巨大桃色モールと対峙するには?

新たな脅威であるニャオンの兜蒸市進出は、桑形百貨店にとって大きな騒ぎとなり、この百貨店が今後大きく変わっていくきっかけとなった。


 日本最大の小売業、ニャオンが兜蒸に大型ショッピングモールを設けると発表してから1日。

 桑形百貨店は若干落ち着いてきているものの、未だにどこか浮ついた所もある。


「おはよーございます」


「おう、おはよー 藤崎さん」


「やっぱり、ニャオンがここに出来るのって大変なことなんですかね?」


「ここみたいな田舎デパートは、ニャオンなんかもっと近くに出来たら一溜りもないだろうなあ。藤崎さんって車通勤だよな?」


「そうですね」


「正直、ここって車だと行きにくいだろ? ただでさえ、最近はバイパスとか便利の良いところに色んな店が出来始めてるから、皆、街中じゃなくてバイパス沿いの店に行く。

 それにニャオンがそのバイパス沿いに出来るってなったら、もっとこっちに来る人は少なくなるかもな」


「確かに、私の同級生もニャオンに行くかも…… そもそも、今でも、遊びに来てくれる人も少ないけど」


 藤崎のこの発言が耳に入ったベテラン社員は少し渋い顔をした。

 桑形百貨店に愛着がある人間にとっては快くない話だろう。


「藤崎さんは知らないだろうけど、昔、この辺りの人出はすごく多かったのよ。今とは比べ物にならないくらい」


 ベテラン社員は懐かしそうに語り始めた。


「そうそう。ウチの向かいにはダイケーがあって、地下のダムダムでハンバーガー食べるのがこっちに来た時の楽しみだったなァー」


「俺は、フルタニレコードでみっちゃんの生歌聞いた」


 藤崎にとっては何がなんだかさっぱりだ。

 兜蒸にニャオンが出来るのはつい昨日分かったことだが、隣町にはモールと呼べる程大きなニャオンではないが、映画館やワックなどのファーストフード店が入居している店舗がある。藤崎も幼少の頃は両親とここに買い物しに行っていたし、映画デビューもここの映画館だった。

 なので、中心部に行くことは祖母と一緒の時ぐらいで、思い出が全く無いわけではないが(むしろ桑形百貨店で働こうと決意した思い出もある)、ここまで述懐できるような事ではない。


