僕らに春が来て。





 桃色の海――なんてほど、立派なものではないけれど。

 それでもそこそこの見所ではあると思う。近所の水辺公園は、一画には出店もあり、すっかり花見の装いである。遊歩道を歩けばやっぱり桃色が目に付くし、すれ違う人もその淡い彩りに夢中に――いや、なってないな。

 同じくらい、目を引いている。僕らが、というか、僕らの中の二人が。

「まさか一緒にお花見する日が来るなんて思ってませんでしたよー」

「こっちのセリフだよ。直樹がまぁ、ずいぶん世話になったみたいだね」

「お互い様です。おかげで私も、もう大丈夫そうなので」

「そうか。じゃあ、また仕事で一緒になるのを楽しみにしてるよ」

 はい、と元気よく返事をする透子は、まさしく氷室冷夏の顔をしている。それを引き出す父さんは、姫崎真吾の顔をしていて――道行く人は、桜よりも珍しい光景に目を丸くしていた。

 目を丸くしていた、といえば、僕のクラスメイト・・・・・・もだ。

「あれ、あたし明日死ぬやつじゃない?」

「わかるわ。何だこれ、俺は誰にいくら払えばいいんだ?」

「え、お財布おサイフ……」

 二人揃って財布を出そうとするのを、僕は笑いながら止める。

「今の時代は電子マネーだよ」

「そうじゃねぇだろ」

「まさか桜庭の口からそんな小ボケが」

 鳥居さんと新谷くん。

 僕らの要望通り、進級した二年生のクラスに、彼らはそろってやってきてくれた。僕の前の席に新谷くんがいて、透子の前の席には鳥居さん。透子を囲む僕らという壁で、彼女への質問攻めをうまいこと回避できた。

 元よりスクールカーストの高い二人だから、「退いてくれ」なんて言える空気にはならない。

 ありがとうとお礼を言ったけれど、やめてくれと笑われてしまった。

 でも、僕のコミュ練に集まってくれたお礼にと渡した冷夏のサイン入り小物ケースは、大事に使ってくれているらしい。

「ま、とこちゃんの友達ってステータスは、やっぱ近くにいてこそだよね」

「やべーくらい絡まれるぞ。正直めっちゃ気分いいわ」

「ねー。実際、とこちゃんのプライベートあんまり知らないのに」

「だよな。実際どうなん?」

「……まぁでも、いつもあんな感じだよ」

「ごまかされたね」

「わかりやすくて助かるわ」

 まぁこの二人も相変わらず仲の良いことで、何よりである。

 そして最後尾を歩くのは珍しい組み合わせの、母さんと芹音さん。

「あー、なるほど、そういう味付けを」

「はい。透子は、あっさり目の中に少しパンチの効いた何か、みたいなのが好きで」

「直樹ってばあんまりこだわりがないものだから。これからはそっちに合わせるのもいいかも知れないわね」

「喜ぶと思いますよ」

 料理という共通点から、思いの外うまくやっているようだった。

 母さんは元より人当たりがいいし、芹音さんだって、クールではあっても人嫌いというわけじゃない。むしろ面倒見がいいくらいで、だから二人が気が合うのもよくわかる。

 僕らの関係は、たぶん皆が知っている。けれど直接伝えたわけじゃないから、彼らもまた直接的にそれを掘り返そうとはしてこない。

 いい人たちに恵まれたな、と思う。

 僕らは出店で各々好きなものを買い、それを持ち寄って桜の木の下で集まった。敷かれたレジャーシートは少し手狭だけど、わいわいと賑やかなみんなはとても楽しそうで――

 僕はあえて少しだけ離れたベンチに座って、焼きそばをすすっていた。

 隣に透子。たこ焼きを頬張ってはふはふと熱そうにしてるのがかわいくて、僕はついつい微笑んでしまう。それに気づくと、彼女もまた笑うんだ。飲み込んで、「おいしい」って。

