3「森の中の出合い」
「歩きやすいだろう」
この惨状を作り上げた張本人は、そんな一言をこぼすだけで、何とも思っていないみたいだ。セイカと魔王はさら地となった森を直線上に進む。今回は南下するのではなく北上する。
セイカたちは山賊に嘘の情報を掴まされた。南下すれば街———コンラットに着けると。全部が全部、嘘だと言うわけではないのだろう。ただ、南下して出会ったのはクマみたいな化物で、山賊が意図して嘘をついたことは明白だ。きっと、あのクマの縄張りか何かに、セイカたちは足を踏み入れてしまったのかもしれない。それで襲われた。
しかしだ。ポジティブに捉えるのであれば、セイカと魔王に魔力が戻った。とは言え全てが戻ったわけじゃない。セイカは五割くらい。魔王は三割程だと言う。あれで三割と言うのだから、つくづく恐ろしいものだ。
「アクシオ……」
もう一度、身体強化の魔法を口にする。魔法を口にして、やっと身体から魔力を感じる。魔法や魔力を意識して行使しようとしなければ、依然としてセイカからも魔王からも一切の魔力は感じられない。
感覚的には魔力が押し込められている。そもそも魔力と言うもの自体があやふやな存在だ。物質と呼ぶ学者もいれば、概念と称する物もいる。ただ一つ言えることとして、魔力は本質的に人間に備わっているものではないと言うことだ。
「妾を警戒しておるのか」
「殺したければ殺せばいいよ。抵抗はするけど」
セイカは身体強化の魔法を解除する。
「妾にはお主を勇者と祭り上げる人間たちの気が知れない。つくづく、人間の愚かしさには呆れる」
セイカは魔王を殺せない。
どうやら魔王も、今のところはセイカを殺すつもりはないらしい。殺したところで現状は変わらないわけだし、こうなった原因はセイカの持っていた
そんな打算的なものであっても、セイカは今、魔族と共にしている。いつの日か、分かり合える日が来るのだろうか。でも、もう遅い。ここは元いた世界じゃない。元いた世界に、あんなクマみたいな化物はいない。
「日が落ちかけてる」
「言われなくとも分かっておる」
お互いに投げやりな言葉を交わしながら、歩みを止めることはしない。森を抜けるためには歩き続けるしかないのだ。こうして魔王が作り出したさら地を歩き出す前に、風魔法で空へ飛び上がって周囲を確認しようと試みたものの失敗に終わった。
この世界では魔力の存在が薄い。それに加えて、魔力の扱いが困難を極めた。
だから、こうしてさら地となった森の中を自らの足で一歩ずつ進み続けている。そして日も沈み、夜が訪れた。セイカと魔王も歩くのをやめた。
「喉は、乾いてるよね……」
人間、水は三日飲まないと危険な状態に陥るとされる。魔族はどうなのか詳しいことは分からないが、乾いていないなんてことは無いだろう。目を覚ましてから数時間は歩き続けているし、飲み食いもしていない。長旅で慣れているはずなのに、さっきからの喉の渇きが収まらない。
もう何日も水を飲んでいないんじゃないか。そう思わざる負えない。
「アクアフィール」
魔王と一緒に火を囲い、無駄だと分かっていながらセイカは水魔法を唱えた。アクアフィールは水を生み出す初歩的な魔法に過ぎない。魔法適正の高くないセイカが唯一扱える水魔法であり、複雑な魔力操作を必要としない。
それでも、水は生み出せなかった。
「この世界で魔力の形は変えられない。それがまだ分からないのか」
「わ、分かってるよ」
「どうだかな。お主、魔法の才能がなかろう」
「気付かれてた?」
「初めて会った時から気付いていたわ。勇者にも見えんかった」
魔王はおれを勇者と呼ぶが、その実、勇者だとは思っていない。おれ自身も、自分に勇者としての才能が無いことを知っている。
「君は人間を憎んでいるのか?」
「妾はその答えを持ち合わせていない。お主もそうであろう。お主は魔族を憎んでいるか?」
上手いこと言葉を返されてしまった。
