第3話 踏切事故

 竹下巡査は、前ばかり見ているわけではなく。何の気なしに、踏切から、少し目を逸らし、線路の方に眼を向けていた。

 このあたりは、基本的にこの時間、日は全然高いところにあるので、

 「何かが起こる」

 などという時間帯でもなかった。

 しかし、線路の方を見ていたところで、急に背筋がピンと伸びたのだった。

 助手席でシートベルトを締めて乗っていると、次第に、身体が横着な座り方になるのも無理もないことで、扉を開ける時に使う取っ手のようなところに肘を置いて、そのまま、

「頬杖をついていた」

 のであった。

 上司がこんなところを見れば、注意されるくらいであろう。

 しかし、

「こうも毎日、何も変わらない毎日は疲れる」

 と思っていた。

 とはいえ、

「何か事件でも起きてほしい」

 などと思っているわけではない。

 そんなバカなことを思うほど、

「俺は情けないわけではないのだ」

 と、自分でも感じていた。

 その時、

「あっ」

 と思わず、竹下巡査が叫んだ。

「えっ」

 とそれを聞いて大橋巡査もビックリして、少し遅れる形で叫んだのだが、大橋巡査には、何が何だか分からなかった。

 普段から、あまり何にも感じることのない、言い方を変えると、

「もの動じしない」

 というタイプで、どっしりしているように見えた竹下巡査が、

「そんな奇声を上げるなんて」

 という感じの声を出したのだから、大橋巡査の驚きは、きっと反射的なものだったことだろう。

 その日も相変わらず、このあたりは静寂につつまれた場所で、聞こえてくるとすれば、遮断機の警報音くらいであろう。

 しかも、ここの警報音は、他のところと違って、少し甲高い音が聞こえている。それは、普通のかん高さではなく、その大きさから、

「今日は空気が乾燥しているんだな」

 と思わせるほどであった。

「空気の乾燥に合わせるかのように、まわりを見ていると、特に最近は、黄砂なのか、それとも、某国からの異様な空気なのか、全体的に、まわりの空気が黄色く見えてくるから、その分、身体のダルさが増してくるのだろう」

 と感じるのだった。

 今年の空気は特に、ひどいようで、特に最近は、某国から発生した、

「世界的なパンデミック」

 に始まっているので、少々のことでは、某国から何かがあっても、

「今までのように驚かなくなってしまった」

 といってもいいだろう。

 それだけ、感覚がマヒしてしまっているということになるのではないだろうか?

