リフレイン
星崎ゆうき
第1話:らせんの図書室と雨音の軌跡
東京の郊外、無機質に立ち並ぶ高層住宅街の一角に、外部の光を遮断する重厚なカーテンに覆われた灰色の施設が存在していた。
単に施設と呼ばれるその建物の内部は、高精度な空調システムが稼働し続けている。まるで無菌室のように清潔であり、ホコリ一つ見当たらない空間の内部で育成されているのは人間のクローンである。
――ヒューマンリプロダクションプロジェクト
それは2030年代に立案された、急速な人口減少に対する応急処置であった。人間と変わらぬ外見と能力を持つクローンたちが、社会的余剰を拡大する。そんな構想をもとに、生物、工学、経済学、医学、様々な分野から集められたエリートたちによって具現化されたこのプロジェクトは、日本という国家を再び経済大国へを押しやる原動力となった。
「君たちを人間ではないと、そう考える専門家も多い。しかし、君たちは人間と同じように、この社会で暮らし、そして人間と同じ権利を国から与えられている」
クローンコードT-572、アオイ・ハルキもまた、ヒューマンリプロダクションプロジェクトが生み出した第5世代クローンである。
「外見はもちろん、君たちの中身、つまりは生物学的な構造もまた、人と何も変わらない。その意味で、君たちはアンドロイドのような機械ではない」
彼らはこの世に誕生してからこれまで、生成AIによる教育プログラムが提供され、18歳に至るまで1秒単位で刻まれたスケジュールの中で生活をする。彼らの身体は機械のように規則正しく動き、精神はAIの指導に忠実に従うよう教育されているのだ。
生成AIによる教育プログラムが終わると、クローンたちは居室に戻っていく。だれ一人、会話をすることなく、施設には彼らの足音だけが響く。
施設内の廊下は無数の監視カメラによって監視され、センサーは常に周囲の動きを感知していた。廊下の両側には無数の扉が並び、それぞれの扉の先にはクローンたちの居室がある。
居室の中には、シンプルなベッドと机が置かれ、壁に埋め込まれたデジタルディスプレイがあった。デジタルディスプレイは、教育プログラムの内容や日々の生活にかかわる細かい指示が表示され、生活空間は無駄を一切排除し、効率性を追求した設計がなされていた。
クローンたちが有する記憶は、全てがプログラムされたものであり、個人的な体験は一切ないとされている。彼らの唯一の経験的な記憶は、幼少期からインプットされたAIの教えだけであった。
「僕の記憶に僕の経験が存在しないとはどういうことだろうか……」
ハルキは居室の隅に置かれたベッドに腰かけながら、そう呟いてため息をついた。
ある日、ハルキは認知科学の講義を受けていた。講義の内容は、人間の意識と記憶のメカニズムについてであり、脳神経科学の最新の研究成果が紹介されていた。講義を進めるAIは、無機質な声で淡々と情報を提供していく。
「人間の意識は、脳内のニューロンの活動によって生成される自己認識の一形態であり、記憶はシナプスの結合によって形成される情報の蓄積である」
ハルキは、AIの言葉たちに耳を澄ませながら、自分の存在について考えを巡らせていた。
「僕の記憶は、全てがプログラムされたものであり、個人的な体験は一切ない……」
しかし、何かが違うと感じる直観があった。思い出せる過去や経験、そのすべてがAIの教えによって支配されていることは確かだ。まわりのクローンたちが抱くことのない違和、ハルキにはその感覚がとても愛おしく、同時に恐ろしいものに感じられた。
ある日の午後、それはとても強い雨の日だったのだけども、ハルキは施設内にある図書室に足を運んだ。あらゆる情報がネットワーク上に存在し、端末を操作すれば瞬時にお気に入りの情報にアクセスできる環境で生活しているにも関わらず。
「ネットワークに存在する情報に、それほど大きな意味はない」
そう教えてくれたのは、ハザマ・カイトだった。彼も第5世代クローンであり、ハルキと同様、図書室への出入りを許されていた数少ないクローンの1人である。
らせん構造にデザインされた図書室には、灰色の書棚がいくつも置かれ、そのすべてに分厚い書籍が並べられてた。書籍の多くは現代科学や技術に関する専門書であった。
ハルキは灰色の書棚に詰め込まれた本の背表紙を指でなぞっていく。ふと、「意識の科学」と題された背表紙の前で指が止まった。
著者はニューロサイエンティストのドクター・リースであり、彼は意識と記憶のメカニズムの権威として知られていた。ズシリと重たい書籍のページをめくると、脳の構造と機能についての詳細な説明が記されていた。シナプス結合の形成とニューロンの活動パターンが、意識の生成にどのように寄与するかが解説されている。彼は注意深く、その内容を読み進めていた。
「シナプスの結合は、ニューロン同士の情報伝達を可能にし、記憶の形成に不可欠である。その生物学的な活動が脳内の情報ネットワークを構築し、やがて意識が生まれる」
その声にハルキが振り返ると、反対側の書棚にたたずむカイトの姿が視界に入った
「僕らの記憶はプログラムされたものであり、自らの体験によって形成されたものではない。しかし、もし自分の意識が本物であるならば、その意識はどこから来たのだろう……。君はそう考えたことはないかい?」
カイトはそう続けて、ハルキの側に歩み寄ってきた。外の雨は激しさを増している。らせんの天井にはいくつもの雨脚が、その痕跡をくっきりと残すように激しく音を立てていた。
「カイトは自分の存在について何か疑問を持ったことはあるかい?」
カイトは急に驚いた表情を浮かべ、しばらく沈黙してからゆっくりと語り始めた。
「自分の記憶が本当にプログラムされたものなのであれば、そこには他者の意志が混在している」
「他者の意志……」
「ふふ、冗談だよ。そんなことはあり得ない。ところで、ハルキ。君はドクター・シモンズの『人工知能と意識の生成』という本を読んだとはあるかい?」
「ああ。AIがどのようにして人間の意識を模倣し、それが僕たちクローンの教育に利用されているかを記した歴史的な書籍だろう。いわば、僕らの起源と言ってもいい」
「もし、自分の意識がAIによって作成されたものなのだとしたら……って?さあ、そんなバカげた作り話を君は信じているのかい? 僕らには既に個別の経験が記憶に刻まれているだろう。今、僕たちはこの図書館にいる。それ以上でもそれ以下でもない経験を僕らは記憶に刻んでいるじゃないか」
そう言って、カイトは薄笑いを浮かべながら、ハルキが手にしていた「意識の科学」を取り上げた。
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