 気のせいかな。笑い方が、柔らかくなった気がする。面白がったり、艶やかだったり、いろんな笑顔を見せてくれた透子だけど――今が一番、かわいい。

 買ったばかりのラムネを開けて渡すと、ぐいーっと豪快に傾け、豪快に息をつく。

「ふぁー、祭りって感じだなぁ」

「ね。あえて弁当持ってこなかったのも、なんかわかる気がする」

「だよねー。お弁当はさ、今度二人で来たときにしようよ」

「あ、いいね。もう散り始めるし、近いうちに」

「うんうん。イベントは、何回やってもいいもんね」

 笑う透子が、またたこ焼きを一口に頬張る。ああ、そんなふうにするから、熱い思いをすることになるっていうのに。はふはふと熱そうな透子は、けれどとても楽しそう。

 これぞたこ焼き、って感じもするし、彼女なりの楽しみ方なのかも知れない。

「二年生始まったけど、どう?」

「うん。あの二人以外とも、ちょこちょこ話してる」

「お、やるなぁ。かえって私のほうが話してないかもしれないなぁ」

「透子は一回捕まると、どんどん増えるから」

「そうなんだよねー。あんまり冷たくするのもよくないだろうし」

 変わったことといえば、僕は周囲からの視線にようやく気づくようになってきた。

 僕が思っている以上に、僕らは注目を浴びていた。

 どうして気づかなかったんだろう。……なんて、僕がそれだけ透子に夢中だっただけの話だ。そしてそれだって、『桜庭直樹育成計画』の一貫で――距離感の近さは、「夢中になれ、私を見ろ」と、ずっと守ってくれていたんだ。

 僕に余裕ができて、透子にも余裕ができた。だから今は、そんな視線も気にせず二人で歩いている。二人並んで、お祭りを楽しんでいる。

「ソース」

 透子の頬を親指で拭ってそれを舐め取ると、彼女は微笑む。

「ありがと」

 わざとだったかな、なんて思いたくなるいたずらっぽいその笑顔。

 我ながら大胆なことをするようになったな、なんて漏れる苦笑いも、そこに羞恥はない。元々距離感の近い僕らは、なんというか、そういうものに鈍感になってしまった。

 僕らの家族が、友達が、白い目で僕らを見ている。

「……見られてた」

「今更、でしょ」

 立ち上がり、透子は僕に手を差し出す。

 ああ、これはやっぱり、わざとだったな。

 桜庭直樹育成計画は成り、いまだ継続中。僕はもっと成長して、そしてもっと透子好みになる。透子以外にどう見られても関係ない、彼女だけに合わせた・・・・、僕だけのリズムを。

 その手を取って、僕らは並んでみんなの前に立つ。

「あのね、ちょっと聞いてほしいんだけど――」



 知ってた、なんてみんなが笑う。

 えー、なんて言いながらも一緒になって笑う透子は、僕の手を引いて歩き出した。

 みんなで花見に来たのに、「デート行ってくる」なんて、いつも通りのわがままぶり。自分勝手に僕を振り回して、なのにそれが心地良くて。

 だから僕はそれに並んで、肩の触れ合うような距離で不器用に歩く。

 歩幅はバラバラ、歩調もバラバラ、歩く速度だけを合わせていると、不思議とそれでも、足音が揃う瞬間が必ずある。

 そんなときにふと見上げると、桜の花がとてもきれいに見えて、僕らは揃ってスマホを構えた。

 シャッター音が同時に鳴って、僕らは顔を見合わせて笑う。

 僕はポケットに、透子は小さなバッグにしまい込んで、また歩き出した。

 そういえばあの舞台、『人形を愛した女』の動画は、予定通り配信サイトに投稿された。『氷桜ちゃんねる』なんて名前で登録したものだから、最初の三日ほどは鳴かず飛ばずの閑古鳥。ほんの数十回の再生回数で――その数十回を回した数人から、急速に広まった。一週間を過ぎるころには十万を超え、今では日を追うごとに万、十万単位で増えている。怖いくらいだ。

