第4話 理不尽な世界

 この時点では、事件か事故か分からず、とりあえず、どちらからも、捜査を行うことになった。

 もちろん、現場では隅々まで目撃者を探したり、当然のことながら、二人の警官の話も聞かれたりした。

 二人の警官は、見たまますべてを話したが、二人はそれぞれ見ていたものが違ったのも、無理もないことだった。

 運転手であった大橋巡査とすれば、ほとんどその状況を把握はしていなかった。逆に竹下巡査の方が、事件現場を見ていたので、主観、客観合わせて、いろいろ感じていたようだ。

「客観的な話をしないと、主観から入ってしまうと、先入観がすべてになってしまって、誤った目で見てしまうことになる」

 というのが、竹下巡査の見方であった。

 だから、

「冷静な目で見るには、客観的に見るしかない」

 という思いが強かったのだが、そう思うようになると、却って、その時には感じなかったことを感じていたのではないかと思い、それが、事実なのか、自分でも分からないとして、言おうか言うまいか悩んでいた。

 しかし、見た目での記憶であることは間違いないので、逆に、辻褄が合っていないようなことであれば、

「それはおかしいんじゃないか?」

 と刑事の方が分かるだろう。

 こちらも警官なので、どうしても、自分で見た以上の状況を、

「膨らませて見ている」

 ということも、考えられるということを理解しているのではないだろうか。

 今回、二人を尋問したのは、K警察刑事課の、吉塚啓二という人だった。

 大橋巡査は、初であったが、竹下巡査は、何度か会ったことがあったので、吉塚刑事のことは知っていた。

 竹下巡査が感じる吉塚刑事の印象は、

「実直なところがあり、生真面目な性格で、ただ、猪突猛進なところがある、性格的には竹を割ったようなところがあるが、その分、融通の利かないところがたまに傷」

 というところがあると感じていた。

 もちろん、

「勧善懲悪なところが強く、それが、どこか、大橋巡査とかぶって見えるところがあり、竹下巡査にとっては、吉塚刑事は、まだまだ若いところが、大橋巡査と似ていて、その勧善懲悪の強さが安心できるところでもあるが、怖いところでもあった」

 というのだ。

「下手に事件にのめりこみすぎて、自分を見失ってしまうと、下手に恨みを買ったり、相手の感情が分からなかったりと、自分のマイナス部分が大きく見えてくるのではないだろうか?」

