第8話 第二回戦『謎の男』対『番長』

 結果から言ってしまうと、『番長』黒埼想はボコボコにされた。

 人が乱闘する場合、一対三以上になると途端に難易度が上がる。目は二つしかないからだ。人間の目は複数のものを捕捉するようにはできていない。


 だが、それでも、主として頭突きのみで獲物を所持した六人を地に這わせた黒埼の奮闘は褒められてしかるべきであろう。『番長』の名は伊達ではない。

 だが、それでも、三十三人。

 六人減っても差し引き残り二十七。

 多勢に無勢――数に押し切られ、黒埼は倒れた。

 顔は膨れ、鼻が曲がり、歯は折れ――それでも黒埼は最後まで不敵に笑う。


「くっ、が、はっはっは! ん? その程度かよ、テメェら。そんなもんかよ!」


 弱音は吐かず、泣き言は言わず、倒れても決して屈しはしない。

 体格が人より優れているわけでもない。身体能力は常人レベル。中肉中背の黒埼が最後まで戦えたその理由は何なのか。

 本人に聞いた場合、恐らくはこう応えたであろう。


「気合だよ、気合がちげーんだよ!」


 その気合だけで闘い抜いた黒埼の雄姿を見て、


「…………」


 南口は口をぎゅっと閉ざしている。

 だが、その目つきは普段よりもずいぶん鋭い。

 南口はまだ標的になっていなかった。

 彼自身もそれなりに襲われていたのだが、黒埼の奮闘があまりにもすごかったので、ほぼ総員で対処する羽目になったからだった。

 その間、南口は一言も喋らなかった。


「莫迦が……粋がる、からだ」


 息を切らし、首謀者は言いながら、完全に失神した黒埼の頭を踏みにじる。

 それを見て、ようやく南口は口を開いた。


「……ねぇ、どうしてそんなことをするのさ」


 彼もかなり激しい運動で逃げ続けていたのだが、息切れはしていない。


「あん?」

「僕はね、喧嘩は嫌いなんだよ。本当だよ。みんな仲良くするのが一番だと思うんだ」

「怖気づいたか。テメェもこうなるんだよ」


 首謀者が更に黒埼の頭を踏み躙ろうとした時だった。

 それがどういう動きだったか首謀者の男には結局分からなかったし、見ていたほとんどの人間も理解できなかった。

 三メートル以上離れていた南口の姿が――首謀者の目前にあった。


「え?」

「逃げてくれると思ったんだけどね」


 もし、その言葉が黒埼の耳に入っていたとしたら、おそらく『番長』は怒り狂っていただろう。

 そんなダサい真似をわしにさせる気か! と。

 カッコ良く生きている『番長』黒埼の人生に汚点を残させるのか! と。

 首謀者は我に返り、手にしたバットを振り下ろそうと――。

 その前に南口の右手が首謀者の襟首を掴み上げ――簡単に投げ飛ばした。


「っがぁ……っはっ」


 首謀者は漏れるような声だけを残し、宙を舞う。


「僕一人だったら逃げられたと思う」


 首謀者は二メートル空に――更に二メートル地面を転がり、ようやく止まる。

 ぴくりとも動かない――失神していた。

 それは襟首を掴まれた際、頚動脈を圧迫された結果である。

 受け身を取ることもできず、転がった首謀者の男は――まるで死体のようだった。


「でも、逃げても意味はないんだろうね。黒埼くんの姿を見て思ったんだ。逃げても追いかけられるだけ。きっと相手に付け込まれるだけだって」


 片手で人一人を数メートル投げ飛ばした南口に皆の視線が集まる。

「分かる?」と、南口の視線が細く引き絞られ周囲を睥睨する。



 その南口の怒りが助けに来てくれた黒埼への己の不実に向けられている。なんてそんな心理、周りには分からない。理解できない。ただ、周囲はその怒りに怯える。

 反撃に転じた『最強』の姿に怯える。


「あ、う、あ、あ」


 怯えから群衆の行動は爆発した。


「うわぁぁぁああああああああああああああっ!」


 南口は鉄パイプで殴りかかってきた男の懐に入り、先ほど同様襟首を掴んで投げ飛ばす。

 投げ飛ばす時に体を回転させ、その際周囲を確認する。


「わあああ」


 大の男が簡単に振り回され、担がれ、転がされ、


「イテェ!」


 南口自身は担いだ男を盾にして、攻撃を避け続ける。

 それを幾度も繰り返す。

 長物しかもっていないことが結果として懐に入りやすい状況を作り出しているのだが、普通であれば逆である。

 手にしたそれを突き出すだけでも簡単にけん制になるはずだからだ。

 通常、武器が作り出す距離のアドバンテージは、素手では勝負にならないほどの有利である。素手に比べれば、剣が。剣に比べれば、槍が有利なのは当然の話。

 だが、


「本当に嫌なんだけどね」

「……う、うわぁぁあぁっ!」


 のんきなその物言いに逃走を始める者が現れ始めた。

