2. 君がもう一度会いたいと言ってくれたから【藤野】
萌ちゃんの学力は十分に志望大学に届いていたし、落ち着いて問題を解ければ大丈夫だろうと思ってはいた。それでも番狂わせがありえるのが受験というもので。
『先生、受かりました!!』
メッセンジャーアプリに送られてきた文字列を目にして、ついガッツポーズをしてしまった。「よしっ」という声は、カフェの雑音に紛れて消える。聞き取ったのは向かいに座っていた友人、迫だけだろう。迫はくわえていたストローから口を離して
「おー、
「そう」
「へー、オメデト」
「ん」
アイスコーヒーをゆっくり飲むと、冷えた胃が一緒に頭を冷静にしてくれた。結果が出る前に考えても仕方がないと棚上げしていたことに、そろそろ向き合わなきゃいけないらしい。
「なあ迫、おまえを彼女持ちの親友と見込んで相談がある」
「うわ面倒くさそう。……なんだよ」
「今連絡をくれた子と、『第一志望の大学に受かったらデートしよう』って約束しててさ」
「え、生徒に手ぇ出したの?」
「違う。受け持ってる間はそういう意味で触れてないし、もう生徒じゃない」
つい指に力が入り、プラスチックのカップがべコリと凹んだ。迫はこっちを見てニヤニヤ笑っている。
「へー、デートの約束は〝手を出した〟ことにはならないんですかねぇ、藤野センセー?」
「俺で遊ぶな。そうじゃなくてさ、……デートって、どこ行けばいいと思う?」
「ホテル行けばよくね」
「ふっざけんな! あんな天使を連れてけるか!」
思わず立ち上がってしまい、周囲からの視線をあびた。愛想笑いを振りまいてから座り直したが、迫はまだニヤニヤ笑っている。きっと本気でホテルを提案されたわけではないんだろう。
「じゃあ藤野はどこ行きたいわけ?」
「どこって……舞浜の夢の国で一泊二日とか?」
「初デートで泊まりは重くね」
「うっ……だから相談してんじゃん……」
迫のニヤニヤが止まらない。わかってた、こういう奴だって。なにせ小学五年からの付き合いだ。妙にウマがあって、中学から別の学校に通っているのに、大学生になってからもたまに遊んでいる。
付き合いが長いから、俺に彼女がいたことなんてないことも、俺の不名誉なあだ名も、迫は知っているのだ。
「合格祝いなんだったら、まずは相手にどこ行きたいか聞いてみろよ。どこでもいいって言われてから考えな、〝残念イケメン〟くん」
「……確かに」
メッセンジャーアプリを開き、『合格おめでとう。どこか行きたい場所はある?』と打ち込んでみる。すぐに既読がついたけれど、返事はなかなか送られてこない。考えてるんだろうか。それとも、遊びに連れて行ってほしいなんて冗談だったんだろうか。
(授業中は勉強の話しかしないからボロが出なかったかもだけど、俺の中高時代のあだ名、〝残念イケメン〟なんだよなぁ……もしかして最後にやらかしたかなあ……)
誰が言い出したかはわからない。でも『顔はいいのに』『勉強だけはできるんだけど』ーークラスメイトが俺を語るときにはいつも、『のに』とか『けど』とか逆説表現がついてまわり、いつの間にか不名誉なあだ名が定着していた。
中学に入ってすぐに仲良くなった女の子には、初デートで『その私服のセンスはない』とフられ。
趣味の昆虫採集、特に芋虫について熱く語ったら、『虫はちょっと……』と、クラスの女子から遠巻きにされた。
妹には『お兄ちゃんは勉強しかできないんだから、女の子のことも勉強しなよ』と言われ、妹オススメの少女漫画を時々買わされている。
『もし受かってたら、ご褒美に――デート、しよっか?』
なんてのは、テンパった末に出てきた〝少女漫画の台詞〟でしかなくて。授業中は耐え切ったが、帰ってから「俺はいったい何を言ってるんだ……」と頭を抱えた。
家庭教師という立場と、受験直前というタイミングをふまえ、イエスともノーとも言えずに困ったのだ。……とはいえ、あの台詞はなかった。
いまだに返事のないメッセンジャーアプリの画面に目を落とし、ため息をついた。
「返事あった?」
「まだ」
「あ、そ。もし映画見てる間に返ってきたら、メシ食いながらプラン考えっか」
「恩にきる」
チラリとスマホの時刻表示に目を向ければ、迫と見る予定の映画の開場まで、あと二十分。最初は広告だから見なくてもよいと思えば、三十分くらいはあるあるだろう。
追加の相談をするなら今だ。
「あのさ。もう一個、頼みたいんだけど」
「まだあんの? ……なんだよ」
「着ていく服を選んでほしい……」
「は? 一年も
「いやー……」
丸くした目を向けてくる迫から視線を外し、明後日の方向を見た。迫が不可解そうに眉を寄せたのが、目の端に映った。
「バイトを始める前にさ、一度だけ選んでもらっただろ?」
「あー、あったな。一着だけ」
「あの服で一年やり切った」
「は??」
「制服みたいなものだと思うことにして」
「
迫があきれたような目を俺に向けている。我ながら馬鹿なんだろうかと思う。長袖一枚しかないから、真夏はずっと腕まくり。バイトは週に二回だったから、毎回洗えば着れはした。……もう、だいぶくたびれてしまったけど。
同じような服を買えばよかったんだ。それか、慣れたら自分の好みで買った服で行ったっていいはずだった。でも、ずっと『ファッションセンスがない』と言われてきた俺には自信がなくて。だからといって毎回迫に頼るのもなんか違う気がして。
でも、また中学の頃みたいに、『初デートでその私服のセンスはない』と萌ちゃんに失望されたら立ち直れない気がする。
「俺は、さっさと素をさらしとけって思うけどなー。どうせ藤野に、ごまかし続ける器用さなんかないんだからさー」
「うっ……」
迫の言葉は的を射ている気がした。もうちょっと器用になれたなら、俺は〝残念イケメン〟なんてあだ名をもらうことなんてなかったんだろう。反論できずに黙っていたら、迫が頬杖をついて俺を見た。
「……そういや、藤野に大事なこと聞いてねーんだけど」
「大事なこと?」
「藤野はさ、どうしたいわけ? 義理で一回デートして終わりにしたいのか、告白して付き合いたいのか、どっち? その子のこと、好き?」
じっと見つめられ、つい目が泳いだ。
すごく頑張り屋で、褒めると照れてふわっと笑う、可愛い女の子。生徒というフィルターを抜きにして、好きかどうかと問われたら。
「そりゃ、す……………き…………だ、よ?」
口を開くと同時に頭に熱がのぼってきたせいで、うまく言えなかった。思い出した萌えちゃんの笑顔が頭から離れない。俺を見ていた迫が目を丸くした。
「ガチなやつじゃん……」
それから迫は、半分以上残っていたアイスコーヒーを一気飲みしてから立ち上がる。
「映画まで時間ねーから。三十分で決めんぞ」
「迫ぉ……」
「情けねー顔すんな。さっさ立て」
「はい」
自分のドリンクを飲み欲して立ち上がったら、メッセンジャーアプリがピコンと通知音を鳴らした。
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