第9話 第二回戦『謎の男』対『番長』
三
そして、現在。
「おうおうおうおう。誰だか知らねぇけど、テメェ、覚悟は良いな」
黒埼が至近距離から覗き込むようにして、覆面マンを睨めつける。身長差もあるのだろうが、『番長』らしくあえて下から覗き込んでいるのだろう。
「くっくっく。この覆面マンがお前に教育的指導だ」
覆面マンは腕組みをして、不敵な笑い声を上げた。
闘志を燃やす二人の背後でコソコソとクラスメイト――元宮と共恵が会話している。
「ねぇ、トミー。アタシ、ふと思ったんだけどさ」
「なによ、巫女さん」
「み、巫女のことは放っておいてよっ」
余談であるが、緋袴も眩しい巫女服姿の共恵はとても似合っていてほとんど誰も冷やかさなかった。というより、市川が「放置プレイが一番効果的だ!」と主張したため、誰からも触れられなかったのである。
共恵は恥ずかしそうだったが、若干寂しそうであった。放っておいてよっとか言いながら、元宮の言葉が嬉しそうな様子は嗜虐心をそそる。市川は絶対にSであろう。共恵はMに違いない。普段とは逆な二人である。閑話休題。
「それよりも! 黒埼くん、本当に覆面マンが誰か分かっていないのかな?」と、共恵が首を捻りながら言うと、元宮が「さぁ」と肩を竦めた。
「ありえるけど、それよりも空気を読んでるんじゃないかな?」
「そうかもしれないけどね。黒埼くんならありえそうだよねぇ」
「うん。あいつも大概だしね」
そんな周りの雑音など気にもせず、黒埼は顔を覆面マンに更に近付け、額が擦れつく距離まで近寄る。
「で、やるんだよなぁ」
「おお」
「簡単に負けてくれるなよぉ。あぁんっ?」
「くっくっく! 黒埼! お前、なかなか見所あるな!」
覆面マンがその分厚い手で黒埼の頬を優しく撫でた――莫迦にするように。
その瞬間、黒埼の顔がどす黒く変色した。一瞬で沸点に達したのだ。
教室を緊迫感が走った。もしかして、殴るのか? 乱闘が始まるのか? という期待混じりの緊迫感である。
黒埼が手を出そうと拳を振りかぶった所で――拳を解き、下ろした。
「殴らないのか?」と意外そうに覆面マンが訊く。
殴られても構わないという意思を示していたのかもしれない。
「今はこっちで決着つけるらしいからなぁ!」
ダンッと大きな音を立てて、『番長』は教卓に肘を突いた。
手を差し出して、ニヤリと挑発するように笑う。二つ名の通りふてぶてしく。
それを見た覆面マンは、
「先程の非礼は全面的に詫びよう」
腰を折って頭を下げた。その異様に丁寧な物腰に教室中が静かになる。
そして、覆面マンも教卓に向き合い、黒埼の手を握った。
用意完了。
「なぁ、黒埼。お前、アメフトに興味ないか?」
「なんでテメェが、どっかのゴリラみてぇなこと言ってんだよ」
「くっくっく。なぁに、見所があると思ってな」
覆面で表情は隠れているが、おそらく『謎の男』は満面の笑みに違いなかった。
後ろで「え! 本当に分かってないのっ?」「さすが漢だぜ、『番長』っ。細かいことは気にしない、そこにシビれる憧れる!」と驚きの声が上がっていたが、それもどうでも良い話である。
今までどれだけ場の雰囲気が悪くなろうとも黙っていた市川がゆっくりと口を開いた。
「思っていたよりもずっと面白いです」
市川が何を言いたいのか分からず、場が静まる。
「勝負で不可欠なのは互いを尊敬し合うことだと思いませんかね?」
そんなどこか場違いな意見を言って、市川はさぁさぁと声を張る。
「つーわけで、第二回戦! 待ったなしの一本勝負! 『番長』対『謎の男』! さぁ、お前ら盛り上がれ、楽しめ、心の底から応援しろ!」
観衆の爆発的な叫び――それを満足気に確認してから、向き合う対戦者二人の手を上から包み込むようにして市川は宣言した。
『
黒埼が叫んだ!
