第2話:自己組織化された情報の断片

 ビルの陰影が絡み合う街路を歩きながら、ハルキは自身の内面に漂う漠然とした不安を抑え込もうとしていた。その不安は、自己の存在意義を求める過程でますます深まっていた。

 彼が勤務するタナベ重工のシステム開発部門は、公共施設のネットワーク構築など、大型のシステム開発案件を受注することが多く、連日にわたって超過勤務が続いていた。。


 生成AIが生み出した最新の教育プログラムで養われたハルキの技術は、エンジニア界隈でも群を抜いていた。コンピュータ端末の画面に映し出されるコードの流れを追いながら、ハルキはその複雑な論理の海に没頭することで、自身の存在への疑問を一時的に忘れようとしていた。しかし、仕事が終われば再び存在への疑問が蘇り、彼の心をむしばんでいく。


 ある晩、オフィスからの帰り道、彼は幹線道路沿いの街灯の下で足を止めた。高層ビル群の周囲に張り巡らされた立体架橋には、灰色の人々が家路を急いでいるように見える。人の流れは、まるで巨大な機械の一部のように統制されており、自分もまたその一部なのだと、ハルキはそんなことを考えていた。


 それでも、高層ビルの谷間から見上げる夜空には、幾何学的な配置で鈍く星々があった。


「こんなに明るい夜空でさえも輝く星があるなんて……」


 無数の星の光は、時間と空間の無限を感じさせる一方で、彼自身の存在の微小さを浮き彫りにさせる。冷たい風が彼の頬を撫でていた。


 その時、彼の背後から軽やかな足音が近づいてきた。振り返ると、そこにはささやかな笑顔を浮かべたミカが立っていた。彼女は同僚であり、ハルキの心に唯一の安らぎをもたらす不思議な存在だった。ミカは、その場の緊張感を和らげるように、軽い冗談を交えて話しかけてきた


「ハルキ、また仕事に没頭しすぎて、夜空を見上げるのを忘れてしまったの?」


ハルキは微笑んで、彼女の言葉に応じた


「いや、今日は少し考え事をしていたんだ。星空を見上げると、自分の存在がいかに小さいかを感じてしまう」


ミカは彼の言葉に一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたが、すぐに口元に笑みを浮かべながら話を続けた


「そうね、星空は私たちを謙虚にさせる。でも、そんな広大な宇宙の中で、私たちがここに存在していることには意味があると思わない?」


 ミカの言葉には、ハルキが抱える不安を一時的に和らげる力を宿す。


 都心の夜は音が多い。それは街の喧騒だけじゃない。ざわざわと心に絡みついてくるような音。ハルキには、クローンとしての自分の存在意義についての疑問が依然として残っていた。彼らはしばらくの間、静かに星空を見上げていた。やがて、ミカはふとした思いつきのように話を切り出した。


「ねえ、ハルキ。明日の夜、私のおすすめのカフェに行かない?静かで落ち着ける場所なんだけど」


ハルキは小さくうなずくと、再び夜空を見上げた。




 ミカが言う通り、そのカフェは都市の喧騒から離れた静かな場所にあり、落ち着いた雰囲気が漂っていた。ハルキは自分が第5世代のクローンであることをミカに告げるつもりだった。


 なぜ、ミカに自分の話をしようと思ったのか、その理由は定かではない。ハルキはいつだって、誰かを頼らずに生きてきた。結局のところ、他者を理解できるのは自分しかいないと、そう思って生きてきた。カフェの静かな空間に座り、彼は深く息を吸い込んでから、口を開いた


「ミカ、僕はね……」


 突然の彼の言葉に、ミカは驚いた表情を浮かべたが、真剣な眼差しで彼を見つめた。


「僕は……クローンなんだ。第5世代と言われている」


ミカは表情を変えることなく、しばらく沈黙した後に、ゆっくりと口を開いた。


「クローン……?そうだとして、それがなに? 人間とクローンを選り分ける、そんな基準があるわけじゃないし、どっちだっていいことじゃない」


ハルキは彼女の言葉を遮るように、話を続けた。


「でも、社会はそうじゃない」


「例の人権問題でもめてる連中なんて、結局のところ、どんな問題にだってケチをつける連中でしょう。いつの時代も、どんなときにも、そういう集団は一定数、存在するものよ」


ミカはそういって、カップに注がれたコーヒーに口を付けた。


「非クローン主義者のデモなんて、僕も気にしてない。ただ、僕の記憶は……。記憶は生成AIによって植え付けられたものという」


 ハルキは、窓の外に視線を向けながら話を続けた。言葉にせずにはいられない不思議な情動を、ハルキは初めて感じていた。


「でも、僕の感情や経験は人のそれと何が違うんだろう。そんなことを、ふと考えてしまう。ごめん、つまらない話をしてしまった」


「何も変わらないわ。ハルキ、あなたはクローンかもしれないけど、それはあなたの一部でしかない。あなたが何を感じ、何を考え、どう振る舞うのか、それがあなたを作る」


 ミカと別れたハルキは、自宅の近くの公園に足を運んだ。夜の東京は、ネオンライトとホログラム広告が交錯する光の都市だった。彼はベンチに腰を下ろすと、小さくため息をついた。


 彼の内なる声は、クローンとしての自己を定義しようとする無数の問いかけに満ちている。自己認識とは何か、存在の意味とは何か、意識の本質とは何か、その問いは無限の連鎖となって彼の脳内を駆け巡っていた。


 公園のベンチに座りながら、ハルキは自らの記憶をなぞってみた。しかし、手元にある記憶は思う以上に少ない。施設で一番に話をした友人の名前さえ思い出せない。それが友人だったかどうかも定かではないのだ。


「彼は……。図書館にいた彼は、カケルだったか、アキラだったか……」


 生成AIによって植え付けられた記憶は、彼の過去の断片として存在しているように見えた。しかし、その信憑性についてはいつまでも消えない疑問符として残り続ける。まるで誰かの残留思念のように。


 ハルキにとって、自分の記憶は、自己組織化された情報の断片であり、それが本当に自分の経験であるかどうかを確かめる術はなかった。

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