第7話 精神疾患
ここで、今回亡くなった女性について書いておこう。
名前は、前述のように、
「横山惟子」
という。
年齢は、思ったよりも若く、まだ20代だということだ。来ている服装が、ワンピースの地味な感じに見えたので、武下巡査は、
「結構、年齢がいっているのではないか?」
と思っていた。
そういう話を竹下巡査から聞いていた大橋巡査だったので、被害者の名前を捜査員が話しているのを聞いた時、ビックリしたのも、無理はなかったということである。
大橋巡査も、それほど、彼女のことを知っているわけではない、
「足が不自由で、精神疾患があるということだったので、仕事にもつけず、介護が必要な状況だ」
ということまでは知っていたが、
「どこに住んでいるのか、どうやって生活しているのか?」
あるいは、
「交際関係は?」
というところまで、聞くわけにもいかなかったのだ。
大橋巡査は、
「被害者のことを少しでも知っている」
ということ、そして、竹下巡査は、
「被害者の最後を見た目撃者」
ということで、特別に、オブザーバー的に、捜査に参加することになったのだ。
といっても、日ごろの業務もこなしながらなので、あくまでも、補佐的にということである。
今だ、
「事件なのか、事故なのか分かっていない状態なので、二人の証言は、それなりに貴重である」
ということになったのだ。
横山惟子は、大学を卒業して、5年前に、証券会社に就職したという。
彼女は、
「男受け」
がする顔立ちだったこともあって、先輩男性社員には人気があった。
その代わり、先輩女性社員からは、妬まれることになるのは、必然で、そのせいからか、
「女性の醜い争い」
が勃発した。
それまでちやほやしてくれた男性社員も、この状態を見て、
「お局様を敵に回すと、仕事が滞る」
ということは分かっているので、そのせいもあってか、惟子に対しては、無視するしかなかったのだ。
それまで、ちやほやされていただけに、この態度は、
「嫌われた」
と思い込んだ惟子は、次第に落ち込むようになった。
それを好機と見たのか、お局様集団の攻撃は、激しくなった。
「中学生の頃の嫌がらせ」
のようなこともあり、惟子は完全に、
「孤立無援」
となってしまった。
それを感じたまわりも、何もできなかったのだ。
男性社員も、見て見ぬふり、これは、惟子にとって、苛めを受けているよりも、辛かったかも知れない。
「男性社員は、絶対に味方になってくれない」
と思い込むと、
「後ろの支えがまったくない」
ということに気付き、そうなると、断崖絶壁で、命綱も何もなく、
「一気に谷底に落とされるだけだ」
としか思えないのであった。
そうなってしまうと、
「前だけではなく、後ろも抑えがないと分かると、結果というものは、目に見えてくるのではないか?」
ということが考えられるのであった。
そんな状態を、
「四面楚歌」
というのだということを、惟子は初めて知った気がした。
学生時代までは、そんなに目立つ女の子ではなく、誰からも相手にされていないということで、後から思うと、
「却ってそっちの方がよかった」
と思うのだった。
大学時代もそうだったが、
「普段から、目立つことはなるべくしなかった」
それが自分の本分のように思っていたからだ。
だが、会社に入って、化粧を施すようになると、惟子は、実に綺麗になったのだ。
会社の男子が放っておくわけがないほどの綺麗な感じになったので、男性陣の中で、自分のことがウワサになっていると知ると、惟子は、少し有頂天になっていたのだ。
高校時代までは、自分の友達が、そんな風にちやほやされているのを見て、
「私には関係ない」
と思うことで、
「それが、自分なんだ」
と思った。
モテないことを言い訳するくらいなら、言い訳しないでもいいほど、まったく何も言われない方が、却ってよかった。
そういう意味で、自分の近しい人がちやほやされるのを、冷めた目で見ていたのだ。
冷めた目で見ている自分は、
「そういうことに対して、嫉妬心も湧かない。それだけ、クールで大人のオンナなんだ」
と感じていたことだろう。
それを分かっていることで、今度は、同世代の男の子が、同世代の女の子をちやほやするのは、
「愚の骨頂だ」
というところまで思っていた。
それだけ、
「自分の精神年齢は高い」
と感じるようになると、
「それにふさわしい女にならないといけない」
と感じるようになった。
そのためには、
「知識を身につけて、あの人は何でも知っている」
という風に思われるということが大切だと思ったのだ。
中学三年生の頃くらいから、結構勉強を真剣に始めた。
