ダンジョン大好き一般人、理不尽に強い

城野白

第1話 一般人、アイドルを助ける

「いやぁ、やっぱり日本のダンジョンは落ち着くなぁ」


 手に持った木の棒で肩を叩いて、首を大きく回す。


 一面に広がるのは、赤黒い血があちこちに飛び散った都市の光景。信号機はことごとく赤に輝き、街灯は不快なリズムで明滅を繰り返す。吸い込んだ空気はさびた鉄と腐った肉の匂いが混ざった、ダイエットがはかどりそうな異臭をしている。


 ダンジョンとは、小規模な異世界だ。ゲートは地球のあちこちにあって、それぞれが異なった構造をしている。言葉のイメージ通り、地下迷宮みたいなところもあれば、美しい草原もあるし、こんなふうに禍々しい都市のような構造をしているところもある。


「ゲートは小さかったけど……なるほど、けっこう厄介そうだ」


 冷静に観察していたら、地面からゴポッと音がした。アスファルトから血が盛り上がり、徐々に人の形に変化していく。顔面はない。直立二足歩行。ただし、両腕は槍のように鋭く尖っている。


 ――それが、三体。


 ダンジョンに存在する敵対存在を、モンスターと呼ぶ。

 このモンスターには、痛覚が存在しないのだろう。互いの攻撃が当たることも鑑みず、同時に突撃してくる。合理的な判断だ。それが一番、俺の動きを制限することができる。


 そして速い。出現時には十メートルほど離れていたはずなのに、一秒で槍が目の前に突きつけられていた。残りの二体も展開して、俺を囲い込んでいる。


 首を左に傾けて、一体目の刺突をかわす。右手の木の棒を突き出し、そのままモンスターの腹にぶち込む。貫通。手応えが軽い。


 軽くて速い。それがこの敵の特徴なのだろう。防御面をゼロにして、攻撃に全振りしている。それなら話が早い。


 二体目の攻撃に、こちらの攻撃を合わせる。槍が砕け散って、そのまま胴体まで粉砕する。最後の一体は余った左手で頭部を掴み、地面に叩きつける。


 ベシャリ


 水っぽい音がして、完全に沈黙。そのまま地面に吸収されていく。


「雑魚でこれなら、ボスは期待できそうだな。よーし、気合い入れていくぞ」


 だいたいのレベル感もわかったし、走ってダンジョンを進んでいく。迷路のような構造をしているが、基本的に敵がいる方が正解だ。左右どっちもいたら、より強い敵がいる方向に行けばいい。


 ダンジョンの果て。そこにいるのが、ダンジョンの番人。通称ボス。それを討伐することでダンジョンは消滅し、ゲートも消える。


 一度ダンジョンに入ってしまえば、帰還するには消滅させるしかない。ゆえに、ボスの討伐ができなければ、その時点で死亡が確定する。だが、例外もある。後から誰かが入って、ボスを討伐する。これを達成できれば、全員が生還することができる。


 俺がここに来たのは、その例外を実行するためだ。


「……本当なら、今頃実家でマンガ読んでたんだけどな!」


 血でできたモンスターたちをなぎ倒して、走る速度を上げる。さっさと帰宅したい欲が勝ち始めたからだ。


 俺はダンジョンが好きだ。だが、今回は人から頼まれてここにいる。「帰還してこないアイドルたちを救出してください」という依頼だ。


 正直、なにを言ってるかわからなかった。


 アイドルがダンジョン潜ってんの? なんで? どっちもカタカタだから?


 ちなみに彼女たちは、最新の技術を使って自分たちがダンジョンを攻略する様子をネットに配信していたらしい。


 なんで? 普通に血とか出るし人死ぬときもあるのに? モンスターの見た目、トラウマになるくらい怖いのいるけど?


 などなど、様々な疑問を押し殺してここにいる。俺が世間から離れているあいだに、いろいろと情勢が変わっているらしい。


 なんにせよ、俺がやることはいつだって変わらない。


 三十分ほど爆走すると、嫌な気配が本格的に高まってきた。長年やっているとわかる。間違いない。


「ボスの匂いっ!」


 本能に従って進めば、建物の向こうに禍々しいオーラを放つ一帯がある。都市のあいだにある、広い空間。どうやら公園のようだ。


 その真ん中に、六本の腕を持つ巨躯を発見する。血の塊ではない。実体があり、質量がある。人の形をし、肉をつけた怪物だ。


「うおおおおおっ! 強そうだな! 格好いいな!」


「……ぁ、あの……」


「人の声!」


 か細いソプラノに反応して振り返ると、建物の陰に隠れて座る少女が三人いた。

 彼女たちが、救助対象なのだろう。皆が整った顔立ちをしている。だが、それ以上に傷と憔悴が目立つ。


 しまった。すっかり興奮して、本来の目的を忘れかけていた。


「大丈夫ですか。これで全員ですか?」


 声をかけてくれた女の子に問いかけると、彼女は首を横に振った。少女は細い指で、ボスのいる方角を指さした。


「ちがい……ます。こうたい……しながら……なんとか……」


 なるほど確かに、ボスと一定の距離を保って武器を構えている人がいる。近距離には持ち込ませないように、牽制し合っているのだろう。あれなら被害を抑えられる。だが、精神の消耗は激しいだろう。


