第4話
チョウ・ランホアが引退に向けて動く初日は、ラジオの収録である。
これは、事件の前から決まっていた仕事なのだが、事件のドタバタで延期になっていた仕事だ。
有名な芸人のその番組のゲストとして出演し、新曲の紹介と雑談を楽しむ流れらしい。
「ラジオ局の方で、通訳が用意されているらしくて、時代は変わったなと思った次第です」
「そうだな。多少は、歩み寄ったのかな?」
言葉の壁が、昔と比べてかなり薄くなっているのは、いい傾向だ。
だからと言って、一つの国の言葉にこだわるのが、悪いという事もない。
その辺りも、多様性になってくれれば、住みやすい国になるのにと思う。
「うーん。しかし、この国は小さいですからね。住みやすいからと言って、押し寄せられても……」
「そうですね。長閑さが、無くなるのは悲しいです」
中々に、難しい問題だ。
一住民が三人寄って話し合っても、こういう問題は解決しないのだが、目的の場所につく道すがらが、暇なのだ。
絞り出てしまった話題が、難しかっただけなのだから、その難しさも込みで楽しみながら、目的地に無事到着した。
ラジオやテレビの放送局が入ったビルのフロントを抜けた時、三人に大股に歩み寄った人物がいた。
「やっぱり、あなただったのね。さっき視界に入ったと思ったのよ」
前に立ったロンは、疲れた顔つきでセイを見下ろした。
「ミヤちゃんだけならまだしも、あなたまで……学校は、どうしたのよ?」
「ちゃんと建ってるよ。心配しなくても」
素で返した高校生に、目の前の大男はがっくりと肩を落とし、顔を両手で覆った。
「学校の心配なんて、してないんだけど……」
「あ、すまない。間違えた。ここの様子を確認して、状況次第で遅刻していくつもりだったんだ。ロン? あんたこそ、何で家に戻っていないんだ? 話し合ったんなら、充分だろ?」
「昨夜の内に、埒が明かなかったから、残るしかないじゃないのよっ」
素の返しにもダメージを受けるロンに驚き、間違いに気づいたセイは謝り、すぐに答えたのだが、大男の疲れは限界に達していたらしい。
これも、大概珍しい。
ゼツが首を傾げつつ、控えめに声をかけた。
「大丈夫ですか? 少し休んだ方が……」
「ゼツちゃん、何であなたまでいるのよ」
血走った眼で睨む大男に、それより大きな男は珍しいと驚きつつも答えた。
「気になることが出来まして。この人を、一人来させるのもどうかと思いましたし、丁度非番でしたので……あの、ミヤとその、娘さんとの間で、何かトラブルがあったんですか?」
まだ顔を合わせていない娘の名を呼ぶのも躊躇われ、曖昧な問いを投げたゼツに、ロンは溜息を吐いた。
「……どこまで、知っているの?」
「事件の概要と、関係者の事情位なら、聞いてきた」
刑事の大男に答えたのは、無感情の若者だ。
「後は、あんたとミヤが、どういう結論で動いているのかを知りたい」
「ちゃんと、あなたの事情も話してくれるんでしょうね?」
「ああ。話せるところまでは」
その話せるところまで、というのが曲者だ。
だが、ロンはその言葉尻を気にする余裕がないほど、調子が良くないようだ。
話が長くなると言うロンに促されるままに、三人はビルの奥の喫茶ルームへと歩き出した。
紙コップ飲料の自販機と、缶飲料の自販機がある小さな喫茶ルームに入り、座った面々に飲料を配り終え、恐縮して頭を下げる信之の隣に腰を下ろす。
湯気の立つ無糖のコーヒーの匂いを吸い込みながら、ロンが昨日の出来事を話し出した。
雅を嫌いだと言い、遠ざけようとする少女と、逆にそれで火がついて食いつこうとする女との攻防は、二十時まで続いた。
「……時間切れが来ちゃったから、ミヤちゃんは仕方なく帰宅しただけよ。今日も、朝からちょっと攻防があったけど、それもまあ、仕事の時間が来たから中断しただけ」
雅が辞し、ランホアも部屋に戻った後は、社長である安藤克実の尋問のやり直しが行われた。
「……あの子の伯父と言うだけあって、頑固だわ。全、然、事情を話してくれないのよっ。結構凄んでみたのにっ」
ロンの勘は、二人とも件の通り魔の目的を、知っていると言っている。
