第11話 第三回戦『トレーニング狂』対『達人』
二
鈴木三郎が毎日素振りをするようになったのは初恋の女性に言われたからだった。
「カッコ悪いですね。そういうのって」
サボるのを辞めたのは、それだけの理由だった。
+++
彼が通っていたのは千駄ヶ谷道場という個人が看板を守る道場だった。
師匠はとても厳格な人物で、鈴木は通い始めてもう十年近い歳月が過ぎたが、未だに会話するだけで緊張する。
師匠の一人娘――
綺麗で聡明な女性である。
彼女との会話も師匠とは違った意味で緊張してしまう。
現在はイギリスの有名な大学へ留学していて、もうずいぶん長いこと会っていない。だから、それはもうずいぶん前の話である。
鈴木は小学生で、千草は高校生の頃だった。
師匠に命じられた毎日素振り五百本をサボっていた頃のこと。
それを師匠自体は見逃していた。
正確には、自主的にしなければ意味がないということを知っていたからだろう。放置されていた。
命じたが、強制はされていなかった。強くなりたければ、という指示だった。
その当時から才能だけでも強かった鈴木は――毎回県でもベスト四くらいには残っていた――慢心していたのだと思う。
だが、そのある日、千草は鈴木に訊いてきた。
「鈴木くん、父に聞いたのですが、毎日素振りしているの?」
鈴木はいつも通りに応えた。
「うん! 当然だよ。だから、この前の大会だって優勝したでしょ」
それを聞いた千草はニッコリと笑って言った。
「ウソですね」
そう断言した――鈴木は焦って反論する。
「ウ、ウソじゃないよ!」
「んー、別にウソでも構わないけどね」
こちらの言い分を聞かない様子で、そして、ニコヤカに笑って言った。
「カッコ悪いですね。そういうのって」
鈴木は頭を殴られたようにショックだった。
千草のような人にそういう言い方をされ、自分が酷く惨めな気がした。
今の鈴木からするとよく分かる。
千草は平然と嘘を吐き取り繕う態度が気に入らなかったのだろう。彼女はそういう人間を好んでいなかった。
ただ、当時の鈴木は純粋に打ちひしがられ、顔を上げることができなかった。
千草は「ん?」と、こちらの顔を覗き込んで言った。
「あ、別にやりたくないなら、無理してやらなくて良いと思いますよ。お父さんは強制しても意味はないって言うと思いますし」
鈴木に返す言葉はなかった。大好きな千草の言葉に泣きそうだった。
「あれ? あー、ごめんなさい。私ってあんまり口が上手くなくて……」
友達も少ないのですよ、と千草は続けた。
「鈴木くん、私の数少ない友達の話をしても良いですか?」
「……うん」
「うちのお父さんをぶっ飛ばしちゃった子の話とかどうですかね」
「えっ!?」
聞き間違いかと思った。
今ではまた違うのだが、その当時は世界中で師匠よりも強い人なんて想像の外だった。
「それはね、私の悩み相談から始まったのです……」
千草の話――それは『玩具』を操る少女とクラスメイトの少年の冒険活劇だった。
「えっと、それで『玩具』の子は師匠を――?」
「ボッコボコです。あんなので良いのかなぁっていうくらいでしたね」
「スゲー……」
鈴木は唖然とし、言葉を失う。
信じられなかったが、千草が嘘をつくとも思えなかった。
『玩具』を操るというその少女は当時の鈴木と身長が変わらないくらい小さな子らしい。しかし、それでも師匠に勝った。
それは鈴木の世界観を揺さぶるくらいに大きなものだった。
「ま、異論はあるでしょうけどね。
「下村さん?」
「あ、クラスメイトの男の子です。イイ人なのですよ」
その千草の言い方に鈴木は胸が騒いだ。
「でも、『玩具』の子が師匠を倒したのなら――その男って何をしていたのさ?」
「『玩具』の娘――
その口調からもしかしたら、千草はその『下村さん』とやらのこと好きなんじゃないかな、と鈴木は思った。
そう考えると――下村という人物のことがやたらと気になった。
「ねぇ、そのクラスメイトってどんな人?」
「えっと……目的のためには泥を被る覚悟のある人、ですかね? 自分の得にならないどころか、損をしても関係ないってね。不器用なとこあるのですけどね」
「よく分かんない。優しいってこと?」
「そうですね。優しいし、誠実だと思いますよ」
ちょっとだけ悪戯っぽく千草は頷き、続けて言った。
「少なくともやっていない練習をやっているとは言わないですかね」
「……っ」
