第15話 準決勝第一回戦

 ――偽物? それがどうした?

   そんなことであんたは他人を否定するのか? 『十六代目武道家』


     一


「ねぇ――」と、南口琴梅が声を掛けられて驚いたのは、まさかその子の方から口を利くとは思っていなかったからだ。


「ええっと、こんにちは? 大垣さん」


 琴梅の前に立っていたのは『女王』大垣絵梨だった。どこかばつが悪そうにそっぽを向いている。

 彼女はぶっきらぼうな態度を崩さないまま、会話が続く。


「ちょっとあなたのお兄さんについて話があるんだけど……」

「兄さんがどうかしましたか?」

「さっきの共恵との試合だけど……どうやってあの状態から説得したの?」


 それはあの状態――『最強』が棄権しようとしたところから戦線復帰した理由。どうやって説得したのかという質問だった。

 琴梅はイタズラっぽく笑って、「内緒です」と言った。


「それにあなたでしたら想像つくのではありませんか?」


「……む」と、唸り『女王』は黙ったまま目を逸らした。

 せっかくなので、と琴梅は訊ねてみた。


「ところで、大垣さんはこの試合、どちらが勝つと思いますか?」

「覆面マン」


 絵梨は即答した。それは彼女なりの根拠があっての言葉なのだろう。自信ありげな様子だった。

 その顔を見て、琴梅はふと一つ思いつく。


「では、私は兄さんが勝つ方に賭けますね」

「……私は賭けに参加できないわ」


 これは当然の措置である。そうでなければ、八百長が横行する可能性がある。もっともその可能性はハルクがみんなで楽しむお祭りである以上、極めて低い。

 ちなみに本人が参加しなくても充分に八百長は可能なのだが、そういう真似をする人間もいない。お祭りを積極的に汚そうとする類の莫迦はこの中学にはいなかった。

 琴梅はゆっくりと首を左右に振った。


「いいえ、そんなちっちゃな賭けなんて私はしません」

「どういう意味よ」

「負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く。差し馬というやつですね。どうですか?」

「……後悔するわよ」

「それはどちらの話ですか?」


 絵梨は少しだけ沈黙して――頷いた。


「……受けて立つわ」

「賭け成立ですね」


 笑う琴梅を軽く一瞥してから、『女王』は無言で頷き、背中を向けた。

 ニコヤカにそれを見送り――そして、琴梅は困ったように呟いた。


「ああは言いましたけど……兄さん、本当に勝てるのでしょうか?」


   +++


 妹に心配されている南口だったが、彼自身は意外というべきか……あまり勝ち負けに拘っていなかった。

 相手が覆面マンということで、正直、厳しいだろうなぁと考えていたが、それもそれだけの話としか感じていない。別に負けたからといって、ちょっとした罰ゲームがあるくらいでどうこうされるわけではないのだから。

