第2話 一般人、アイドルに狙われる
現実世界に帰還してから二日。
実家でだらだらくつろいでいたら、視界の端に身に覚えのあるニュースが映った。
『大人気アイドルグループ、ダンジョンから無事生還!』
その記事を縦にスクロールしていくと、更に別の記事が目についた。
『ダンジョン系アイドル「ふゆゆ」電撃脱退を発表! 「今後はダンジョン業に専念したい。あと恋」』
ふうん。そんなこともあるんだ。とか思いながら、その記事も雑に読んでいく。
『――この間のことなんですけど、助けに来てくれた男の人がすっごくかっこよくて。初めて私のことを、アイドルじゃなくて戦う女の子って認めてくれたような気がして……好きになっちゃったんです』
「……おや」
なにかとても、嫌な予感がする。
記事は次のように締められていた。
『突如として「ふゆゆ」のハートを奪っていった男とは。彼女のファンたちが、過激な行動に出ないことを願う』
「いや他人事すぎるだろ!」
あまりの投げっぱなしに驚いてスマホをベッドに投げる。隣の部屋から、
「お兄ちゃんうるさーい」
と言われてしまった。すんません。壁に向かってへこへこ頭を下げていたら、今度はインターフォンが鳴った。立て続けに、いろいろ起こるものだ。
まあどうせ宅配とかだろう。念のため財布だけ持って、玄関のドアを開ける。
絶世の美女が立っていた。
瞬きをしてみる。
絶世の美女が立っていた。
空色の長い髪、シンプルなデザインのシャツとカーディガン、ふわりと揺れるロングスカート。冬のように冷たく、それでいて温もりのある瞳。
殺伐としたダンジョンで見るのと、平和な日常で見るのでは印象が全く違う。という教訓を得た。つまり、だ。俺はこの子に会ったことがある。鎌とか持ってましたよね。でかいやつ。しかもアイドルって言ってたっけ。
「ちょっと待っててもらえますか」
「はい。いくらでも待ちますよ」
いったんドアを閉めて、部屋に置いてきたスマホを取り、さっきの記事を見返す。そこにあった写真を見ながら、再び玄関ドアを開ける。
「『ふゆゆ』じゃん!」
「はい。『ふゆゆ』です。でも、それはもう過去の私なので。柊木美冬です。美冬って呼んでください」
どうしよう。アイドルがアイドル辞めて来ちゃった。ファンに殺される! 個人情報全部晒されて、一家まるごと焼き払われる!
「終わった……我が家の人生……終わった」
「大丈夫ですか?」
君のせいで全然大丈夫じゃないよ。という言葉を飲み込んで、「あはは」と中身のない笑い声を発してみる。
なかなか部屋に戻らない兄を不審がったのか、妹が廊下にひょっこり顔を出す。
「どしたのお兄ちゃん。お客さん?」
「新聞の勧誘だから、気にしなくていいぞ」
「はーい」
聞き分けの良い我が妹は、すんなり部屋に戻ってくれた。だが、これ以上ここで話しているとまずい。
「今のは妹さんですか?」
「そうですけど」
美冬さんが、目を見開いて胸に手を当てている。なんだその反応。
「じゃ、じゃあ……私はお義姉さん……?」
「場所を変えましょう! 立ち話もなんですから!」
「では、私の行きつけの喫茶店なんてどうですか?」
場所はどこでもいい。絶対に彼女を家族に会わせてはならない。その一心で首を縦に振った。
◇
タクシーで移動して、連れてこられた喫茶店は閑静な住宅街にあった。
薄暗い店内にはジャズが流れ、カウンターに腰掛けた老人が煙草をくゆらせている。俺たちはテーブル席に通された。柔和な表情をした老紳士が、そっとメニューを置いてくれる。
それからようやく、俺は自己紹介をまだしていないことを思い出した。
「俺の名前、鏑木(かぶらき)陽継(ひつぎ)です」
「あ、マネージャーから聞きました。改めて、昨日はありがとうございました」
「いえいえ」
両者ペコペコ頭を下げる謎時間。ほとんど初対面の人と、いきなり喫茶店はハードル高いって。
