かぞくの時間は終わりを告げて。




 篠島は、日間賀島に比べるとゆったりと穏やかな島だ。

 アクティビティよりも自然を楽しむ、という感じの観光地。展望台からは岬だったり離れ小島だったり、写真を撮るという観点では、人よりも景色だ。まぁ、日間賀島でもアクティビティには全然手を出さなかったけれども。

 こちらも規模は同程度。ワイワイと盛り上がることはないけれど、ゆっくりと歩きながら会話を楽しみ、穏やかな気持ちで回れる。ゆったりと流れる時間をあえて楽しむ。人は多少まばらで、誰も彼も静かに島を楽しんでいる。

 僕らは歩きながら、写真を取りながら時間をつぶして、松島の夕景を撮ることにした。

 展望台から海を望み、小さな島に木が数本。燃えるような夕日に影となり、きらめく海が光を散らす。

 言葉も忘れて見入ってしまう。思い出したようにスマホを取り出し、一枚だけ写真を撮る――けれど、それだけでもう満足で、また、魅入られる。

 隣を見れば、夕日に照らされる山口の横顔。表情はない。人形のような。ぞくりと背筋の粟立つのを感じて、僕は慌てて松島に視線を戻した。

 ああ、本当に、恐ろしいくらいに美しい。逢魔時、僕は行き合ってしまったのかと錯覚するほどに。

 光と影の混じり合う時間は、静かに暮れ行く。


 南知多に戻るフェリーの上、覚めやらぬ興奮に話は弾んだ。

 夕焼けはどこで見たってきれいだけど、やっぱり海のそれは格別だった。ぽつりと浮かぶ島は影のように、かえって光を際立たせる。

 辺りは薄暗がり。海もまた黒く染まり、ざんざんとフェリーが水を切り裂くたび小さく揺れる。

 いい旅だなぁ。旅って、いい。

 ほんの数ヶ月前までは考えもしなかった。家の外さえ怖かった。

 そんな僕が、海の上で船の上で、好きな人と笑い合って、「また来られたらな」とか考えてるんだから、人生っていうのはわからない。

 港に着くころには辺りはすっかり暗く、泊まる旅館の灯りは煌々と周囲を照らしていた。

 御形の名前で二部屋、しっかりと予約を確認しつつチェックインを済ませ、僕らは部屋に荷物を運び入れた。キャリーケースを三つ、二つと一つ、男女で分けて。

 そのあと、男子部屋・・・・に三人集まって、夕食までの時間、写真を整理しながら雑談を重ねる。

「結構撮ったねぇ」

「山口ばっかだ」

「だって私ばっか撮るじゃん。そりゃそうなるよ」

「……いや、それは」

 にやにやと面白がる『女子』二人の視線を、僕はうつむいてやり過ごした。

「芹ねぇなんか、景色ばっかじゃん」

「景色が一番きれいだからな」

「えー。私なんてほら、景色も三人も、まんべんなく」

 全部スマホではあるけれど、三人とも、よく撮れてる。

 気づくのは、山口の表情の作り方。

 よくよく見てみると、シーンごとにきちんとそれを作ってるんだ。青空の下で明るく笑ったり、夕日に憂いを見せたり、風に微笑んだり。立ち姿も、それに応じたものになっていて。

