願うでなく、誓いを立てる。





「知ってるかな。願掛けっていうのは、誓いを立てることなんだよ」


 神社に向かう車中で、芹音さんが後部座席の僕らに教えてくれた。

 いわく、「神様お願いですから志望校に受からせてください」ではなく、「がんばって志望校に合格するので見ていてください」と誓願するのが本来の『お参り』だそうだ。

 天網恢々疎にして漏らさず、努力を怠ることなく励む姿を、神様が見ていてくれる。しからば、怠慢もまた同じ。

 自らの行く先を、他者に委ねてはならない。――なんて、僕には口が裂けても言えない言葉だ。

 国道沿い、本屋の大きな駐車場を一旦借りて、僕らは神社の前に立った。――は、いいものの、想像通り、いや想像以上に注目を浴びていた。

 通りすがりの人が必ず振り返り、同じ参拝客もまたあからさまな視線を向けてくる。ひそひそ話も積み重なればもはやざわめきだ。

 だというのに、マスクもせずに実に堂々とした立ち振る舞い。完璧な立ち姿。慣れないはずの草履も実に堂に入ったもので、歩き方にぎこちなさは少しだって見られない。

 誰がどう見ても、晴れ着姿の氷室冷夏。テレビではいまだ見られたことのない、美の衝撃。

 伴うのは、黒髪の美女と、よくわからない普通の男。

「よーし、いくぞー」

 それも慣れたものなのか、透子ときたらまるで気にしていない様子で、あるいは見えてすらいないような態度で歩を進める。

 なんとはなしに、一歩下がって歩いてしまう。僕は従者、僕は付き添い、添え物である。……透子の、一番嫌がる態度だ。

 そんな僕の手が、彼女に取られ引かれて、結局肩を並べる。芹音さんが苦笑いをこぼしている。

「近くにいて。写真撮られる」

「やっぱり、あるんだ」

「まぁ。今までも何度かあったんだよ」

「え、全然気づかなかった」

「桜庭ガードしてた」

「桜庭ガード……」

 やっぱりというかなんというか、僕が気づいていなかっただけ、ということで。世間の良識なんて、やっぱりあやふやだ。

 それにしても透子の目ざとさにも驚かされる。

「というか、一緒にいるとこ撮られるのはいいの?」

「一般人と芸能人を撮るんじゃ、全然違うからね。少なくとも公開までのハードルは上がると思う」

「なるほど」

 それだけ気をつけてるならそもそも変装、せめてマスクくらいはと思うけれど、そこはまぁ、「透子だから」で片付けられるから不思議なもので。

「ま、別にいいよ。最悪撮られて、公開されても。なんなら、誤解・・されてもね」

「……いいんだ」

「私の名前はそれくらいじゃ傷つかないもん」

 前を見たまま、しれっと言い切るんだから、本当にかっこいいんだ。自信満々、誇らしげ、なんてこともなく、ただ淡々と事実のみを口にした、みたいに。

 だから僕も開き直ろう。透子は僕と初詣に来たくて、誘ってくれたんだ。

 天井から吊られてるイメージで。胸を張り、腰をやや前に、お尻は引いて。S字を意識して、やや脱力。母さんから教わった姿勢で、僕は透子に並び立つ。並び、歩く。

「それにしても、意外と人、多いね」

「まぁ、国道沿いだしね。もっと目立たないとこ、あったと思うけど」

「いやぁ、静かなとこだとちょっとね。交番も近いし」

「なるほど」

 ちょっと初詣に行くにもいろいろと考えて、芸能人って大変だ。

 とはいうものの、これまでの行動を振り返るに、結構軽率に動いていたような気はするけれど。やっぱり念頭にあるのは、「バレても構わない」という開き直りなんだろうか。

 そもそものところ氷室冷夏は恋愛禁止のアイドルではない。清純なイメージだってなくはないけれど、それも視聴者側が勝手に言っているだけで、男性が苦手だのなんだの、彼女は言ったことはない。

 芝居一本だった彼女が、休養中だからとそれを脇に置いている。言ってしまえばそれだけのこと、なのかもしれない。

 鳥居をくぐり参道――というよりは庭のような砂地を通り、階段を登れば本殿だ。小さな神社はそれでもそこそこの人手で、本殿前の階段は半分ほどの列ができあがっている。

 並ぶ僕らの後ろにもすでに列が――多くね?

「なんか参拝客というか」

 氷室冷夏を、見に来ているような。

「前、向いてて」

「あ、うん」

 こんなことは初めてだ。カラオケだのマックだの、名駅だの南知多だの、いろいろいったけれど、こうまで騒ぎになったことはなかった。

 理由を考えれば、ああ、すぐに腑に落ちる。

 確かに透子の言う通り、着物姿の人はかなりの少数派のようだった。そんな中、彼女がそれを着ていればいやが上にも目立つに決まっている。なにしろ、きれいだから。

「……ごめんね」

「えっ。何が?」

「だって、ゆっくり写真とか」

「いや、全然。写真なら、家でたくさん撮ろうよ」

「……うん」

 気づけば透子は、遠くを見るようして笑っていた。胸を締め付ける、切なげな。

 列はゆっくりと進み、僕らは無言のままそれに従って階段を登った。一組終わっては一段を登り、また一組、また一段。

 晴れない表情を、僕は見ていられなくて、その手を取った。後ろからなにか聞こえたけど、構うものか。

 ぎゅぅ、と握り返されるその力強さに、僕は少しだけ安堵して、また一段、階段を登る。

 やがて回ってきた僕らの番。賽銭には定番の五円玉。ご縁ならばもう十分恵まれたけれど、まだ、もっとよくばって。

 ガランガランと鐘を鳴らして、二礼二拍手一礼を。

 僕は誓いを立てる。願うでなく、ああ神様、見ていてください――


 山口家に戻る前に、公園に寄った。池をバックに、木造りの休憩スペースが設えられた橋の上、晴れ着姿の透子を撮った。それから並んで座って、三人で一緒に。坂の上のベンチで仲良し姉妹を。