 そんな空気を、何も考えずに、ボーっと、当たりを見渡していた竹下巡査だったが、

「何も、警察官としての任務としてあたりを見渡していたわけではない」

 と思いながら眺めていると、却って、普段気づかない違和感を感じていたのだ。

「何か嫌な予感めいたものがある」

 と感じた。

 それがどこからくるものなのか、竹下巡査にも分からなかったが、一緒にいた大橋巡査は、竹下巡査が、

「普段と違っている」

 ということは分かっているつもりだった。

「竹下巡査はどうしちゃったんだろう?」

 と、こんな様子を見るのが初めてであれば、気にかかるのだろうが、普段から時々違和感のようなものを感じているということに気付いていただけに、大橋巡査も、

「いつものことか」

 と思っていただけに、余計に、竹下巡査の

「奇声」

 というものには驚かされたのだった。

「違和感を感じる」

 ということが分かっていて、その人が奇声をあげたのだから、何か本当にまずいものを見つけたということを感じたのだった。

 それは間違いのないことで、次の瞬間の、竹下巡査の表情は、

「これまでに見たことがないほどの驚愕さ」

 だと感じたのだった。

「どうしたんですか?」

 と、大橋巡査が声を掛けると、竹下巡査は、震えながら、踏切から少し入った線路の方を指さしていた。

 その手は明らかに震えていて、

「大丈夫ですか?」

 と声を掛け、その指の先を見詰めていると、今度は、大橋巡査の方が、

「あっ」

 といって、ビックリする番だった。

「急いで助けないと」

 と、大橋巡査が、シートベルトを離すやいなや、今にもパトカーから飛び出しそうになっている。

 さすがに、若いからなのか、それとも、彼の運土神経が抜群だからなのか、その行動に一切の無駄はなかった。

 しかし、悲しいかな。

「もう間に合わない」

 ということは、誰の目から見ても明らかだった。

 もちろん、急いで車を飛び出した大橋巡査が一番分かっていることだろう。

 しかし、

「そうしなければ気が済まない」

 ということなのか、彼の中にある、

「勧善懲悪」

 のような、正義感なのか、分からないが、車を飛び出した瞬間、

「もうダメだ」

 ということが完全に分かったのだろう。

 大橋巡査は行動をやえたのだった。

 その根拠となるものが、こちらからは、踏切横に建っているマンションでその姿は見えないが、迫ってきているであろう電車の警笛が鳴り響いたからである。

 それは、遮断機の警報音など簡単に蹴散らせるほどで、明らかに、電車は近づいてきていた。

 そして、目視したところで、線路上にある何かに驚き、警笛を鳴らしたのだろう。

 もちろん、そこで急ブレーキをかけたのは間違いのないことで、

「キー」

 という耳を塞ぎたくなるような嫌な音が響いたのだが、時すでに遅しということか、列車は、その侵入している、

「障害物」

 を、

「轢いてしまったのだった」

 その瞬間、恐ろしい静寂の時間が流れた。

 一瞬だったはずなのに、

「いつまでも、この静寂が続きそうに感じる」

 というほどの状態は、当たりの空気を金縛りの状態にしているかのようだった。

 実際に、少しの間誰も車から出てこようとはしない。そもそも、何とかしようとパトカーを飛び出し、途中であきらめた大橋巡査も、凍り付いたように、身動き一つできなかったのだ。

「あたりの空気が凍り付いたようだ」

 という状態になり、

「誰もが動けなくなる」

 ということを聞いたことがあったが、まさに今日、この時が、そういう時だったのである。

 凍り付いた空気は、熱くも冷たくもあるだろう。

 暑い時期には、熱風として風が吹いてくるようで、寒い時期には、冷たさの風が吹いてくる。

 余談であるが、

「暑い」

 という体感に対し、

「熱い」

 という状況の言葉があるように、

「寒い」

 という体感には、

「冷たい」

 という状況をあらわす言葉がある。

 つまり、体感には、状況をあらわす言葉として、それぞれに存在しているということだろう。

 当たり前のことではあるのだろうが。改めて感じるのは、きっと、今回のような、

「時間が凍り付いたような世界」

 というものを感じた時だといってもいいだろう。

 そんな状況に陥ったのを見た時、

「これが、空気が固まった」

 あるいは、

「時間が固まった」

 という時を、自分で味わっているということなのだろう。

 そんな状態を感じていると、問題は、

「最初に誰が動くか?」

 ということである。

 当然、警察が動くのは当たり前であるが、もし、ここに警察がいなかったとすれば、そして、

「もし自分が、この場に居合わせたとすれば」

 と思うと、自分から率先して動くことができるだろうか?

 ということを、こういう場面に居合わせた時に感じるものなのだろう。

「俺が、一般市民だったら、しないだろうな」

 と、最初に感じるのは、やはり大橋だろう。

 彼はそれだけまだ経験もなく、若いということだ。

 それは、警官としての経験でもあるし、実際に犯罪や事故が起こったとしても、その時に通報から、初動捜査として、出かけていくことはあっても、実際に捜査をするわけではない。その場において、立ち入り禁止のロープの前に立って、

「人が入ってこないようにしたり」

 あるいは、

「交通整理などをしたり」

 ということを行うだけの、ただの雑用係でしかなかった。

 それは、

「巡査である以上、これ以上のことはない」

 ということになるのであった。

 ただ、この時は、事故の遭遇者として、自分たちも立ち合いということになる。

 正直、大橋巡査は、

「何をどうしていいか分からない」

 というのが本音だった。

 通報があって、初めて出動ということだったので、そこから先の作業に関しては、大体身体で覚えてきたが、自分が、目撃者や発見者になった時の対処方法は、今までにあるわけもないし、

