中には、有望そうな高校生に家庭教師を送り込み、自身の学校へ入学させたりもしている。

 覆面マンはそうだな、と首肯しつつ、


「日本ではどうしても野球やサッカーが広まりすぎているからな……だから、他のマイナースポーツをやろうとする土壌が育まれない」


 あとは剣道柔道を含めても構わないかもしれない。

 もちろん、それは悪い面ばかりとは言えない。現にMLB等海外で活躍する日本人選手を見て欲しい。体格で劣っていても、それ以外の素質で凌駕していたりする。

 だが、マイナースポーツをやる者としては諸手を挙げて歓迎できないのも事実であろう。本当に野球等のメジャースポーツに踏み荒らされていない天才は得がたいのだ。


「お前は十年に一人――いや、百年に一人の逸材だ。紛れもない、な」


 だから、覆面マンは本気で潰しにかかると言っていた。潰れないと信じて。願って。

 だが、現状としては、余裕のある覆面マンと必死に耐える南口の図しかない。


「あれ? だとしたら、小学校教師の方が良いんじゃないんですか? できるだけ幼い頃から習わせた方が絶対に有利だと思うんですけど」


 と、当然の質問を『トレーニング狂』本岡がした。


「確かにな。だが、俺が教師を目指そうと思った頃には小学校の教免の単位は足りなくなっていたんだよ。ギリギリだったからな」


 もう誰も『俺』の部分にはツッコまなくなっていた。市川でさえさじを投げてしまっている。


「ロリコンパワーで小学校を狙っていたんじゃないですか?」

「ト、トミー!」


 共恵が後ろから袖を引いて注意しているが、元宮は無敵だった。


「俺は年上好みだ!」

「じゃあ、熟女パワーで親を狙っていたんですね! 不倫は最低ですよっ!」

「うるせぇ! 俺だって元々教員目指していたわけじゃねぇんだ!」

「あれ? 何かあったんですか?」

「ああ……トラウマとでも言うべき事件がな……」

「へぇ……」


 元宮の顔には「脳筋の先生でもそんなのあるんですねぇ」と言いたくて仕方なさそうな表情が浮かんでいたが、さすがに場の空気を読んだのか口にしなかった。その代わりに質問する。


「それはどんな理由ですか?」


 覆面マンはゆっくりと語り始めた。


「ああ。あれは俺が大学二年の……ある電車の中でのことだ……」

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