知っていて、何かを企んでいるのだと、そう分かるのに、それを裏付ける言質を取れない。
これでは、警察側としても、護衛を付ける許可を得にくい。
いや、出来ないわけではないが、何かあった時に備えて、世間にこういう事情で動いていますと、説明できる話が欲しかった。
「許可云々ではなく、暇な子をあてがって様子を見ると言う手もあるけど、ミヤちゃんはあなたのお守りで忙しいでしょ?」
「別に、いなくてもやることは一緒だけどな」
「お勉強しに行ってるのに、そんなに軽く言えるなんて、流石はセイちゃんね」
無感情に答えた高校生に、ロンは軽く返してから、ようやく紙コップに口を付ける。
そして、今気になっている事を尋ねた。
「で? どうして、あなたまで、こんなところまで来ちゃったの? 分かるように説明して頂戴」
「じゃんけんに、負けたんだよ」
無感情ながら考え込んでいたセイは、つい軽く答えてしまった。
隣の信之が、缶飲料の中で空気を噴出している音を聞き、我に返る。
向かいに座るロンが、隣で咳払いしているゼツを一瞥してから溜息を吐き、ゆっくりと笑顔を浮かべた。
ようやく見せる、いつも通りの人を食ったような恐ろしい笑顔だ。
「セーちゃん?」
「……はい」
「起きてるわよね? あたしは、分かるように説明してって、言ったわよね? 簡単にとは、言ってないわよね?」
「はい。御免なさい」
ただ座っているだけなのに、調子が最悪なせいか、向かいまで半端ない迫力は襲ってくる。
しまったと思いつつ、素直に謝ったセイは、真面目に説明した。
「うちの担任の教師に、ミヤの調子が悪そうだから様子を見て来て、もし私の目から見ても不味そうだったら、仕事を代わってやってくれと言われたんだ」
「あらあら……」
軽く相槌を打ちながらも、ロンは苦い顔だ。
「調子が悪いって、それはないでしょう。機嫌が悪いの間違いよ」
「そう私も思ってたんだ。最近、エンと休みが合わないんだよ。だから、イライラしてるんだ。それを呪いやら薬やらで何とか和らげようとして、失敗してるんだとばかり思っていたんだ」
「違うの?」
身近で見ているセイがそう思ったのならば、そうなのだろうにと首を傾げるロンに頷いた高校生は、重々しく告げた。
「あいつ、妊娠してるらしい」
全員の動きが、止まった。
そう言えばあの人、女の人だな。
天井を仰いでいるゼツが、そう現実逃避している横で、我に返ったロンが笑いながら返した。
「いやだ、そんなはずはないわよ。大体、相手とも会えていないのに、一体誰とそんな……」
「私らしい」
無感情な答えは、まだ先の衝撃から立ち直っていない男二人だけではなく、一度立ち直った大男すら呆然とさせた。
「……え?」
それしか返せないロンに、セイは無感情に言い切った。
「だから、私の子供である可能性が、高いらしい」
その場の者の呼吸が、止まった。
心拍だけが響いているような気がする空間で、矢張りロンが一足早く立ち直り、意を決して尋ねる。
「あなた、この二月ほどの間に、ミヤちゃんに押し倒された記憶が、あるのねっ?」
セイに逆の問いかけは、皆無だ。
自分たちがいた組織は、自他とも認める甲斐性なしの集団だったが、その三代目のセイは飛びぬけていたのだ。
だが、セイを弟分として扱っている雅が、そんな真似をするとも思えず、声を裏返らせてしまった男の問いに、高校生は重々しく頷いた。
「う、嘘」
ここで再び全員が思考停止になったが、無感情な声がしみじみと続けた。
「まさか、あんなことで簡単に出来るとは、思わなかったんだ」
何故か、その内側にその場にいる男たちへの尊敬の色があると気づいたのは、その後だ。
「あんたたちは器用だな。ああいう状況で、避妊なんてできるんだから。この際、教えて欲しいんだ。どうすれば、そんな器用なまねができるのか。いつまた、格技室に連れていかれるか、分からないから」
格技室とは、学園の格闘技関係を行う教室の略だ。
そう思い当たった信之が、我に返った。
「格技室、ですか?」
「ああ」
「あの、柔道部と剣道部が使っている?」
「ああ」
あつらえ向きに、畳が敷き詰められた建物だ。
だが……。
「押し倒されてるんですか? 投げ倒されるんではなく?」
