第5話 私鉄会社の裏側

 この話は、

「鳥と獣が戦争をしている」

 という前提から始まるのだが、

「鳥と獣が戦をしているところに、一匹のコウモリが通りかかり、まず、鳥のところを通りかかると、怪しまれるので、自分は、羽根が生えているから、鳥だといい、今度は獣のところを通りかかると、自分は、体毛が生えているので、獣だといって、逃げ回っていたのだ」

 ということである。

 そのうちに、鳥と獣の戦が終わり、平和になってくると、お互いに、その時のことを話すと、コウモリの話題が浮上してくるのだった。

 というのも、

「結局、どちらにもうまいことを言って逃げ回っていた」

 ということで、信用できないということになり、鳥からも獣からも憎まれることで孤立し、その結果、明るい時には、表に出てくることができず、

「昼間は、暗く陰湿な洞窟の中で生活をする」

 ということになり、

「ずっと洞窟の中にいることで、夜行性ということになり、しかも、長い年月で、目が退化してしまい、結局、盲目の状態で生きることになった」

 その話からの派生として、

「コウモリには、超音波を発して、その反射で、何があるか? ということを知ることができる」

 ということであった。

 コウモリのように、

「獣に向かっては自分は獣だといい、鳥に向かっては自分を鳥だといって、逃げ回っていた」

 というのが、

「卑怯なコウモリ」

 という話の筋だったのだ。

 これと同じように、コウモリのようにうまくいかず、ジレンマに陥るかのような、両方に対して最初から宙に浮いてしまった可哀そうな存在が、

「マナーを守って吸っている」

 という人たちではないだろうか?

 確かに、マナーを守っているといっても、実際に、それが正しいというわけではない。

 そんな立場に嫌気が差して、タバコを止めるという人も少なくないに違いない。

 タバコを吸う、吸わないは、、

「個人の自由」

 ということであるが、

 それゆえに、一部の不心得者がいることで、その自由すら奪われる。

 禁煙者にとっては、それでタバコをやめてくれる人が増えるのは有難いが、それだけではなく、つまり、

「問題は、喫煙問題だけではなく、他にも、マナーの問題。他人に迷惑を掛けるという問題は、後を絶えないだろう」

 それを考えると、

「たばこ問題に限らず、守らなければならないマナーを守らない連中がいる限り、憎悪と偏見はなくならない」

 といってもいいだろう。

 それを思うと、

「今は滅亡しようとしている、たばこ業界であるが、マナーを守っている人には悪いが、早く絶滅してくれるのが一番いい」

 ということになる。

 ただ、これも、

「依存症」

 なる問題が蔓延っているので、すぐにできるものではない。下手をすると、

「永遠になくならないもの」

 というものの、一つなのかも知れない。

 それを、中には、

「必要悪の一つだ」

 ということで、すでに確立しているものではないか?

 と思っているのだった。

 そんなタバコも、今はほとんど、

「瀕死の重傷」

 絶滅も時間の問題というところまで来ているので、すでに、たばこ産業の大きな工場はほとんど、今や閉鎖という状態になっている。

 タバコを止める人のほとんどは、

「肩身の狭さ」

 というところにあるだろうが、それだけではない、

 切実な問題として、

「価格の高騰」

 というものがある。

 ソーリが戦争をしている国に援助などをするので、財政がひっ迫し、日本の国は、

「ソーリのメンツのために、滅びようとしている」

 という状態になり、こちらも瀕死であった。

 それを考えると、

「価格の高騰のしょうがない」

 と言えるだろう、

「今から二十年前くらいが、今の半額だった」

 ということを考えれば、どれだけ高くなり、

「もう、吸えないよな」

 と思わせるに十分だった。

 何と言っても、

「昼のランチを食堂で食べるよりも、タバコ一箱の方が、よほど高い」

 ということなのだった。

 タバコが高くなったことで、余計にたばこ離れが激しくなる。

 ということは、

「作っても売れない」

 ということになり、どんどん、作る量が減ってくる。

 そうなると、なくならないまでも、自然に、なるのは、

「限りなくゼロに近い」

 という状況であろう。

 だから、最後のとどめを刺すのは、

「生産者側」

 ということであり、そういう意味では、本当になくなるかどうかは、微妙なところだといってもいいだろう。

 そういう意味での、

「元三公社」

 というのは、

「それぞれにいろいろあるのだろうが、民間に払い下げられても、よくなっているというわけではないだろう」

「ギリギリ、NTTだけが、その使命を担っているといってもいい」

 と言える。

「JRは、正直、ひどいものだ」

 といってもいいかも知れない。

「やっていることは、元国鉄と同じで、そのくせ、民間になったということで、そこから利益を追求しようというのだから、悪いところばかりが残った」

 といってもいいだろう。

 しかも、国鉄時代の赤字を解消できるわけもなく、結果、国が見放した鉄道会社を、さらにひどくしたということになるのではないだろうか?