 とも感じていた。

 今日は、今回の踏切事故は、時間的にも、電車をストップさせて捜査を行っていることで、

「今日中にダイヤの乱れが解消される」

 ということはないだろう。

 ここの線路は、JRではなく、全国でも私鉄大手としては、有名なところであった。

 それこそ、昭和の時代までは、

「プロ野球球団」

 などを持っていたが、昭和が終わり、平成に入ってからの、

「三公社」

 がそれぞれに、民営化をした時代に、大手企業の、

「業務見直し」

 というものが、どんどん起こってくるのであった。

 ちなみに三公社というと、まずは、

「国鉄」

 であった。

 鉄道は元々は私鉄であり、明治時代の途中で、国営化された。

 それから、政府に鉄道省のようなものができて、

「省電電車」

 などと呼ばれるようなものだったのだ。

 しかし、鉄道省がなくなると、

「国鉄」

 と言われるようになり、昭和が終わる頃まで続いた。

 国鉄というものは、

「慢性的な累積赤字」

 というものを抱えていた。

 今から思えば、実に考えられないような経営をしていた。

 例えば、

「社員全員に、フリーパス」

 なるものをあたえていて、

「このパスがあれば、どこにでもタダで乗れる」

 というもので、当時の国鉄職員は、自慢げに宝物だといって、人に見せびらかせていたものだ。

 竹下巡査も、友達の親が持っているというような話を聴いた、ギリギリの年齢だったかも知れない。

 しかし、だからといって、

「羨ましい」

 とは思ったが、逆に、

「それくらいのことは、働いてもらっているのだから、当たり前のことだ」

 と子供時代には思っていた。

 確かに、どこの会社でも、会社のものを購入すると、すべてというわけではないのだろうが、

「それくらいの、社員への還元は当たり前のことだ」

 と思っていた。

 確かに、自分の父親の会社でも、

「社員割引」

 というものがあった。それが当たり前だった時代だと思っていたのだ。

 そういう意味で、竹下少年が一つ感じたのが、

「医療費」

 というものであった。

 小学生の頃、父親が、風邪をひいて病院に行くことになったのだが、その時、竹下少年にも移っていて、

「一緒に診察してもらおう」

 ということで、父親に連れられて病院に来た。

 普段であれば、近くのかかりつけの小児科があったのだが、

「親と一緒に風邪を引いたのだから、一緒に見てもらえばいい」

 ということで、父親が連れてくることにした。

 父親も、自分も、

「ただの風邪」

 ということで事なKを得たのだったが、

 当時の病院は、今のように、調剤薬局が別れているというわけではなく、むしろ、病院の中に薬局があるのが当たり前だった。

 今の病院からは想像もできないことを、当時の病院は行っていた。

 そのほとんどが、衛生面に関してのことだったのだ。特に今の人から想像できないのは、

「注射器の使いまわし」

 ということであった。

 シリンダーやピストン、さらに、注射針まで、再利用をしているのが、当たり前のことだったのだ。

 だから、病院には、金属の四角いものがあり、今の人なら、

「これは何に使うものなのか?」

 ということは分からないだろう。

 竹下巡査よりももう、ほんの少し若い人くらいまでは見たことがあるだろう、そのものは、

「煮沸器」

 と呼ばれるもので、中には沸騰するくらいの熱湯が入っていて、そこには、

「見たこともないような大きなシリンダーや、注射針が入っていて、

「煮沸することで、再利用している」

 ということだったのだ。

「衛生面で、不潔だから」

 という理由で、それを今では再利用しない。

 ということだと思っている人が多いだろうが、もっとハッキリとした理由があった。

 それは、昭和の終わりことから、忽然と現れ、騒がれるようになった、

「エイズ」

 という病気であった。

 当時は、ある意味、

「不治の病」

 と呼ばれるようなもので、

「国民のほとんどは、その怖さに恐れおののいたもの」

 だったのだ。

 潜伏期間が、

「5年から10年」

 ということで、恐ろしいものだということも分かっていた。

 最初は、

「謎の病衣」

 ということで、いろいろなウワサが飛び交ったものだ。

 それが、デマだったのかどうなのか分からないが、子供心に気になったのが、

「ベトナム戦争時代に、米軍の手によってばらまかれたとされる兵器によるものではないか?」

 と言われていた。

 それは、

「枯れ葉剤」

 と呼ばれるもので、

「森や密林に潜む、ゲリラ部隊をせん滅させるためのもので、まるで、それは、敵に対しての、害獣駆除だ」

 といってもいいだろう。

 それの影響から、流行り出したというようなものであったが、

「戦争からの帰還兵」

 から流行したということを、実しやかに言われるようになっていたのだった。

 そして、エイズに対していろいろなことがあった。

「同性愛者に多い」

 あるいは、

「病院で観戦した」

 などというものである。

 エイズで職の頃に分かったこととして、

「体液によって感染する」

 ということであった。

 だから、最初は、

「性交渉で危ない」

 と言われていたので、性風俗などは、危ない」

 と言われていた。

 しかし、

「ゴムをつけていれば安心」

 ということであったり、それによって、

「正しい知識」

 というものが、次第に判明していった。

 今では、

「不治の病」

 と言われていた頃ほどのひどいものではなくなっているようで、ただ、

「潜伏期間が長い」

 ということが厄介であった。

「同性愛者に多い」

 というのも、理由も分かっていて、

「皮膚の粘膜が薄いところが破れて、そこから体液が体内に流れ込んでしまう」

 ということのせいだというのだ。

 皮膚が破ければ、なるほど、身体に入り込んで感染するのも分かるというものであったのだ。

 そんな時代もあり、当時は、

「人類にとっての危機」

 とまで言われ、

「ノストラダムスの大予言」

 というものの理由の一つになるのではないか?

