【全三話予定】家庭教師のイケメン大学生に告白を。

夏まつり🎆「私の推しは魔王パパ」2巻発売

1. これで最後にはしたくなくて【萌】

「――ちゃん、もえちゃん」

「ん……」


 心地よい声とともに背中を優しく叩かれ、夢の世界からゆっくりと引き戻される。薄目を開けると、眼前に整った顔があった。


 スッキリと細い輪郭、高い鼻筋。健康的な肌はうらやましいほど滑らかだ。整った薄い唇は弧を描き、困ったように下がる眉の下では長いまつ毛が揺れていた。


(わぁ、今日もかっこいいなぁ……)


 彼を眺めているうち、徐々に意識が覚醒してくる。熱が顔まで上ってきた私は、慌てて飛び起きた。


「藤野先生!?」

「うん。おはよう、萌ちゃん」

「もうそんな時間!?」


 自室の時計に目を向ければ、もう十七時を八分も過ぎている。家庭教師である藤野先生の授業は十七時から。十五時に高校から帰ってきて、休憩しようと思ったことは覚えている。昨夜は緊張してよく眠れなかったせいか、寝落ちてしまったらしい。


(お母さん、なんで起こしてくれなかったの!?)


 脳内でお母さんに文句を向けてから――思い出した。『十六時半だから起きなさい!』と怒鳴ったお母さんに、『あと五分』と返したのは私だったということを。


 ベッドの脇に置かれた姿見に慌てて目を向ける。髪は寝ぐせでぐしゃぐしゃ、口元にはよだれの跡。最悪だ。


 大学受験本番は明後日。家庭教師である藤野先生の授業は今日で最後だ。お母さんからは『落ちても延長はしないわよ』と言われている。今日こそは告白すると決めていたのに。この日のために買った勝負服はクローゼットで眠ったまま、私はシワだらけになった制服を着ている。


「顔を洗ってきてもいいですかっ」

「いいよ。行ってらっしゃい」


 階段を駆け下りて洗面所へ。顔を洗い、真新しいファンデーションを薄く塗る。着替えは無理だとしても、せめて化粧くらいはしたかった。唇をなぞるリップはピンク色。恋愛運アップのおまじない。


(やっぱり授業のあとにしようかな……だめだめ。授業の前に告白しようって決めたじゃない!)


 鏡の前で、表情筋のストレッチ。ガチガチだ。やけに喉が渇くし、そのくせ手は汗ばむし。それでも本命大学の受験を前に、何もせずに負けたという経験は積みたくない。


 重い足をゆっくり持ち上げて階段を上り、自室の戸を開ける。藤野先生は勉強机の隣の椅子に座っていた。いつもの彼の定位置だ。


「お帰り」


 重かった体が、彼の声を聞くだけでふわっと浮いたような気がした。低いのにやわらかくて、優しい声。この声を毎週聞けるのは、今日で終わり。そう思ったら、うつむいてスカートをぎゅっと握ってしまった。


「萌ちゃん? どうかした?」


 藤野先生が近づいてくる。顔を上げられず、スカートを握る手に力がこもるばかり。


(言うんだ、好きですって。付き合ってくださいって)


「あの、藤野先生!」

「うん?」

「私、明後日の受験頑張るので。だから、その……えっと…………ご褒美に、遊びに連れてってください!」


 そう大声で言い切ったら、ぶわっと顔に熱が上がってきた。間違えた。ご褒美をねだりたいわけでもなくて、遊びに行きたいだけでもなくて。


(ひ、ひよったぁっ! 私のばかっ!)


 暴れる心臓が、突然耳の隣に生えたようだった。うるさくて、やかましくて、それしか聞こえない。なのに、


「萌ちゃん」


 藤野先生の声だけはやわらかく響いた。おそるおそる顔を上げれば、整った笑顔が目の前にある。


「今日の授業を頑張れたら、連絡先を教えるよ。それで結果を教えて? もし受かってたら、ご褒美に――デート、しよっか?」


 いつもの低い、やわらかい声。でも普段と違う甘さが乗って、耳から脳までしびれるような心地よさだった。


「デートを考えるのは、明後日の試験が終わってから。ね」

「……はい」


 か細い声で、それだけ絞り出した私は、うなずくことしかできなかった。






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