 だからといって、私鉄がいいというわけでもない。

 今回の踏切事故を起こしたところは、さすがに、

「旧国鉄」

 に比べれば、

「なんぼかマシだ」

 というだけで、ほとんどロクな状態というわけではない。

 なぜなら、他の私鉄に関しては分からないが、この地域に、

「全国有数の、私鉄」

 と言われるものは、一社しかない。

 かつては、プロ野球球団も持っていたのだが、

「球団を手放す」

 という時代の流れに、うまく乗っかって、

「身売り」

 に成功していた。

 しかも、ここは、元々、県庁所在地に走っていた路面電車を廃止して、地下鉄を通すということで、その線路の土地を、自治体に、

「二束三文」

 という価格で、買い取ってもらったのだ。

 買い取ってもらったといっても、自治体からすれば、

「これほどありがたい」

 ということはない、

 それで、県も、県庁所在地の市は、その私鉄会社に対して、

「頭が上がらない」

 ということであった。

 その証拠に、昭和の頃から、

「このあたりを高架にする」

 ということを宣言していた。

 目的は、

「慢性的な朝や夕方の、踏切に引っかかることでの、交通渋滞の解消」

 ということだったのだ。

 しかし、そのためには、まず手掛けるのは、

「高架にするためには、駅の改良や、途中の線路沿いの家の、立ち退きが必須となる」

 ということである。

「高架工事をする場合であっても、鉄道を止めるわけにはいかない。普段の営業を行いながらの工事ということになるわけなので、高架工事をするには、近隣の家の立ち退きというのがどうしても必要となるのだ」