三年生になった頃から、学校の先生に言われていた志望校も、成績が上がっていることで、どんどん上に伸ばしていった。
志望校を決める時、
「今なら、五分五分よりも、少し確率が高いと思われる学校を志望校とするか?」
あるいは、
「ワンランク下げて、ここなら、間違いないというところを志望校とするか?」
ということであったが、彼女は、迷わず後者にしたのだ。
「高校入学がゴールではないので、何も難しいところを受ける必要はない」
ということであった。
「どうしてだい?」
と先生に聞かれると、
「だって、その高校は、自分と同等、それ以上の成績の人がこぞって入試を受けにくるわけでしょう? 合格できたとしても、自分はその中でも最低ランクだと思うんですよ。そうなると、最初から、劣等感を持って、勉強しなければいけない。それでは私は、プレッシャーの中でずっといなければいけないということを考えると、とてもじゃないけど、怖くて」
というのだった。
それを聞いた先生は、
「その通りなんだ。先生もそのことが一番怖いと思っていたんだが、それでも、お前ならできると思ったんだ。だけど、お前がそのことを意識しているとなると別だ。だったら、お前の言う通り、ランクを下げて、無難な学校に行って、そこで、さらに、余裕を持ち、上を目指すということの方がいいような気がするな」
というのだった。
確かにそうだった。
彼女がそのことに気付いたのは、あうドラマを見たからだった。
そのドラマは、勉強にしての話ではなく、
「スポーツ留学」
ということからの話だった。
中学時代に、全国大会常連で、
「ベスト8くらいには、いつでも入るくらいの実力がある」
と言われた陸上選手だった人が、陸上の名門校から、
「スポーツ留学」
の話があった。
当然、これくらいの選手であれば、有名校からの誘いなど、たくさんあってしかるべきであった。
そんな中で、一番の強豪校に、行くことに決めたのだった。
もちろん、それにふさわしいだけの成績を残してきたのだが、彼には、一つだけ心配があった。
というのが、
「最近、肝心の足が、時々痙攣をおこす」
ということであった。
それを、隠して入学する形だったので、まわりの期待をよそに、本人は、まるで、
「薄氷を踏む」
という気分だったに違いない。
彼は、結局、我慢して練習をしていたせいもあり、結局、無理をしすぎて、
「再起不能」
と診断された。
普通の生活はできるが、
「陸上選手としては、致命的」
という診断に、本人は、
「まだまだ可能性がある限り頑張る」
とはいうのだが、一度、医者から、
「再起不能」
と言われた選手を、特待生として抱えていくほど、学校側は余裕があるわけではない、
しかも、これが、プロであれば、
「1、2年棒に振っても」
ということであっても、
しかし、高校時代というのは、
「3年しかないんだ」
ということである、
たとえ、1,2年で治ったとしても、そこからリハビリ、落ちた筋肉を元に戻すなどということをしていれば、さらに数年かかる。そうなると、完全に、卒業した後ではないか。
つまり、
「学校というところは、育成ではない」
ということである。
少なくとも、
「即戦力」
である必要がある。
即戦力でなければ、高校時代というのは、
「あまりにもあっという間に過ぎる」
ということである。
もっといえば、もし、ケガもなく、順風満帆に高校時代を過ごせ、陸上では
「全国優勝」
という栄華に輝いたとしても、果たして、それがどうだというのか?
そんなことを考えないともいえないだろう。
一度頂点を掴んでしまうと、さらに、その上を目指したくなるのは当たり前のことで、結局大学でも、
「スポーツ推薦」
ということになり、
「永遠に、この道しか歩めなくなり、いずれ、引退となった時、今までそのスポーツしかしてこなかったことで、初めて、自分の今の立場を顧みることになるのだ」
スポーツ選手の寿命は短い。
普通であれば、大体、40歳前後くらいであろうか?
人生で言えば、約半分、そこで、定年を迎えてしまったということになる。
第二の人生を歩めるだけの何かを持っていないと、結果、どうすることもできないということになるのだ。
そんな人生をいかに過ごせばいいのか?
そんなことを考えていると、結局、
「人間の欲は果てしない」
ということになるのだ。
途中で挫折してしまうのも辛いということになるのだが、それ以上に、
「挫折することなく、ある意味順風満帆で突き進んでいくと、精神的に、いつどうなるか分からない」
という、
「堂々巡りを繰り返す」
というスパイラルに嵌りこんでしまうのではないだおうか?
