4. 約束のデート(2)

 紙に書かれていたのは箇条書きのメモ。


『・まず可愛いと言う』

『・先生呼びをやめてもらう』

『・ゆっくり歩く』

『・虫の話はするな』


 ……なんだろ、これ?  首を傾げたのと同時に、手元から紙が消えた。顔を上げると、顔を強ばらせた先生が私を見下ろしている。


「ちょっ、よ、読んだ!?」

「あ……ごめんなさい」

「ああ、いや、うん、いいんだ、落としたが悪いから……」


 力なく笑った先生が、私の隣に腰を下ろす。手にしていたペットボトルを渡してくれた。


「気分はどう? 水は飲める?」

「はい」

「ごめんね、妹にも『虫の話はするな』って言われてたんだけど、つい」

「あ、さっきのメモ……」

「うん、あれね。俺、あんまり女の子と出かけたことなくてさ、妹にアドバイスを求めたんだけど――こうしてメモを落としたなんで知られたら、また『だから兄ちゃんはダメなんだ』とか言われそうだよ」

 

 やわらかく苦笑した先生を見たら、ちょっとドキドキした。自分のことを俺って言ったり、妹さんの話をしたりする姿が、授業の時とは違って見える。なんていうか、素っぽいっていうか。本当の先生に触れられたみたいで、ちょっと嬉しい。


 でも、一つだけ反論したい。


「先生はダメじゃないです! 数学の説明もわかりやすかったし、私、先生のおかげで合格したんですから」

「ありがとう。でも、合格は僕の力じゃなくて、萌ちゃんの頑張りの成果だよ」

「そんなことありません!」


 だって私が勉強を頑張れたのは、模試の成績を上げて先生に「頑張ったね」って言ってほしかったからだ。たまにもらえるその一言があったから、苦手な数学だって頑張れた。


「先生じゃなかったら、もっとサボって適当にやってました。先生だったから、私、最後まで頑張れたんです」


 スカートの上で、両手をぎゅっと握った。先生の顔を見ることができず、視線が床をうろついている。


 怖い。

 でも、言うんだ。


 今ここで言えなかったら、きっと最後まで言えないに違いないから。


「先生、私……っ、先生が好きです!!」


 ……。

 言った。

 やっと言えた。


 ほうっと息を吐いてから、無言の時間に不安が押し寄せてくる。先生が何も言ってくれない。


 そおっと隣を見上げたら、先生は真っ赤な顔をして、明後日の方向を向いていた。


「先生……?」

「いや、あの、えっと、嬉しい……よ」


 嬉しい。その言葉が頭の中でぴょこんぴょこんと跳ね回る。赤い顔のまま、先生が私に視線を戻してくれた。


「ただその、たぶん、萌ちゃんが俺に持ってくれてるイメージは、実際とは違うと思うんだ。俺、ヘタレだし、妹には『気がきかない』って怒られてばっかだしさ」

「そんなこと……!」


 ないって言いたかったけれど、即答するのはなんだか嘘くさい気もして、迷ってしまった。先生のことは授業中の姿しか知らないのだから。虫が好きだってことも、今日初めて知ったのだし。


 でも――


「授業中の先生だって、先生だと思います。それが全部じゃなくても、私が好きになった先生が嘘になるわけじゃない。だから、あの、もし彼女がいないなら、先生、私と――っ」

「ま、待って! それは、俺が言わなきゃいけない気がする」


 先生が私の手のひらに自分のそれを乗せた。交わった視線に熱を感じる。ほおも、胸も、その熱に当てられたみたいだ。周囲の音が何も聞こえない。


「きっと、想像と違うこともあると思うけど、それでもよければ、俺と、付き合ってください。俺も、頑張り屋さんな萌ちゃんが好きだよ」

「……!!」


 何かが胸に込み上げてきて、視界が急に歪んで見えた。


 夢かな。夢じゃないよね。

 本当に、いいよって、言ってもらえたんだよね……?


「はい……はいっ」


 何度もうなずいたら、先生が私の頭にぽんぽんと優しく触れる。


「じゃあ、これからよろしくね」

「よろしくお願いします……!」

「できれば、これからは『先生』じゃなくて、『隼冬』って呼んでくれたら嬉しいな」

「あっ、そうでした」


 今日最初に言われたのに、いつから忘れていたんだろう。これからも何度も間違ってしまいそうだ。だって、私にとってずっと『先生』だったから。


 でも、いつか、隼冬さんって呼ぶことが当たり前になったらいいな。まだすごく、恥ずかしいけれど。


 笑顔で先生――ううん、隼冬さんを見上げたら、やわらかな笑顔が返ってきた。

 

 




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