 というようなことも言われるほどの衝撃的な流行だったのだ。

 そんなエイズには、

「薬害エイズ」

 というものがあり、

「輸血で感染した」

 というものや、

「誤って、注射針が刺さってしまったことで、感染した」

 という、

「院内感染」

 というものが多かったのだった。

 それを考えると、

「注射器の使いまわし」

 というものが、タブーとなったのも分かるというものだ。

 もちろん、衛生面からでもそうなのだ。

 昔であれば、

「使い捨てなど、まだまだ使えるのにもったいない」

 ということであった。

 そういう意味で、今は使い捨てだということで、注射器もそんなに大きなものは今はないだろう。

 昔であれば、子供が見ただけで、震えてくるほどの、大きな注射針だったものが、今ではそんなに大きなものを使っていない。

 それだけ、

「子供が怖がるということはなくなった」

 というものだ。

 だから、今の子供は、

「注射器は使い捨てだ」

 ということは分かっているので、

「煮沸器」

 などというもの、そして、その煮沸器から取り出す時に使っていたピンセットで掴みあげるところなど、見たことはないだろう。

 煮沸器のようなものとして、どこかで見るとすれば、そう、

「コンビニなどの冬の風物詩」

 として売られている。おでんを温めておくための、金属のケースくらいしかないのではないだろうか?