そんな状態を普通の人は、考えたりはしないだろう、
そもそも、そんな実力もない人間ばかりだからだ。
だから、
「人間として、平均水準の愉しみを得られれば幸せだと思う」
そうなると、
「何が楽しみなのか?」
ということを分かっていようが分かっていまいが、
「流されるように生きていれば、それが心地よい」
と考えることであろう。
そのことを、学生時代に見たテレビで、惟子は分かったはずだった。
特に、自分の容貌にはまったく自信がなく、
「その分、勉強しよう」
と思っていたほどだったので、
「天は二物を与えず」
ということなので、容貌の方がどうしようもないということは、
「その分、頭の方が誰にも負けない」
と考えることで、
「自分にとって、一番ありがたいことではないか」
と思うのだった。
しかし、想定外に、会社に入ってから、モテる自分がいたのだ。
「世の中には、モテキというものがある」
というのを聞いたことがあるが、
「それが今きた」
と思うようになっていた。
モテキかどうか分からないが、自分のことを意識している男性が、一人だけではなく、複数いるというのも、想定外だった。
「誰か一人、私のことを好きになってくれる人がいれば、その人が、運命の人なのかも知れない」
という、
「まるで、王子様が白馬に乗って迎えに来てくれた」
というような、メルヘンチックな話を想像してしまう。
これを、一種の、
「中二病ではないか?」
と思っていたが、中学時代に感じたことがなかった思いを、今したというのは、それだけ、
「自分が学生時代、人よりも先を目指していた」
ということになるのではないだろうか?
そう考えることで、入社すぐのモテキを、
「来るべき時が来たんだ」
と感じたのも、正直、無理もないことのように思えた。
入社してから、
「ここから、またスタートラインで、皆と競うことになるのかな?」
と感じたのは、
「果てしないゴールのない道を、その節目でいったんリセットして、歩んでいくことになる」
という思いがあったからだ。
これは、
「時間内に、ゴールしなければ、また頭から、振り出しに戻る」
ということで、基本的に、最初から、
「ゴールなどできない」
という、まるで、
「出来レース」
をさせられているかのようだ。
と感じていたのだ。
だから、正直いうと、
「こんなスパイラルな生活から抜け出したい」
という思いにいたっていたのも事実であり。
「出来レース」
をするくらいなら、
「違う道を歩みたい」
とも感じていた。
そこに飛び込んできたのが、
「予期せぬ、モテキ」
だったのだ。
それまでとは違う感覚に、どこか癒される気分を感じながら、
「自分を中心に争っている男たち」
という構図から、
「これまでは、自分の努力だけで勝敗が決していたのだが、この場合は、自分を取り巻く環境が勝ち負けを決めてくれる」
という感覚から、
「出来レースではない」
ということを感じると、少し、
「このモテキに乗ってみたいものだ」
ということで、周りに対して、あざとい態度を取ることにしたのだった。
「あざとさというものが、どういうものなのか?」
と感じていると、
「自分がまわりに取っている態度が合っているのか、間違っているのか分からない」
というものであった。
それでも、
「合っている」
と思わないと、自分の意思がフラフラしているようで、どうしようもない状況に追い込まれていると思えてならなかった。
自分の態度がどこまで正しいのかということを考えると、それまでの経験がないので分からない。
「私はこれまで、これだけの勉強をしてきたというのに」
ということを考えていたが、
「勉強など、あくまでも、予行演習にすぎなくて、実践ともなれば、まったく役に立たない」
ということになるのではないかと思うのだった。
もっとも
「まったく役に立たない」
というのは、あまりにも大げさであり、役に立つということも正直あるに違いない。
さて、大人になってからというもの、
「社会人になれば、学校時代とは違って、さらに、厳しい現実が待っている」
と思っていた。
それは、あくまでも、
「今まで勉強してきたことを、最大限に生かして、成長していく」
というのが大前提だと思っていたが、
「まさか、ここまで学生時代の勉強が役に立たないなんて」
と思うのだった。
人間関係であったり、要領の良さなどというものが、社会に出ると役に立つというのは聴いたことがあったが、
「まさか、それだけだったとは」
というほどに、勉強は役に立たない。
下手をすると、中学レベルでも知識としては十分だということなのかも知れない。社会人というものが、いかなるものか、正直、それを感じるのが、
「五月病だ」
ということであろう。
そんな彼女は、次第に、会社の男性陣と、女性陣、それぞれの思惑の中で、振り回されていった。
それだけ、素直で実直だったということだろうが、その分、
「自分を苦しめるかのように、融通が利かない性格だった」
ということになるであろう。
結果、一人で、自分の中に引きこもってしまい、引きこもったことを、すべて自分のせいだと思うことで、逃げ道を失い、結果、精神疾患に見舞われた。
最初は、
「鬱病」
ということであったが、そのうちに、
「パニック障害」
であったり、
「幻聴、幻覚」
を見るようになることで、
「他の病気ではないか?」
と言われるようになった。
調べてみると、
「双極性障害の、鬱状態だった」
ということで、再度精密検査をすると、
「会社への出勤は、厳しい」
ということになり、ドクターストップがかかったのだ。
最初は、
「休職扱い」
であったが、それも、期間が長引けば、その分、会社からの、
「退職勧告」
が厳しくなった。
すぐには、退職はしなかったが、よくよく考えてみると、
「こんな風になったのは、会社での私の知らないところで、勝手に標的にされて、自分がこもってしまったことが原因だ」
と、気が付いた。
しかも、どうしてこのようになったのかというと、
「私は、自分のことを、絶えず客観的に見ることができると思っていたが、実際には冷静に見ることができなかったことで、そのギャップに、苦しんでいた」
ということであった。
「自分で分かっているつもりでいるのに、そうではなかった」
ということを、無意識に感じたのだ。
「本来なら、自分で気づかなければいけない」
ということから、
「気付けなかった自分がすべて悪い」
と思うようになり、自分を責めるようになってしまった。
それを考えれば、
「自分が無意識だったのは、分かっていて、分かりたくないという自分の気持ちが、余計に、矛盾となって、襲い掛かったのではないか?」
と感じるようになった。
そういう意味で、
「無意識というのが、どれほど恐ろしいというのか?」
それが怖いと思う、一番の原因ではないだろうか?
