5「森の夜明け」

 火種がくすぶり、焚火の炎はほとんど鎮火した。夜が明け始め、焚火を燃やし続ける意味はなくなった。セイカは一晩中起きていた。今は魔王も起きているが、さっき少しだけ寝ていた。本当に少しだった。一時間も寝ていなかったと思う。


「……んぅ……んぅんっ……はあっっっ!!?」


 横になって寝息を立てていたアルマが、弾けるように飛び起きた。眠そうな目を必死に開け、現状把握に努めているみたいだ。


「お、おはよう」


 昨日は夜中だったからアルマの顔をよく見ていなかった。明るくなった今、眼鏡を外すアルマの顔は幼く見えた。童顔だ。眼鏡を掛ければ、少しは大人に見えるのだろうが、逆に眼鏡をしている時とのギャップで童顔の印象が強くなる。


 セイカが声を掛けるとアルマは悪いことでもしてしまったかのように口もとをパクパクさせる。そして何故か、魔王の両肩を掴んだ。


「おっ起こしてくださいよっ!私、ずっと寝ちゃってましたよね!?お二人だけに見張りを任せてしまってぇっ……!?」

「妾に触れるな、人間」

「すっすびませんっ……」


 魔王がアルマの頬を手で押し、両肩を掴んでいた手を離させる。それで冷静になったのだろうアルマが、枕代わりにしていた鞄の近くに置いてある眼鏡を手に取った。アルマは童顔だが、やはり眼鏡を掛けるとそうではなくなるみたいだ。


「ちゃんと起こしてくださいよ、セイカさんっ!」

「ぐっすり眠ってたからさ。起こすのは悪いかなって……」

「もぉ……私だけ寝ちゃって悪いですよ……」

「気にしなくていいよ。これでも旅には慣れてるから」


 不服と言った感じではあったが、アルマは納得してくれた。


 早朝の森は静けさに満ちている。これならよく響いてくれそうだ。アルマへ説明するにしては難しく、もういっそのこと終わってからでいいんじゃないか。


「あれ、マオウさんは……?」


 魔王の姿がなくなったことにアルマが気付く。


「トイレじゃないかな」

「あぁ……」


 この会話を魔王が聞いていたら、さぞ怒るだろう。アルマからも口にするべきじゃなかったという若干の反省が見える。そんなアルマから形の良い雲が浮かぶ早朝の青空へ目を移す。


 タイミングがぴったしだった。

 空へ目を移した直後に魔力が撃ち上がった。


 魔王の魔力もこの世界では弱まっている。三割だと言っていたが、それでも三割とは到底思えない魔力量だ。凝縮した魔力の塊は一切の音を立てずに空へ撃ち上がった。視覚的に遠くからでも見えなくはないが、やはり大きな音の方が気付いてもらえる可能性は高まる。


 撃ち上がった魔力の塊は次第に速度を落とし、雲の漂う高度付近で激しく霧散する。魔王が意図的に魔力暴発を起こした。鐘を打ち鳴らしたような高々とした爆音と地上の木々を揺らす爆風が発生する。


「きゃぁっ………!!?」


 突然の爆音と爆風に驚き、アルバはその場にしゃがみ込む。身体が吹き飛ばされるほどの爆風ではないため危険性は無い。ただ、驚かせてしまったことは悪い気もする。


 地上を襲う爆風は一瞬で、高々と鳴り響く鐘の音のような爆音は静けさに満ちた早朝の森を駆け巡る。


「なっ何が起こったんですっ!?」


 驚きと困惑に大慌てのアルマが、鎮火した焚火跡の周囲を駆け回る。寝起きでそんなに駆け回るものだから、足をもつれさせて盛大に転んだ。


「うぅっ………!?」

「あ、アルマさん、落ち着いて……」


 流石に見ているだけと言うわけにはいかない。落ち着きを取り戻してもらわないと、説明するにしても出来ない。


「天変地異ですよっ!?天変地異の前触れかもですっ!」


 ついにアルマさんが変なことを口走り始めた。セイカは肩を強く揺すって正気を取り戻させる。


「あわあわあわあわっ!!!」

「アルマさんっ!おれのこと見えてます?」


 まずい。心ここに在らず、と言った状態だ。


「妾に任せろ」


 戻って来た魔王がそんなことを言った。アルマの両肩を揺すっていたセイカを突き飛ばすようにしてどかし、魔王がアルマヘ平手打ちを見舞った。パチンっとかなり痛そうな音が響いた。


