6「救援要請」
人間の声は徐々に近づいて来る。曖昧な言葉が、今では「アルマ!」と叫ぶ声に変わった。
「隊のみんなですっ!来てくれましたっ!」
勢いよく立ち上がったアルマは目を輝かせ、声を上げる。
「ここですっ!!私はここですっ!!!」
「そこにいるのかっ!?アルマ!」
「はいっ!ここにいますっ!!」
離れ離れになった公国軍の人たちが姿を現す。鎧を纏ったスキンヘッドの軍人を先頭に、同じく鎧を纏った五人が駆け足で寄って来る。座ったままなのもあれなので、セイカは立ち上がった。
「死んだんじゃないかと思ったぞ」
「すみませんっ。でも、生きてますっ!」
「結果論だろーが。まったく」
ため息混じりにスキンヘッドの頭を掻く軍人がセイカへ目を向ける。
「君達がアルマを助けてくれたのか。礼を言う」
「いえ。自分たちもアルマには助けられましたから」
「君たちは冒険者か……?」
セイカを上から下まで眺め、確かめるように訊いてきた。まぁ、冒険者がどんな身なりをしているものなのか知らないが、山賊から奪った鉈を腰に提げる姿が冒険者っぽくないのだろう。
「セイカさんとマオウさんは遠くから来たんです。冒険者でもなくて……迷い込んだみたいな感じですかね?」
セイカたちを説明していく中で浮かんだ疑問をアルマはそのまま口にする。一体、誰に問いかけているのか、自分でもよく分かっていないみたいだ。
「話は後でいい。戦えるか?」
「は、はい。戦闘の心得はあります」
「そうか。これから戦闘になる。ここへバックルが集まりつつある」
オっオっオっオっオっ………!
機を見計らったかのようなタイミングで森の中に鳴き声が響く。スキンヘッドの軍人が神妙な顔で周囲の森を眺め始める。
「バックル……は今の鳴き声ですか?」
「ああ。バックルを知らないのか?」
驚いているみたいだが、これも常識的なものだったのか。アルマがすかさず説明してくれた。バックルはこの森に生息する代表的な敵性生物で、猿のような見た目をしている。数匹の群れで生活し、獲物を狩る厄介な生き物らしい。
「早くに逃げましょう。相手にしないことに越したことはありません」
言うが早いか、スキンヘッドの軍人は踵を返す。話は聞いていたであろう魔王も腰を上げた。軍人たちを先頭にして、最後尾にセイカと魔王がつき、その間にアルマという並びで森を進む。
彼らについて行けば、この森を抜けられるだろう。しかし、スキンヘッドの軍人が懸念していた通り、森を進めば進むほど、バックルと呼ばれる生き物の鳴き声が聞こえる頻度が多くなる。
「バックルは狡猾なんです。今も私たちの隙を見計らってます」
「猿ごときに弱腰だな」
またそう言うことを躊躇いも無く言う。今はアルマだけじゃなく、公国軍の人たちもいる。彼らを逆撫でするような発言はやめて欲しい。
「慢心は身を滅ぼすぞ」
子供を諭すような口振りでスキンヘッドの軍人が魔王へ忠告する。全く優しい人だ。まだ名前すら交わしていない間柄だし、魔王に至っては彼らの前で初めて口を開いた。そしてそれが小馬鹿にするようなものだ。
そんな軍人の優しさにも、当然ながら魔王は容赦しない。容赦と言うか、何ら悪いことだとも思っていないのだろう。
「お主ら人間は弱者の集まりだ。弱者が集まって増長し、慢心の末に身を滅ぼす。お主ら人間を体現する言葉を妾に向けるな」
セイカでも魔王は止められない。まずいと思ってもセイカには止める術がない。魔王の言葉に戦闘を歩いていた軍人たちが足を止めた。顰蹙を買うどころか、自ら彼らを挑発している。そう思われても仕方ないくらい、魔王は言い過ぎている。
セイカは魔王の腕を引っ張って、自分の背後へ移動させる。
「あっあのっ!みなさん、マオウさんはその、悪気があるとかじゃなくてですね………」
またもや、すかさずアルマが弁明してくれる。本当に助かるし、やはりセイカ一人では魔王を制御し切れない。
「妾に触れるな」
「お前は言葉に気を付けろ」
睨んでくる魔王の瞳をセイカは見つめ返す。どうして、魔王は人間を目の敵にするのか。訊いたところで答えてはくれないだろう。
人間を憎んでいるのかと言う問いに対して、魔王は答えを持ち合わせていないと言った。あれは一体、どういう意味だったのか。単に流されただけなのかもしれないけど、今ではそうじゃないような気もしてくる。
魔王は俯くように目を逸らした。聞こえていたアルマの弁明も終わった。
「すみません。少し人間不信なところがあって……」
「別に気にしちゃいない」
セイカはスキンヘッドの軍人に謝罪するが、これまた優しく言葉を返してくれた。
「それと名前だ。俺はレバンだ」
「セイカです。あいつは、マオウって言います」
「マオウ?特徴的な名前だな」
そう言って気さくに笑みを浮かべるレバンは歩みを再開させる。流石にマオウは名前として変な感じがするのは否めないか。セイカが勇者と呼ばれていたように、魔王も肩書に過ぎない。