と、感じるのだった。
そんなことを考えていると、
「彼女が精神疾患になったのも分かるというものだが、なった原因や、状況は分かったとしても、それを治すというのは、至難の業ではない」
と言えるだろう。
とりあえず、病院で処方された薬を飲みながら、先生のいうことを聞いて、何とかやっていくしかない。
「誰だって、病気になんかなりたくはないんだ」
というのは、病気の人、精神疾患に限らず、誰もが思っていることに違いない。
特に、人の影響で病気になった人は、そのやり切れない気持ちどこにぶつけたらいいのだろうか?」
そう思うしかないのだ。
そんな状態において、精神疾患になったことで、惟子は会社を辞めてしまった。そこで、
「障害年金を貰ったり、生活保護を受けたり」
などと、いろいろあったが、その中で、
「日本という国が、どれほど、弱者にひどい国かということが分かるというものだ」
収入があれば、生活保護から、引かれるであったり、クーラーやテレビなども制限されたりする。
それこそ、昔、江戸時代くらいまで、百姓などに言われていた
「生かさず殺さず」
とはまさにそのことである。
そして政治家は、票になるところには、贈収賄で、いくらでも金を使う。それこそ、税金ではないか。
さらに、外国に金をやるのも、何かの下心があってのことであろう。
しかも、数年前のソーリが、
「国民に金がいかないのなら、生活保護があるじゃないか」
と言った、バカソーリもいた。
また、庶民の生活をわかっていないのか、まだ物価がそんなに上がっていない時、
「カップラーメン、一つ500円とかいう、とんでもないブルジョワな政治家もいたくらいである」
つまり、政治家というのは、そんな当たり前のことを知らないのだ。
自分たちが知らないから、いくらでも、理不尽なことを口にして、庶民の反感を買うのだ。
それでも、
「俺たちが政治を動かしている」
というおごりがあるから、何も反省をしようともしないのだ。
それだけ、自分の身が可愛いというだけで、政治家としての、モラルや、考え方の欠片もない連中が多いということである。
そんな状態だから、介護士がつくことになる。その相手が、
「犬飼佐和子」
だったのだ。
今の時代、とんでもない介護士もいるようで、特に最近問題になっているのは、施設などで、介護士が、入所者に苛めを加えたり、虐待しているという事実である。
「どうして、そんなことが起こるのか?」
ということであるが、
「それだけ、介護が必要な人に対して、介護士が少ないので、その分、無理が来ていて、精神的に病んでしまっている」
ということなのかも知れない。
「病んでいる人を何とかしないといけない」
ということで、いるはずの介護士なのに、その人たちが苛めを行っているなど、本末転倒もいいところだ。
まるで、
「ミイラ取りがミイラ」
である。
問題は、一つだけではなく、いくつかの問題が絡んできているのであろうが、一番の問題としては、考えられることとして、
「やはり、人員不足」
というのが、問題であろう。
どうしても、人だけを集めようとして、本来なら、介護士失格ともいえるような適正の人間でも、雇わなければいけないくらいになっているのであれば、大きな問題である。 今は介護士だけではなく、ドライバーであったり、教師であったりと、専門的なことをする人間が、慢性的に減っているのだ。
「少子高齢化になれば、もっともっと深刻になるだろう」
といえる。
金銭的な部分ばかりがクローズアップされているが、それ以外のところで、いろいろ言われるようにこれからもなってくるだろう。
政府は、そういう教育を行おうともせず、安易に、
「外人どもが安いからやらせればいい」
と思っているのだろうが、教育もできていないどころか、日本をよくも知らない連中に、できるわけはないというものだ。
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