それは皮肉というよりは少しビターな冗談だったのかもしれない。
だが、少なくとも初恋の女性に言われるとそれなりに堪えるものがあった。
それは自分が彼女の好みの対極にあるということだからだ。
そして、この会話が小学生の鈴木にとって、一つの指針になった。
以来、鈴木は率先して泥を被れる人間になろうと努力している。
だから、クラスメイトが不良に囲まれていたら、躊躇せずに乗り込むような人間になった。
それは確かな実力があっての行動であり、努力の積み重ねの結果である。
全中三位が鈴木の現時点での結果であり、あれ以来、偽らなくなった彼の実力だった。
ちなみに余談であるが、千草がある意味で普段の彼女らしくない行動――鈴木を焚きつけるような真似をしたのは、常々から彼女の父親が鈴木の才能を貶しながら認め、勿体ないと感じたから、らしい。
才能は才能を知る。
千駄ヶ谷千草も数学の分野で輝かしい能力を認められている才媛だった。
三
「……ねぇ、フジ」
と、本岡富士雄に声を掛ける少女は幼なじみの
ちなみに同じ苗字でよく姉弟と勘違いされるが、実際には、はとこ同士である。
当然と言えば当然なのだが、悠里は富士雄とはあまり似ていない。
細面のショートカットで活発な印象が強い。痩せていて、背も『トレーニング狂』より少しだけ高い。
特徴のある早口で喋る。誕生日も二ヶ月ほど悠里の方が早いので、お姉さんぶっていた。
ついでに余談であるが、本岡『富士』雄だからフジである。男子の多くはその名で呼ぶが、女子で呼ぶのは悠里だけである。
「どうしたのさ? 悠里」
「あんたの相手、鈴木くんだよね」
「うん、それが?」
「あんたがあのミスター武士道に勝てると思っているの?」
「負けるつもりで勝負はしないよ」
「相手は『達人』よ」
「僕は『トレーニング狂』らしいよ」
ムン、と本岡が力こぶを作って見せて、いつものように悠里が「キモ」と返す。
「あんたがキモイ筋肉しているのは知っているけどさぁ」
「あはははは。酷いなぁ」
「ま、頑張りなさいよ。応援はしないけどね」
「いや、応援してよっ。ってか、悠里さっき応援してくれるって言ってたよね!?」
と本岡は訴えるが、悠里は「忘れたわ」と肩を竦めて適当に受け流した。
むぅ、と憮然とした表情の『トレーニング狂』だったが、
「あ、そうだ! 僕、こういう時に言ったら負けないセリフを教えてもらったんだ」
「全く期待していないけど、なぁに?」
「生きて帰ったら、お前に言いたいことがあるんだ……」
「それ、勝てない方の人間の台詞だから」
つーか、死ぬから、と悠里は半眼に冷めた口調で付け加える。
本岡は目を大きく見開き驚く。
「えええ! そんな莫迦な!? 帰る場所がある男は強いって言っていたのに!」
「ちなみに誰から聞いたの?」
「イッチー」
「市川ぁ……後で共恵に言いつけといてあげるわ」
「あはははは、良いよ。僕が負けなければ良いんだしね」
本岡はあくまでもニコニコと笑顔を崩さない。
その表情を見て、そういえば、もうずいぶん泣き顔を見てないな、と悠里は思った。
「あれ? ところで、帰ってきたら言いたいことって何よ? プロポーズでもする気?」
「あははは、僕は悠里のこと大好きだよ!」
「うわぁ、キモ」
「あははははっ」
本岡はゲンナリとした様子の悠里を気にした様子もなく、高笑いを上げる。
「俺……この試合だけは負けたくないかな……」
その一連のやり取りを遠くから見ていた『達人』鈴木は壮絶な決意を滲ませ、血を吐くようにボソッと宣言した。
そこへ現れた市川がポンポンと『達人』の肩を叩きながら言う。
「俺も中立の立場関係なしで鈴木に勝って欲しいな。ああいうの卑怯だ」
「……市川には志藤がいるじゃん」
「はぁ? どうしてあんなデカ女が出てくるんだよ。見ろよ、悠里ちゃんとは比べ物にならんくらい……」
「比べ物にならんくらい――何?」
と、突如市川の背後に湧き出た共恵が、あだ名通り『アマゾネス』のように笑った。
「……なんでしょうね」
アハハ、という市川の乾いた笑い声が教室に響かずに――途切れた。
そして、目の前のバックドロップの見事なアーチを見ながら、鈴木は言った。
「巫女服でそれはどうなのかな……どんな乙女だよ。アイアンメイデンかよ……でも、それでも、羨ましいって思う俺は負け組かねぇ……」
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