羅針盤作り 前編

 ニャオン開業まで残された時間は思いの外長くはない。

 商店街連合は分断され、高嶋が理想とするとするニャオンと戦える商店街になることは難しい。

 桑形百貨店単独でニャオン対策を行うことになりそうだが、上層部だけでは今後の道標を定めることは難しい。

 

━━━━


「おはよう……ございま〜す」


「おはよう。藤崎さん、疲れてる?」


「まあ…… はい」


「無理しないで。体調悪くなったら帰れ」


 ニャオンが兜蒸に進出を決めて以来、父親から転職した方がいいのではないかと煩くなっているため、かえって家に帰った方が具合が悪くなるだろう。


「いえ、会社にいた方が気分が楽なので定時まで残ります」


 パソコンを起動させて、自分宛のメールが来ていないかチェックする。

 習慣化すべきなのになあと思いつつも普段から出来ていないのだが、今日は不思議と出来ている。


「藤崎さん、来てる頃かな〜?」


 部長はわざとらしくキョロキョロ見回していたので、藤崎は立ち上がって手を振った。


「?! 部長、どうかしましたか?」


「藤崎さんのこと、上のお偉いさん方が探してて──」


「えっ?! そんなコンプラ違反なんかしてませんよ」


「藤崎さん…… 落ち着いて…… 別に怒る理由がある訳じゃあないんだから……」


「そうですか」


「まあ、そう気負わず行ってらっしゃい〜」


 部長が手を振ると、藤崎は何かに急かされるようにして部を出た。


「どこに行けば良いのですか……?」


「ひとまず社長室行っとけば? お偉いさんと話す時はそこか、隣の会議室を使ってるよ」


 不安の表情を浮かべている藤崎をよそに部長は笑いながら自分の席に向かった。

 


━━━━


 恐る恐る社長室のドアを叩いてみたが特に反応は無かった。

 しかし、社長室がどうなっているのか少し気になっていたのでドアをちょっぴり開けてみる。


「失礼しま〜す……」


 蚊の鳴く声で囁くと、思いの外広くない部屋が現れた。

 部屋の中には簡単な応接間と高そうな本棚、仕事に使っているであろうデスクなどが置かれており、小学校の校長室のような空間である。


「何か用かい?」


「わーっ!! すみません! すみません!」


 背後から高嶋がボソリと藤崎の耳元で呟いたため驚いた。


「いやいや。社長室なんて中々見る事ないし、気になっちゃうのも仕方ない。気が済んだら隣の会議室に来なさい」


「……はい」


 流石に満足するまで見て良いと言われても、社長を待たせる度胸は無いためドアを閉じて隣の会議室に向かう。

 大沼の隣の席が空いていたためそこに座った。

 会議室を見渡してみると、ここ数年で入った先輩とあまり見慣れない人、なんか面接で会った事がある人が混じっていた。

 どのような集まりなのか想像が付かないため落ち着かない。


「大丈夫? 藤崎さん」


「いや〜ちょっと、どういう理由で呼び出されてるのかよく分からなくて……」


「説明聞いてなかったの? 桑形百貨店の改装プランの検討だって。営業企画なんてもろに関わってくるだろうに…… あと、そこにある資料取った?」


「気づかなかった。ありがとう〜」


 説明? 資料? と脳内にハテナを浮かべながら資料を取りに行った。

 藤崎が席に着くと高嶋は口を開いた。


「資料が皆に行き渡った事だし始めましょう。まず、手元の資料を見てもらいたいのですが、先日、車通勤の従業員の意見と以前カード会員やお得意様向けに行なったアンケートで、ウチに足りないものは何か?という欄に書かれたものをまとめたものになります。

 こうして見るとやっぱり、駐車場に関する意見が目立つなぁ……

 とにかく、あまり費用がかからずすぐ行えそうなものは1番上の3つですな」


 上の3つの案は、


・正面入口入ったところすぐのプロモーションスペースに園芸売り場の花を展示する


・地元の学校のポスターなどの掲載スペースを作り、黄金町に密着している百貨店であることをアピールする


・汚くなった庇の洗浄


 と言うものだった。

 庇はバスが通る大通りに面して設置されているもので、排気ガスや風雨に晒されると汚くなるのはやむ得ないが、百貨店の外観を構成する重要な要素であるため汚いままだと見栄えが悪い。


「このうち、庇の洗浄は早速来週から手配しています。今後は定期的に洗浄を行う予定です。

 ああ、そうだ。昨日商店街組合で集まりがあったんですが──」


 高嶋は言葉を詰まらせ、かなり渋い顔をしている。


「あまり芳しい成果を上げられませんでした。

 そのため、商店街と桑形百貨店が連携してニャオンさんと対抗するというのは難しいでしょう。商店街の中には、ニャオンさんとお取引や出店しているお店があるのですがねえ。オール商店街でのセールとかはちょっと…… 難しいでしょうね」


「オール商店街との連携は難しいのか…… こんな時に五四郎社長がいらっしゃれば……」


 役員の1人がわなわなしながら呟いた。高嶋にとって未だに父と比べられることに不満がある。


「父であれば丸く収められたのでしょうが、生憎私のような若造には商店街の皆さんを取り纏める能力はありませんからね。

 商店街に頼らず自分達でこの百貨店を盛り上げなければなりません。例えば、新たなテナントの導入や駐車場の拡張など、ソフト面だけではなくハード面でも進化を遂げなくては」


「財務を齧ってる人間から一言」


「天満さん。どうぞ」


「大風呂敷を広げるのも結構ですが、借金を作るような改装を行うのは容認できません。今、お父様が築き上げた無借金経営を破壊することは自殺のようなものです」


「天満さん、お言葉ですが無借金経営は必ずしも良いことではありません。無借金経営に拘り過ぎると、折角のチャンスを見逃すことになる」


「いや、でも、ニャオンが進出するというタイミングがチャンスとは言えないのではないでしょうか。ここまで抜本的な改革が必要だとは思えません!

 社長がどうしても行うと言うのなら、私は付いて行けません。辞めさせていただきます」


 天満は会議室を飛び出しどこかに消えてしまった。

 社会人としては如何なものだろうか。


「て、天満さんどこ行くんですか?! ちょっと待って下さい」


 高嶋も会議室のドアを開けて何処かに行ってしまった。

 この会議を見る限り、今後の桑形百貨店の行く末を表しているのではないかと不安に思う社員も少なくなかった。

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