冥泥

冥泥、メーデー

 幽霊を信じるタイプでは無かったんだが、こうして自分が化けてしまう側になってはどうしようもない。おれは動かなくなったおれの隣で茫然とする修太しゅうたを俯瞰視点で眺めている。

 修太はダメなやつだから、おれを殺す時も即死させる手段を取らなかった。アイツがおれの背中にナイフを突き立てた瞬間、感じたのは地獄のような痛みと苦しみだ。切先は心臓を外し、臓器を傷付け、血が止まらなかった。「人を殺す時はもっとスマートにやれ」っていつも言ってるのに、最後まで気が利かないやつだ。

 返り血を浴びたパーカーが震えている。伸びっぱなしの髪に不健康そうな肌、ガリガリの身体。怯えた表情で歯をガチガチと鳴らしながら、修太はおれを殺したことを今更になって後悔したようだ。おせぇよ、連続殺人犯。


 普段なら、おれが死体の処理を担当している。刻むのも、焼くのも、溶かすのも、全部おれの仕事だ。修太の獲物は全て若い女で、おかげで処理は楽だった。

 初めて会った時は、殺した人間しか愛せない男だとは思わなかった。中学の頃に虐められていた修太を何の気なしに助けた時、あいつはいつも挙動不審だったのを覚えている。それから高校でも、地元の大学でも、修太はおれの背中を追い、そばを離れなかった。おれがいないと何もできないやつだ。

 あいつが一人目を誤って殺してしまった時、焦った口振りでおれに電話をかけてきたのを覚えている。一人暮らしのワンルームで首を絞められて死んでいる女は、死後に修太が弄んだ痕跡が残っていた。


「バカ、これじゃ遺伝子検査とかですぐバレるだろ?」

「どうしよう……ヤバいよ……」


 弱々しい言葉とは裏腹に、その眼光は煌々と輝いていた。初めての殺人に高揚する修太に呆れながら、おれはあいつの浴室で死体をバラバラにした。何度も嘔吐しながら、ただあいつの為に。

 持ち運びやすくなった肉片を乗ってきたワンボックスカーに詰め込み、誰も知らない山奥へ投棄する。数年後に見つかる頃には、修太の痕跡も消えているだろうと思った。

 今思うと、それが始まりだった。あいつの欲求が高まると部屋に死体が増え、その度にそれを処理する。大学の同窓生ばかりだと怪しまれると思ったのか、修太はおれの知らない女まで家に連れ込むようになった。

 何人処理したか、片手で数え終えてからはそれ以上の更新を諦めた。おれにとって死体の処理はもはや日常で、修太がメールを送ってくるたびに馳せ参じることがルーティンだ。一度死体の処理をすれば、もう後には退けない。その末が口論からの刺殺だとすれば、おれにも天罰が降りたのだろうか?


 修太は現実から逃避するかのように頭を掻き毟ると、いつもと同じようにおれの死体に触れる。服を脱がせ、止まり始めた血を必死に拭き取りはじめた。血色を失って青白くなった肌に指を這わせ、修太は自らを慰めはじめる。あぁ、ネクロフィリアって本当だったんだな。

 気が動転して男であるおれまでそういう対象にしているのか、とはいえ自分の身体が好きなように弄ばれているのを俯瞰するのは居心地が悪い。死後硬直が始まる前にバラさないと、その後の加工が面倒なんだぞ?


 仕事道具の入ったカバンはリビングに置いたままだ。修太はそれに気づいたのか、新品のブルーシートとノコギリを取り出した。

 弱々しい力で俺の死体を浴室まで運ぶと、何度も嘔吐えづきながら刃をおれの身体に引き刻む。牛肉や豚肉を切るようには上手くいかない。骨を断つように刃を押し当て、圧を掛けるように刻んでいく。残った血が修太の腕を真紅に染め、あいつは青ざめながらもおれの存在を肉片に変えていく。切り口が雑だが、初めてにしては上出来だ。

 涙目で死体を黒いゴミ袋に詰め込み、血液が漏れないように口を縛っていく。燃やすか、溶かすか、魚の餌にでもするか?


