予想外で想定外。





 十二月二十四日、恋人たちの特別な日。

 僕らは、車に乗って知多半島南部、南知多へ向かっていた。


 前々日のことである。山口から電話がかかってきて、「お泊りの許可をとってくるように」と言われた。もうその時点で頭の中が真っ白になりかけて、「いくらなんでも」と抗弁したけどまぁ無理で。いつも通りの強引さに押し負けて、僕は母さんに話を持っていったのだ。

 一応二部屋取ってあること、それから芹音さんという保護者が一緒ということもあって、意外にもあっさりと許可は下りた。ただ、どちらか一方であったら許可はしていないと強く念を押された。そりゃそうだ。

 それを山口に再度報告。一切の詳細を伏せ、彼女はただ、「当日午前六時半、我が家に集合」と告げて電話を切ったのだった。


 そんなこんなで、僕らは知多半島道路を南に向けてをひた走る。速度はのんびり、追い越し車線を時折すごい勢いで車が通り過ぎていく。

「……クリスマスデートってこういうんだっけ」

「それはこれから。今は移動時間。でしょ?」

「物は言いようだなぁ」

 赤いヤリスクロスのハンドルを握り、運転するのはもちろん芹音さん。クリスマスイブに連れ出されたというのに、文句の一つも言わずにむしろ楽しそうなくらいで。聖人かな?

 とはいうものの、聞けば特別手当が出るのだとか。現金な話で、まぁ、現金の話である。

 出発から三十分弱、空が少しずつ白んできた。雲の具合もちょうどよくて、まばらにかかったそれは暗くなく、あるいは空を彩る装飾のようで。

「おー、雰囲気いいなー」

 日の出側、座る僕のほうに、山口が身を乗り出してくる。

 膝に乗る手の温もり。ふわりと香る、シャンプーの香り。僕のと、同じ。少し頬を寄せれば触れてしまいそうな、けれどどこか侵しがたい。

 いつもと同じ、距離の近い彼女に、いつも以上にドキドキしてしまう。芹音さん同伴であっても、やっぱりこれがクリスマスってやつなんだろうか。

 流れる景色に目をやれば、久しぶりの旅行に胸も躍る。住宅が減り、自然が増え、僕は知らない土地を走っている。

「早朝のお出かけってなんか、わくわくするよね」

「わかる。なんかすごい非日常感というか」

「ねー。暗いうちから出発してさー、子供ころだったら寝てたかなぁ」

「おまえは起きてただろ」

「ばらすなよー」

 そういえば幼馴染なんだっけ。だったら当然、家族ぐるみで旅行みたいなこともあっただろうな。

 とはいえ、五歳にして忙しい生活を送っていた山口に、どれだけそんな機会があったのやら。見るからにテンションの高い彼女を見ていると、ああ、こういうクリスマスも悪くないのかなと思う。

「二人は、えっと、七つ差、くらい?」

「そ。子供のころの芹ねぇはかわいかったなぁ」

「いやいや」

 僕の否定に、山口は「えー」と不満そう。いやだって、立場が逆だ。

「でも実際、ほんとかわいかったんだって。こんなやさぐれてなかったもん」

「やさぐれてねーよ」

 ごめんなさい、ちょっとやさぐれて見えます。

「たばことか似合いそうですけど」

「桜庭くんまで……吸わないよ、私は」

「私のためにねぇ。匂い的にも健康的にも、特に喉的にも!」

「へぇ。すごい、大切にされてるんですねぇ」

「ったく……まぁ実際、妹みたいでかわいいよ、今でも。でっかくなって、遠く行っちゃったと思ってたけど、そうでもなかった」

「えー。まぁ確かに、ちょっと連絡できない時期はあったけどさぁ」

 人に歴史あり、とはいうけど、二人にも当然。

 芹音さんの気持ちが、少しだけわかってしまうんだ。例えばまだ芸能人じゃなかったころの山口と友達で、僕はどんどんと大きく・・・なっていく彼女と、今のように過ごすことができただろうか。少し、難しそうだななんて思ってしまう。

