第6話 あの日の、もう一人
ダンジョンが出現し、遺物の存在が明かされたとき、世界は大きく傾きかけた。
絶大な力を持つ遺物の有無が、攻略の可否に大きな影響を与えるからだ。
持つ者と、持たざる者。ダンジョンというブルーオーシャンは、限られた冒険者によって独占されるはずだった。
あの男さえ、いなければ。
「どうも」
気の抜けた挨拶と、ゆったりした立ち姿。平凡な青年だ。どんな街にでもいるような、特徴のない雰囲気を纏っている。だが、ダンジョンの中でそんな雰囲気を持った人間は彼だけだ。
あれは異常者だ。
命が懸かった状況を、心の底から愛している。だからどんな状況でも、平然としている。
数多のダンジョンから遺物を回収し、他の冒険者へと譲った男。あの男のせいで、冒険者の敷居は大幅に下がった。独占されるはずだった市場は開かれ、利益は全体へと分配された。
「……だが、結果としてはそれでよかったのだ」
しわの寄った指先を絡めて、男は静かに頷く。
ダンジョンが発生した当初、男はダンジョンを攻略することで富と名声を得ようとした。だが、その道には《攻略者》がいた。背中も見えないほど遙か遠くを、彼は走り続けた。
だから男は考え抜き、全く別の道を見つけ出した。
遺物を用いて、全く新しい物を発明する。
ダンジョン専用ドローン。生と死の極限をエンターテイメントに変える、世紀の発明だ。これによって、彼は巨万の富を得た。
身じろぎすれば、全身に纏った貴金属がじゃらりと音を鳴らす。下品だという人間もいるだろう。だが、外野のことはどうでもいい。
高価なものと美しい女に満たされることが、男の幸福だった。いつだって、心の穴を埋めるのはその二つだ。
「なにをご覧になっているのですか。お父様」
背中側から、金髪の少女が声をかけてくる。男は眉根を下げて、ゆったりと振り返った。
「エリーか。懐かしい者が、配信に映っていたのでな」
エリーと呼ばれた少女は、画面をのぞき込むと目を丸くした。
「あっ、この人。助けに来てくれた人です」
「ほう」
男はティーカップを揺らして、ハーブティーを口に含む。
エリーの目は、星を見つけた子供のように輝いていた。瓦礫の陰から見上げた、青年の平然とした顔を思い出しているのだ。
あのとき、ヒツギに声をかけたのがエリーだった。
「ダンジョンの中なのに、子供みたいにはしゃいでいたんですよ。おかしな人ですよね」
「エリー、君はまた、彼に会いたいかね」
「……そういうわけではありませんけど。お父様がいうなら、仕方なく」
ごにょごにょと小声で呟く少女を、男は柔らかい微笑みで見つめる。
見透かされているのを感じながら、少女は赤面して早口になる。
「『ふゆゆ』とは同じグループの友達でしたし……頼めば一緒にダンジョンへ行ってくれるとは思いますけど」
「ああ。それでいい。彼と共になら、《禁忌》レベルのダンジョンでも攻略できるだろう」
「そうですね。彼ならできると思います」
「ああエリー。どうか“お守り”だけは、忘れないようにね」
「もちろんです。お父様」
エリーが部屋を出て行ったのを確認して、男は静かに息を吐いた。
画面の中で、ヒツギが三つ目の遺物を取り出したのを確認して、立ち上がる。
「やはり、彼は消さねばならない……」
◇
日曜日は、一日中家族と遊んで過ごした。
冒険者として得た報酬で、楓に新しい服を買って、母さんには新しいバッグをプレゼントした。家に帰ったら、二人は俺の好物であるオムライスを作ってくれた。
月曜からは再びお仕事天国。適当なダンジョンに行ってもいいのだが、まずは今後の方針を決めることにした。方針を決めるには、情報が必要だ。
ということで、美冬さんにいろいろ聞いてみることにした。メッセージを送ったら、二分で返信が来て、一時間後に家に来た。
「おはようございます! 迎えに来ちゃいました!」
「圧倒的行動力」
「未来の嫁ですからね」
「やっぱ他の人を頼った方がよかったかな」
「なんでそんなこと言うんですか……。私のこと、嫌いなんですか……」
「メンヘラになっちゃった」
「私のことだけ頼ってくださいね」
元自殺志願のメンヘラ、ちょっと重みが違う。
美冬さんはそっと胸に手を当てて、物憂げな表情をする。
「鏑木さんのことを考えてると、疼くんですよね。私の中にまだ残ってる、鬱の部分が」
「最悪の影響与えちゃってるじゃん」
「大丈夫です! 恋なので」
「大丈夫な恋をしてくれー」
相手のこと考えると鬱になるって、恋愛としては最悪だと思うんだ。
こういうとき、どうやって目を覚ましてもらえばいいんだろうか。美冬さんの言う恋って、たぶん勘違いだ。吊り橋効果とか、そういった類いのものでしかない。
うーん。まあ、一緒にいればそのうち冷めるかな。俺、そこまで魅力的な人間じゃないし。要するに、考えるのが面倒だから放置。
