積み重ねる前に、土台をだな。




「いやぁ、それにしても助かったよ」

 ちゃきちゃき、はさみを鳴らしながら桔梗さんがつぶやく。僕のほうを見ようともせず。

「意外と忙しくてさぁ、なかなか練習時間もとれず」

 見ているのは、マネキンの頭部。ウィッグ、というらしい。

「もうあと半年もしないうちに二年目じゃん? そろそろ実践に移らなきゃいけないのにさー」

 ちなみにこうして喋っているのも練習のうち、だそうだ。何しろ美容師はトークも同時にこなさなきゃいけないから、今からこうして並行する練習をしておかなくちゃならない。

 口下手な僕は、かえって練習になるそうで。余計なお世話だ。

「憧れなんだよ、笑顔の素敵な、お話の面白い美容師さん。ついでに腕もいいと尚良し」

「そこが大事なんじゃ……?」

「あっは、ジョークジョーク」

 そこはかとない本気を感じたけども、まぁ、そういうことにしておこう。

「正直、バイトが入るなんて思ってなかったから」

「特例っぽいですもんね」

「そんな他人事みたいに。でもまさかまさかだ、こんなメリットがあったとは」

 お店側からしたら、無資格のバイトなんてそれこそ、雇う意味なんてなさそうだ。掃除も洗濯も、手が空いたときにやればいい。これまでそうしてきただろうから。少なくとも給与に見合うだけの仕事を任せることすらできない、というのはなんとなくわかる。僕が言うことじゃないんだろうけど。

 でも、新人の桔梗さんにしてみれば、多少なり時間が空くというのはずいぶん喜ばしいことのようで。

 ロングヘアだったウィッグは、段々と見覚えのある形に整えられていく。どうやら氷室冷夏のトレードマーク、ぱっつんボブとやらを作っているようだ。

「……やっぱり、上手ですね」

「そうかい? まぁ、一応一通りの練習はしてきたからね」

「難しいんですか? それ」

「きれいに見せようとすると、かな? 骨格だったり髪質だったり、結構バランスが難しくて」

「山口は?」

「ありゃあもう奇跡としか言えんね。たぶん、誰が切っても似合うボブになるよ」

 ずいぶんな褒めようだ。

 でも、事実彼女はどんな髪型でも似合いそうではある。外ハネだろうが内ハネだろうが、前髪の有無だろうが、前下がりだろうがなんだろうが。なんなら芋っぽいおかっぱでさえ、彼女ならと思えてしまう。

「本人いわく、『顔の印象が薄いメリット』だそうで」

「なんだそれ。嫌味?」

「ちがいます」

「あはは、まぁ、言いたいことはわかるよ。実際その通りだと思う。整ってる前提ではあるけど」

 つまるところ、やっぱり、奇跡のバランスだ、ということで。

 言ってる間にも手は止まらず、素人目にはもうほとんどできあがっているように見える。

 けれどもちゃきちゃき、ハサミは止まらない。

「大事なのは毛量だ。薄すぎても、重すぎても、ボブは駄目になるんだ」

「ほぉ」

「あえて隙間とか段差とか作ったりして、束感を作ったり」

「はぇー」

 言ってることはなんとなくわかるけど、なんのことやらわからない。

 けれど見ていればわかる。形だけ整えたときに比べて、なんというか、垢抜けたというか。

「それからスタイリングも。手入れをしないと途端に野暮ったくなるのがショートボブ」

「……大変なんすね」

「そう、大変なんだ。ショートっても、男の子よりはだいぶ長いしね」

「でもきれい」

「あっは。言うじゃない、君も」

 やりきった感を出して、ぽんぽんと『ショートボブ』を叩く桔梗さん。

 実際のところはまだまだ詰めたいところはあるらしいけど、与えられた時間はわずかに二十分。ひとまずはここまで、ということで、向坂さんを呼び出した。評価の時間だ。

 目の前であれこれと指導を行う向坂さん。頷いたり唸ったり、真剣に話を聞く桔梗さん。

 僕には何が良くて何が問題なのかもわからない。積み重ねの違い。こと専門分野においてはまったく仕方のないことではあるんだけど、やっぱり、憧れる。

 僕はまだ、何もない。勉強も、身体作りも、目的のための手段でしかない。それなのに僕には、その目的すらもないのだから。積み重ねる以前の問題だ。

 このまっさらな『僕』に、何を描けばいいのだろう。それを見つけるのに、何を探せばいいのだろう。

 僕の道はレール・・・じゃない。今の僕なんて、大波にさらわれる落ち葉のようなもので――動いてるのは、僕じゃないんだ。

 だから、ひとまずは目の前の問題を。バイトをこなして、山口のプレゼント買い、渡す。クリスマスに、デート・・・のときに。それだって立派な、僕の小さな目標だ。

 どこかで誰かが言っていた。目的を定めたら、小さな目標をいくつも立てるんだ。小さな満足をいくつも重ねて、やがてそこに至るんだ、って。貪欲であり続けろ、なんて土台無理な話だから。