「投げ倒されるより、引き倒される方が多い、かな?」
「……」
「投げ倒す方が、気持ちよさそうだけど、中々それも、技量と体力がいるらしくて、私を投げるときにも勢いがいるらしい。剣道も担任と試していたけど、柔道の方が自分に合うって言って、体育の教科書で技を見て、試してる」
意外に楽しそうだったので、このまま投げ飛ばされることを容認しておこうかと思っていたのだが、それだと、卒業までに何人の子供が出来るか、分かったものじゃない。
そんな危機感を、漠然と感じていると思われるセイに、ロンは一度深々と溜息をもらして安堵した。
先程の衝撃の時間を返して欲しい気もするが、それは安堵によって帳消しだ。
「格闘家も、そういう器用なことができるんだろう? 私にもできるかな?」
「ええ。出来るわよ。でも、そうね。今じゃなく、年末年始に、教えてあげるわ」
その頃には、流石に学ぶだろうとの予想でそう答えると、セイは首を傾げた。
「そんなに後だと、不味いだろ? またポコポコ出来てしまったら、いくらミヤでも、大変だ」
「大丈夫よ。あの子、どちらかというと人間寄りじゃない? 猫でもまあ、身籠った子にその後のお相手の血が混ざるだけだから、同じと言えば同じだけど、一度身籠ったらそれ以降、生まれるまでは出来ないわ」
「そうか……どのくらいで、出てくるだろう? 人間と同じなら、一年近くかかるだろ?」
素直な問いに、ロンは笑顔になった。
衝撃が激しすぎて、先の疲れが吹き飛んだため、ようやく自然にいつもの笑顔が出た。
「どうかしら。出てこないかも、しれないわねえ」
言いながら、再度安堵した男は、隣で秘かに安堵している大男を見た。
「で、あなたの気になることというのも、ミヤちゃんのお腹の子供の事?」
先の反応で、違うと分かっているはずの問いに、ゼツは慌てて首を振った。
「いいえ。それは、初耳でした。オレが気になったのは、ランホアと言う女児の方で……」
「あら。あなたもまさか、エンちゃんの隠し子派?」
「は?」
揶揄い交じりの問いに、つい間抜けに返す大男に、ロンは首を傾げた。
「違うの? いえね、この子についてきてくれるのは嬉しいけど、あんな小さな子を気にして、というのは珍しくない? あなた、子供は苦手でしょう?」
日本人でなくとも慄きそうになる容姿と大きな体のせいで、子供の方が怖がるため、病院でも小児科から遠い病棟を担当しているのを知る、親代わりだった男に、ゼツは言い訳する。
「あくまでも少し、です。事件の被害者が、分院の方に入院しているので、それもあって気になっただけです」
「そう。安藤和実さんの奥様ね。一応、峠は越えたとは聞いたわ。その後の話はまだ分からないけど……」
「……」
ロンが頷いてそう軽く報告すると、子供の頃から知る大男が、素直に不思議そうにこちらを見つめていた。
「何?」
「いえ……」
戸惑ったように首を振り、向かいのセイへと目を向ける。
それにつられてそちらを見ると、信之も目を丸くして自分を見ていた。
「……?」
「……これは、不味いな」
高校生の呟きを、隣の中肉中背の刑事は静かに受けた。
「……話は、通しておきます」
「頼む」
短く返したセイの言葉を受け、信之は軽く頭を下げて席を立った。
そのまま携帯機器を手に外へと向かうのを見送って、戸惑っているロンを見る。
「あんたはこのまま家に帰って、一眠りしてきた方がいい。上司には、高野さんが話を通してくれる」
真剣味を帯びた声音にさらに戸惑う男に、ゼツも真面目に言う。
「あなたは相当調子が悪いようです。本当ならば、病院へ行くことも勧めたい気分ですが、まだその段階ではないようなので、まずは、休養の方を……」
「ち、ちょっと。あたしを病気扱いしないでよ。一体、どういうつもりで……」
言いかけた言葉は途切れた。
話していた二人が、別方向へと興味を移したのに気づいたのだ。
そちらを見ると、丁度収録を終えた少女と雅が、ほぼ並んで歩いて出口へと向かっているのが見えた。
手早く飲み終えた印象の空の器を集め、ゴミ箱へと落としたセイは、そのままそちらへと歩き出した。
慌てて立ち上がり、他の二人も後を追う。