「警察学校で教えてもらえることもなかった」

 ということになるのだった。

 竹下巡査の場合も、実際に、自分が発見者になるなどということは実際になかったし、事故の場面を目の当たりにするなどというのも初めてだった。

「こんなにひどいんだ」

 と心の中で感じていたが、このような衝撃的な場面に出くわすと、

「警官でありながら、どこか他人事だと思ってしまうことに、嫌悪感を感じていた」

 と思っている。

 もちろん、

「他人事だ」

 と思う方が、

「捜査に私情を挟まない」

 という意味の、

「私情」

 というのが、自分の人間としての感情だと思うと、

「ここでは、ある意味。非情にならなければいけない場面なのかも知れないな」

 と感じるのだった。

 それを考えると、

「捜査というのは、一体、普段から何を考えていないといけないか?」

 ということを自分が思っていることに不思議な感じがした。

 刑事が、実に事務的に捜査をしているのを見て、

「何か、人間としての感情が感じられない」

 と思ったこともあったが、それも、

「冷静にならないと、やってられない」

 ということなのだと思うようになって、初めて刑事という人たちと、自分たち警官が、

「同じ目的に対して、仕事をしているんだ」

 ということに気付くようになったのだ。

「事故にしても、事件にしても、その内容の大小にかかわらず、何を目指すのかということがお互いに分かっていないと、実につらいだけの仕事になってしまう」

 というものである。

「勧善懲悪」

 というものが刑事に残っているかどうなのか、竹下巡査には、よく分からなかった。

 轟音は、一瞬したような気がした。

 しかし、その音も、正直、かき消された気がしたのだが、それはきっと、

「乾いた線路の、キーという軋むような音が、耳に残っていることから、轟音が、かき消されたのではないか?」

 と思うのだった。

 その轟音が響く中ではあったが、その後に訪れた、耳鳴りがしてきそうな、まるで、

「真空の空間」

 ができたかのような雰囲気に、耳の奥がマヒした気がしたのだ。

 耳がマヒした気がするからなのか、時間まで真空状態となってしまい、その先を見ていると、何も見えない状態を、

「空気が黄色く見える」

 と感じた時、

 その時以降、

「必ず、どこかの感覚がマヒしてしまったような気がする」

 ということであった。

 特に、耳の感覚がマヒしてくるように感じるのは、その音が、

「まるでブラックホールのような気がするからだ」

 と思うからであって、そのブラックホールというのが、聞こえない空間の中で、

「時間までもが吸い取られてしまっている」

 と感じるのだった。

 そういえば、

「相対性理論」

 という考え方の中で、

「光速で進んでいると、時間がゆっくりになる」

 というのをご存じであろうか?

 昔あった、SF映画の中の、最初のところで、

「宇宙空間を数年光速の状態でいたわけだから、普通なら、数百年の時間が経っている」

 ということで、辿り着いた惑星が、度の星か分からないが、

「数百年先の、この星の文明だ」

 ということで理解していれば、

「実はそこは、数百年後の地球だった」

 というオチの栄華があったではないか。

「時間という概念に、速度が絡むことでそうなるのだが、逆に、速度に温度が絡むということもある」

 これは、光速で飛んだ場合の発想であったが、

「その中は凍り付いてしまう」

 ということで、これが

「一種の冷凍保存」

 という形で、

「凍り付いた世界は、光速で動いたことで発生する」

 と考えれば、

「時間が凍り付いた」

 と考えれば、光速で、時間の進みが遅いというのは、

「こういう解釈で解決できるのではないか?」

 と考えられる。

 これはあくまでも、突飛な考えであるが、

「相対性理論というものであっても、それが本当に正解なのか、どうなのか? 誰も証明した人はいない」

 ということではないか。

 証明はできても、その証明に対しての回答がなければ、難しい。どこまでが、その正解だと捉えるかということも、誰が判断するのかと思うと、

「誰が正解なのか?」

 と考えることで、

「理論を考える人」

 そして、

「それを解決できる人」

 その繰り返しが、

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 という理論に結びつき、

「果てしなく繰り返されることになる」

 と言えるのではないだろうか?

 凍り付いた時間、さらに、静寂を破ったのは、パトカーと救急車のサイレンだった。

 誰が、呼んだのか、警官の目の前で起こったことなのに、警官二人ともに、連絡どころか、現場の生理もできていなかったのは、

「落ち度」

 だといってもいいだろう。

 まだ若い大橋巡査であれば、

「しょうがない」

 という、情状酌量もあるだろうが、先輩として、しかも、警官歴としては、十年以上が軽く経っている竹下巡査には、言い訳は通用しないといってもいいだろう。

 そんな状態において、さすがに、

「空気が凍り付いて、何もできませんでした」

 などと言えるわけがない。

「空気が凍り付いた? 何寝ぼけてるんだ」

 と言われて終いである。

 そんな状態において、たぶん、車が踏切で立ち往生している人が、スマホを使って知らせたのだろう。

 もちろん、

「正義感から」

 というのもあるだろうが、もっと実質的に、

「このまま何も進まなければ、自分たちは何もできない」

 ということからきたに違いない。

 その手配がよかったのか、警察がやってきて、事情聴取などを始めると、やっと二人の巡査も、我に返って、報告に行った。

「お前たちがいて、何をしていたんだ」

 と、上司から大目玉を食らったが、それは、

「自分たちが悪いんだ」

 ということが分かっているので、もちろん、言い訳などできるはずもなかった。

「君たちは、聞き込みをしてくれ」

 ということで、初動班の刑事と一緒に聞き込みに回っていた。

「まさか、人間だと思わなかったので。ビックリです」

 というので。刑事が、

「あn人が一人で踏切に入っていったんですか?:

