第2話 後編
そうやって、塔を支え続け、愚痴を言っては上の鉄骨に「仕方のない奴だ」とでも言いたげな声を返される日々がどれだけ流れただろう。
いつからか、上の鉄骨はあまりしゃべらなくなった。
話しかけても返事がなく、「おい上の、聞いてるのかい?」と下から何度かせっついてようやく「……ん、何か言ったかい?」なんてぼんやりした声が返ってくる。
そんなある日、ごそり、と上から黒っぽいものが落ちてきた。それは、ボクの目の前で、はるか下の地面まで真っ逆さまに落ちていく。
「今落ちていったものはなんだろう」
そう言ってみても、上の鉄骨は何も答えない。ぎしりともせず、黙り込んでいる。
「上の? ねえ、起きているかい?」
「…………あぁ、キミ。何か言ったかい」
何度もせっついて、ようやく小さな軋みが返ってくる。けれどその音もどこか弱々しく、今にも消えてしまいそうに聞こえた。
「今何か落ちていったけどなんだろう、って言ったんだ」
先ほどの疑問を繰り返すと、上の鉄骨はなんでもないように答えた。
「あぁ、あれはボクの体の一部さ」
「え?」
言葉の意味がわからずに聞き返すボクに、彼は繰り返す。
「ボクの体だよ。実はもうずっと前から上の方が腐食していてね。端からポロポロ崩れていたのだけれど、今さっき大部分がごっそりいってしまったみたいだ」
おかげで随分前からもう意識もぼんやりしているんだ、と昼寝の隙間のように彼はのんびりと語った。
「……そんなの、聞いてないよ」
「そうだっけ? 意識も曖昧だから、何を話したかも覚えていないのさ」
歌うように彼は軋んだけれど、それが嘘だというのはボクにでもわかった。
「……ねえ、上の。ボク、ずっと考えていたことがあるんだ」
「知っているよ。キミはいっつも哲学者みたいに考えている。ただの鉄骨にしておくにはもったいないくらいさ」
「茶化すなよ。……いつだかも話しただろう。この塔の役目についてさ」
「あぁ、そんなこともあったね。随分昔のことのようだけど」
かつてはその役目について様々な推測を語った上の鉄骨も、今は肩を竦めるように軋むばかりだった。
「……ぼんやりとそう思う、っていう答えはあったけれど、今キミの状態を聞いて確信したよ」
街で一番高い塔。人間は誰もやってこない。腐食した鉄骨。
「――この塔に、役目なんてないんだろう?」
ボクの問いかけに、上の鉄骨はきし、と小さなため息を吐いた。
「昔はあったにせよ、今はもうない。放棄され、朽ちていくだけの塔だ。違うかい?」
ずっと意識して目を逸らしていた地面に黒々と落ちる影。それは塔の落とす影なんかではなくて、上の鉄骨――そしてそのずっとずっと上に組まれていた無数の鉄骨たちの残骸なのだと、ようやくボクは気づいた。
「……考える鉄骨というのも、考えものだね。こうして気の重い話をしなきゃならないんだもの」
上の鉄骨は疲れたような声で軋むと、言葉を続けた。
「そうだよ。ボクも上の鉄骨から聞いた話だけどね。この塔はずっと昔に役目を終え、その功績を讃える意味も込めてそのままの形で残された。けれど長い時間が過ぎ、その功績すらも忘れ去られ、ただただ古い鉄骨の塊と成り果てた。今ではこうして誰の目にも止まらず、ひっそりと朽ち果てていくだけさ。街一番の塔も、もうすぐ半分くらいの高さになって、街の反対側の外れに立つ電波塔が一番大きな建物になるんだ」
上の鉄骨の柔らかに磨耗した声を聞きながら、ボクはそれでもやっぱり考えていた。
「……どうして今までずっと教えてくれなかったんだい」
「こんなこと言えないよ。特にキミは、自分がここにいることの意味を考えていたから」
朽ちていくだけの塔の建材だなんて、と、彼は皮肉っぽく軋んだ。
ボクにはわからなかった。彼が――同じ境遇の彼が、真実を知っていながらどうしてこうも穏やかでいられたのか。
「上の。キミはどうして平気だったんだい。自分がこんな、意味のない存在だなんて知りながら、それでも――」
「意味なら、あったさ」
疲れて消え入りそうな、けれどそれでも強固な意志を感じさせる声で彼はボクを遮った。
「キミがいたから。キミとこうして言葉を交わす時間は、ボクにはとても楽しいものだったよ。何も知らないキミはとても柔らかくて、鉄骨でいるには心配になるくらいだったけれど」
き、き、と彼は思い出し笑いをするように軋む。
「だから、キミのその柔らかさを守りたかった。最後の最後でそれは果たせなかったけれど、やっぱりこれまでの時間は、悪くなかったさ」
彼の軋みは、どんどん小さく、囁くように細くなっていく。
「ねえ、下の。ボクはもうとても意識がぼんやりしているんだ。遥か下の地面から、ボクを呼ぶ声がする。ねえ下の、キミはまだそこにいるかい。ボクはまだ、キミと一緒にいるかい?」
「……いるよ」
「そうか。なら良かった。……ねえ、最後にお願いしてもいいかな」
「なんだい」
「子守唄をね、歌ってほしいのさ。そうすれば、眠りにつく時までキミがそこにいるってわかるだろう?」
「……なんだい、そんなこと」
ボクは、ふいに彼が歌うひどく耳障りな子守唄を思い出してしまった。真っ暗な夜、終わりのない考え事に囚われるボクをからかうような、そしてどこか慰めるような、彼の不格好に軋んだ子守唄を。
「……いいさ、そんなものでいいのなら」
そうしてボクは、自分の体を精一杯優しく軋ませて慣れない子守唄を歌った。ひどく耳障りで、お世辞にも眠りには向かない歌を。
上の鉄骨はしばらく、肩を揺らすように小さく軋んでいたけれど、やがてその小さな寝息のような軋みすらも聞こえなくなった。それでもボクは夜通し歌い続けた。ついには白い朝日が昇り、強い風が吹いて、上からぼろ、と黒い塊が転げ落ちる。
ボクは、生まれて初めて、遮ることのない日の光を浴びた。
「…………んん、この音はなんだい?」
その時、これまでついぞしたことのない軋みが、下から聞こえた。
「ねえ上の、キミがこんな耳障りな歌を歌っているのかい? 子守唄にしては随分じゃないか?」
寝起きに身じろぎするような、ぎこちない軋みで、下の鉄骨はぼやく。
「というか、なんだってボクたちはこんな窮屈に組まれているんだい? これじゃ、どこへも行けやしない」
そのぼやきはひどく懐かしく、ボクはつい皮肉っぽく笑ってしまう。
「なんだい、上の。言いたいことがあるのなら言いなよ」
「いいや、別に何もないさ。ただ――」
ボクはその瞬間、上の鉄骨が抱いていた気持ちが、ほんの少しわかった気がした。
「キミは、ひどく柔らかな鉄骨だな、と思っただけだよ」
鉄骨ララバイ 悠木りん @rin-yuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます