進むと決めたら進むべし。
目的を決めたら、細かな目標を決めて、一つ一つ確実に達成していく。ひとつひとつ、満足をする。
それが目的達成のための大事な要素である。
これを耳にしたのは、何の番組だったか。確か、有名な野球選手の特集だった。
おそらくその選手の思う『満足』と、僕の思うそれでは天と地ほども違うんだろう。
けれども、僕にも目的ができた。だから目標を作って、達成して、満足する。
手始めに、両親に報告だ。
「……と、いうわけで、復学、したいんだけど」
「そう……そう、なの」
筆舌に尽くしがたい、というべきなのか、なんとも複雑な、混じり合った表情の母さん。父さんも似たような顔で、目を閉じたままテーブルのほうへ向かって呻くばかり。
急な話だったのは認めるし、少しばかり気持ちが焦ってるのも否定はしない。
けれど、今なんだ、たぶん。僕の、
「ごめんなさい、嬉しいのは本当なの。ここのところ本当に、急に前向きになってくれるから」
ぜんぶ、透子のおかげだ。……それを誇っていいのかはわからなくて、あえて口にはしなかったけれど。
「でもなんか本当、いろいろと急だから。心配になっちゃって」
「うん。……大丈夫だ、って断言できないのは情けないけど、でも、一人じゃない、から」
「……氷室さんと、いつの間にそんな」
「父さんは、結構親しいんだっけ」
「親しいっていうほどじゃないけどな。まぁ、いろいろと相談に乗ったりはしたな……必要あったかは、わからんが」
なんとなくわかる。
彼女に言うと怒られそうだけど、今以て僕の先生役が必要だったか、わからない。あるいはそれは僕の成長のためで、彼女自身やる気を出せばすぐにでもできたような気はしているんだ。
父さんにした『相談』の中身はわからないけれど、例えば休養中に関することであれば、そもそも最初から
自惚れの過ぎる
「今更だけどそもそも、二年生に上がって修学旅行って、透子、いつまで休むつもりなんだろう」
「父さんは聞いてないな。ただ、あえて『長期休養』なんて発表してるくらいだからなぁ。一年くらいなら、まぁありえない長さではないよ」
「そうなんだ。でもそれって、相当勇気がいるよね」
「人気商売だからね。氷室さんに至っては、正直、心配すら必要ないと思うよ」
芸歴もそこそこに長くなってきた父さんの太鼓判。氷室冷夏――やっぱりすごい人なんだ。
その貴重な時間を拘束して、僕は復学一つで大騒ぎ。
申し訳ない気持ちも、罪悪感も、もちろんある。でも、それ以上に嬉しくて楽しい。
その身も時間も、その価値を決めるのは僕じゃない。それは誰にも否定できず、否定する人を彼女は決して許さない。
だから僕は、これでいい。復学一つで大騒ぎして、高校の学校行事に胸躍らせて、二人でいろいろやりたいねと笑い合う。それでいいんだ。
「……ま、やりたいなら止める理由はない。な、母さん」
「ん、もちろん。応援、してるからね」
「ありがとう」
「……何かあったら、やめてしまう前に、父さんと母さんに相談するんだぞ」
「うん。使えるものは何でも使え、だよね」
父さんはにかりと鷹揚に笑う。母さんも芹音さんも、氷室冷夏も姫崎真吾も、僕の味方だ。こんなに心強いこと、他にあるか?
リビングを出て扉を閉め、廊下の灯りの下、ため息をこぼす。ああ、思っていたより緊張してたみたいだ。エアコンの効いていない寒い廊下を、僕は温くなった胸に手を当てて歩いた。
翌日、早速先生に報告すれば、喜び半分懸念半分といったところで。
精神的にまだ未成熟な僕と、人気女優である透子。僕の心は大丈夫か、教室が騒ぎにならないか。
それを一挙になんとかしようと、透子がお願いした『配慮』というのが、クラス編成のお話だ。
僕と透子はもちろん同じクラスで、できることなら教室隅の隣同士。近くに鳥居さんや新谷くんがいると尚良し。ただ後者に関しては、本人の意思もあるし、ぜいたくは言えない。それから、席を離さずくっつけたままにしておくことも付け加えて。
かえって目立つ、けれど、ひとまず透子が囲まれることはなくなる。ということで、その案はできる限り実現できるよう努力してくれる、ということで結論付けられた。
メタクラに呼び出して話を聞いてくれた先生に頭を下げて、その退室を見守る。扉が閉まったのを確認してから、
「いえー」
「やったね」
ハイタッチだ。
もちろん必要な配慮であることは大前提としても、何より僕らが一緒にいるための、ただの口実。ただのわがままだ。
通ってしまって申し訳ない気持ちもあり、けれど拍子抜けというか、それでもやっぱり嬉しい。
「少なくともこれで、同じクラスの隣同士、くらいは確定かな?」
「たぶん。ちょっと距離感、考えなくちゃ」
「やだね」
「……いやちょっと」
「やだね」
「……まぁ、うん、それはまぁ、いいや」
「よし」
本当はちゃんと考えてほしいけど、こうなった透子は
