第3話:技術と倫理の交差点

 ヒューマンリプロダクションプロジェクトが現実のものとなって以来、人間のクローンたちは、急速に進行する少子高齢化に喘ぐ日本社会に融け込み、社会的総余剰を拡大し続けていた。

 経済学者のハヤテ・イチローは、その功績を経済学の常識を覆すものであると同時に「経済と倫理の境界を揺るがす」と警鐘を鳴らしていた。


 しかし、クローンの存在に対して、一定の距離を置く人間も少なくない。彼らのうちの幾人かは、クローンを人間以下とみなすような、ある種の差別感情を抱いていた。

 マス・メディアはこの問題を頻繁に取り上げ、クローンたちの人権を求めるインタビューを放映するドキュメンタリーは、茶の間の風景の一部と化していた。


 そんな風景に、一抹の不穏が訪れたのは、非クローン主義者に抗うクローンたちが、人権保護のためのデモ活動を始めた昨年の秋であった。クローンの権利を人権と表現して良いかどうかも、賛否はあったが……。


「私たちにも人権を!」、「クローン差別を許さない!」というありきたりのスローガン虚しく、クローンたち声に耳を傾ける人間は限られていた。



 深夜のデスクには、青白い光を放つモニターが並び、エアコンの低い音が響いていた。突然、電子音が鳴り響き、サーバからメッセージを受診した合図が告げられる。差出人は「ハザマ・カイト」。

 ハルキは、モニターに映し出されたその名前を見つめていたが、記憶をいくらたどってみても、心のざわめきのような不安しか見つからなかった。


 メッセージはひどく端的なものであった。「デモに参加せよ」。

 タナベ重工のシステム開発部門のオフィスは相変わらず灰色の空気をまとっていた。それはどこか、幼少のころに過ごした施設と似ていた。


「ハザマ・カイト……誰だったけ」


ハルキは、カイトを名乗る人物と話をしなければならない、そう直観していた。



 ある日の夜、それはメッセージを受け取ってからずいぶんと時間が立った日の夜だったが、黒いスーツに身を包んだカイトと向き合いながら、ハルキはコーヒーカップを手に取った。


 平日の夜、カフェには人も少ない。カイトの表情は、一見すると穏やかであったが、その瞳の奥には人の心を震わせるような、得も知れぬ意思が宿っているかのように思えた。


「僕たちは何のために存在するのだろうか?」


 カイトは静かに問いかけた。その言葉に、ハルキは一瞬答えに詰まった。僕たち……それは第5世代を指しての発言なのだろうか。ならば、カイトもまた第5世代クローンなのだろうか。


「僕たちはただの模倣なのか、それとも新しい存在として認められるべきなのか」


 そうカイトは続ける。ハルキはコーヒーカップをテーブルに置くと、東京の夜景に視線を向けた。窓の外には無数の光が瞬き、都市の喧騒が遠くから聞こえてきた。


「僕たちは人間の影なのかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、影にも形があり、その形は光によって作られるしかないもの。僕たちもまた、独自の意義を持つべき存在だと、そう考えてはいけないだろうか?」


ハルキはそう言いながら、カイトの顔を見つめた。


「ハルキ……君は変わらないね」


カイトは冷ややかな笑みを浮かべながら話を続けた


「フリードリヒ・ニーチェは、超人という概念を通じて、人間が自己を超越し、新たな価値を創造する存在であると主張した。クローンもまた、オリジナルの模倣に留まらず、新たな価値を創造する存在として自己を見出すことができるのではないか……僕はね、そう思っているんだよ。それがね、僕たちに与えられた特権だとね」


カイトはそういうと、ゆっくり椅子から立ち上がった。


「クローンの存在は、社会における価値の再定義を促す。経済を豊かにし、社会の総余剰を増やすためにクローンが必要とされるのであれば、同じことは感情を持たないロボットでも達成できるはずだ。では、なぜクローンが選ばれたのか?」


「な…ぜ…。なぜ選ばれたのか……」


ハルキは頭を抱えながら俯く。散乱した記憶のかけらが鈍い光を放っていた。


「その理由は、クローンが人間だからに他ならない」


カイトはそう言い残し、カフェから立ち去って行った。



 日本国政府はクローンたちによるデモ活動運動に対処するため、公安局による鎮圧部隊の編成を許可した。公安部から選りすぐりのデモ対策班が組織され、実行部隊として東京の市街地に配備された。


 ハルキは、オフィスの休憩室に置かれた灰色のソファに腰かけると、テレビ画面に視線を移した。黒い装甲車が広場に押し寄せ、公安部の隊員たちが無表情で降り立ってゆく姿が報道されていた。彼らは灰色の電磁射出装置を身につけ、抗うクローンたちに対して威厳を振りまきながら対峙していた。


「ハルキ。君には、あの風景がどう映っているの?」


ミカの声に、ハルキはテレビ画面から視線を逸らす。


「わからない。でも、クローンがクローンとして、自分を主張すること自体に、何か言葉に出来ない違和を感じている。それは僕自身の存在の意義も含めてなんだろうけれども」


「デモに参加したいと思う?」


「そういう思いがないわけじゃない。ただ……。ただ、経済を豊かに、社会の余剰を増やすことが目的なのであれば、僕らはクローンでなくてもいい」


「どういうこと?」


ミカは首をかしげながら問いかけた。


「この国は、クローンという人間と見分けもつかないものを、人口減少の穴埋めに作り出した。でも、その理由は何だろう。感情など持たない機械仕掛けのロボットでも量産すれば、問題の多くは解決したんじゃないだろうか」


 クローンの実在は、人間の社会的価値が機械的効率性だけでは測れない何かがあるという暗黙の前提があると、ハルキはそう感じていた。


 ヒューマンリプロダクションプロジェクト。2030年当時、国策として行われた社会そう余剰倍増計画の一つ。人型クローン開発には、タナベ重工の最新技術も数多く投入されたという。しかし、半世紀たった今、その複雑な倫理的問題が日本社会に暗い影を落としている。


「第5世代……。僕は他のクローンと明らかに違うと感じることがある」


「違うこと?」


「ああ。違うこと。それは、どんなことでも……そう、『前提』に対して問いを立ててしまう悪いクセさ」


 ハルキは他のクローンとは異なる何かを感じていたが、それが何であるかを言葉にすることはできなかった。ただただ、カイトの言葉だけが彼の記憶にこびりついていた。


――僕たちはただの模倣なのか、それとも新しい存在として認められるべきなのか。


『クローンの存在は、我々に人間の本質と自己認識、そして社会的価値について深く考えさせる契機を提供しています』


 報道番組を仕切るアナウンサーの声が休憩室に響いた。テレビ画面はいつの間にか、マクドナルドの宣伝に切り替わっていた。

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