 ということである。

 それはもちろん、駅に関しても言えることで、駅を高架にすることで、近隣の立ち退きを一度行わなければいけなくなるのだ。

 そういう意味で、

「駅がきれいになったり、新しくなったりすると、今までに比べて、人がほとんどいない状態に見えるのは、気のせいだろうか?」

 ということが言われるようになるのだった。

 そんな高架計画が、実際にいわれ始めたのが、平成に入ってちょっとしてくらいからだった。

 ただ、この計画に関しては、それから10年くらい前から、ウワサとしてはあったのだ。

 しかし、実際には何も起こらないし、ニュースにもならないことで、

「なんだ、ただのデマか」

 と思っていると、忘れた頃に、鉄道会社が、

「高架計画」

 というものを、正式に発表することになるのだ。

「あれから10年以上も経っていて、いまさらかよ」

 と言われていたが、それでも、まだまだ交通渋滞が続いているので、

「やってくれるのはありがたい」

 ということを思っているうちに、どんどん、駅前の立ち退きが進んでいき、完全に、

「建物疎開」

 のような、歯抜け状態になっているのであった。

「これじゃあ、5年もしないうちに、高架計画は終わるだろう」

 と思っていたが、何の何の、

「5年経っても、何も変わっていない」

 駅を壊すわけでもなければ、高架工事が始まるというわけでもなく、資材すらまったく搬入されないではないか。

 今のままでは、

「これじゃあ、駅前がずっと汚いまま整備されない状態が続くじゃないか。あれだけあったお店が立ち退いてしまったので、客としても、不便でしょうがない」

 と思っていることだろう。

 駅も、何度も改装している。

 駅によっては、駅ビルのようなものを作っていて、そこを一度潰さないといけない状態のところもある。

「それを会社はどのように考えているんだろう?」

 と考えていたが、結局、どうなるものでもないという状態が続いたことで、別の状況が生まれてきた。

 というのも、元々の目的であった。

「交通渋滞をなくす」

 というのが、目的だっただろうが、時間が経つと、他のところにバイパスが先にできたりして、

「いまさら、駅前を通る必要がない」

 という状態になり、

「本当にいまさら。高架にしなくてもいいのではないか?」

 という声もちらほら聞こえるようになってきた。

 そうなると、今度は、状況が急変した。

 一気に工事の体制ができあがり、工事が進んでくる。立ち退いた後に、たくさんの資材が運び込まれ、早い段階で、高架計画ができあがるということになったのだ。

 この状況は、

「今まで私鉄側が、県や市に働きかけて、金を出させようとしたことで、ここまでズルズル引き延ばされたんだ、だけど、最初の目的が有名無実になってしまうと、やると言った私鉄側の威信と、自治体に対しての、力関係が揺らいでしまうので、それだけはできなかった。

 だから、

「金の問題よりも、名を取った」

 ということになるのだった。

 そんな会社だったのだが、最初の方は、

「何とか、県や市に出させよう」

 という駆け引きが大きかった。

 しかし、県も市町村も、

「基本的に、このお金は、県民の税金だ」

 ということが頭にあるからか、なかなか出そうとはしない。

 しかし、鉄道会社の方としても、

「利用するのは県民なんだから、彼らのために税金を使うことの何が悪い」

 ということをいうのだった

 確かにそうだろう。

 しかし、鉄道会社も、金があるくせに、それを出そうとしないのは、

「内部留保をすることで、社員の給料を抑えているのだから、その分で作ればいい」

 というだろう、

 ただ、内部留保に対しては、どちらの言い分もある。

 市町村からすれば、

「世界的なパンデミック」

 の時、

「企業は金をため込もうとすることで、社員の首切りをするんだから、何を正当性を訴えているというんだ」

 といいたいだろう。

 しかし、会社とすれば、

「内部留保があるから、会社が潰れずに済んでいる。つまり、会社が潰れないということは、一定の雇用をしているわけで、会社が潰れてしまうと、社員全員が、路頭に迷うことになる」

 というのだ。

 これも、理屈としては合っているといってもいいだろう。

 もっと言えば、

「昔からの日本の伝統」

 として、

「終身雇用」

 であったり、

「年功序列」

 という考え方があることが、内部留保の考えに繋がり、

「ひいては、社員を助けている」

 ということになるのだと言われると、自治体としても、何も言えなくなってしまうのだった。

 そういう意味で、民主主義という観点からの、

「多数決」

 というのと比較してみると、

「一人を助けるために、全員が路頭に迷うのか?」

 あるいは、

「一人の犠牲が、他の皆を救う」

 ということであれば、

「どちらが、民主主義だといえるか?」

 と言われれば、答えはおのずと、

「後者だ」

 ということになるだろう。

 ただ、民主主義という、いわゆる、

「自由競争」

 ということになると、裏に潜む

「利権」

 であったり、

「特権階級への忖度」

 ということになると、

「会社がどのように運営するか?」

 ということで、

「会社が生き残る」

 ということが、最終的な結論となるのではないだろうか?


 そんな私鉄なので、あまり評判はよくはないのだが、そんなことを口に出すことはない。

 何と言っても、

「県も、市も、私鉄会社には頭が上がらないのだ」

 昔の、路面電車跡地に件に関してもそうであるし、地元企業という意味では、どこも太刀打ちできるわけがない。独裁企業と言ってもいい。それだけに、事故があったり、何かがあっても、市町村がもみ消してくれるということもある。