肩の触れそうな距離。覗き込むように机に肘をついて、彼女はいつものように僕を探る。掌でたわんだ頬が、柔らかそうで、かわいい。緩く笑んだ唇が、きれいだ。
「今更距離置かれても、寂しいでしょ?」
「否定はしない」
いや、たぶん、かなり寂しいだろうな。想像してみると、なんとも
僕の横、鳥居さんや新谷くん、他の生徒たちに囲まれて、楽しそうに話す透子。こんなに近くに見ていた彼女の顔が、遠く隔たって、別の場所にいるような。
「やっぱかわいいなぁ」
「……透子のほうが」
「そういう話じゃないのに。素直な子なんだから」
おちょくられてる、のは確かなんだけど、嫌な気持ちにはならない。
実際僕はたぶん、思っていることが表情とか態度に出やすいんだろうな。いつも隠せず、透子や芹音さんにからかわれるんだ。
本気で気持ちを隠そうとしたなら、僕は透子を理解できるだろうか。にんまりと笑う彼女に陰はなく、一見すると
けれど彼女は、演技の達人だ。テレビの向こう側にいても、はっきりとわかるほどに。
「深刻な顔をしてるときは?」
「……大体見当外れしてる」
ああ、やっぱり見抜かれた。
もちろん僕が何を考えてたか、そんなものを事細かにわかって言っているわけがない。これまでの経験則から、僕を理解しているだけのこと。
「あんまり考えすぎないで。目の前のことを、楽しもうよ。ね、私のお人形さん?」
「……覚えてた」
「当たり前。あの
「……そっか」
告白……告白なんだろうか。まぁ、みたいなものではあるけれど。
ああ、そうか。僕はもう、透子に好意を伝えてるんだ。そう思うとなんだか急に恥ずかしくなって、彼女の顔を見られなくなってしまった。
だから、修了式まで待って、なんだよな。大事な話ってつまり、そういうことだ。
体温が上がるのを感じる。頬が、額が、はっきりと熱い。
「私って、あんなに子供みたいに泣くんだね」
「他人事みたいに」
「覚えてないもん。だからびっくりしちゃった」
芹音さんの言う通りだ。もうどれくらいになるかわからないくらい、透子は泣いていないらしい。
子供みたいに泣くことに驚いたのだから、少なくとも子供のとき以来にはなるのかな。
「きっとこれから、たくさんわかっていくんだよ」
「……何を?」
「私を。だって私は、自分の泣き方も知らないくらい、私を知らないんだから」
「そっか」
言葉少なにうつむいたままの僕に、透子は触れるような肩パンをうつ。
横目の抗議を笑顔で流され、僕はまた、机とにらめっこだ。
「ねえ」
「うん」
「こっち見てよ」
「……うん」
逆らえない言葉に、僕は素直に従った。
変わらない姿勢で、頬杖ついた笑顔のまま、透子は僕を深く覗き込んでいた。面白がるような、濡れた瞳に星を灯して。
「ほんとは、笑い方も違ったりして」
「じゃあ、嘘笑い?」
「ううん。楽しいのは本当」
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
「そっか。そうだよね、大事なのは、中身だもんね」
「そうだよ」
けれどやっぱり、気にはなるんだろうな。
自分の知らない自分が見えてくるのって、ちょっと怖いんだ。
透子と出会って、僕は僕じゃなくなるくらいに変わってしまったから。だからよくわかる。
もちろん、彼女がいい方向に導いてくれたからだっていうのはよくわかってる。
でもだからこそ、僕もまた、彼女の背を押してあげたいんだ。彼女の下から後ろから、ずっと遅れてはいるけれど、手が届くところまで、せっかくいてくれるんだから。
さしあたっては『心身の休養』。たぶん彼女は、まだ。
「でも、もしそんなのがあるんなら、最初に見るのは僕がいい……かな」
「うん。じゃあ、一番近くにいないと。ね?」
「……そうしたいな」
「いいよ。そんないきなり、皆と馴染もうとかしなくても」
だから彼女のそばにいたい。
もちろん、色んな人と知り合って、仲良くなって、僕は少しでも
けれど、今の
バランスよく、ちょうどよく。
「そのために、先生に『配慮』をお願いしたんだし」
「そうだね。あ、一応鳥居さんと新谷くんにも、話を通しておいたほうがいいかな」
「そだね。今日のお昼は、ちょっと呼んでみよっか」
早速スマホを取り出してラインを起動させる透子の隣、僕はその画面を覗き込んだ。嫌がったりしないんだ、そういうことをしても。
「集合、っと」
「いつもそんななの?」
「うん。断られることもあるけどね」
「気安い、って言ったらいいのかなぁ」
「物事はシンプルなほうがいいよ。だって配慮とかめんどくさいもん」
えぇ、とこぼせば、弾けるように笑う。冗談にしたってたちが悪い。
図々しいというかなんというか。もしかしたら、人によってはこれが嫌なこともあるんだろうか。
もしそうなら、破れ鍋に綴じ蓋、ということで。僕も、つられて笑った。
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