2「森を抜けた先」

 山賊たちから馬車を拝借させていただいた。返すつもりは全くないので拝借ではないか。御者台に座り、馬の手綱はおれが握っている。魔王は荷車にいる。


「何故殺さない。あやつらは死に値する人間だろうに」

「むやみに人を殺したくないからだよ」

「何千もの同胞を殺した勇者がよく言う。魔族殺しを正当化する存在が勇者だろ?」

「おれはセイカだ。勇者じゃない。君もこの世界では魔王じゃないよ。だから、名前を教えてくれないか?」

「教えると思うか?人間」


 人間と魔族の確執は嫌と言うほど知っている。一時期は人間と魔族が共生して暮らせる世界を望んでいた。だが、そんな世界が実現することはないと言う現実に、望みは絶たれた。どうしようもない程、人間と魔族は争いを繰り返す。


 魔族との戦争における人類の象徴は勇者であり、勇者が存在し続ける限り、人類は争いをやめない。それじゃあ勇者セイカが死ねば争いは無くなるのか。そういうわけでもないだろう。魔族によって人間が滅ぼざれるだけだ。


「これから人間の住む街に行くんだぞ。名前は必要だろ」

「人間に名を名乗る必要性を妾は感じない」

「君は頑固だな……」

「何か言ったか?」

「何でもないよ」


 魔王の考えていることが分からない。そもそも、セイカは魔族と分かり合えたことが一度もない。分かり合おうとしても魔族側にその気がない。セイカが勇者で、人間である以上、魔族の敵にしかなれないのかもしれない。


 セイカと魔王は別の世界にいる。人間と魔族が争い合っていた世界とは別の世界に。禿頭の山賊から、この世界のことを聞き出した。


 ここはカナン北部に位置する何てことのない森中。踏み慣らされた土道に沿って南下するとコンラットと呼ばれる街があると言う。そしてさらに南下するとカナン公国がある。人間最大の勢力を誇る国のようで、旧ロスミナ帝国領を支配し、ローデン・グラントと呼ばれる巨大な氏族国家を形成したオークと対立状態にあるらしい。


 聞き出したところで分からないことばかりだ。ただ、この世界には人間と敵対する種族が沢山いる。元の世界では大陸を人間と魔族に二分していたが、この世界では人間を含め様々な種族が割拠している。


 山賊の禿頭が言うには馬車で一時間ほど南下すれば森は抜けられるらしい。山賊の二人を殺しはしないが、悪人であることに変わりはない。だから、森の中に置いてきた。置いてかないでくれと禿頭に懇願されたが、魔王が顎を蹴り飛ばしたことで気を失った。


 変わらない景色の中、一時間も馬車を走らせるのは退屈ではあった。だが、セイカは勇者としてエスピナ大陸を旅していた身なので、これくらい苦にもならない。魔王はどうなのだろう。彼女の暮らしを知るわけじゃないけど、長旅の経験は無さそうだ。


 名前を訊いて拒否られて以降、魔王とは一言も言葉を交わさすことなく、一時間は経ったのではないか。旅慣れして、体内時計はある程度精確ではある。感覚で一時間くらいは測れてしまう。


「お主、騙されたんじゃないか?」


 魔王も感づいていたみたいだ。一時間ぶりに口を開いたと思えば、おれに責任転嫁するつもりらしい。


「その場合、主語はおれと君の二人だけどね」

「拷問でもして訊き出せば、嘘は付かれなかったはずだ」

「そういうのは好きじゃない」


 とは言え、あの禿頭の話を鵜呑みにし過ぎた感じもある。だから、この世界が元いた世界じゃないと言う線も消えたわけじゃない。あの盗賊二人からも魔力は感じられなかったけど、それはセイカと魔王の身体がおかしくなっているだけかもしれない。


 まぁでも、それは限りなく薄い線ではある。これも旅をしてきた感覚からか、ここがエスピナ大陸でないような気がする。勇者に選ばれた人間は地母神エスピナの加護を受け、その存在を何となくだが知覚できるらしい。セイカには全く感じられない。


 途方もないため息が口をついて出る。食料も無ければ、飲み水も無い。加えて、この森には野生動物の影も見当たらない。この何もない森で夜を明かす覚悟をするべきか。そんなことを考えて、ついため息を吐いてしまったのだが、木々の広がる視界が晴れた。セイカは手綱を引いて馬を止める。


「森を抜けたか」


 魔王の声音が若干嬉しそうに聞こえた。気のせいだろうか。

 