 氷室冷夏、一人舞台。僕もいたけど、まぁ、カウントする必要もないと納得はした。透子は納得しなかった。わかってねぇんだ視聴者ってやつはいつだってぇ、なんて愚痴ってはいたけれど、他ならぬ僕が誰よりわかってねぇんだからどうしようもない。

 コメント欄は閉じ、高評価低評価も非表示。これの感想を知りたければ、別のSNS等で見るしかない。トレンドにも載ったから、それこそ僕にだって目にする機会はあったけれど――

 当然ながら、脚本と演出に関しては散々な評価だ。透子は役者で、脚本家でも演出家でもない。経験上ある程度は知っていてもおかしくはないけれど、機材も舞台も学校に元から置いてあるものだけ。限界があるにしたってあんまりな環境だ。

 しかしそれでも総合しての評価は高い。

 あまりにも圧倒的だったからだ。

 氷室冷夏の演技が、あまりにも凄絶だった。あるいはその素人脚本・演出との格差ギャップが、一層それを際立てたと言えてしまうほどに。

 女の隔世感が、悲壮が、愛と哀が、脊髄に叩き込まれて怖気が走る。

 僕は人形で、演じる透子の顔を見る機会はほとんどなかった。だから動画でそれを初めて見たとき、本当に戦慄するようだった。

 言葉を失う僕に、透子はぎゅうと抱きついて主張する。

 私はこっちだ、って。

 僕は正気を取り戻したみたいにスマホを放って、彼女の髪をゆっくりと梳く。

 結局僕は透子に夢中で、舞台に立った人形役の男について――なんて話題で沸き立つSNSから、さっさと目をそらしてしまうんだ。

 そして氷桜ちゃんねるから投稿された二つ目の動画について。それは氷室冷夏へのインタビュー動画で、インタビュアーは字幕のみ。

 今年度、十月。休養からおよそ一年。文化祭を終えるのを機に、徐々に芸能界に復帰する。まずは個別の小さな仕事から、少しずつ増やしていくらしい。

 心身ともに問題なし。不調が嘘のようで、今はやる気に満ちている。早く演じたい、早く誰かになりたい。そう紅潮しながら語る透子は、本当に役者が楽しそうで楽しそうで――

 何かきっかけでも? という字幕に、透子は満面の笑みで答えるのだ。

 ――彼氏のおかげです!

 動画を見た人間の衝撃はいかほどか。

 振り回すのが僕や芹音さんだけじゃ、どうやら物足りなくなったらしい。

 好き放題し始める透子を、けれど柏木さん始め所属事務所は、止めようとしなかった。むしろ応援するくらいの勢いで、いいぞもっとやれ、世間を、世界を振り回してみせろとうそぶくのだ。

 取材も撮影も一切拒否、知りたい情報は氷桜ちゃんねるから!

 ちゃっかりとアカウントの宣伝までこなして、そのインタビュー動画はぷつりと切れる。

 実際のところ、その拒否がどれだけの効果を持つのかは知らないけど。

 僕らはこうして、ゆっくりと桜並木の下を歩いている。視線はあるし、ひそひそと話す声も、それから構えられるスマホも。

 だから僕らは、足音が揃ったその瞬間に足を止める。



 どうしようもないときに、取り返しのつかない選択肢を前に僕らは、不思議と隣に立っている。

 だから僕らは、何でもない穏やかなこの日、取り返しのつかない選択をした。

 薄暗い部屋から狭い教室へ。狭い教室から狭い町へ。僕の世界は少しずつ広がって、そのたび僕の中で透子が大きくなっていく。

 もう取り返しがつかないんだ。あるいは僕の心の容れ物より、透子のほうが大きいくらい。溢れて持て余して、それでも決してこぼれ落ちてはくれないから。

 僕はそれを包むようにして、強く強く抱きしめた。

 舞台は公園。観客は見知らぬ通行人。太陽を照明に、桜をバックに。


 僕は透子に手繰られるまま。透子は僕に求められるがままに。

 





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バーチャル授業で知り合った女の子が超のつく有名女優だった上、狭い教室で二人きり。 楠くすり @k-kusunoki

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