「うぉぉぉぉおぉおぉぉぉおおぉぉぉぉおぉぉぉぉっ!」
そして、一気に覆面マンの手の甲を台上三センチの位置まで倒す。
「うおおぉぉっと! 意外な展開だ!」
市川が声を荒げ、教室中からは悲鳴が上がる。倍率は第一回戦の南口と共恵並みに覆面マンの方に傾いていたのだが、それを覆すような状況だった。
だが、
「うっぉぉぉおぉおぉぉおぉぉおぉぉぉぉっっ!」
「くっくっく、声を出すと力が抜けるぞ」
覆面マンはギリギリ、と音の出そうな動きで少しずつ位置を戻す。筋の浮いた二の腕には常人ではありえないほど血管が浮き出ていた。
そして、お互いが元の位置まであっさりと戻った。
「それ。リスタートだ」
「わしを舐めんじゃねぇ!」
黒埼は更に吠える。実力差を感じていないわけないだろうが、闘志は衰えることなく燃え盛っている――諦める様子は彼にはなかった。
だが、覆面マンのその言葉で教室内の空気が緩んだ。やはり『謎の男』は圧倒的な筋力を誇っているのだ、と。自分の賭けた相手は間違いではなかった、と。
しかし、
「莫迦か! お前ら、何を安心しているんだ!」
そう叫んだのは――『トレーニング狂』本岡富士雄だった。
「良いか! 声援を出せ! 腹の底から! それが力になるんだ!」
「あれ? 本岡と黒埼って仲良かったっけ? いや、それよりも、大多数がゴリに賭けているんだからそりゃ安心もするでしょうよ」
と、元宮がどうでも良さそうにコメントしていた。
ちなみに元宮はもう解説をする気はないようで、巫女さん萌えーとか言いながら、共恵の傍に付きっきりだった。
ただし、本岡の言葉がクラスメイトに火をつけた。
「うおおぉおぉぉおぉぉっ! 大丈夫っす! 気合っす! 勝てるっす!」
「黒埼! 黒埼! 黒埼! 黒埼!」
「『番長』! 『番長』! 『番長』! 『番長』!」
バラバラだった声援は『番長』コールの大合唱へと収束した。
元々、賭博という形式が口実なのだ。
皆、こういうお祭り騒ぎが好きで好きで仕方のない連中ばかり。
判官びいき?
不利な方を応援?
弱者への同情?
いや、そうじゃない!
不利な状況下からの大逆転こそ華だろう!
だって、そうじゃなきゃつまらないだろう!
「くっくっく。どうやら、俺の方が
覆面マンはそう笑いかけるが、それは返事を期待してのことではない。
もう黒埼は応えることもできないだろう、と彼は判断していた。
何故ならギリギリのところまで倒させておいて、元の位置まで戻すという――一種の荒行を何度も繰り返させられた結果、黒埼の握力はほとんど残っていなかったからだ。
その顔色も赤を通り越し、酸欠で白くなっている。
「よくトレーニングではあるんだぜ? 死んで何回、ってな」
バーベルが上がらなくなり、それを補助して数度繰り返すことをそう表現するのだ。
聞く者が聞けば、それは青春の汗酸っぱさとともに思い出すこと必死であろう。
今、それと同じことをしていると言っているのだ。この覆面マンは!
黒埼は息も荒く、力の入らない手で力を篭め抵抗する。最後まで諦めず戦う。
「はっ、はっは! この、程度か? ああん? 『謎の男』よ! 大した、こと、ねぇな!」
「その意気や良し!」
しかし、口ではどこまで強がっていても、精神が肉体を凌駕することはない。足が折れて立てる者はいないのだ。
「威勢は良いが、もうダメだな。諦めろ」
覆面マンは一層の力を篭める。
それに対して黒埼は――。
「ぐおおおおぉぉおおぉぉおぉおぉっ」
――喉の奥からくぐもった叫びを漏らしながら、全力で抗した。
歯を食いしばりすぎた結果、黒埼の口の端から血が垂れた。
「オラオラオラオラ、どうしたどうしたっ?」
楽しそうに覆面マンは更に追い込むが、観衆は流血沙汰に動揺する。
「ちょっちょ! 先生! 流血沙汰はマズイでしょ!」
観客の一人がそう訴えるが、
「先生? 先生なんぞどこにもいないぞ」
覆面マンではなく、市川が楽しそうにそう応えた。
「いや、イッチー! だってさぁ」
「漢と漢の勝負に口を挟んじゃあダメだぜ! 黒埼、踏ん張れぇぇぇぇぇっ!」
胴元らしくないその掛け声に覆面マンは一層楽しそうな笑い声を上げた。
「市川ぁ。お前も良いなぁ……」
「アメフトには興味ありませんよ?」と、市川は先回りしてそんなことを言った。
「くっくっくっく! 実に楽しいぞ! お前ら最高だっ!」
「余裕、見せん、じゃ、ねぇ! テメェの、相手、は、わし、だろうが!」
黒埼が吼えるが、それはどうやら少しだけ遅かったようだった。
覆面マンの肩周りがこれから全力で叩き潰すとばかりに膨らんだ。
「なぁ、黒埼……俺は感心してるんだぜ。まさか、ここまで粘るとは思ってなかった」