「私はコーヒーにしますけど、鏑木さんはどうしますか?」
「じゃあ、俺もそれで」
引退アイドルと向かい合うという状況は、未だに飲み込めていない。だが、落ち着かないのは美冬さんもらしい。上目遣いでこちらを見ては、整っている毛先を何度も整えようとしている。
「す、すみません。私、よく考えたら男の人とこうやって外出するのは初めてなので」
「あ、そういう緊張ね」
「それに、鏑木さんはとても凄い人なので。緊張してしまってるんです」
「俺が?」
胸に手を当てて、心臓を抑えるように話す美冬さん。
そんなかしこまられるようなことを成した覚えはないのだが。
「はい。だって、有名人じゃないですか。顔は知りませんでしたけど、あなたの功績はダンジョンに携わる全ての人間が知っています」
「それはちょっと、言い過ぎじゃないかな」
「言い過ぎじゃないです!」
語気を強めた少女は、すぐに申し訳なさそうに肩をすくめる。
「すいません。ただ、さっきの言葉は本当なんです」
「……そうなんだ」
「もしかして、本当になにも知らないんですか?」
「うん。正直、なにがなんだか」
ダンジョンの様子を配信するとか、アイドルが潜るとか、そういったことも含めて。現在の情勢を、俺は全く理解していない。もちろん、自分がどんなふうに扱われているのかも。
こめかみのあたりを掻いて、苦笑いする。おとなしく白状するしかなさそうだ。
「実は俺、二年ぐらい一個のダンジョンに引きこもってたんだ。だから、世の中のことを全然知らなくてさ」
「二年も一つのダンジョンに?」
美冬さんは目を見開き、信じられないと表情を凍り付かせる。
「いやぁ、なかなかに手強いボスがいてね。結果として遺物は回収できたんだけど、家族には怒られるし、帰国の許可はなかなか下りないし。大変だったよ」
「なるほど。そんなことがあったんですね」
「よかったら、その間になにがあったか教えてくれないかな」
「わかりました」
ちょうどそこでコーヒーが到着する。一口すすると、苦みの中に、まったりとした香りがある。美味い。
咳払いを一つして、美冬さんが話し始める。
「ではまず、社会的な変化からお話ししますね。二年前と今の一番の違いは、ダンジョンに誰でも挑めるようになったことでしょうか。そしてそれを配信することで、収入を得る人々がいます」
「ちょっと調べたけど、専用のドローンがあるんだってね。ダンジョンで撮影ができて、おまけに外の世界に電波も届く」
通常のカメラはダンジョンに持ち込んでも、まともな画像が撮影できない。もちろん、外と交信することも不可能だ。だが、遺物を活用することでその辺の問題がクリアされたらしい。
「はい。そういったもののおかげで、ダンジョンは人々にとって身近なものになりました。正体不明の危険な場所ではなく、一攫千金の夢がある場所に」
「……なるほど。ある種のプロパガンダか」
ダンジョンが出現した当初、それは自衛隊が消滅させるべきだという動きがあった。だが、銃を持ち込んだところで人間は人間。多くの人々が帰らぬ人になり、攻略は才能ある個人に託されることになった。
しかし、そうなったところで「やったぁ! ダンジョンで活躍して英雄になりたいんですよね!」となる人間はほとんどいなかった。一向に盛り上がらないダンジョン業界に火をつけるための、てこ入れみたいなものだろう。
この国の人間は単純だ。誰かがやっていれば、続く人が出てくる。
「その通りです。おかげでダンジョンに挑む人――冒険者は、一万人ほどに増加したと言われています」
「大成功じゃん」
「ちなみに、視聴者の精神的ストレスを考えて、配信には基本的に十分の遅延がかけられています。残酷な映像を、外に届けないために」
「なるほど。その辺は徹底されてるみたいでよかったよ」