 ただ、市民は、そんな詳しいことまでは、なかなか知らない。

 一部の人は知っているとしても、あくまでも、ウワサという程度で、ハッキリとした証拠があるわけではない。

 そこを探ろうなどということをすると、どうすることもできないというのが、本音というところであろうか。

 今回の事故で、亡くなった人の名前を聞いた時、大橋巡査は、

「えっ?」

 という言葉を口にした。

 その名前は、

「横山惟子」

 という人だという。

「大橋君は、この女性を知っているのかね?」

 と吉塚刑事から言われて、図らずとも、死体の検分を行うことになってしまった大橋巡査だったが、襲る襲る見てみると、

「なるほど、確かに、犬飼さんだ」

 ということであった。

 正直、心臓はバクバク言っている。こんな落ち着いて返事ができるほどのものではないはずだった。

 その証拠に、覗き込んでいるが、顔は半分、向こうに逸らしているではないか。こんな様子、

「お前だって、巡査とはいえ、立派な警察官じゃないか。仏さんには、敬意を表して、確認してあげないと」

 と言っているようだ。

 そんなことは大橋巡査も分かっているが、さすがに、轢死隊というのは、想像していたよりも、壮絶なもので、身体の部分、特に顔の部分は、

「あるべきところに顔の部分がなくなってしまっている」

 ということであった。

 それでも、顔を確認することはできた。明らかに。そこで横たわって死んでいるのは、自分が知っている、

「横山惟子」

 その人であった。

 顔をそむけたその時、大橋巡査は、思い出したように、

「確か、犬飼さんは、身体が悪くて、一人では出歩いてはいけないはずだったんだけど、一人だったということなんでしょうか?」

 と大橋刑事がいうと、横で聞いていた竹下巡査が、

「いやいや、一人だったよ、確かに言われてみれば、線路の方に向かって、彷徨っているかのように入っていったんだよな、泊めようと思って飛び出そうとしたんだけど、もう遅かったということでした」

 と説明をした。

 それを聞いて、吉塚刑事は、初動捜査に来ている捜査員に、

「おい、誰か、ここに他にいたかどうかということは確認できるか?」

 と言われたので、

「防犯カメラを確認してきましょう」

 といって、まずは、鉄道会社に、事件捜査の協力のため、鉄道会社の本部に赴き、防犯カメラの映像を借りてくるよう、出かけていった。

「防犯カメラ」

 というのは、今では、至る所にあるので、

「こういう時も、どこかにあるはずだ」

 ということで、

「すぐに誰かがいたかどうかが分かるだろう」

 ということで、そのあたりを気にすることは吉塚刑事には、なかったのだった。

 犯罪捜査というものを、いかに探ればいいのか、巡査でも、少しくらいは、立ち合っているので、まったく知らない、大橋巡査よりも、想定できる範囲だということになるのであろう。

 犬飼佐和子を探すのに、そんなに時間はかからないと思っていた警察だったが、意外とその存在が見つからない。

 犬飼佐和子は、民間の介護施設から派遣された人で、女性ではあったが。ベテラン介護士として、男性にも負けないだけの働きをしていたということだった。

 介護士施設でも、

「犬飼さんは、今までも、介護をしていた患者さんからも人気があったんですけどね」

 といっていたので、警察も、それ以上、捜査はしなかった。

 だが、行方不明になったという意識は、介護施設にはなかった。

「体調が悪いので休みます」

 という報告もちゃんと入れていたので、いまさら疑う余地もなかったということであった。

「今までにも、時々休まれることがあったんですか?」

 と聞いてみると、

「ええ、これは、彼女だけではなく、こういう仕事をしていると、体力的にも精神的にもきついですからね。定期的に休んでくれて、リフレッシュしてくれた方が、こちらもありがたいと思っているんですよ」

 ということであった。

 だから、介護施設で、彼女が普通に休暇を取っていると思っている以上、誰も何も感じないのだろう。

 同僚にも聞いてみたが、皆答えは似たり寄ったりで、悪口をいう人は一人もいなかったが、褒める人も誰もいない。

「それだけ、彼女は誰からも気にされていないということかな?」

 と思われた。

 そう思って、施設を見てみると、ほとんどのスタッフに表情がないのが見て取れた。

「これが、一つの職場なんだろうか?」

 と感じられた。

 もう少し活気があってもいい気がするのだが、様子だけを見ていると、

「ただ、仕事をしに来ているだけだ」

 という、味気無さのようなものが感じられたのだった。

 事務所のホワイトボードには、スタッフの行動予定が書かれていて、なるほど、犬飼佐和子の場合は、ちょうどあの事故の日から、横棒が引かれていたのだ。

「ん? ということは、その日、犬飼佐和子は、休みだったのかな?」

 と思った。

 それを事務長に聞いてみると、

「ええ、そうですね、あの日は、お休みのはずです」

 という。

「あの日?」

 という言葉に刑事は違和感を感じた、

 その日というのは、昨日のことだったはずだ。

 昨日は、防犯カメラ、あるいは、近所の聞き込みに忙しく、今日からは、被害者の人間関係と、介護施設の聞きこみを行っていたのだが、今のところ、

「事故なのか、事件なのか?」

 ということを決めかねているところであった。


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