「あぁん? そう、いう、ことは、終わっ、て、から、言え!」
「もう詰みだ。最後は派手に!」
その言葉とともに覆面マンは教卓へ派手に叩きつけようとしたのだろう。
だが、最後のほんの一瞬――教卓からわずか一センチの隙間で――黒埼の右手は叩きつけられない。
堪えた。耐えた。先ほどまでとは逆の立場で。
「ほう!」という覆面マンの驚いた声。
「まだ、まだぁぁっ!」という黒埼の必死の叫び。
「だが、甘い!」
気合だけで堪える黒埼だが、更に勢いをつけて迫る覆面マン。
黒埼は気合だけで堪える。まだ負けない。『番長』黒埼が諦める――心が折れることは決してない。口の端から血を滲ませて――渾身の力で戦う。
そんな黒埼の姿はどこか気高くさえあった。
「くっくっく……なかなかやるな……だがな……せめて、ベンチプレスを百キロ挙げてから出直して来い!」
そして、その試合は三分十四秒に渡り――ついに決着した。
勝者『謎の男』覆面マン。
試合後である。
右腕の痙攣が酷く、また自力で立てないくらい消耗している黒埼に覆面マンは告げる。
「ふん。見所があるが、修行が足りんな。デッドリフトを百キロ挙げてから出直せ」
「……テメェ、何者だ?」
その黒埼の言葉に皆がどよめく。
こいつ……ホントに分かってないのか……マジで……という意味だったが、誰もが空気を読んでツッコめなかった。もう完全に諦められたと言い換えることもできる。
「お前が勝ったら名乗ってやろう」
と、覆面マンは黒埼以外の人間を脱力させるようなことを告げ、去る。
その隆起した背中は――無駄に大きく広かった。
黒埼は思わず、という感じで呟く。
「カッコいい……」
その言葉に、教室内が微妙な空気になったが、まぁ、それは本人にとってはどうでも良い話なのだろう。
覆面マンは教室を出て――心外なのだが道行く女子生徒に悲鳴を上げられながら――水道まで来て、自分の右腕を水で冷やす。
痙攣していた。
ニギニギと動きを確認すると、かなり握力が低下している。疲労の結果である。
フゥ、と吐息し、覆面マンは思う。
まさか、あそこまで粘られるとは予想外で予定外だった。
最初はちょっと気合を入れてやるくらいのつもりだったが――正直、あそこまで黒埼が気合の入った奴だとは思っていなかった。それほどの健闘だったのだ。
「ふん、まぁ、いいハンデだ」
次の試合は『最強』南口である。
覆面マンはマスクの下で不敵に笑う。
そう……良いハンデであった。
四
そして、罰ゲームの時間である。
呼吸と調子を整え、黒埼は言った。
「わしの罰ゲームは……根性を見せる!」
その言葉に嫌な予感を覚えた市川は目配せを幾人かに送った。
その幾人は市川の意思を素早く読み取って、迅速に準備にかかる。
それは本岡富士雄や鈴木三郎などの精強な面々で構成された裏部隊『ISF』である。ちなみにICHIKAWA SECRET FORCEの略。
今回のために特別編成された、運営上の問題が起きた場合即応する非営利超法規的組織だ。出場者が多く含まれているのは選抜基準がやたらと厳しかったせいである。
『
『
黒埼が何かを取り出そうとしているのを見て、市川は次の指示を出す。
『
『
ISFはちょっと異常なくらい高い練度で迅速な対応を取る。
シュビシュビという人を縫っての機敏な動きは外人さんがいたら「オー、ニンジャ!?」とオリエンタルな神秘に驚いたかもしれないレベルである。
ISFは前後左右一定の距離を保ちながら囲み、何が起きても即座に制圧できるポジションを確保した。
黒埼が出したのは二十歳未満禁止マークも鮮やかな――煙草だった。
「根性や――」
焼きとまでは言わせなかった。
「
「
市川はハンズアップのナイスディフェンスで覆面マンの視界を遮り、強靭なISFが黒埼に飛び掛る。
それを見ていた観衆の一人は、後に訊ねられた際にこう答えたという。
「いや、マジでハンパねーよ。あの、『番長』が一瞬でやられて。いや、ホントに一瞬。瞬きして見ることができなかった奴も結構いたんじゃねーかな。うん」
とりあえず何だか凄かったらしい。
「な、何するだぁぁぁ……っ」
『番長』強制退場。
そして、それを見ながら共恵が呟いた。
「あれ? どうして罰ゲームを自分で決めているの?」
アタシ、強制的に決められていたんだけど、と。
自分の巫女服姿に釈然としないものを感じながらの独り言だったが、それに応える者は誰もいなかった。
傍にいた元宮みいは、心の中で『カワイイから良いじゃない』とツッコミを入れていたが、それもどうでも良い話である。
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