それからは黙々と森の中を進んだ。
誰も何も発さないのは魔王の失礼過ぎる態度に気分を悪くしたからか。それとも、進んでも進んでも十分置きくらいの感覚でバックルの鳴き声が聞こえてくるからか。狡猾だとアルマは言っていた。確かにしつこい。休むことなく森を歩き、先頭を行く
しかし、一時間ほど森を歩いて川に出たところでバックルに出くわした。流れの速い川を挟んだ向こう岸に三匹の猿がいた。体長一・五メートルくらいで線の細い猿だ。腕と足がすらっと長いから、そう見えるだけかもしれない。全身はくすんだ茶色の体毛に覆われ、セイカたち軍人を見つめる瞳からは、その狡猾さが窺える。
「あいつらは狡猾で手強い相手———」
腰に提げた剣を撫でるように示しながら、調査隊の隊長的な立場なんだろうレバンが警戒を崩さずに口を開いた。はずだったのだが、言葉は途中で途切れ、口は開きっぱなしだ。
何故、そうなったのかは一目瞭然だ。川を挟んだ向こう岸にいた三匹のバックルが消し飛んだのだ。並んで三匹立っていた真ん中のバックルは跡形もなく消え去り、左右の二匹はそれぞれ左半身と右半身を綺麗に失っている。
「ま、マオウ、さん…………」
アルマが恐る恐る、震えるような声音で魔王と口にする。アルマだけじゃない。レバン含めた軍人の方々も魔王を唖然とした表情で見つめている。
「所詮、猿に過ぎないな」
今の数舜で魔王が放った魔力の塊は姿を現した三匹のバックルをいとも簡単に殺してしまった。この世界でも魔王の力は絶大で、魔法の体系も大きく異なる。今の一瞬で魔王が何をしたのか、それを理解できる者はセイカしかいない。
「まだ、魔力残ってたのね………」
「今ので最後だ。後はお主がやれ」
その言葉が引き金になったかのように森の中からバックルの鳴き声が響き渡る。
オっオっオっオっオっオっオっオっオっオっ!
複数に重なるバックルの鳴き声から、かなりの数いることが分かる。
「レバンさんっ!来ますよ!」
「おっ……おう。戦闘準備!」
説明は後回しだ。そのまま説明せずに押し切れたらいいが、今はこっちに集中するべきだ。レバンの指示を受け、軍人たちは各々の武器を手に取る。彼らは彼らで、戦闘に心得があるはずだ。アルマを囲うような陣形を組み始める。
セイカは魔王を背に庇う。何だか変な感じだ。勇者だったセイカが、魔王を背に庇うなんて。思い返せば、山賊に出くわした時も同じことをしったけ。
木の上からバックルが降って来た。二匹だ。二匹とも陣形を組んだ軍人たちに降りかかる。一匹のバックルが、軍人の一人を下敷きにするように倒し、その勢いで川に落としてしまった。
「カジっ!アーノルトをっ!!」
レバンが叫ぶ。カジと呼ばれた軍人が川に落とされた軍人———アーノルトを助けに動く。アーノルトを突き落としたバックルへレバンが攻める。剣術は相当なもので、長い腕を鈍器のように扱うバックルを剣で巧みに傷つける。あっという間にバックルの両腕は傷だらけになり、木の上へ逃げ出す。もう一匹も三人に攻め立てられ、逃げ腰だ。
「効率が悪い。お主も見ていて思わぬか?」
「君が異常なだけだよ」
森の中からバックルが飛び出す。数匹の群れと言っていたから、この一匹で最後だと思う。三匹は死に、二匹はレバンら軍人たちによって身を引き、ぽつんと取り残されたセイカと魔王を狙い目だとでも思ったのか。
「アクシオ」
身体強化の魔法を呟くと身体の中から魔力が溢れ出す。体外へ出さなければ、魔力は失われない。全身を魔力で覆って魔力による強固な鎧を作ることはせず、身体中を循環させて身体能力を向上させる。
駆けて来るバックルをセイカは逆に迎えに行く。腰に提げた鉈の柄を握ったまま。長い腕を広げ、すれ違い様にバックルは抱きしめるようにクロスする。身を低くして躱すのは容易で、セイカは右足を踏み込んで腰に提げた鉈を引き抜く。引き抜いて、その勢いのまま切り裂く。
セイカの振るった鉈はバックルの喉元を深く切り裂いた。首を切断するつもりで振るったのだが、長い腕がそれを邪魔した。それに鉈が持ちそうにない。すぐに鉈を引き抜いて、バックルを蹴飛ばす。地面を転がったバックルが立ち上がることはない。
手元の鉈を見れば、刃先に亀裂が生じていた。これでは使い物にならない。セイカは木の上へ逃げたバックルへ目を向けた。両腕が傷だらけのバックル目掛け、鉈を投げる。
鉈を投げたセイカを見て、驚くような素振りをレバンは見せるが、樹上から落下するバックルの対処へ意識を切り替えた。
予想通り、バックルの群れは六匹だった。樹上から落ちたバックルにレバンが止めを刺し、もう一匹も軍人たちによって仕留められた。バックルの下敷きになり、川へ落とされたアーノルトはカジによって救出された。
バックルは狡猾だが、敵ではない。
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