 枯れきった落ち葉の上、寒々しい木々の隙間、僕と透子の二人で手を繋いで。


 芹音さんの作ったおせちは、絶品だ。

 彼女は透子の幼馴染で、お姉さんで、家族みたいなものだ。けれど同時にハウスキーパーで、雇われた人間で、プロフェッショナルでもある。だからもらったお金に釣り合うクオリティを、と自負しているようで、掃除洗濯炊事その他一切、手抜きをしない。

 おせちだって同じだ。たっぷり時間を掛けて仕込まれた数々の料理は、どれも工夫を凝らしてあるのが目で見てわかる。

 照り返る黒豆が、芯まで甘くてとろけるようだ。

「うんまぁ。芹ねぇ、さいこー」

「そか。よかった」

「おいしいです」

 微笑む芹音さんの頬が、ほのかに赤い。照れているらしい。

「いや、ハウスキーパーとして雇われてまだ一年目だからな。おせち、初めてなんだよ」

「いっつもお家ピカピカだし、いっつもご飯おいしいし、最高だけどなぁ」

「確かに、ほんとホコリ一つないというか」

「大げさだろ。というか、物が少なくて掃除が楽なんだよ、この家」

 謙遜する芹音さんを、僕と透子は目を見合わせて笑った。

 よかった。もう機嫌はよくなったみたいだ。

 無表情も、浮かない顔も、そりゃあきれいではあるけれど、やっぱり笑顔が一番いい。似合うし、かわいいし、元気が出る。

 勇気を出してよかった。手を握ったからなんだ、なんて、思わなくてよかった。寒いのに手汗がにじんだけど、大丈夫だったかな――?

 小さくて柔らかくて、温かい手だったな。ブランケット越しじゃない、彼女の手だった。

「直樹のお気に入りは?」

「え? うーん、やっぱり伊達巻かなぁ」

「いいねぇ。私はこれ、海老の旨煮」

「おいしいよねぇ」

 海老、でなく、箸、でもなく、それを持つ透子の手に、ついつい目が向いてしまう。

 ちらりちらりと見てしまう僕を、やっぱり彼女は面白がって笑うんだ。

「食べ終わったら、ね」

 ぎゅ、ぎゅと手をグーパーとさせて、ささやくように言うんだから、僕は頷くことしかできない。

「食事中にいちゃつくな」

「えー。芹ねぇもつなぐ?」

「全部片付けが終わったらな」

「ちぇー」

 口をとがらせる透子に、芹音さんは苦笑いをこぼす。釣られるように海老の旨煮を箸に取り、僕はぷりぷりとしたその身にかじりついた。


 そのあと家の中で晴れ着姿の透子を撮りまくったあと、部屋着に着替えた彼女とソファに並んだ。

 僕の右手と透子の左手。繋がれたところが、汗ばむほどに温かい。

 芹音さんは自室に引っ込んでしまった。「いちゃついてるのを目の前で見たくない」そうだ。

 ぼーっと、言葉も交わさず目も合わせず、虚空を見ながら、時折手を握って、握り返されて。

 弱った様子を見せたあと、透子は強がるみたいに明るく振る舞う。

 けど、やっぱり弱った様子を見せたあとは、弱ってるんだ。当たり前のことに、今更気づく。

 時折手を握られて、握り返して。

 駆け引きでもなんでもない、単純なやり取り。だから癒やされる。

 緊張はそりゃあ、するよ。心臓の音は相変わらずだし、身体中熱くなりそうだし、手汗が気になって離したい衝動に駆られたりも、する。

 でも、それより、嬉しいんだ。

 握って握り返されて、僕の好意に応えてくれてるみたいだ。

 握られて握り返して、僕に好意を伝えてくれてるみたいだ。

 恋をしてるみたいな気持ちになる。

「ありがとね、神社で、とっても、うれしかった」

「……よかった。我ながら、出過ぎたことをって思ったけど」

「そんなことないよ。あのね、私」

 透子が僕を見たから、僕も、透子を見た。

 濡れたように輝く瞳が、濡れている。薄っすらと淡く、僕に探られないように、膜を張るみたいに。

「三月……修了式の日、私、大事な話を、するから」

「……え」

「だから、私をつかまえてね。逃げないように、ぎゅっと、今みたいに」

「どういう」

 けれど応えてはくれず、真っ赤な顔の透子はうつむいて黙り込んでしまった。それでも手はしっかりと繋がれたまま、逃さないと言っているようで――僕は、逃げないよとその手を握り返した。


 僕は誓いを立てた。神様に向けて、努力を怠ることなく叶えてみせるから、見ててくださいと。

 僕は、逃げない。彼女とそれを取り巻くすべてに、真正面から向き合って。

 真正面から、伝えると決めた。




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