「では行きましょう。冒険者にとって、便利な場所を紹介します。ついでに紹介したい人もいるんですけど、大丈夫ですか?」
「はーい」
軽やかな足取りで出発する美冬さんに続いて、俺も家を出る。楓が家にいなくてよかった。兄が辞めたてほやほやのアイドルと平日からお出かけ。なんて知ったら、質問攻めにされるはめになる。
アイドル。そういえば美冬さんって、アイドルだったんだよな。
先週に「ふゆゆ」が電撃脱退したのを皮切りに、他のメンバーも離脱し、グループ自体がなくなってしまったらしいけれど。
普通ならあり得ないことだが、ダンジョンが絡むと珍しいことではないらしい。死への恐怖は、有名になることでは打ち消せない。
「どうしました?」
「美冬さんって、前は歌って踊ったりしてたの?」
「はい。まあ、人並みに……この場合、アイドル並にというべきでしょうか。事務所に言われれば、そういったこともしてましたよ」
「後で調べてみようかな」
「やめてくださいね。絶対に」
「え」
「やめてください。あれを見られたら……私」
「……」
「鏑木さんと即日入籍しなければなりません」
「どううい理屈で⁉」
「あんな恥ずかしいものを見られてしまったら、他のところへお嫁に行けなくなってしまうからです」
「もう手遅れじゃん。ファンに見られまくりなんだから」
「それは先週までの話です。今の私はただの冒険者です。そして、私が結婚したいのは鏑木さんだけです」
「意思が強いなぁ」
とにかく見られたくないようで、美冬さんは繰り返し「だめですからね」と念を押してくる。これは……どっちだ。押すな押すな理論か。それとも、本当にだめなやつか。
様子見で、しばらくは触れないようにしよう。
美冬さんの言う目的地には、バスと電車を使って三十分ほどで到着した。
駅から少し離れたところにある、立派なビル。デパートとホテルを掛け合わせたような、高級感のある見た目をしている。
「こちら、冒険者のために建てられた商業施設です。冒険に役立つ物をそろえたり、休日にくつろいだりもできるんです。冒険者以外の方も、利用できる施設なので、ご家族で来たら楽しいと思いますよ」
「へぇ。便利な時代になったなぁ」
二年見ないうちに、ずいぶんと冒険者の待遇が改善されたものだ。
あの頃は酷かった……などと老人みたいなことを言いそうになる。まだまだ俺も現役なのに。
建物の中に入ると、全方向から視線を感じた。もしかして、これって……。
「美冬さんが目立ってる?」
「鏑木さんが目立ってますね」
お互いを見て、同時に首を傾げる。
「「ん?」」
どう考えても目立っているのはお前だろう。みたいな目で見られるけど、冷静になってほしい。あくまで一般人の俺より、元アイドルの美冬さんが目立っていると考えるほうが自然だ。
まあ、どちらが目立っているかなんてどうでもいい。少しの気まずさを耐えれば済む話だ。
エレベーターに乗ると、美冬さんが最上階を選択する。
「いろいろ買いそろえる前に、私の友達を紹介させてください」
「おっけー」
ドアが開くと、一面ガラス張りの空間が広がっていた。東京の町並みを見渡せる、展望フロアだ。その景色を背にして、一人の少女が立っていた。
金髪を肩のところで切りそろえた、キリッとした顔立ちの女性。表情が硬く、射貫くような青い瞳をしている。
この顔、どこかで見たような……。
「あ、美冬さんの前に会った人だ」
「どんな覚え方してるのよ! 失礼な人ね!」
「ご、ごめん」
だって他に情報がないんだもの。とは口に出さず、そっと目をそらす。
女の人に怒られるとスンッ……ってなるの、妹と母親に囲まれて育った影響だと思う。
男は女に勝てない。この絶対的な事実は、細胞レベルで刻まれている。
少女は髪を手で払って、腰に手を当てる。迫力があるタイプの美人だ。
「私はエリー。篠原(しのはら)エリーよ。この間は本当に助かったわ」
「あっ、いえ、大丈夫です。気にしないでもらって。……ほんと、大丈夫なんで」
すっと後ろに下がって、美冬さんの陰に隠れる。女の人……怖い。
「ちょっとエリーさん。鏑木さんが怖がってますよ」
「ええっ⁉ 今ので怖がっちゃうの⁉」
「ファンの方々はドMだからいいですけど、普通の人には刺激が強いんです」
「それにしても弱すぎじゃない⁉」
美冬さんが振り返って、優しい笑顔を向けてくれる。女神?
「大丈夫ですよ鏑木さん。エリーさんも、立派な冒険者です」
「確かに! エリーさんはどんな遺物使ってるの?」
「チョロいですねぇ」
こうやって呆れられるのも、だんだん慣れてきたな。
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