「でも、車では行きたくない所だよなー 親父なんて、ここに買い物しに行きたいなんてお袋が言ったら、嫌な顔してたし」


「私はバスで来てたけど、いっつも道が混んでて時間通りに来た試しがなかったわ〜」


 思い出話に参戦できない藤崎は昨日やり残した仕事に手をつけることにした。


━━━━


「伊勢さん、これで問題ありませんか?」


 藤崎は自ら作成した催事カレンダーを伊勢に渡す。

 社用チャットで渡すことも出来るのだが、印刷したものと画面上で見るのではかなり違う。

 印刷したものを渡すと直接改善すべき点を書いてくれるのも助かる点だ。


「うん。特に直す所は無さそうだな。お疲れー、藤崎さん」


「ありがとうございます……!」


 藤崎は伊勢に頭を下げた。


「そういえば、部長が用事あるようなこと言ってたぞ。まだ仕事終わってないから待っててくれって言っといたけど」


 机の方を見るとそこには部長の姿は無かった。

 しかし、慌てる必要はない。部長は行動パターンが分かりやすい人間なので何処にいるかは想像つく。


「やっぱりここに居ましたね! 早く会社に戻って下さい!! 私に話があるんですよね?」


 藤崎は周りの雑音に負けないように大きな声で話す。

 忙しなくジャラジャラという音が響き、軍艦マーチも流れ、ヤニ臭くて時代遅れなこの空間が嫌いである。


「エーッ? 藤崎さん、来ちゃったの? 今勝ってるんだからもうちょっと後にしてくれない?」


「後もどうも、業務時間中にパチンコ打ちに行ってるのは、普通に考えておかしいですよ!」


「全く、最近の若い子はを気にして、挑戦することを知らないんだから……」


「昔でも業務中にパチンコ打ちに行く人は非常識だと思います!」


 そう言って、部長の首根っこをずるずると引き摺ってパチンコ店を後にした。


「呼び出しって何ですか?」

「さあ、なんか社長が車通勤の社員から聞いてみたいことがあるってよ」


 社長が車通勤の社員を呼び出してどうするのだろうか。

 昨今の情勢的に「ガソリン代あげるヨ」とでも言って、何枚か渋沢栄一をくれるのだろうか。


「ガソリン代でももらえるんですかね……?」


「うーん…… どうだろうね」


 エレベーターが10階に到着すると、部長は右の営業企画部に向かい藤崎は左の会議室に向かった。


「すみません、遅れました……」


「いやはや、気にしないで。おそらく大丸くんがパチンコ屋にも行ってたんだろう?」


 桑形百貨店社長、高嶋六五郎はあまり気にしている素振りではなかった。

 社長に就任したのは7年前の事で、経費の圧縮や赤字を垂れ流していた支店を閉鎖させることで何とか黒字化を達成させた。

 三揃えのスーツをダンディーに着こなしているのが百貨店の社長らしさを感じる。


「どうも……」


 藤崎は空いている席にそそくさと腰掛けた。


「では、皆集まった事ですし始めましょう。車通勤の皆様に集まってもらった理由は、唯一つ。

 ニャオンさんが市内に出店することはもうご存知でしょう。もう、単刀直入に聞きます。ニャオンさんが開店したら買い物に行かれますかい?」


 このような事を聞かれて、はい、ニャオンに行きますと正直に告白する人間が居ると思う方が不思議である。

 もちろん、会議室はしーんと静まり返り誰も口を開こうとしなかった。


 暫しの沈黙の後、藤崎が勇気を出して口を開いた。


「私はニャオンに行っちゃうと思います……」


「なるほど。どうして……?」


 周りの人はああ、言っちゃった……という反応を示した。

 しかし、高嶋が望んでいるのは忖度して郊外に行かないという意見ではなく、正直な意見である。

 どうしてと尋ねたのも、特に他意はなく本当に疑問に思っている。(商業を齧っている高嶋にとっては原因は日の目を見るより明らかなのだが)

 従業員はお客でもある。お客からも意見を聞いて店を改善するので、お客でもある従業員からどのような消費行動を行うのか、どのような店が望まれているのかを知ることは重要なことであろう。


「それは、ここへ車で行くのには不便だからです……」


「ほう。確かに駐車場の古さと料金はかなりの弱点だ。他の意見はあるかな?」


 会議室は再び静まり返った。

 藤崎が意見したところで、これが望んでいる意見なのかどうか分からないので黙る他ない。

 しかし、高嶋はこの沈黙に耐えられず、


「思ったことを正直に言ってもらっていい。私にしてみれば、従業員も大切なお客様。そのお客様が望んでいるものを叶えるのが使命なのだから」


 と業を煮やしたため、集められた社員達の空気感も変わった。


「藤崎さんと似ているけど、駐車場がもうちょっと広かったら楽」


「ババくさいものだけじゃなくて、イケてるものを売らないと大きな町に行ってしまう」


「いや、むしろ昭和レトロを売りにした方がいい」


「もうちょっとスーパー的なものの方が、周りに住む人は助かるのではないか」


「張子の虎でも店内に置けばいい」


「ここに買い物しに行くのはストレスが溜まる」


「夏でも溶けない雪だるまを催事場に置けば話題になる」


 高嶋が思っているより多くの意見が出て、いくつかの意見はすぐ実現できそうなものもあった。

 確かに市街地は郊外に比べると魅力が薄いし、兜蒸を訪れる人がわざわざこっちまで来て買い物したり、飲んだりすることは少ない。

 あの大型モールに対峙するには桑形百貨店だけの力ではどうにもすることができない。

 そうなれば、あそこの力を借りるしかない。

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