「人間の丘。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「人間の丘。」~10代から20代に書いた詩

「Dream.l」

 阪神大震災が起こるのを予測する夢を見た。私にはそこでは予測できる力があって、だいたいいつぐらいに地震が来るか予測できるのだ。場所は、私が今、現在行っている大学で、何人もの生徒がその中にいた。私は、何度か、地震の前ぶれを経験し、必死にその場所から遠ざかった。地震が起きても大丈夫な道、あるいは、まわりに建物が何もない、田んぼに逃げようとしていたのだ。その瞬間が、なぜかひとり気忙しく楽しかった。そしてその時、いつか、は忘れたが、(夢の最初のようでもあったが)ひとりの女の子と学校の柱あたりで待ち合わせしている記憶があった。私は、それとは別にただそのまわりに建物がある学校から遠ざかっていた。そしてその地震の時刻が来た。私は、いつその地震が起こったのかも知らず、“もう起きたのかな..”なんて思いながら、大学に向かった。その大学は、レンガが崩れ柱は崩れ落ち、さすがにそこにいれば死んでいたかも知れない。だけど、生き残った人も大勢いて、その中に友達の姿もあった。私はそのあと、その校内をあの女の子がどこにいるのか、捜し回っていたのである。…


「人間の丘。」

 彼は、上手く渡って、丘の上までたどり着けた。他の人々もその丘にはい上ぼって彼を刺し殺そうとはするが、人間の本性故、上ぼろうとする度にまわりの人間がその上ぼりかけていた人の足をひっぱるのだ。だからどうしても上ぼることができない。その丘の上に立っている彼は、高ぶりと遠慮さの複雑で、皆の前でやはり格好をつけていた。そして見上げた空にはミサイルが堕ちてきていた。丘の上にいた故、彼にはそのミサイルがよく見えていた。


「恐怖。」

 ヒッチコックが怖いだって?それはただの思い込みだよ。

僕が怖いかい?


「敵。」

我の最大の敵は異性である。その異性を創られたのは神である。

我の最大の敵は孤独である。その孤独を創られたのは人間(ひと)を創られた神である。

我の最大の敵は欲である。その欲を与えたもうは神である。

我の最大の敵は人間である。その人間を創られたのは神である。

我の最大の敵は悪である。その悪を殺さず生かしたのは神である。


「羅列。」

 ふいに今まで書いた白紙をめくってみた。何とも思わない時と、めまいを覚える時とがある。とても筆不精である。でも、何とも思わない時は、その時の情景なんていうのを思い返してみたりしながら、精一杯回想してみたりする。でも、この文章を羅列した者が今ここで生きているのだ。その時の情景は?そう思った時に神経質になる、無関心になる私とに分かれる。明日になってみれば、どうでもいいことなのだが。


「評価。」

 人は批評する。だが、結局同じことなのだ。


「春夏秋冬。」

春夏秋冬、このくり返しは人間の

喜怒哀楽。そのくり返しに似て

いて、こりずにくり返さなければなら

ない。昔覚えていたことも、くり返

している内におぼろげになってゆく。忘

れない方がいいことと、忘れた方がいいこと

と、両方、ひとりの人間の中にある。いろん

な感情でそのことを思い出し、その時

の妄想にふける。他人の考えがあてに

なるのか、と、本を読んだり聞いたり、

くり返す。“輝きはどこに?”などと言う

時があるけど、その一生はその時に等しい、

同じである。結局不条理にこの世間

に生まれて死ぬ。春夏秋冬からその

時逃れて、離れてしまうのである。


「終焉。」

遠い地へ旅に出た者がいた。その人は友人である。西の果ての国、今の「ベルギー」である。人はその者の内に心をおいて、その者のする事を自分の事のように思った。人はその人生を思う時、その人生の大切さを思うべく今考えている事を真っ白にし、自らの目で始めのものを見、その聞く答えは時として神からのものではなかった。思い上がりの激しい質であった。人は今居る土地を暗いところだと見、その者の行った土地が明るい土地だと考え、その旅先から戻ってくるその者は明るい光につつまれて帰ってくると信じていた。多少の疑いもあったが、その疑いこそその時は問題ではなかった。何もかもがその人の過去にある。過去からの一方が矢が今の自分の思惑を射抜き、その決意を左右するのだ。それは誰も皆待っている事であり、又それ故に人がその者を羨む節がそこにあった。人はそれまで、その国から出て行った事はなくすべてがその国での価値観にとらわれていた。だから、他の価値観を見る事はなかったのだ。勝手な思いはその人を惑わし、他のものを見えなくする。そのくり返しが破綻をよびその人を惑わせたのだ。


この上ない臆病は全ての終りを望む。平和な時は何もかもがその人には華やかに見え過ぎ、その自分がさげすまれないかと心配の種を生せる。得てして、臆する者は自分の立つ場所(ところ)を自ら覚えてしまい、その持って生れた手足を無きものの様にする。その者に近づいた人は暗い人となり、誰も近づくのを避けるようになる。又その者には悪いものが近づいて来て、その者をそれより一層悪いものにしてしまう。自分の善し悪しを立て直すのは自分であり、他人にそれを望む者は、その場所(ところ)まで自分を立て直さなければならない。生きるということは一つの試練であり、その人を生かす「生(せい)」である。生きる事の出来なかった者は昏睡に陥り、人の運命を辿る。そのところで神を見るが、しかしその人にとってその生涯お生きなかった事実は、その人の心の内に残り、その後の糧として一度その人を悩ませる。人はこの世に生きている間に人を見、人のする噂を聞き、人の手によってつくられた美味しい食べ物を食べる。その間に人は神の御姿を忘れる事が多く、人の姿をかたどってそれを信じる者が居り、清い人でもその現実に魅入られてしまう事が多い。人は常に試練である事を忘れてはならず、それを良い方へ捌いていかなければならない事を忘れてはいけない。真実(ほんとう)の意味で良いものの内に生きるためには、その平和を生きぬく術を身につけなければならないという事である。良いものは良い方へ捌き、悪いものは悪い方へその種をおさめる。その事の良し悪しは人にまかせられ、人はこの世にてそれを司って行かなくてはならない。又その者は人の死を望み、そのあとの静けさを待つ事を望む。その者こそ人として臆病であり、二度と明るみに出る事はないであろう。人の過去というものはそれぞれ各々に托されているのである。

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「人間の丘。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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