美冬さんは頷いて、続ける。
「そして冒険者の中で、まことしやかに囁かれる噂があります。都市伝説のようなものです。私もおとといまで、ただのデマだと思っていましたが……」
そこでコーヒーを一口飲んで、彼女は俺のことを見据えた。
「世界で初めて遺物を保有したのは、日本の中学生だといいます。
彼はダンジョンが出現した際、不運にもクラスメイトたちと飲み込まれました。しかし、すぐに冷静さを取り戻すと、全体の指揮を執って犠牲を出さずに生還したそうです。
その際に左目に宿すことになったのが、【黒幕の義眼】。停止した時間を認知する、最強クラスの遺物です。
その後、少年は次々とダンジョンに挑み、大量の遺物を回収しました。彼は一切の見返りを求めず、手にした遺物を他の冒険者に譲り渡したそうです。
それだけでなく、自信が培った知識を惜しみなく公開し、ダンジョン攻略の基礎を築いた。彼の尽力によって、日本のダンジョン攻略は何十年分も進んだと言います。
ゆえに人々は、彼のことをこう呼ぶのです。
伝説の《攻略者》――ヒツギ」
熱の籠もった解説を終え、美冬さんは大きく息を吐き出す。紅潮した頬に手を当てて、目を閉じて深呼吸。
なるほど。だいたいの事情はわかった。顎に手を当てて、深々と頷いてみせる。
「ふーん、伝説の《攻略者》ってのがいるんだ。――え、俺のこと⁉」
「そう言ってるじゃないですか!」
「称号が重いって! 過大評価だよ」
げんなりする俺の顔を、美冬さんがのぞき込んでくる。その目は、明らかに呆れた色をしている。
「鏑木さんは、自分が回収した遺物の数を覚えていますか?」
「覚えてないな。百を超えたあたりで、数えるのやめたから」
「いいですか。そもそも、普通の人は一つでも遺物の回収経験があればいい方なんです。五を超えたらベテランで、十を超えたら超人なんです」
「……そうなの?」
「百って言いましたよね。しかも、それ以降は数えてないって。とんでもないことですよ。冒険者の前でそれいったら、みんな引退しちゃいますよ」
「……そんなに?」
「そんなにです」
腕組みをして、天井を見つめる。
冷静に振り返ってみれば、周りがどうとか気にしたことなんてなかった。渡米した後もダンジョンに籠もってたし、他者と比較したのは初めてだ。
「そっか。そんなことになってるんだ……。だいぶ変わったなぁ」
「ご理解いただけましたか」
「だいたいの情勢はね。それで、美冬さんはどうして俺に会いに来たの?」
「個人的に鏑木さんのことが好きになってしまったからです」
「……っ!」
ネット記事が嘘であることを願ったが、だめだったらしい。真実を報道するとは、日本のメディアもやるじゃないか。
「すいません。驚いちゃいますよね。でも、言わないと伝わらないって、マネージャーにも散々言われてたので」
「意味が違うと思う。意味が」
恋愛に関しては伏せつつ距離を詰めていくのが大切って、人生のどこかで学ばなかったのだろうか。学ばなかったとして、思いっきり開示する勇気はどこから湧いてくるんだろう。
「大丈夫です。友達から初めて、将来的に必ず結婚していただければそれでいいので!」
「すっごい! 一ミリも譲んないじゃん!」
「というわけで、今週末にダンジョンに行きませんか? いい感じに難易度の高そうなところがあるんですよ」
「うっ……」
これがただのデートのお誘いだったら、なんとかして断ろうとしただろう。だが、あろうことか彼女はダンジョンに誘ってきた。好奇心が湧いてしまう。
「……ぬぐぐ」
「私の鎌のことも、お話ししますよ」
「何時にどこ集合にすればいい?」
「急にチョロすぎません?」
こうして、世界で一番危険なデートが決まった。
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