「とにかく、命があってよかった。もう大丈夫ですよ」


「でも……」


「安心してください。あれくらい余裕です」


 木の棒をひらひら振って、走り出す。背中から、掠れた声が聞こえた。


「その武器……もしかして……」


 一気に加速して、最高速度で戦いの真ん中に突っ込んでいく。

 陣形を組んでいた少女たちのあいだを駆け抜け、ボスの姿を捉える。


 腕は六本。筋肉質な体で、胸に謎の亀裂が入っている。身長は二メートルを優に超える。頭部には大量の眼球と大きな口。頭髪はない。頭頂まで隙間なく眼球が埋め込まれており、死角など存在しないと言った様子だ。


 六本の腕には、それぞれ異なる武器を握りしめている。


「イカした見た目しやがって」


 間合いは五メートル。既に敵の間合いだ。左上の腕が、鎖のついた鉄球を投擲してくる。同時に残り五本の腕も、それぞれの武器を構える。刀、斧、鞭、鉄球、槍、ハンマー。


 ここまでの雑魚とは違う。練り上げられた技術と、最適化された行動、単純な性能の暴力をもって襲いかかってくる。


 まともにやって勝てる相手じゃない。

 だが、ここはダンジョン。まともにやる理由など、どこにある?


 左目で敵の全貌を捉え、小さく呟く。


「【黒幕の義眼】」


 その瞬間、世界が完全に停止した。


 ボスは動かない。空気も凪いでいる。全てが動きを失い、一瞬が永遠になる。

 ダンジョンを正しく攻略したものには、『遺物』と呼ばれる報酬が授けられる。


【黒幕の義眼】――刹那を永遠として観測できる遺物だ。


 時間停止と言えばチートもチートだが、動けないのは俺も同じ。ただ、この停止した時の中では思考することができる。


 一瞬の判断が生死を分けるダンジョンに置いて、これほど頼もしい能力はない。


 相手を観察し、その後の行動を予測、最適な行動で対応する。ゲームの一時停止みたいに、何度も繰り返して、微調整をくわえていく。


 正しいことを、淡々と。


 どんなに強い敵だろうと、行動を理解すれば勝ち筋を見いだせる。


 六連撃を捌ききって、振り上げた木の棒で脳天を一撃。二、三、四、五、倒せなかったらまずいので追加で十回ほど殴っておく。

 それでようやく、巨体が地面に倒れ込んだ。立ち上がったら嫌なので、胸の真ん中を貫いておく。


 でもまだ不安だな。


「まだやれるか……?」


「さすがにもう死んでると思いますよ」


「『やったか……?』って安心したやつから死ぬんだよ。ダンジョンってのは」


「やりすぎはあると思います。死亡フラグが折れるどころか粉になってますよ」


 成り行きを見守っていた女の子にドン引きされてしまった。


 声をかけてきた子は、まだ元気そうだ。背丈ほどもある大きな鎌を抱きかかえて、ちょっとずつ俺に近づいてくる。


「どなたか存じませんが、ありがとうございました。私たちだけでは、どうにも」


「ああ、いいよいいよ。ダンジョン攻略は趣味だからさ。今回も結構楽しかったし。でも、遺物を回収できなかったのは残念だ。それから――」


「それから?」


 少女が首を傾げる。彼女が持つ巨大な鎌。これも遺物で間違いないだろう。発する雰囲気からして、おそらく……。


「ボスが弱くて残念だった。誰かが弱体化させてたのかな」


 思うに、あの胸の亀裂はこの少女がつけたものではないだろうか。ただの傷ではなく亀裂だったのは、この鎌が冷気を放っていることに関係しているように思える。


 周囲を見渡した。視界に入る中に、死体はない。よかった。全員生存したみたいだ。


 そのとき、赤黒い世界にひびが入った。雨上がりみたいに、光が天から差し込んでくる。ダンジョンの崩壊だ。


 ここを出たら、俺と彼女が言葉を交わすことはないだろう。


「アイドルとか配信とか、よくわかんないけどさ。君は間違いなく、強い子だよ。この仕事に向いてる」


 それを最後に、視界が光に包まれた。

 俺たちは、地球へ帰還する。

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