 バラバラになったおれを袋ごと抱え、修太は駐車場まで向かった。使用済みのノコギリとブルーシートもまとめて捨てるつもりらしい。ゴミ捨て場まで近付き、あいつは首を振る。そこまでの馬鹿ではないようだ。

 停めっぱなしのワンボックスの荷台におれを詰め込んだ。おれのカバンの中に入っていた車のキーを取り出し、苦心しながらエンジンを掛ける。確か無免許だと聞いたが、今さら交通ルールを守るやつだとも思えない。カーナビの履歴に従い、簡素な霊柩車は目的地に向かっていく。


 いざ化けてみると、幽霊は便利だ。どうやらおれは“浮遊霊”と言われるもので、こうして後部座席にどっかりと腰掛けていても誰も気付かない。たまに助手席に移っては、焦りと不安でこの世の終わりのような表情をしている修太を間近で観察する。自業自得だよ。お前も、おれも。

 カーステから流れる音楽は、ボーカルの穏やかな声が特徴的なポップソングだ。大切な相手の車で海へ行くことを歌うその歌詞は、車内の雰囲気と酷くミスマッチで、その状況そのものにおれは思わず笑った。今から行くのは山で、おれが買い取った廃墟の小屋なのに。


 峠を越えるまで、ハンドルを握る修太の表情は堅い。堂々としろ、逆に怪しまれるぞ。

 幸運にも、警察の検問やパトカーとの遭遇はなかった。あいつのマンションから70kmほど離れた山奥の土地は、人が滅多に寄り付かない立地だ。この下に、無数の死体が眠っている。


 車から降りた修太は、早速積んでいたスコップを地面に突き立てる。穴を掘るのも体力勝負だ。人ひとりが入れるほどの穴を掘るには丸一日はかかるし、非力な修太なら尚更だ。おれは体力に自信があったし、穴掘りのコツも掴んでいた。そして何より、深い穴は掘らなかった。

 何のための死体損壊だ。小屋の焼却炉とか薬品を使えよ。燃やしたり溶かしたりすれば埋める時の負担も減らせるし、証拠も残らない。

 ヤキモキする。正しい方法を伝えられない自分がもどかしい。おれにばかり任せるからそうやって非効率な方法を取るんだよ、馬鹿。


 おれの苦悶を一切意に介さず、修太が穴を掘り終える頃には明け方になっていた。鳥の声が朝を告げ、汗と泥で汚れた修太はその場にへたり込む。

 あいつは袋の口を開け、死体を確認している。既に血は止まり、残っているのは断面の乾いた肉片だ。修太はその中からおれの首を取り出し、しげしげと眺める。苦痛に見開かれた目が、俯瞰で見ても痛々しい。

 言葉は発しない、静かな数秒だった。視線を合わせるようにおれの首を持ち上げ、修太は小さく鼻を鳴らす。時間が経って土気色になった頬を手袋越しの手で丁寧に撫で、目を瞑らせた。

 違う、違うんだよ修太。顔は被害者を特定しやすい部位だからこそ、念入りに処理するべきなんだ。顔を焼け。硫酸で溶かせ。その辺りに落ちている手頃な岩で原型が留まらないくらいに潰せ。おれはそうしてきた。そうしてきたんだから、お前もやるべきなんだよ。

 穴の底に首が落ち、続けておれのパーツが投げ落とされていく。おれの手、おれの足、おれを構成していたすべて。

 魂は肉体に引き寄せられるのか、おれの意識は徐々にその地に縛られていく。幽霊は天に召されるわけじゃないんだな。自分の死に納得するまで、こうして暗い穴倉の中でじっとし続けているんだろう。


 遠くでエンジン音が響いている。修太は無事逃げおおせるだろうか?

 完璧に偽装するなら、おれの顔や指紋は潰しておくべきだった。これでは腐臭に引き寄せられた野生動物や避けようもない自然災害が、この穴を掘り返すだろう。おれの死体が地上で発見され、その骨格やDNAが行方不明になったおれと一致すれば、捜査の手は修太にまで渡る。その時に、気が弱いあいつが他の事件までベラベラと喋ってしまうかもしれない。


 死刑は免れないだろうな。何十人もの女を殺してきた連続殺人鬼が最後に殺したのは、共犯者である男だった。その男の存在によって、殺人鬼には極刑が下される。いい気味だ。特に「最後の男」なのがいい。

 そうか、俺は報われたかったんだ。死体しか愛せない最低のクズが錯乱しておれを愛で始めた瞬間に感じた幸福感を、地獄でも忘れない。

 連続殺人鬼を作り出したのは俺だ。馬鹿で愚図でどうしようもない男に手を貸して、『俺がいないと駄目だな』なんてわらって……。


 なぁ、修太。お前も、おれも、地獄行きだよ。首吊り台を経験したら、同じ場所で罰を受けようか。

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冥泥 @fox_0829

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