「いったぁっっっ!!?」


 魔王がもう一発入れようとしたので、すかさず止めた。止めた手はすぐに振り払われたが、二発目の平手打ちは防ぐことが出来た。


「いきなりっ何するんですっ!?」

「お主のような喧しい人間は特に嫌いだ。視界に入るだけで虫酸が走る」


 平手打ちされた挙げ句、罵られるという何とも可哀想な状況ではあるが、落ち着きは取り戻してくれたみたいだ。


「今の音でアルマさんの隊員たちが気付いてくれるかもしれない」

「はっ!もしかして、今の爆発はお二人がっ!でも、一体どんな魔法を……」

「魔法っ?この世界にも魔法が?」


 思ってもみなかったアルマの発言に、セイカは食い入るように反応してしまう。そんなセイカに若干気圧されつつ、アルマは答えてくれた。


「え、ええ。魔法は、あります、ね……えっと、マオウさんは魔法使いでは?武器をお持ちではないようですし」

「お主は魔法を使えるのか」

「私は使えませんよ。ギルドの調査官ですし、才能もないです」


 この世界にも魔法がある。結構な驚きだ。一体どのような仕組みで魔法が扱われているのか気になる。アルマは才能と言った。誰でも扱えると言ったものではないのだろう。もといた世界でも魔力は皆に備わっているものだが、魔法として行使するには、それなりの修練を積む必要があるし、才能だって大きく関係する。


 合図は送った。しばらくの間、ここを動くつもりはない。離れ離れになったアルマを見捨てていなければ、隊の公国軍が気付いてくれるはずだ。することもないので、セイカは改めて、この世界について知ることにした。


 人間最大の勢力を誇るカナン公国、この森の近辺に位置するコンラット、オークと呼ばれる生き物が暮らすローデン・グラント。山賊の男から聞き出した情報に偽りはなかった。


 アルマはギルドの調査官だ。カナン公国領の各地を転々とし、人間に危害を加える生物の棲む地を調査し、報告書にまとめる。それが仕事だと言う。


 ギルドとは冒険者を統括する組織であり、冒険者とは人間に敵対する生物や種族と戦い、人間の住める地を開拓する者のこと。


 この世界には魔法も存在している。魔法についてアルマは説明してくれた。魔法を扱うための基本情報としてマナとオドと言うものがあり、例えるなら水と器。


 水に例えたマナが魔法を放つために必要な力で、セイカのもといた世界で表すなら魔力だ。器に例えたオドは例え通り、マナを入れる器のイメージでいいらしい。


 そんなマナとオドはお互いが釣り合うようになっている。オド《器》に入るマナ《水》は、オドの大きさによって変わる。オドが少なければマナも少なくなり、オドが大きければマナも大きくなる。


 マナに干渉することは出来ないため、人はオドを成長させる。オドが大きくなれば、魔法を行使するためのマナも大きくなるからだ。


「魔法書を読むのがオドを強くする基本です。でも、魔法書はどれも難解ですし、魔法学者の中には自分の作ったオリジナルの言語で魔法書を作る人もいますから、読むことも出来ないものまであるんですよ」


 セイカに質問攻めされるアルマだが、ひとまずと言った感じで答えてくれた。そして当然の疑問を口にする。


「あの、どうしてそんなことを訊くんです?言っては何ですけど、今話したことは常識だと思うんですけど……」

「お主に常識を語られたくはない」

「ひっ、す、すみません……!」


 深々と頭を下げるアルマと偉そうな態度の魔王。


「聞き流せばいいよ。あいつの言葉にいちいち反応してたら疲れるよ」


 アルマの頭を上げさせ、耳打ちする。

 しかし、魔王は目敏いと言うか耳敏かった。


「聞こえてるぞ」

「盗み聞きは良くないな」

「殺されたいのか?」


 そう言って、本当に殺意を込めた目を向けて来るので魔王はおっかない。おっかな過ぎてアルマは固まってしまった。いや、小刻みに身体を震わしている。でも、今日のところは魔王に殺される心配はない。


 この世界では魔力効率が非常に悪い。さっき、魔王は魔力を空へ放出した。一度出た魔力が回復するのには半日以上掛かるため、魔王は大した魔力を持っていない。はずだ。きっと。


「お二人は、冒険者じゃないんですよね。どうして、こんな森の中にいるんですか?持ち物も何もないようですし……」

「話したところでお主には理解できない。話すだけ無駄だ」


 魔王の言うことも分かる。セイカが言葉を選んで説明したところで変人に見られてしまいそうだ。それにセイカ自身、今の状況にどう納得をつければいいのか分からない。この世界で生きていくしかないのだろうか。セイカはもとの世界に戻りたいのだろうか。


「ひとまず、おれたちは遠い場所から来たって思ってくれればいいかな」

「遠い場所ですか……灰降り砂漠を越えた先に人が住んでるって聞いたことがあります」

「いや、そこでもないかな。辺鄙な村みたいな……?」


 アルマに深く追求されても困るので話題を変えようとして声が聞こえた。動物の鳴き声ではない。人間の言葉だった。


 

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