「山口、ちょっとプロすぎない?」

「いや、だってほら、カメラ向けられるとほら、つい」

「責めてるわけじゃないよ?」

「自然体って難しいよね」

 でも、それが不自然だとは思ってないんだ、僕は。それどころかある意味それこそが、彼女の自然体ですらあるような気がしている。

「それを言うなら芹ねぇ、めっちゃ絵になるね」

「そうか?」

「わかる。かっこいい女性、って感じ」

「……そうかなぁ」

「芹ねぇの照れ方、わかりやすくて好きぃ」

 抱きつく山口を、「はなせ」と引き剥がす芹音さん。心なしか顔が赤い。

 こうしていると姉妹にしか見えないけれど、あるいは幼馴染だからこその距離感でもあるんだろうか。

 なんというか、じゃれ合う女子って、いいよねって。

「髪、伸ばしてるんですか?」

「まぁ、せっかくそこそこきれいにしてるから。日本人、って感じするだろ?」

「日本人形姉妹だったんだよ、子供のころは」

「姉妹じゃないけどな」

「ぶー」

 確かに二人とも、きれいな黒髪だ。街を歩いていても、ここまでの人はそうそう見ない。

 氷室冷夏の評価にも、よく加えられる『天使の輪』。髪質も良好、健康状態も良好、ヘアケアも文句なし。美容師が太鼓判を押す、完璧な艶髪。

 本当に、頭を軽く傾けるだけでさらりと流れるんだ。風になびいてもまとまりがよくて、いい画がとれる。

「触ってみる?」

「え、いいの?」

「いいよぉ。とくべつ」

 すぅ、と差し出される頭。小さい。

 垂れ下がる髪を一束、指に絡めてみる。一切掛かり・・・のない、まるで空気の束に触れているような。けれど確かにそこにあって、あるいはそれは濡れない水のようでもある。

「きれー」

 つぶやくと、頭はさっと引かれてしまった。追いかけてしまう手を、山口は僕の膝に押さえつけた。

「おしまい。女の子の髪に触るのは、そこそこの信頼ってのが必要なんだよ」

「……なるほど」

 そういう一般論はよく聞くけど、やっぱり、そうなんだ。

 つまり今の信頼関係は、髪の毛十秒分ってことか。……どう解釈していいかわからない。

「ドラマ以外で男に触らせてるのは、少なくとも初めて見るな」

「……そうなの」

「そうだよ。やったね!」

「……うん」

 いや、純粋に、普通に、めちゃくちゃ嬉しいよ。

「リアクションが素直すぎる」

「桜庭くんはずっとそうだろ。悪魔かおまえ」

「……いや、喜んでくれると思ったよ?」

 悪魔というか、小悪魔というか。

 改めて、というか、気を取り直して、というか、僕らは少し照れくさい空気を拭うように写真の整理に戻った。

 クラウドのほうにも保存しとこう。失くしたく、ない。



 夕食は一階の食堂で。

 名物大エビフライ。刺し盛り。ワタリガニ。煮魚。味噌汁に白米。テーブルに所狭しと並んだ料理が実に壮観で、僕らは小さく感嘆の声を上げた。

 座席はそこそこの埋まり具合で、そこかしこからの視線は感じるものの、概ね平穏そのもの。賑わう食堂内は、おいしそうな香りに満たされている。

「エビフライでっかー」

「ね。めっちゃうまそう」

 二十センチくらいはありそうなエビフライを、思わず写真に収める。

「ソース派? タルタル派?」

「僕はソースかなぁ。山口は?」

「私と芹ねぇもソース。なぜなら他に使い所がなくて買わないから」

「……それはソース派とかではない気がする」

「別に言えば作るぞ? 使い道だって、まぁなくはないし」

「そうなの? 言ってよー」

「作るか?」

「別にいいや」

 なんなんだよ。

 いつもの気まぐれに、僕と芹音さんは顔を見合わせて苦笑いだ。

 さて、ということで箸を手に取り、「いただきます」と手を合わせて、食事は始まった。

 タンパク質ファースト、ということで、刺し盛りから鯛を一つ、たまり醤油に軽くつけて。

「……ぅぉ」

 思わず呻いてしまう。

 歯ごたえが、すごい。

 鯛は歯ごたえのあるもの、というのはもちろんわかってるけど、スーパーのパック商品とは桁違いだ。さすが海辺の旅館、新鮮さが違う。

「死後硬直が効いてるなぁ」

「言い方」

 同じく鯛を食べた山口の一言。思わず吹き出しそうになったのを、なんとかこらえた。

「……そういえばこれ、クリスマスディナーなんだよね」

「普通のメニューにしたけどね。めりくりぃ」

「え、うん。メリクリ?」

「メリークリスマス」

 ものすごい今更感で、サラッと軽く流されたけど、とりあえず改めてクリスマスディナーである。

 クリスマス感のかけらもないメニューではあるけれど、結局のところおいしくて楽しければなんでもいいというのが世の常だ。新鮮な刺し身、ふっくらとした煮魚、ざっくざくのエビフライ。そしてワタリガニ(時価)。おいしい魚介に箸は進み、たくさんあった料理もどんどんとお腹に収まっていく。

 話は合間にそこそこ。おいしい食事に、楽しい会話は挟む余地が少ない。

「……今更だけど、ほんとにいいのかな。僕、一円も払ってないけど」

 フグも食べた。島を二つ巡った。そして、ここでも豪勢な料理を頂いて、宿泊まで。

 本当に今更だし、来てしまったんだから楽しむ他ないのはわかる。けれど、やっぱり気になるものは気になるもので。

 箸をくわえてきょとんと山口。

「二度と言うな」

「……ごめんなさい」

 怖い。

 やっぱり、楽しむ他ないようです。というかそもそもタイミングが悪すぎるのもあるか、なんて猛省しつつ、煮魚をほぐしほぐし、口に放り込んだ。

 おいしい。



 クリスマスディナーを終え、僕らは温泉に入った。塩の結晶が浴槽の縁にたまるほどのナトリウム泉で、顔につくとしばらく塩辛さが後引く。けれどよく温まって、冬場の冷えた身体にはとても心地良い。

 窓ガラスからは太平洋が一望できる。浴室自体は決して広くはないけれど、その眺望が十分に開放感を与えてくれた。

 いい湯だったなと休憩室で涼むこと十分ほど。湯上がりほかほかの女子二人が、階段を上がってきた。僕に向かって手を振るから、周囲を見回しつつもそれに応えた。やっぱり少し、いや結構、注目を集めてしまう。

 でも、視線を集めるくらいのことは、もう慣れてしまった。

「やー、いい湯でした」

「桜庭くん、おまたせ」

「いえ、全然。飲み物、買ってきますか?」

「もう買ったー」

 じゃん、と手に持ったのはスコール。

「風呂上がりはやっぱりそれ?」

「もちろん。正直あると思ってなかったから、よかった」

 ガチリ、とペットボトルのふたをとって、早速一口、いや二口、いっそぐいぐいと飲んでいく山口。半分ほどが減ったところで口を離し、盛大に「ぶはー」。

「最高」

「それはなにより」

 もちろんお風呂上がりだからと毎日飲めるわけじゃない。山口の節制ぶりは徹底しているし、僕と会って遊んだ日だって、そのあとにトレーニングを欠かさないことも知っている。

 旅行中の彼女は、だから、羽根を伸ばしてぜいたくを満喫している。そんな姿が、そんな姿を知っている――それが誇らしい。

 だから、やっぱり、水を差すようなことを言っちゃだめだな。

「じゃあ、部屋戻ろ」

「うん。湯冷め、しないようにね」

「うぃっす」



 部屋に戻ってしばらく。

 そろそろ浴衣に着替えるかと思っていると、ふすまがすぅと引かれた。

 白いファーコートとベージュのマフラー。左手にレジャーシートとブランケット、それからランタンを抱え持った山口が、薄っすらと笑みを浮かべて立っている。

 妖しげな笑み。艶さえ感じる、色めいた。

「家族のクリスマスは終わり。デートの時間、だね?」

 僕は喉を鳴らして、コートと荷物・・を手に取った。




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