 と聞かれたので、聴かれた人が、

「いやぁ、正直見ていませんでした」

 というので、そこで、竹下巡査の出番だった。

「はい、あの人は、一人でスルスルと踏切の方に向かっているようでした。老人が、間違って入り込んだという感じでした」

 というので、刑事は、

「おかしいな、被害者はそんなに年には見えないんだが」

 と言いながら、被害者の方を振り返った。

 様子を見ていると、救急車の方に、誰も被害者を載せようとはしていない。それを見ると、

「ああ、即死だったんだ」

 と状況から考えても、

「助かっているわけはない」

 と思える。

「ああ、助からなかったんですね?」

 と竹下巡査が聞くと、

「ああ、即死のようだな」

 と刑事が答えた。

 竹下巡査はそれを聞いた時、

「苦しみながらの死ということではないんだから、ある意味、まだよかったのかも知れないな」

 と思った。

 ただ気になったのが、フラフラと踏切に入っていったのを見た時、一瞬、

「自殺ではないか?」

 と思ったが、いきなりフラフラ線路に入るというのは、やはり、そこかおかしな雰囲気ではないだろうか?

 まさか、酒に酔っていたという印象はないし、白い服装は、ワンピースのようだったので、

「女性ではないか?」

 と感じた。

「踏切に向かって、一人でフラフラ歩いていた」

 ということなのだろうか?

 真昼間から、女性が酒に酔って、フラフラ歩いているというのもおかしい。もし、そんな様子が見えたのであれば、大橋も竹下の、両巡査のどちらも気付かなかったというのであれば、それは問題である。

 そもそも、もし他に気付いた人がいれば、こちらに、

「おまわりさん」

 と大きな声を掛けるくらいがあっても不思議はない。

 ただ、一つ言えば、もし。大きな声を出して、本来救わなければいけない相手を脅かしてしまい、逃げようとする一心から、踏切に飛び込むということだってないとは限らない。

 それはまるで、ネコが人に驚いて、道に飛び出して。急に車が走ってきたのをよけきれず、轢かれてしまったようなものではないか。

 この場合は、運転手からすれば、

「いきなりネコが解ひだしてきた」

 ということになるだろう。

 いくら相手が猫だからと言え、

「轢いてもかまわない」

 などと思う人はいないだろう。

 車が傷つくかも知れないし、汚れるくらいはあるかも知れない。

 しかも、そのまま車で撥ねてしまうと、車が安定感を失い、対向車に突っ込んでしまったり、もっとひどい時には横転してしまい、車数台を巻き込む大事故になりかねないし、そうなってしまうと、数人の犠牲はが出るという大惨事になりかねないだろう。

「猫が飛び出してくる」

 というのは、そういう大事故を引き起こす場合も十分に秘めているわけであり、どうしようもなくなってしまうだろう。

 そういう意味でも、道路や交差点において、車などの凶器となりえるものが近くにある場合は、うまくやらないと、大惨事を引き起こしてしまいかねない。

 それを考えると、

「事故につながりそうな大きな声は、よほどの場合ではないと出してはいけない」

 ということになる。

 この時も、何やら耳鳴りのようなものを、竹下巡査は感じていたので、踏切に入ろうとするところまでは気づかなかったが、踏切に入ってしまうと、その先が想像できただけに、本当は助けに入らなければいけない状況であったが、正直。

「もうどうにもならない」

 と思ってしまったことで、まわりを意識する暇すらなかった。

 確かに、見た瞬間は、完全に空気が凍り付いてしまったようで、一瞬。

「この間にどうにかできる」

 と思ったのだが、それは、まるで子供の発想で、

「もし、本当に時間が凍り付いてしまったのであれば、その凍り付いた状況は自分だって同じではないか?」

 ということが分かるはずである。

 いかに自分が、

「都合よく考えているのか?」

 ということが分かっているかのようであり、その様子を思わず、気にしていないかのようであった。

 そうなると、後は他力本願であるが、他力本願しようにも、まわりの空気が凍ってしまっていた。

 誰も助けることのできない状況で、頭の中では、

「この状況が、どこまで続いているのだろうか?」

 という、その時は関係のない発想をしたのだったが、よくよく考えてみると、

「電車が来ることさえ止められれば、何とかなるのでは?」

 とも思った。

 下手に、線路に入った人を助けようものなら、自分もろとも、一緒に轢かれてしまうことになり、二人とも死んでしまうというのは、実にうまく行かないということになってしまうのだった。


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