 出会ったときにはもう、埋められない差があった。それがかえって、よかった。『差をつけられる』というのは、たぶん結構つらい。

 わいわいと話す二人を見ていると、けれど、そんな葛藤も見えず。さすがに深読みし過ぎか、なんて苦笑いも漏れる。

 僕が深刻な表情をしているときは、だいたい見当外れしてるんだ。

「子供のころの写真、見たい?」

「え、見たいかも」

「じゃ、見せちゃおう。とはいっても、知ってはいるだろうけど」

 僕が知っているのは、遠山ロコだったころの顔と、氷室冷夏になったばかりの顔だけだ。山口透子の子供のころは、知らない。

 スマホを操作して、そのまま僕に渡してしまう。無防備だ。画面を見れば、ああ、小さな山口がころころと、いろんな表情で写っている。

 砂場でトンネル開通記念、笑っている。

 皿を割ってお母さんに泣きついている。次の写真では、撮っていたお父さんに詰め寄って怒ってる。

 なにかのトロフィーを持って自慢げな様子も。なんて誇らしげな笑みを。

 初めて買ってもらったスマホかな。夢中になって、口が開いてる。

 このころから、本当、完成されていたというか。撮りたくなるの、わかるなぁ。

「へぇ、かわいい」

「だろー? 私、超かわいかったんだよぉ」

「うん、超かわいい」

「……なー?」

「わー。ランドセルまで似合うとか。やっぱ」

「……あーもうやめやめ。おしまい」

「あ、ちょ」

 途中だったのに、スマホをひったくられてしまった。手をさまよわせるように追いかけるけど、ばしりとはたき落とされてしまう。

 唇を尖らせて、さっさとポケットに入れてしまった。

「ははっ、やるなぁ少年」

「ちぇー。ほんともう、なんなのもう」

 前髪をいじいじ、運転席に蹴りを入れる山口。芹音さんは怒るでもなく、笑うばかりだ。

 照れてるの? なんてことを、言えるはずもなく。

「今はどっちかというときれい?」

「うっさい」

 代わりの言葉も、どうやら不評のようで……結局芹音さんの写真は、見せてくれないらしい。


 途中、パーキングエリアに寄って朝食がてらの休憩時間。

 車から降りて背筋を伸ばすと、朝の冷たい空気が凝った身体にかえって心地良い。

 トラックやら車やら、平日ということもあってかちょろちょろと。周囲は自然に囲まれて、心なしか空が澄んでいるような。すぅと息を吸って、ふはぁ、と豪快に吐き切る。

 一階建てで、反るような木のひさしがおしゃれなガラス張りの建物。広い駐車場の、あえてそこから遠くに停めた僕らの車。

 旅、してる感。ため息もこぼれる。

「本当は、一時間もあれば着くからな。休憩も特にいらないんだ」

 トイレに行っている山口を、僕と芹音さんは車に背を預けて待っていた。

 いまにもたばこでも吸い始めそうな気だるげな芹音さんも、けれどどこか楽しそう。

「サービスエリアだのパーキングエリアだの、途中で降りて休憩するのが旅の醍醐味、だそうだよ」

「……なんか、らしいですね」

「そうだね。楽しそうで、よかった」

 かすかに笑みを浮かべて、とても優しい表情をしている。お姉さん、っていう感じの。

「桜庭くんもありがとうね。透子に付き合ってくれて」

「いえ、僕も楽しいので……ありがたいです」

「そっか。あの子、ああ見えて甘え下手なところがあってね」

「えっ」

 嘘でしょ、と口にしなかった自分を褒めてあげたい。

 めちゃくちゃ甘え上手にしか見えない。あの子が何をしても、山口だからと許せてしまいそうな。実際のところは、僕のほうがずいぶん甘やかされている気はしているから、なんとも言えないけれど。

 そんな僕の内心を見透かしたように、芹音さんは笑う。

「きみが思っているよりずっと、彼女は大人だよ」

「いや、それは」

 わかっている、つもりではあるけれど。

 柏木さんも言っていた。笑顔を絶やさない、スタッフにも評判の良い女優なんだと。僕の知らない世界を生き抜いてきた、僕の知らない山口が、氷室冷夏がいる。それは確かに、わかってる。

 時折見せる探るような視線が、それを感じさせるんだ。

「あの子はさとくて、さとすぎて、一言二言、交わせばわかるんだよ」

「……甘えていいか?」

「違うね。甘えられるか、だ」

「なにか、違うんですか?」

「そりゃああの子が甘えれば、誰でも許すだろうさ。けれどそれはプロセスであって、結果じゃない」

「……それは、普通では? 僕だって」

「まぁ小難しい話はなしで、要するに、ご褒美・・・なしにそれが一年続いても許せるか、みたいな話だよ」

 ご褒美、っていうのは、たぶんそういう・・・・ことだよな。

 わがままな女の子を甘やかすのは、その先にご褒美が待っているから。それが普通で、何もないまま長い時間一緒にはいられない。――それが普通。

 僕だって、考えないわけじゃ、ないんだけども。おこがましいとかそういうんじゃなくて、うん、芹音さんの言う通りで、それ・・これ・・とは別の話。地続きじゃない、と思う。

「許すも何も……楽しい、って、言ったじゃないですか」

「うん、だからありがとうって、言ってるだろ?」

「……そうですね」

「そうだよ」

 にやりと笑う芹音さんに、僕はぐうの音も出ない。

 僕が山口を好きだってこと、バレた。いや、もしかしたら見ればわかるのかもしれないけど。

「きみにはとびっきり甘えてるよ、透子は」

「……そうですか?」

「見てればわかるだろ? ま、理由は私にもわからんけどね」

「……そうですか」

「そうですかそうですかって、BOTかな」

「いや、ハズいですって」

「はは、いいじゃない。プレゼント渡すんだろ? めちゃくちゃ楽しみにしてるよ」

「……ちょっとキモいかも」

「あの子にはキモいくらいがちょうどいいよ。普通のなんて物足りなくて、とてもとても」

「だと、いいですけど」

「あのヘアピンだってきみが選んだんだろ?」

「いや、あれは贈ったわけじゃ」

「はいはい。喜んでくれるといいな」

「……はい」

 思えば芹音さんとこんなにも言葉を交わしたことはなかったな。クールな印象ではあるけれど、穏やかで、大人で、かっこいい。

 そんなところに戻ってくる、にこにこ顔の山口。両手に紙袋を持って、僕らの談笑を見咎めた。

「あー、仲良しー」

「お、おかえり」

「クロワッサンサンドっての買ってきた。みんなで食べよ」

「ありがと」

 おっとその前に、とばかりに自撮り棒を車から取り出し、スマホを取り付ける。山口の指示通りに僕らはクロワッサンサンドを受け取り、車を背に建物をバックに、並んだ。クロワッサンサンドにかぶりつく、ふりをして、ぱしゃり。

 僕らの旅の最初の一枚。旅は始まったばかり。まだまだ序盤の移動時間。

 初めてのクリスマスデートは、想像もつかないスタートになったけれど。

 楽しい予感にみなぎる身体を、赤い車に滑り込ませた。




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