第二十三話 猫獣人の少女

「ふぅ……中々危なかったな」


 原型すら残らず、完全に潰れた魔物から、すっと眼を逸らした俺は、そう言って地面に転がる子供を見やる。

 そして、その姿を見て俺は思わず目を見開いた。


「猫耳……獣人か!」


 10歳なったかどうかの、茶髪茶眼の小さな女の子。

 その頭部には、一対の猫耳があったのだ。

 この世界には、だいぶ数を減らしてしまったものの、獣人という人間の亜種みたいな感じの種族が存在している。

 獣人の中にも猫獣人や犬獣人といった種類があり、それぞれの動物の特徴を若干持っている……らしい。


「ひうっ……こ、来ないでっ!」


 すると、少女は地面に尻を付けながら、じりじりと後ろへ下がる。

 その顔は恐怖と怯えに染まっており、中々に居た堪れない。


「なるほど……理解した」


 子供に怯えられるのは、結構に心に来るものがあるが、お陰で色々と理解できた。

 まず前提条件として、獣人を筆頭とした亜人は、昔人間によって迫害された過去があり、時が経った今でも半数近くの人間から、差別の対象となっている。

 そのせいで、見つかれば即奴隷落ち……なんてのも、珍しくは無い。

 お陰で今じゃ、大半はひっそりと暮らしているらしい。


「別に君を何かしようとは思ってない。ただ、ここに子供が1人で居て、挙句殺されかけていたら、助けたくなるもんなんだよ。それで、なんで君はここに居るんだい? ……あと、腹も減っているだろう?」


 俺は一定の距離を保ちながら、膝を付いて目線を合わせると、なるべく優しい声音でそう声を掛けた。そして《空間収納インベントリ》から、いざという時の食料としてある程度持ってきたパンを、魔力で浮かせて距離を保ちながら、そっと渡してあげる。

 ガリガリの身体を見れば分かるのだが、相当腹減っているようだからな。

 まあ、餌付けと言われればそれまでだが……


「ん……くん……んっ……」


 少女は警戒するものの、余程お腹が減っているのか、まるで吸い寄せられるように手が空中に浮くパンへと伸びていく。

 そして、くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、小動物のようにカリカリと食べ始めた。

 可愛い。


「おー! 急にどこ行ったって思ったら、子供に餌付けしてる~! 私やフェリスちゃんが居なが――へぶっ!」


「馬鹿な事を言わないでください。叩きますよ?」


「既に叩いてるよフェリスちゃ~ん!」


 すると、背後が急に騒がしくなった。

 見れば、追い付いてきたシルフィとフェリスが、なんかわちゃわちゃしていた。

 まあ、2人は一旦置いといて、この子の話を少し聞いてみようか……


「美味しいかい?」


「うん……美味しい」


 当たり障りのない俺の問いに、少女は小さな声でそう言った。

 お、ちょっと警戒心が解けてきたかな?


「そうか、なら良かった。それで、どうしてこんな所にいるんだい? 魔物が居て危ないだろう?」


 その後、俺は追加のパンを今度は手渡ししながら、少し踏み込んで問いかけてみた。

 先ほどまでなら即座に逃げられていただろうが、ある程度段階を踏んだのと……あとは餌付け的な事をしたお陰で、何とか逃げられずに済む。


「はむっ……あの、私悪い人に連れ去られて、酷い事されて……逃げて来たの」


 やがて、ポロポロと涙を流し始める少女。

 なるほど。奴隷目的で、連れ去られたってとこか。

 そしてこの震えよう、相当酷い目にあわされている。

 何とも胸糞悪いな。


「そうか……だが、もう大丈夫だ。それで、君はこれからどうしたいんだ?」


「……お家に、帰りたい……。この森の、奥に行くとあるの」


「分かった。なら、俺がそこまで連れて行こう。この森を君1人で抜けるのは、危険過ぎるからね」


 俺なら、シルフィも居るし、大抵の事から守ることが出来る。

 それに、ここまでやっといて後はほいってやるのは、流石に後味が悪すぎるだろ?

 だからせめて、家に送り届けるぐらいのことは、少女の事を考えても、俺の気持ち的な事を考えても、しておきたいのだ。


「……ほんと?」


「ああ、本当だ」


「嘘……つかない?」


「つかないよ」


 何かに怯える少女の問いに、俺は優しく言葉を紡いで答えてあげた。

 すると、少女は俺の所へゆっくりと歩み寄ってきた後、目に涙を貯めながら抱き着いてきた。


「ひっぐ……うえぇぇん!!!」


 そして、膝を付く俺の肩に顔を埋めると、声を上げて泣き始めた。


「お、おうおう……えー……どしよ?」


 泣きつく少女の背中を優しく擦りながら、俺は今何をするのが正解なのかと、頭を巡らせる。

 そんな時だった。


「【破邪の雷――《雷天葬槍ライトニング・スピア》】」


 遠方から、こちらに向かって槍を模した雷が飛んできた。

 相当な手練れによるものだな。Aランク冒険者クラスは硬いか。

 そう思いながら、俺はその雷を途中で消滅させる。

 魔法に込められた魔力と同程度の魔力をぶつければ、理論上は絶対に相殺できるってのを、実戦しただけの話だ。

 特段難しい事はしていない。

 そんな事を思いながら、俺は今にも飛び出しそうだったフェリスを手で制す。


「ほう。元特務隊の俺の魔法を防ぐとは……ただの馬鹿じゃなさそうだな」


 すると、現れるのは幾人もの人間の姿。

 見た感じ、先ほど雷を放った奴以外は雑魚だな。

 そう思いながら、俺はそっと立ち上がった。

 そして、口を開く。


「いきなり何の用だ? 今のは、人を容易に殺せる一撃だ」


「はっ! 下等な獣人を助けるような、反吐が出る行為をしたんだから当然だろ? とにかく、そいつは脱走奴隷だ。さっさとよこせ」


 ひたすらに冷静であろうと思いながら紡いだ俺の言葉に、男は唾棄するような口調でそう言った。

 なるほど……大体理解したよ。


「そうか――さっさと飛べ」


 そうして俺が静かな怒りを交えながら行使するのは、上へと飛ばす精霊魔法。

 風の力で、俺は奴らを一瞬で大気圏外にまで吹っ飛ばす。

 そして――放置した。


「……これで、全員終わりだ」


 何故、奴らの死を一切確認出来ない方法で殺したのか。

 その答えはただ1つ――命の軽いこの世界で、あの状況に置かれて尚、殺す事に躊躇いを覚えてしまったからだ。

 平和すぎる日本で生きてきた故、仕方ないと言えばそうなのだろうが……こんなビビりな兄だなんて、フェリスには知られたく無いな。

 幻滅されそうで……少し怖い。


「……お兄、様?」


 すると、呆然とする俺の顔を、フェリスがどこか心配そうな顔で覗き込んでいるのに気が付いた。


「あーごめんごめん。ちゃんとやれたかなって確認してただけだよ」


 そんなフェリスに、俺はそんな事を言って誤魔化すと、再び少女に向き合うのであった。

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