第6話


 悲鳴をあげたくなった。助けを呼びたくなった。だが、悲鳴を上げるための声も、助けを呼ぶための人も周囲には存在しなかった。


 嗚咽を繰り返しながら、ただうずくまるだけ。未だに治まらないあらばの鈍痛にもがきながら、ただ手と足で体重を支え、唾液を垂らすことしかできていない。


 リツはそんな僕を足蹴にしてくる。ぐり、ぐり、と先ほど蹴り上げたあばらに対してつま先をねじ込むように。僕は声にならない悲鳴を出しながら、そのつま先の負荷に耐えられず、四つん這いから転がって仰向けになってしまう。


 空の眩しさが吐き気に障る。痛みが一瞬飽和するようによくわからなくなった。ただ、自分自身の痛んでいる場所を無意識でも理解して、誤魔化すようにさすることしかできない。その姿勢から見つめるリツの顔は逆光から真っ黒にしか見えない。それがひどく恐怖を呼び起こさせてくる。


 これから何をされるというのだろう。


 今までは、リツの取り巻きがいたことにより、制限されていた行為がすべてなくなっているような気がする。


 これから彼から行われるすべてに想像を向けたくない。これ以上に苦しいことを感じたくない。どうして僕だけがこんな目に合うのか、どうしてこんな目に合わなければいけないのか。どうしようもない憤りを抱えるけれど、目の前の恐怖に打ち勝つほどの勇気はそこに存在しない。


 彼の表情を読み取ることはできない。だから、どんな苦しみがやってくるのかを想像することも難しい。恐怖で体の芯ががたがたと震える感覚がある。


 そんな僕に、リツは覆いかぶさるようにした。僕の顔を挟むように、両脇に手を置いて、僕を見下すようにしている。近くで覗いた彼の表情は笑顔で、どこか曇っているようにも感じる。


「どうやって遊ぼうかなぁ、とかいろいろ考えてたんだけどさ」


 そんな歪なが笑みから言葉が漏れる。


「ほら、テレビとかでさ、たまに臨死体験の特集とか組まれることがあるじゃん」


 僕の返事も待たないまま。


「あれ、体験してみてえなぁ、って思うんだよね」


「り、りんしたいけん……?」


 僕の震えた声に、彼はけらけらと笑うようにする。


「なんか、心臓とか、いろいろ体を生かす器官が止まったりすると、あの世が覗けるとかなんだとか」


 聞いたことはあるような気がする。でも、それがどういう意図を含めて言葉を吐いているのか、整理がつかない。


「でもさぁ、自分でやるってなると怖いじゃん?」


 僕が頭の中で整理をしている最中にも、彼は言葉を続けている。


「だからさ、お前には体験してもらって、それを実況してもらおうかなって」


 ──。


「──は」


 意図の理解が組めないまま、僕は返事にもならない音を返すと、その瞬間に──。


 ──喉に、手が絡む。


 彼の体重が腹部にかかる。先ほどまで体重を支えていた手が僕の首にかかったから、負荷がかかるのは当然のことだと思った。


 あばらの痛みをさらに軋ませるように、彼の尾てい骨が食い込んでいく。


「く、くぅぁ──」


 ──苦しい、苦しい、痛い。


 腹部に刺さるような痛み、痛みに喘ごうと口を開いているのに、酸素が喉奥に届かない苦しさ。かろうじてギリギリ開く喉の奥が酸素を取りこぼさないようにきゅうきゅうと吸いだそうとするけれど、それでも呼吸には足りなくて、ただ苦しさだけがすべてに反芻する。


「あの世とかってあんのかなぁ。……あっ、安心しろよ? 臨死体験だから! 殺すつもりとかないからさ!」


 にこやかに嘲る彼の声が耳に届く。それに反抗する気力はない。


「ほら、犯罪者とかにはなりたくないじゃん? 前科とか嫌だし、一応進学とかも考えていたりするんだよ俺。偉くね?」


 どうでもいい話が、耳に触れる。触れるだけで、よく届かない。


 呼吸をしなきゃいけない。喉に力を入れて、かろうじて酸素だけを取り込めるようにする。かはっ、と喉から擬音が鳴り響く。口先に溜まった唾液が喉に届いて、それが衝動的に咳を誘発させる。


 けほっ、という僕の咳とともに、一瞬彼の手が弱まった。「うお」と嘲るようなスタイルは崩さないまま「もっと強く締めた方が早いかな」とか、口に出している。


 その間に酸素を取り込んで、気を持ち直す。彼の言っている言葉をすべて捉えることはできないが、それでも殺されるという恐怖が頭の中に過って仕方がない。


 ──死んではいけない。


 僕には母さんの言葉がある。僕には陽向がいる。陽向を守って、そして優しい人にならなければいけない。


「それじゃあ、第二ラウンドな」


 苦しさから解放された瞬間、また繰り返すように彼の手が僕の喉に絡んでくる。


 喉仏を押しつぶすように。あばらの痛みは少しマシになっている。それだけ喉に絡める圧力に意識を向けているのだろうか。


「いやー、やっぱこういうのは反抗してこないやつが一番だわ」


 少し呼吸を肺にとどめているから、苦しさの中であっても彼の声が耳に届く。届いてしまう。


「ドラマとかでもやり返さないやつとか、どうなってるんだろうなぁってよく思うよ。悔しくねえの? 金玉ついてないんじゃね?」


 ケラケラと耳に障る不快な声。




「──悔しかったらやり返してみろよ。どうせ、玉無しのお前には何もできないだろうけどさ」




 ──その瞬間、頭の中で何かが弾ける音がした。

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