魔王の問いにセイカも答えられなかった。
言葉を交わす度に喉の渇きが増していく。だからお互いに黙っていた方が楽だ。眠気もない。喉が渇きすぎていて、眠れる気がしないのだ。パチパチと火を散らす炎を眺め、絶やさないよう時おり枯れ木をくべる。
暗闇に染まる森の中から鳴き声が聴こえる。オっオっオっと聴いたことのない鳴き声だ。動物のものとは思えない。ここはエスピナ大陸では無さそうなので、セイカの知らない動物がいる可能性もあるが。でも、この森にはクマみたいな化物がいた。それに類するものがいても不思議じゃない。
音がした。今度は鳴き声じゃない。草木を折ったような音だ。何かがいる。セイカも魔王も、音のした方へ顔を向けている。いつでも動きだせる態勢だ。身構えていたものの、現れたのは人間だった。
「また人間か」
魔王が毒づくように呟いた。
「あぁー良かったぁ人がいるぅ………」
セイカと魔王を見て、現れた眼鏡の女性は泣きそうな顔を浮かべる。きっちりとした紺色の制服姿は森を歩くに適した姿とは言えない。
「大丈夫ですか」
泣きそうだし、今にも倒れ込んでしまいそうな足取りだったので、セイカは思わず抱き留めた。大丈夫ですか、などと口にはしたけど、この女性は全然大丈夫そうには見えない。そしてセイカもまた、大丈夫と言えるような状態じゃない。
「もう本当に死ぬんじゃないかって思いましたよ。渡りに船ってこのことですよ。お二人は冒険者ですよね。あの私、ギルドの調査官で、この森には調査に来てまして。巨大な
「端的に話せないのか、人間」
「えっあ、す、すみません……私、あの助けて頂きたくて……独りじゃ森も抜けられそうになくて。報酬は、出します。今は、手持ちがないですけど……街に、コンラットに戻れたら支払います……」
魔王が無駄に怯えさせるから、眼鏡の女性が萎縮してしまった。恐る恐る助けを求めてくるが、どちらかと言うと助けて欲しいのはセイカと魔王の方だ。
「水を、持ってたりしないかな……?」
さっきから頭が回らない。喉の渇きが限界に達している。
「はっはい、水ならあります」
眼鏡の女性が鞄の中から革水筒を取り出した。セイカは受け取って、喉の渇きを潤す。世界一美味い水だ。水なのに甘い。いや、そう感じるだけか。お礼もせずにセイカは水を飲む。危うく全部飲み干してしまうところだった。
「ありがとう」
「いえ、これくらい大丈夫ですっ!」
「妾にもよこせ」
いつの間にか魔王が隣にいて、セイカの手から革水筒を奪い去る。当然ながら魔王も喉が渇いて、革水筒の水を勢いよく飲んでいる。そして全部飲み干してしまった。
「あれ、全部飲んでしまいました……?」
魔王は答えない。空になった革水筒を投げ返し、焚火の前へ戻って行く。最悪な印象だけを魔王は残していった。眼鏡の女性のセイカを見る目まで訝し気なものになったような。一緒にはしないでもらいたい。
「すみません。悪気があるとかじゃないんですよ……」
「は、はい……でも、水はこれで最後で。あの、お二人は水と食料を、お持ちではないんですか……?」
「ま、まぁ……はい」
何て言えばいいのだろうか。
眼鏡の女性はセイカたちに助けを求めてきた。冒険者だとか言っていたが、セイカたちは冒険者ではない。というか、冒険者って何だ。このままでは、セイカたちは人の持っていた水を飲み干しただけの二人組になってしまう。
高速で思考を巡らせるセイカだったが、魔王が嘘偽りなく言い放った。
「妾もそやつも、身一つだ。森を抜けられないでいるのもお主と同じだ」
言ってしまった。どのみち隠し通せるとは思っていなかったけど、もう少しマシな言い方はあっただろう。魔王のストレートな言葉に眼鏡の女性があわあわと目を泳がせ始めるのだった。
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