 逆算して、とりあえず小さな目標をいくつも立てるっていうのは? 頭に浮かべて、苦笑いが漏れた。

「ありがとうございました!」

「うん。そろそろ、カットモデルとか友達とか、連れてこようか」

「やってみたいです。声かけられそうな友達も、何人かいるので」

「じゃあ、そのときはまた。とりあえず今日はお店に戻ってね」

「はい!」

 嬉しそうな桔梗さんの笑顔が、なんだか眩しい。あれだけたくさん問題を指摘されても、凹んだ様子は少しだってなくて、なんならそれが嬉しいっていうくらいの。

 店長さんが出ていったあとのスタッフルームでふっと息をつくのを見て、僕は紙コップに水を入れて差し出した。

「お、気が利くぅ」

 受け取り、一気に飲み干して、またため息を一つ。

「いやぁ、やっぱり緊張するなぁ」

「嬉しそうですね」

「そりゃ、ね」

 ハサミをちょきちょき、やっぱり、嬉しそうに。

「これがやりたくてこの道選んだんだから。どんどんやんなきゃ」

「……いいなぁ」

「お、悩める少年か? 悩め悩め、悩んでる最中でも動け動けぇ」

「……アドバイス? ありがとうございます」

「大事だよ、実際。結局行動しなきゃ」

 そりゃあまぁ、そうか。

 考えてるだけでも世界は回る。けれど、考えてるだけじゃ、回る世界に置いてけぼりを食らうんだ。

 置いてけぼりを食らって、それでも大きな波やまぐちが、落ち葉ぼくをさらってくれた。

 今度こそ置いていかれないよう、少しずつでも、動かなきゃ。

 さしあたっては。

「デートのときこの髪型で大丈夫ですか?」

「……いんじゃね?」

 適当すぎね?

 今日は特例。明日以降、この練習時間中の雑用は僕がこなすことになっている。

 不安は少々。けど、大丈夫。



 二日目、三日目とバイトは順調に、一週間分の予定を終えた。受付業務も少し覚えて、桔梗さんはなおさらに喜び、そして勇んで練習に打ち込む。いい気分だ。

 これで予算は一万三千円弱。貯金を崩して、とも思ったけど、今回のプレゼントはあくまでも『自分で稼いだお金から』と決めている。次の一週間でだいたい二万五千強、というわけで。

 僕はプレゼントの下見に来ていた。

 一人で名駅にまで来るとは、成長したものだ。うんうん。

 なんて無益なことを考えながら構内を歩く。人が多すぎて、これを縫って歩くのになんかスキルが必要だなぁと、また無益な思考に陥ってしまう。

 ひとまずやってきたデパートで、柏木さんと会う前に選んだアクセサリーを見ることにした。

 僕が山口に選んだヘアピン。山口が僕に選んだのは、シンプルな細身のチェーンブレスレットだった。

 なんとはなしに眺めて、眺めて、手にとってみる。

 山口がヘアピンをつけてくれたから、僕も。そう思って、結局、棚に戻した。

 今はそういう時間じゃない。

 いくつかのブランドショップを物色していると、店員さんから声をかけられた。

「プレゼントですか?」

 レディースを見ながらだったから、そのせいだろう。

「はい。あ、でも」

 けれど、

「その人に、『誰にも相談するな』って言われてて」

「あら、それは失礼しました。……きっと素敵な方なんでしょうね」

 ごゆっくり、と去っていく店員さんの、その言葉の意味を考えてみる。

 だって、普通なら「難しい」とか「面倒」とか、そういう言葉の出てくる場面だ。もちろんショップの店員である以上、客の何かを否定するようなことを言うわけがないとは思うけど。

 それでもあえて言ったんだから……ふと思う。

 僕の選んだものならなんでも、という解釈も、できるといえばできるのかな。

 我ながら都合の良い解釈を、とも思うけど、山口の器の大きさはよく知ってる。

 ――けれど。だからこそ、だとも思う。だからこそ、喜んで欲しい。

 そういえば一つだけ、山口は注文をつけてきたっけ。確か、僕の欲しいものが欲しい、だとか。

 積み重ねが欲しいよ。目的が、目標が。

 プレゼントに何の関係もねーよ、と心の中だけで苦笑いをこぼし、僕は店内を歩き回りながら悩み続ける。悩みながら、動き続ける。

 アクセサリーだけじゃなく、コスメやら、服、その他諸々。デパートをくまなく巡る勢いで、僕は結局二時間ほどをデパートの中で過ごした。

 街に出ればもっといろいろな店があるんだろうけど、そうなってくると時間がいくらあっても足りない。

 先に調べてから来るんだったなぁ、なんて後悔まで生まれ始めたらもう。

 帰るか――なんて思ったところで、ふと思い立つ。

 思い違いってやつだ。喜んで欲しいとか、山口のために、とか、そういうのがそもそも、違うんじゃないかって、そう思った。

 だってそうだろう。僕の欲しいものが、欲しいんだ、彼女は。

 そう思うとなんだかやけっぱちみたいな気持ちで、僕は再びデパートをうろつき始めた。

 欲しいものなんて決まってるじゃないか。




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