 そんな昭和末期であったが、

「三公社」

 として、もう一つは、

「電電公社」

 というものがあった。

 これは、今でいうところの、

「NTT」

 となるのだ。

 電信電話に関しては、完全に、電電公社は、

「独占企業」

 であった。

 国営企業として、民間の参入が許されないというもので、電話や、今では見なくなったものとしての、

「電報」

 というものがあった。

 電話局に連絡し、例えば緊急を要することなどを、電報として、相手に届けるというものであった。

 昔は、

「一家に一台」

 という形で、電話があったわけではない。

 したがって、電報というもので、相手に知らせるということが行われた。

 特に、家族が危篤であったりという場合もあれば、

「結婚の報告」

 であったり、

「出産が無事に終わった」

 というプライベートなイベント的な時に使われていた。

 いわゆる、

「祝電」

 というのがそういうものだ。

 よく、結婚式などでフリータイムの時、司会進行の人が、

「祝電を読み上げる」

 というのも、そういうことになるのだった。

 祝電というものを誰もが分かっているというわけはなく、本当に今の若い人たちは知らないかも知れない。

 ケイタイ電話が普及すれば、

「メール」

 というもので、知らせることができるし、スマホ時代になれば、本当に親しい人には、

「LINE」

 という機能があったりする。

 そんな、電報というのも、昔の。

「電電公社」

 は、

「独占」

 という形で行っていたのだ。

 電電公社が民営化され、それが、NTTとなり、同時に、

「独占企業」

 ではなくなったことで、

「第二電電」

 などという企業が生まれたり、次第に、固定電話が、携帯電話に取って代わられていく中で、電話などの機能が充実してくることで、いろいろな企業が電話業界に参入してくる。

 そういえば、

「一時期だけであったが、携帯電話に移行する前のブームとして、ポケベルというのが、一世を風靡した」

 と言われている。

「ポケベル」

 というのは、

「ポケットベル」

 の略であり、これを使えば、

「相手に意思を伝えられる」

 というものであった。

 要するに、

「数字の羅列を暗号のようなテンプレートがあり、それで相手に必要なことだけを伝えるというものだった。

 ただそれも、

「ケイタイ電話の普及」

 ということにより、一気にすたれていき、

「テレビドラマ」

 などというものも、結構できたりしていたのに、2,3年もブームとしてはもたなかったような気がした。

 最初は携帯電話も、

「ピッチ」

 と呼ばれるものもあり、

「簡単ではあるが、繋がる範囲が非常に少なく、電波状況によっては、まったく繋がらない」

 と言われていた。

 しかし、価格は安いので、

「会社が社員への連絡用」

 ということで契約し、社員に持たせているということが多かった時代があったりしたのだ。

 だが、次第に、次々新しい機種が出てきては、いいケイタイ電話というのが、普及してきた。

 スマホというものが出てくるまでは、携帯電話でも、メールだけではなく、ネットが見れたり、テレビが見れるものもあったくらいだったのだ。

 そんな中、もう一つの

「公社」

 と呼ばれるものの中でも、

「今はほとんど、存在価値がない」

 という意見も聞いたことがあるくらいのものである。

 こちらも、元々、

「国独占の企業」

 であり、しかも、民営化された中で、民間が参入することがなかった業種である、

 団体名としては、

「専売公社」

 と言われた業種で、今Dいう、

「日本たばこ産業」

 つまりは、

「JT」

 と呼ばれるものだった。

 扱っているのは、そのほとんどが、

「タバコ」

 であり、それ以外では、

「塩」

 である。

 タバコに関しては、他の企業が参入してくることはないだろう。

 というのも、ちょうど、このころから、

「喫煙者には、逆風」

 が吹き始めたのだ。

 というのも、

「タバコを吸っている人間よりも、まわりで煙を吸っている人間の方が、病気になる確率が高い」

 という、いわゆる。

「副流煙」

 という騒動が叫ばれるようになって、喫煙者の、

「肩身が狭い」

 状態に追い込まれたのだ。

 もっとも、それまでの喫煙者は、嫌煙者に対して横柄な態度を取っていて、社会問題になっても、我が物顔で、

「吸ってはいけないわけではない」

 ということを盾にして、吸い続けている。

「まるで、チンピラのような連中だ」

 といってもよかった。

 しかし、法律

「禁煙咳を作ったり、電車では禁煙車両を作ったりして、少しずつ、禁煙場所を増やしていった。

 あれから、三十と数年、

「やっとここまで来たか」

 というほどであった。

 最初は、四両の車両があれば、その最後部が、

「禁煙者」

 ということだったのだが、途中から逆になった。

「今までの喫煙車両が禁煙車両になり、最後部が喫煙者ということになったのだ」

 そして、そのころには、ホームの灰皿は撤去されタバコは吸えなくなったのだ。

 その頃から、会社やオフィスでも、

「喫煙場所」

 というものを設けて、

「そこ以外では吸ってはいけない」

 ということにしていた。

 そのおかげで、事務所の机でタバコは吸えなくなったのだ。

 それも考えてみれば当たり前のことで、

「パソコンが一人一台という状態になると、吸い殻がパソコンに落ちたりして、まずいことにならないか?」

 という懸念もあったからだろう。

 世間が次第に、

「禁煙ムード」

 となってくると、会社も、社会もきれいになってきたのは、いいことだった。

 しかし、喫煙者の一部のマナーの悪い連中は、結構いるというもので、その連中をいかに、黙らせるかということも問題だった。

 今の時代くらいになると、タバコを吸っている人はほとんどいなくなったので、威張ろうにも威張れない状態になっている。

 今の状態で威張ろうものなら、一瞬にして、

「世間から、葬れるレベルのマナーの悪さ:

 というレッテルを張られるに違いない。

 それを考えると、

「今の時代が、真の姿なのかも知れない」

 とかつてタバコを吸っていた人は思ってることだろう。

 ただ、

「一部のマナーの悪い連中」

 というのは、どうしても、一定数いるもので、

「今までよかったではないか?」

 と本来は、いけなかったということになっているものを、まるで、

「昔の栄光」

 というものを、

「忘れられない感情から、どうしようもない状況に自分を持って行くことで、結果、孤立する」

 ということを分かっていないのだ。

 というのも、

「マナーの悪い連中を一番嫌がっているのは、本当は、ちゃんとマナーを守って吸っている人たち」

 であった。

 本来であれば、それもまずいのかも知れないが、マナーをキチンと守っているのだから、しょうがない。

 しかし、

「一部のクソ野郎のせいで、ただでさえ肩身の狭い思いをしているのに、喫煙者はすべて、マナーが悪い」

 として、

「十把ひとからげ」

 ということにされてしまってはたまらない。

 というものであった。

 そんな、

「本来であれば、仲間であり、味方だと思える人にとっては、たまったものではないのだ」

 といえる。

 その感情は、イソップ寓話の中にあった、

「卑怯なコウモリ」

 という話に代表されるのではないだろうか?


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