三人が近づいてくるのに気づいたのは、少女の方だった。
一瞥だけそちらを見ただけなのに、見てはならない物を見たかのように、ぎょっとして立ち止まり、再びそちらを見る。
「どうした?」
突然立ち止ったランホアに驚き顔を覗くと、その顔は珍しいほどに引きつっていた。
戸惑って少女がいる方向を見た雅も、近づくセイを見て目を見開いた。
「? セイ? 何で、君がいるんだ? 学園に行ってる時間だろう?」
「あんたもな」
「……」
「あんたの調子が悪そうだと、望月先生が心配してた。バイトの依頼をしたことも、後悔しているそうだ」
こちらへの不信をそっくりと返したセイは、困ったように頭をかく雅から、自分よりもはるかに小さい少女に目線を落とす。
顔を引きつらせて立ち尽くしていたランホアが、その目を受けて呟くように問う。
「何で……」
「話は聞いていたし、あれだけの人材が揃っているのなら、問題ないと思ってたから、今まで気にしていなかったけど、もうそうはいかなさそうだと思って」
「だからって、何も……」
消えそうな声で言いかける少女に、その心境を察した高校生は神妙に頷く。
「私も、出張る必要ないんじゃないかとは思っていたんだよ、さっきまでは。だから、近くで話題の歌手とやらを拝んだら、遅刻してでも通学する予定だったんだ」
前者で出動の言い訳をしたセイは、無感情のまままじまじとランホアを見つめた。
居心地悪い思いをしている少女に、その表情のまま言い切る。
「可愛いじゃないか」
ひきつったままの少女の肩が、大きく跳ねる。
「これで十歳だったのか。思ったよりも小さいうえに、面影もあって可愛いな」
「……っ」
無感情に感想を述べるセイの前で、目を剝いてしまったランホアの肩は、羞恥よりも怒りのために震えているようだ。
そんな少女の気持ちなど無視して、セイはそのまま隣に立つゼツを見上げた。
この中でも一番の長身と体格を誇る男は、無言で窓の外を見ていた。
今は晴れているが、これから大雨でも降るのかと、秘かに心配しているゼツに、高校生は無感情に尋ねた。
「これなら、私が十歳の時より小さくないか?」
「いえ。同じくらいです。あなたの場合は、下駄の作用もありましたから」
「同じくらい、そうか。つまり……」
そんな場合ではない。
だが、セイはつい笑わずにはいられなかった。
そしてその笑いを見た周囲は、場を考えずに見惚れずにはいられなかった。
「私を揶揄えるほど、大きくはなかったわけだ。へえ……」
本当に滅多に見られない、揶揄い交じりの笑顔だ。
「……カメラを使えないのが、これほど悔しい瞬間、あったかな……」
機械音痴の雅が、全ての感情を上回る悔しさをそのまま口にしたが、それはこの場の全員も似た意見だった。
「後から、全員に共有しますから。ご安心を」
いつの間にか戻って、一緒に見惚れていた信之が、習慣化した撮影を成功させ、声をかけた。
「……
その言葉で、目を見開いてセイを見上げていたランホアが我に返った。
信之を見つめ、刑事が無言で頷くのを見て、大きく溜息を吐く。
改めてセイを見上げたその目は、気の抜けたものだった。
「……よろしく」
「……」
静かに短い言葉を吐きながら頭を下げると、すぐに顔を上げて出口へと歩いていった。
一同に黙礼した後、信之もそれに続く。
「ミヤ」
その後を追おうとする雅を、セイは短く呼び止めた。
「何だ?」
「さっき言っただろう? 望月先生が、後悔してる。あんたの体調がすぐれないのに、こんな複雑な仕事を頼んだことを」
「別に、ただの子守りなら、そんな複雑でもない」
「ただの子守りじゃないと言うことくらいは、分かっているんだよな?」
流石に、それが分からないようでは、本当に重症だ。
そんな気持ちで問うセイに、雅は苦い顔になった。
「勿論、その位は分かる。だからこそ、嫌がられていても、守りたいと思っているんだよ」
「あの娘は、あんたを嫌がっているんじゃない。守られることを嫌がってるだけだ。特に、あんたには、関わってほしくないんだろう」
言い切る同級生に、雅は目を細めた。
剣を帯びたその目に、ゼツが内心慄いているのに気づき、セイはその顔を見上げた。