 少しだけ未練は残るだろうが、それだって今回限りというわけではないのだから。

 だが、


「よぉ、南口」


 正直、南口はこの男に声を掛けられたらどう返事して良いか分からない。

 覆面マンが話しかけてきたのだ。

『謎の男』を自称する――社会的立場を隅に追いやってでもこのお祭り騒ぎに加担する熱い(暑苦しい)漢である。

 明日からどうするのだろう? と本気で南口は心配してしまう。

 これは武藤教師だけではなく、自分を含めた周囲の生徒はどう対応するのだろう、という意味も含んでいる。

 正直、南口自身は目を合わせるのも辛いが、恐る恐る応じた。


「あの……はい? どうしたんですか」

「俺と賭けをしないか?」

「僕たちって賭けに参加できませんよ」


 それは奇しくも彼の妹と『女王』の会話を再現しているようだった。


「そんな大した賭けじゃないさ」


 そこで覆面マンは、その表情は全く分からないが、とりあえずその両眼を光らせた。


「俺が勝ったら、お前はアメフトをするな」

「…………」


 押し黙った『最強』は少しだけ考えて、正直な感想を言った。


「あの、それって、こちら側にデメリットが全くないんですけど?」

「な! そ、そんな莫迦な!? 貴様は武藤先生の勧誘に全く惹かれてないのか!」

「あ……いえ。少しは……」


 と、心にも思っていないことを言うくらいの空気は南口にも読めた。

 覆面マンは大仰に頷く。


「そうだろう、そうだろうとも!」

「でも、どうして、そんな賭けの内容なんですか?」


 南口の当然の疑問に、覆面マンは笑う。


「南口……お前は確かにスゲーよ。だがな……この世界は天才と呼ばれ、芽が出ずに消えていく奴がごまんといるんだぜ…」


 お前がどの程度の器か確かめてやるためさ、と『謎の男』のクックックと底冷えするような笑い声が響く。

 誰もが黙る中、南口はまぁ良いかと気楽だった。負けても失うものはないのだから、と。

 だが、そこで南口はふと気づき、首を傾げた。


「でも、先生?」

「先生なんてどこにもいません!」


 と、叫んだのは市川――妙に必死だが、覆面マンは一顧だにしない。


「ふむ、どうした?」

「ああああ、俺が必死にフォローしているのに……どうせどうせ」


 落ち込む市川だがその表情は笑っている。もうどうにでもなれとか思っているのかもしれない。実際、南口も覆面マンも気にした様子もなく会話を続けている。


「だったら、僕が勝ったらどうしましょうか?」

「……お前が好きに決めろ」


 覆面マンは余裕たっぷりにそう言ったが、次に場外から発せられた言葉で動きが凍った。


「では、私との交際を認めないというのはどうでしょうか?」


 それは南口の妹の琴梅だった。

 シーン、と教室が水を打ったように静まる。

 それまであれだけお祭り騒ぎで賑やかだった教室の空気が、一瞬で沈静化どころか反転する勢いで澱んだ。

 ニコニコと相変わらずも楽しそうに光を放っているのは琴梅ただ一人だ。

 意味不明な提案をする妹を見つめながら、南口は言う。


「それじゃあ、付き合っているみたいじゃないか」

「ええ、付き合っているのですよ」


 その琴梅のアッサリとした言葉で――教室内を激震が走った。

 誰かが絶叫した。


「神は死んだ! 俺は現世に絶望した! 誰か俺を殺してくれ!」


 他の誰かが糾弾した。


「このロリコンめ! 犯罪者! 児童ポルノ法万歳!」


 また他の誰かが奇声を発しながら実力行使に出た。


「bのあうんtなごいじょあj!」


 座っていた椅子を持ち上げ、普段からは想像できない鬼の形相で覆面マンに殴りかかる。紛れもない殺意の顕現がそこにあった。


「ちょ、ちょ、ちょっと待て! そんな事実はない! 事実無根! 冤罪! 冤罪だ!」


 殴りかかってきた数瞬前まで大人しかったはずのメガネ男子を避けながら覆面マンは自分の無罪を訴えた。


「あれぇ。冤罪って酷いですぅ。私じゃ不満ですかぁ」


 火に油を注ぐような琴梅の発言である。

 その普段見られない妹の甘えた声に兄の『最強』は苦笑する。


「何考えているのさ? らしいけど、らしくないよ」


 ニッコリと笑い、混乱を生み出した琴梅は言った。


「別に……これで兄さん、負けられないかなぁって思ったのです」


 それに、と本当に楽しそうに続けた。


「私、たくましい人が好みですよ。覆面マンはたくましい方だと思いますけど?」


 その言葉で途端に様々な手段を用い、たくましさをアピールし出す観衆たち。何故か結構な数の女子生徒も含まれていた。

 それらを横目にしながら、冷静に元宮みいは呟く。


「覆面マンはたくましいって言うか、それを踏み越えて猛々しいって感じかな。それにうちのクラスで一番たくましいのって市川な気がするわ。そう思わない共恵?」

「え、え、え? ええええ、そ、そんなことはないと思いますけどぉぉぉっ!?」


 声を裏返しながら叫ぶ共恵を見て、この子と結婚するにはどうすれば良いんだろう、と真剣に元宮が考えている時、


「そう来るか……」


 教室の片隅でとても悔しそうに『女王』絵梨が呟いていた。

 ここまでなりふり構わない手段を取るとは思っていなかったらしい。

 確かに『女王』のお株を奪うような盤外戦術だった。


「くっ! か、勝ちにくくなった気がするぜ」


 覆面マンがそんなことを言っている。だが、それでも琴梅に微笑みかけられると照れたように目を逸らすので本当にロリコンかもしれない。琴梅が破格の美少女なので、ロリコン扱いは少し可哀想かもしれないが。


「さて、兄さん。新しい弟が欲しくなかったら頑張ってくださいね?」


 その言い方はオカシイだろう! と誰もツッコめないほどの琴梅の笑顔だった。

 ふむ、と頷いて南口は、


「僕らまだ中学生だから結婚は無理だよ、琴梅」


 指摘する。周囲の混乱も柳に風とばかりに冷静なままである。


「時間が全て解決してくれますよ、兄さん」

「あ、ゴメン。そうだね。愛に年齢は関係ないか。あと二年足らずで結婚できるしね」


 真顔で謝る『最強』に、その妹はすこしだけ焦る。


「うわあ! 兄さん! なんか本気で勘違いしていそう……。分かっていますよね?」

「うん。僕が負けた方がみんな幸せになるんだね。正直、こんな年上の義弟ができるなんて夢にも思わなかったよ」

「ちょっと待ってください! 兄さん、本気で勝負してくださいよ!」

「うん、頑張って本気のフリをするよ」

「ちーがーいーまーすぅぅ!」


 琴梅が泣きそうになったところで、南口は吹き出した。


「あはは、ごめんごめん。冗談だってば。大丈夫だよ。さすがに分かっているから」


 と、優しく妹の頭を撫で『最強』は『謎の男』に向き合う。


「さて、試合です。よろしくお願いします」


 覆面で拭えるはずもないのに、額の汗を二の腕で拭う仕草の覆面マン。


「お、おう! 話がどこへ行くか不安で仕方なかったぜ! が、勝負は勝負だ!」

「頑張ります。よろしくお願いします」

「クックック、妹さんは貰うぜ!」


 それは覆面マン一流の場を和ますための冗談だったのかもしれないが、見事に滑り「ロリコン……」「真性だ……」「殺せ……」などの呪詛を撒き散らす結果となった。

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