 南口の力が並ではない――それが実感として周囲を圧迫させ始めた結果だ。

 南口田尾。

『東西南北』の片割れにして『最強』と名づけられた少年。

 彼は一撃も食らうことなく、ひたすらにかかってくる男を投げ飛ばす。


 それを遠くから見る二つの視線があった。

 それはたまたま同時期ではあったが、別々の立場、場所から見ていた。

 一人は中学教師、ゴリラこと武藤児輔だった。

 通報されて遅れてやってきた彼は止めるべき立場にあり、その意思も持ち、怖気づかないだけの胆力も持ち合わせていたが、動けない。

 彼の視線は南口の一挙手一投足から目が離せない。

 その動きはあまりに華麗で力強く――彼の理想とするものだったからだ。

 そして、もう一つの視線。

 それは鈴木三郎――『達人』とどこか揶揄されるようなあだ名を嫌う少年だ。


「……んー、止めて欲しいんだけどなぁ。乱闘とかさ」


 ブツブツと物思いに耽るように手にした竹刀と防具一式をどこに隠そうか考える。


「本当にさ。俺って、面倒くさがりだし。あーあ、ボチボチとんー、ねぇ」


 適当な物陰に持ち物を隠した後、鈴木の手に残されたのは一本の木刀だった。


「怖いしね。つーか、南口。何、あれ? 一発も食らわないし。足手まといかなぁ。でもねぇ。残りはそんなに多くないかな。十人もいないかな」


 独りごちながら、彼は戦場に向かってユラリと歩き出した。


「警察が来たぞーっ!」


 その一言に皆が反応し、ギョッと動きを止めた。

 その刹那を狙って、一人の影が現れる。


「ゴメンなさい! 実は嘘です!」


 手にした木刀による鋭い一撃は、同じく木刀を持った一人の手へと吸い込まれるようにして――叩き込まれる。


「ッ―――――ッ!」


 ボギッ、と今までとは明らかに違った音があたりに響いていた。素人とは剣筋が違い過ぎるのだ。ほぼ同時に声にならない悲鳴が上がる。

 殴られた男の手首は明後日を向いていた。明らかに骨折している。


「あちゃあ。やりすぎたかも!? でも、手加減なんかできないよねっ」


 南口が驚いて、そのクラスメイトの名前を呼ぶ。


「鈴木くんっ!?」


 鈴木はニヤッと不敵に笑いながら「おうよ。奇遇だな」と言った。


「どうしてこんなところに?」

「あー、そんなん良いから。早く黒埼抱えて逃げてくれ。殿しんがりは任せろ」

「えっと、でも」

「大丈夫だ。俺は強い」


 それに、と『達人』鈴木は真剣な顔で失神している黒埼を見やり、続ける。


「早く黒埼を病院へ連れて行けって。結構大怪我だぞ、それ」

「あ! ありがとう、鈴木くん! でも、危なくなったら逃げてね」

「あはは。大丈夫だって。言われなくても逃げるから」


 南口は地面に転がっている黒埼を手際よく抱え上げると走り出した。

 脱兎のごとくだが――しっかりと踏みしめて走る姿は異様に逞しく、かつ速かった。


「速いねぇ。さて、と」


 それまでの頼りない姿から一転、鈴木は獰猛な笑みを浮かべる。本人は否定するかもしれないが、それは『番長』黒埼に通じるものがあった。

 そして、鈴木は残った不良たちを見やり、犬歯をむき出しにし、威嚇しながら、


「友達をあれだけボッコボコにしてくれたんだ。覚悟は良いよな?」


 周囲は『達人』のその姿に怯み、結果、一時的な膠着状態が生まれる。

 ――と、その時だった。


「お前らぁ! 何してんだぁ!」


 タイミング良く警察官が怒鳴り込んできたのは。


「あれ? 嘘から出た真ちゃんってやつ?」


 そして、そこで鈴木は状況があまりヨロシクないことに気づく。

 警察官が同類を見るような目でこちらを睨みつけていたからだ。

 意識のある者は散り散りに逃げ、残されているのは失神したままの者と鈴木のみだった。そして、鈴木の手には他のもの同様得物が握られている。

 故に迷わず警官は鈴木を捕まえる。

 逃げられないように、がっしりと腕を掴まれて。


「え? 違いますよ、俺は。え? え? え?」


 そんな莫迦な話はないのだが――クラスメイトを助けるために来たのに――だが、そんな言葉は通用しそうもなくて――。


「何が違うかは署で聞く」

「あ、あはははは……っ」


 ――そして、鈴木は補導された。


 この事件は何故か『最強』南口田尾の名を上げることになり、

『達人』鈴木三郎は誤解が主とはいえ、この一件が師匠にばれてめちゃくちゃ怒られ、

『番長』黒埼想は病院送りになったことを恥じ、自分も殴りあいに参加した大村公園の大乱闘からは身を引き、

 武藤児輔は『最強』南口をしつこくアメフトに誘うようになった。

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