久しぶりの旅行はたのしい。





 南知多は港町で、車で走っていてもどこか海が香る。閑静な住宅街とは裏腹に、海沿いにはリゾート施設が建ち並び、観光地らしいどこかちぐはぐな印象。多くの海水浴場があるこの半島の町も、時期外れの今、人通りは激減する、らしい。

 ただそれでも、海のグルメやらを求めて少なからずの観光客があって、平日にも関わらず、すれ違う車は少なくない。

 僕らの泊まる旅館は、チェックインが十六時だ。それまでずいぶんと時間をとったな、と思っていたら、どうやら近くの島――日間賀島というところに行く予定になっているらしい。

 当事者なのに、そんな予定すら知らされていない。理不尽を嘆く僕の肩を、山口は叩いて笑った。

「どんまい!」

「……いいよ別に慣れてるし」

「えー」

 慣れたくない、けれど、そんな山口が楽しいっていう気持ちもあり。

 駐車場に車を停め、乗り場でフェリーの乗船時間を待つ僕らは、海を眺めてのんびり座っていた。

 それにしても、海を見るのなんて何年ぶりだろう。冷たくて刺すような風がコートすら突き抜けてくるけれど、その眺望が背を丸めることも許してくれない。

 大きくて、広い。小学生みたいな感想になってしまうけれど、本当に端的に、それが一番なんだ。空、というよりは宙。深い青に染まった水面が揺れて、時折白く濁る。海には模様があって、それが絶えず変化している。

 潮の匂い。特に好きってわけじゃないけど、やっぱりこう、日常から離れてきたんだと強く実感させてくれる。

 隣に座る山口。白いファーコートがよく似合っている。「クリスマスといやーこれっしょ」と笑っていた。

 芹音さんはチケットの手配をしたらコーヒー片手に車に戻ってしまった。

「ちなみに日間賀島のあとは篠島行くよ」

「……先に言ってくれてよかったよ」

 適度に抑えていかなきゃな、と事前連絡の重要性を知る。

「日間賀島はねー、フグとタコが有名なんだって。冬はトラフグが美味しいらしい」

「フグって食べたことないな。おいしいの?」

「私もなーい」

「え、意外。結構いいもの食べてそうな」

「まぁいいものはそれなりに食べてるけど。思えば確かに不思議だね」

 不思議だ。フグって言ったら、結構高級料理の定番というか。

 まぁ、芸能人イコール高級料理っていう発想も、なんというか偏見に過ぎるとは思うけど。

「私ほら、バラエティとか旅番組とか、そういうの出ないから。それもあるかも?」

「あ、確かに。見たことないな」

「今ここで動画回したら、いいお金になるよ!」

 確かにレアな動画ではあるけど。やらないよ?

「でも、一回くらいは動画撮ろうね。もちろん、アップしない」

「うん、それは、そうだね」

 そこで芹音さんから声がかかり、僕らはフェリーに乗り込んだ。


 フェリーの上で僕は早速スマホを構えて動画を取った。

 流れる海面から視線を上げて、景色を、そして船上を。髪を押さえてそれらを眺める山口を。

 カメラを見つけてにこり、微笑む彼女を撮ったら、録画を停止した。

 見せて見せてとせがむ山口と、僕は肩を寄せ合って動画を見た。

 すごく、きれいだ。


 日間賀島に着くと、下船してすぐ、タコのモニュメントに出迎えられる。ハチマキを巻いて扇子を持つ、タコツボに乗った円らな瞳の。

 ここでは山口だけを撮った。絵になる彼女は、タコの下でもやっぱり絵になる。

「本当に思ってる?」

「……ごめん」

 嘘です。ちょっとシュールで面白い。

 他にもいろいろと『タコ』なのがこの島で、港には至るところにタコツボが置いてあったり、駐在所がタコの形をしていたり、写真を撮っているだけでどんどん時間が過ぎていく。

 マップによると、島の外周を一周するとだいたい五・六キロ。二時間ほども歩けば一周できるほど。

 でも、このペースで行けば昼まではもちそうだな。

「とはいえ、グルメ系はあんまりなぁ」

「ごめんな、私が大女優なばっかりに」

「……そうだね」

「否定してよ」

 なんだか面白いスイーツやら、いろいろあるらしい。けれどもやっぱりカロリーには気をつけたいし、特に糖質脂質には気を使うのが僕らというもので。昼食までは一品まで、というところに落ち着いた。

