雨脚はどんどん強くなる。辺りは、とても午後三時台とは思えないほど暗い。


 私たちはまた歩きはじめる。ばたばたと傘を叩く音もどんどん増幅し、耳が痛い。

 ふいにごろごろごろ、と音が聞こえた。もしや、と思った時には、もう遅かった。地面が裂けるのではないかと思うほど大きな雷鳴が轟く。


「ひいっ!」

「え?」


 雨音でごまかせたと思っていたのに、耳聡く聞き取られてしまった。

 まだいけると信じ、私は何食わぬ顔で織笠さんを見た。

「……どうかしました?」

「今、さっき『ひいっ!』って言いませんでした?」

「……言ってませんけど」

「雷、怖いんですか?」

「別に?」

「……」

「……」

「ばあっ!」

「ひいいいっ!」


 一瞬何が起こったか分からなかった。一拍遅れて、織笠さんが驚かせてきたのだと分かる。


「……何なんですか」

「いや、薄々思ってはいたんですけど、藍川さん、怖がりなんですか?」

「……違いますけど?」

「別に恥ずかしがることではないと思いますよ」

「別に恥ずかしがってません」

「そういや、俺が指怪我した時もやたら慌ててましたし、スプラッタとかが苦手なんですか?」

「だから、違うって言ってるじゃないですか!」

 むきになって言い返すと、織笠さんは「可哀想に……強がってるんだ……」という憐みの目を向けて来る。何なんだ。


 ここで否定し続けても惨めになるだけなので、私はできるだけ大きな声で言った。

「そうですけど、何か!? 血が苦手なのは、三歳の時に公園で転んで大流血したからです! ホラーが苦手なのは、親戚にホラー好きがいて、小さい頃からその人にホラー映画見せられたり、怖い話教えられてたからです! その人は親がいないタイミング狙って、子供にだけそういう話するからすごい怖かったんです! 悪いですか!?」

「悪いなんて言ってないですよ~」

 織笠さんは子供をなだめるような調子で笑った。余計惨めになった。


 それからひとしきりにこにこした織笠さんは一つ息を吐いてから、短く「なるほど」と呟いた。

「何がですか」

「いえ、何でも。

 話、めちゃくちゃ脱線しちゃいましたね」

「八割方、織笠さんのせいですね。

 まあ、とにかくこの一件以降、紫陽花のことを素直に綺麗だと思えなくて。ずっと私の中で呪いみたいに残ってるんです。……すみません、暗い話で」

「別にいいですよ。俺が聞き出したんですから。ところで、藍川さんのお宅の紫陽花の写真ってあったりします?」

「ありますけど。なぜか毎年、紫陽花が咲いた日に母親が写真撮って、送って来るんですよね」

 スマホを持つ前は、「紫陽花が咲いたから見ないか」と直接誘われていたけれど、私はその全てを断っていた。裏庭は私の部屋からは見えないので、長らく紫陽花は写真だけでしか見ていない。


 私がスマホを取り出そうとバッグを漁り始めると、歩きスマホにならないように、との配慮ゆえか、織笠さんが足を止める。

 スマホを取り出し、再度LINEを起動する。母とのトーク画面を開き、つい先日送られたばかりの紫陽花の写真をタップした。

 憂いを帯びた青色の紫陽花。その背後には、青々と茂ったツゲの木も映っている。


「どうぞ」

 織笠さんにスマホの画面を見せる。

「これが今年のものですか?」

「そうです」

「これより前の年のものも見せていただくことは出来ますか?」

「い、いいですけど」

 戸惑いながら、四年分くらい遡って見せる。でも、同じ場所で撮っているものだから、基本的にはほぼ同じだ。紫陽花の色も構図も一緒。ツゲの見切れ方が少し違うくらいのものだ。これを見て、何になると言うのだろう。


 訝しむ目を向けると、織笠さんは少し目を細めて笑った。

「藍川さん」

「はい」

「紫陽花の呪い、解けそうですよ」

 その笑顔はひどく妖艶だった。

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