「ゼツ。あの子を追ってくれ。すぐに追いつく」
「は、はい」
これ幸いと頷き、すぐに歩み去る背を見送らず、雅はそのまま問う。
「何で、私を関わらせたくないと? まさか本当に、そうなのか? 関係者に、私がよく知る男の子供が、潜んでいるのかっ?」
名指しできそうな勢いの問いだ。
ロンが肩をすくめる傍で、セイは目を見開いた。
「ああ。そういう事だ。何だ、分かっていたんだな。だったら、話が早い。早急に引いてやってくれ」
「はあ?」
一人残った刑事が、思わず間抜けに声を出した。
「あなたさっき、ランホアちゃんは……」
「? ランホア? ああ、あいつも同じだな、そう言えば」
声を震わすロンと、衝撃で言葉を無くす雅に気付き、セイは二人の勘違いに気付いた。
「ん? まさか、本当にそうだと思ってたのか? ランホアが、エンの子供だと? あり得ないだろう」
「じゃあ、ランホアちゃんは、誰の子だっ?」
思わず出た尖った声に、いつもの無感情な声はあっさりと答えた。
「カスミの子だよ」
一気に、空気の温度が上がった。
気が抜けたのだ。
その空気に乗せて、呆れたままのセイが無感情に言う。
「そういう事だから、安心して離脱してくれ」
「……分かった」
「……」
気が抜けたままの雅が力なく言うと、同級生は目を見開いた。
そのまま無言になったのに気づかぬまま、女は沈んだ声で言う。
「どの位の間、君が通学できないのかは分からないけど、くれぐれも無茶はしないでくれよ」
「……」
答えは溜息だった。
それにも気づかずに顔を上げ、気弱な笑顔で続ける。
「私も手伝いたいけど、今の私では足手まといにな……何を、やってる?」
流石に、これは気づいた。
溜息を吐いたセイが、携帯機器を取り出して何処かにかけている。
「あ、もしもし、文代さん? 洗濯物は、至急取り込んだ方がいい。これから、槍が降る」
「こらっ。それは、遠回し過ぎないかっ?」
断定した言い分だが、これは明らかに遠回しな嫌みだ。
それを分かっているのか、古谷家の方もあっさりと返事しているのが聞こえた。
「ち、ちょっと、文代さん? 冗談だからっ。違うからねっ」
慌てた雅は、携帯機器を持つセイの手首をつかみ、電話口の古谷夫人に声をかけた。
「……はいはい、承知しております。外出予定もありませんから、お洗濯ものは様子を見て取り込みます」
こちらは完全に、揶揄い交じりの返事だ。
自分の方が、はるかに年嵩のはずなのに、時々ご婦人方には年頃の娘のように扱われることが多い。
今は情緒が不安定なため、それを軽く受け流せない自分がいた。
「……セイちゃん、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「だって、三人もおかしな行動する上に、ミヤに至ってはこうだぞ。何かの前兆じゃないかって、不安になるのは仕方がないだろう?」
嫌みじゃなかった。
本心かっ。
睨んでしまった雅に構わず、セイは無感情に続けた。
「槍まで行かなくても、パチンコ玉くらいは降るかもしれない位、おかしいぞあんたたち」
「……遠回しな心配は嬉しいけどっ。そんなにおかしい? それに、三人って、もう一人は誰よっ」
本心での、遠回しな心配。
ロンの言葉で、ようやくそれに思い当たった雅は、遅ればせながら両手で顔を覆い、長く唸ってしまった。
そんな女に矢張り構わず、高校生は答えた。
「その、もう一人の存在に気付いていないから、おかしいと言ってるんだ」
「?」
もろもろの説明は、必要ない。
そう断じ、セイは早々に、戸惑う二人を家に戻すことにした。
このまま押し切ってしまえば、交代はなせるようだからだ。
本当は、いつもこうだと有り難いのだ。
事情を聞かずに、かつ自分を心配せず、意固地にならずに頼ってくれるのならば、様々な無駄がなくなる。
自分が仕事をしていた頃のあの苦労を思えば、この状況は拍子抜けの類なのだが、時間が押しているこの案件を、説明なしで引き受けられるのは、有り難かった。
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