「……違うかも」


 視界に広がる木々は晴れた。しかし、そこは森の中に形成された盆地のような場所だと言わざる負えない。ぐるっと盆地を木々が囲っているだけで、森を抜けられたわけじゃない。


 加えて、何かがいる。

 なだらかな坂となる盆地の中央。最も落ち窪んだ地面の底に巨大な何かがいるのだ。あれを見て、真っ先に思い付いたのはクマだ。太くて短い四肢と大きな体、密に生えた体毛が酷くトゲトゲしい。クマっぽいけど、クマらしからぬ大きさだ。丸まった状態なのに四、五メートルはありそうだし、背中に亀の甲羅みたいなのがついている。


「見たことのない生き物だな。お主が調べてこい」

「えっ……おれが?」

「今の妾は非力ゆえ、お主が行くのは道理であろう」

「非力な自覚はあったのね……」


 しかし、魔王に命令される筋合いはない。

 それに今のセイカだって魔法による身体強化が出来ない。慎重になるべきだし、襲って来ないのであれば、自ら行く必要もないんじゃないか。


「引き返すか」

「勇者のくせに逃げるのか」

「だから、もう勇者じゃないって」


 眠っているクマ?はそのまま寝かしておくことにする。馬車の進行方向を反対側へ移動させ、来た道を戻る。何とも無駄な時間だった。また一時間掛けて目を覚ました場所へとんぼ返りする羽目になるのだ。


「不毛だ。何とも不毛だ」

「おれのせいにするなよ」

「お主が悪いに決まっておる。簡単に騙されよって」

「君だって、あの時は何も言わなかっただろ。後になって責任をなすりつけるなよな」

「妾が悪いと言うのか?そもそも、こんな場所にいるのはお主のせいであろう」

「それとこれとは関係ないだろ」

「愚かしい。人間は非を認めない」

「おれは君と話してると疲れるよ」

「初めて意見があったな、人間」


 誰でもいいから魔王との接し方を教えて欲しい。そんなことを思ったからか、誰かが来てくれたらしい。地面が鳴った。ドンっドンっドンっと地を鳴らす足音だろう。音は近づいてくるが、御者台から見える周囲に音の正体は確認できない。


「何か近づいて―――」


 言葉はそこで途切れた。何せ身体が宙を舞っている。馬も横向きになった状態で、セイカの前方を舞っている。そんな馬の嘶く声は馬車の破砕音によって掻き消され、宙を舞うセイカの視界に馬車に突撃してきたものの正体が映った。


 クマだ。盆地の底で眠っていたはずのクマみたいな化物がいる。そして、あいつが衝突したのは魔王のいる荷車だ。魔王が無事なのかどうか。そんな考えが頭を過った頃には地面に全身を打ち据えていた。


「うぅっ………!!?」


 何とか受け身を取ろうとしたが叶わなかった。身体強化の無い生身だから、とんでもなく痛い。でも、立ち上がれない程じゃない。と言うか、立ち上がらないといけない。


 クマみたいな化物は馬を襲っていた。食べているのか。セイカは大破した荷車へ駆け、魔王を探す。下敷きになっているのであれば、早く助けないとまずい。


 そう思って駆けたのだが、セイカはまた吹き飛ぶ羽目になった。大破した荷車が爆発でもしたかのように飛散し、その爆風で全身をあおられた。今度はちゃんと受け身を取り、着地できたが。


 荷車の爆破にクマが気付く。振り向いた頭部はセイカの知るクマそのもの。背中に甲羅のようなものがある巨大なクマだ。上顎と下顎に鋭利で長い牙が二本ずつ生え、馬の血がべったりと付着している。そんな口を大きく開き、クマは咆哮するつもりだったのだろう。


 魔力を感じた。

 身を竦めてしまうような恐ろし膨大な魔力を。


「アクシオっ……!」


 一か八か。セイカは瞬時に身体強化の魔法を口にした。体内から魔力が込み上げ、全身を覆う。


 瞬間、クマの全身の七割が消し飛んだ。太い両足だけが残り、標的を消滅させて尚、周囲の木々をも消し飛ばし続ける。森の中、数百メートルに及ぶ一直線のさら地が出来上がった。


 そんなさら地の直線上に銀髪紅瞳の少女が佇んでいる。額から血を流す姿は雄々しくもあり、あどけない儚さも内包する。おれではきっと、魔王を殺せない。

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