 海沿いの堤防をてくてくと歩き、時折吹く陸風に身を震わせる。冬の太平洋は意外にも穏やかで、さぁさぁと揺れる波音が耳に心地良い。

「芹ねぇ、芹ねぇも写真撮ろうよ」

 イラスト入りタイルが敷かれた壁の前、スマホを構えた山口が芹音さんを呼ぶ。少し後ろを歩いていた彼女は少し気だるげに、けれど素直に従った。

「意外と、ノリいいですよね」

「というか、私に甘いんだよねー」

「うっさい」

「照れちゃってー」

 まぁ、そうだろうなとは思っていた。雇用主であるという以上に、なんだか本当に妹のように思っている節があって、微笑ましいんだ。

 潮風になびく髪が反則的にかっこいい芹音さんは、かすかに染まった頬がまたかわいらしくて。

 こういうの、男は弱いんだよなぁ。

「……照れちゃって」

 ジト目の山口にそれを見咎められて、僕は萎縮してしまうのだ。


 海辺を歩く。景色はさほど変わらない。なのにどうして、こんなにも飽きないんだろう。

 あっちに寄っては景色を撮って、こっちに寄っては山口を撮って、ほとんど空だった僕のスマホのアルバムは、あっという間に埋まっていく。

 写真を撮りたくなる、っていう気持ちがよくわからなかった。普段からあまり意識してこなかったこともあって、父さん母さんがもらってくるおしゃれなお菓子も、ぜいたくな料理も、ただ食べて楽しむためのものでしかない。

 でも、楽しいんだな、これって。

 せっかく来たんだからと美しい景色を。いつもと違う場所の、いつもと違う山口も。そんな彼女を優しい顔で見守る芹音さんも。その日食べたもの、見たもの、感じたもの。

 撮ったばかりの今、スマホの中に残ったのを見るだけで、なんだか楽しい。

「さーここが屈指の映えスポット、恋人のブランコ」

「へー。二人で座るみたいな?」

「そ。じゃ、行こう」

「え、僕?」

「いーや、六パターン撮るの」

 ああ、なるほど。

 別に恋人のブランコだからと男女にこだわる必要はない。

 六パターンとはつまり、僕と山口・山口と芹音さん・芹音さんと僕・そして一人ずつ。

 一人のときは、漕ぎ出したところを撮ってみたり。そうすると海に飛び出すみたいな、いい写真が撮れるんだ。

「いいなぁ、山口と芹音さんのツーショット」

「芹ねぇイケメンすぎる」

「桜庭くんもこれくらいやればいいのに」

「いやいや」

 本当にいい写真なんだ。肩に手を回す芹音さん。その肩に頭を預ける山口。海を見る二人の後ろ姿に、信頼関係がわかりやすく表れていて。

 僕と山口の間に、それはまだ・・ない。そう思う。

「ってか、芹ねぇと桜庭、ぎこちねー」

「そりゃそうなるだろ」

「ですよね」

 オチもついて、なんというか、『映え』っていうのも、悪くないな。


 昼食前のおやつにはしらすソフトを。

 普段だったらこんな冒険みたいなメニュー、絶対に頼まない。これもまた旅行の魔力だろうか。

 それから昼食本番、旅館の食堂にて、トラフグ初挑戦。あとタコ。

 唐揚げ、白子、そして雑炊。

 加えて外せないのが、てっさ。刺し身だ。

「これこれ。二、三枚くらいだっけ?」

「そう。でもうまいなこれ。食感がすごい」

「ですね。あとすごい、噛めば噛むほど」

「ちょ、勘定持ち差し置いてさっさと食べるなよー」

 旅で気が大きくなって、たまには山口を振り回してみたりもして。

 高級料理だ。僕一人じゃ、ぜいたくにしても手が出ない。それを今や当たり前のようにごちそうになって、たまに恐ろしくはなるけれど。

 遠慮ができない。させてくれない。だから、そうなる前に受け入れるようになってしまった。

 あんまり良くないことだっていうのはわかってるんだ――一般的には。

 実に簡単な話で、今このケースが、一般的ではないから。ありえない人と、ありえないシチュエーションで、僕はありえない幸運の下にここにいる。

 幸運に甘えるな、なんて言われれば反論のしようもないけれど、幸運やまぐちが言うんだ。

 ああ、言い訳ばかり、嫌になる。けれど楽しいんだから、本当に救えない。

「うん、うん、なるほど。うんま」

 しっかりとかみしめて、味わって、笑顔になる。それを見ていると幸せだ。

 きっと僕もそう在らねばならない。例えばこの幸運がいつか突然に消え去ったとしても、しっかりとその笑顔のまま、いられるように。

 ――もちろん、消えないよう、祈るけれど。

 消えないよう、がんばるんだ。

 少なくとも楽しい食事の席で突然に、勝手にネガティブになって、勝手に落ち込むようなことは、あってはならない。

 かみしめて味わって、笑顔でいよう。




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