想定内の予定外。




 ディスコに、初めて山口以外からメッセージが届いた。

 当たり前だけど、鳥居さんからだった。


 クリスマスデートすんの?

 予定はないけど

 とこちゃんクリパ誘ったら、デートだから無理って言ってたよ

 ……まぁ、そういうことも

 いや、桜庭以外ありえないっしょ?

 じゃあ

 いつものじゃね?

 いつものか


 どうやらいつものらしかった。





「母さん、なんか、短期間だけできるバイトみたいなの、ないかな」

 昼食後、母さんが食器を洗う横で、それを拭いていた僕が尋ねると、母さんは洗っていた食器を取り落とした。慌てて手を伸ばすけれど間に合わず、小さな皿はシンクに転がりぐわんぐわんと派手な音を立てて着地した。

「ちょ、大丈夫?」

「あ、ええ、もちろん。どうしたの、そんな」

 母さんの手に怪我もなく、皿も割れていない。安心する僕の顔を、ひどく慌てた様子で、母さんは心配そうに覗き込む。

 そりゃまぁ、心配か。ほんの数か月前まで引きこもってた息子が、バイトだなんて。これは言わないわけにはいかないな、とため息を一つ。

「……クリスマス、なんか、ありそうで」

「あら、あらまぁ」

 そんな心配そうな顔が、じわぁと楽しそうに変わっていく。ああ、これだから嫌だったんだ。

「もしかして、冷夏ちゃん?」

「いや、決まったわけじゃ、ないんだけど」

「そうなの。バイトなら、いくつか紹介できると思うわよ」

「ほんと? お願い」

「もちろん。ただ、お仕事だからね」

「わかってる」

 もちろん緊張だってしてるし、不安もある。

 けれど、新谷くんとも何度か話したり、鳥居さんや山口とだってもう、だいぶ話せるようになってきた。

 そうだ、僕は山口とだって話せるんだ。他の誰とだって、きっと。

「とはいっても私の昔の仕事つながりだから、どうしても撮影現場とかサロンってことになるわよ」

「雑用みたいな?」

「そうそう、基本的には指示に従って雑用するだけだから、難しくはないけど」

 懸念があるとしたら、そういう業界の人たちはみんな、おしゃれな人種なんだろうってこと。僕がそんなところに突然入って、浮かないわけがない。だからある程度の準備は必要なんだろうけど――服装と髪型に関しては、当日は母さんを頼ればいいとして。

「まぁ大丈夫。心配だったら、流れだけでも教えてあげるから。とりあえず、いろいろ連絡して、確認してみるわね」

「ありがとう」

「いえいえ。ふふ」

 嬉しそうに、楽しそうに、母さんは洗い物の続きに取り掛かる。

 本当に、親ばかなんだ。

「それにしても本当、隅に置けないというかなんというか。冷夏ちゃんって言ったら、すごいのよ?」

「や、わかるけど」

「まぁ、休養中って公式に出てるから、そんなスキャンダルみたいなこともないでしょうけど」

「……そうなの?」

「犯罪とかなんとかじゃなければ、それはそうじゃない?」

 一応芸能人の関係者でもあった母さんが言うなら、そうなん、だろうか。

 現に今の今まで、SNSの目撃情報以外で氷室冷夏の現状に関するニュースは、その進退に関わるもの以外に見られない。そりゃあもちろん目撃情報について軽く触れたりはするけど、なにかを恐れるみたいに掘り下げるのを避けている。

「それにほら、相手が直樹……一般人、でしょ」

「ああ、だから」

「逆に言うと、あんまりお父さんのこと、バレたくはないかな?」

「……確かに」

 共演者の息子とのスキャンダル……なんか、見るからに面倒なことになりそうだ。

 実のところ、SNSのほうの騒ぎはもう止めようがないところまで来ていて、少なくとも『デートをするような関係の男』の存在は確定している。おかげで方々のサイト上で阿鼻叫喚の地獄絵図、僕のこともどうやら散々に書かれているようで。

 そんな中、クリスマスデート。あぁ、怖いもの知らずの山口が怖い。

 でも、「一切気にしなくていい」と言われた。「氷室の思う通りにさせろ」と。柏木さんは、それが一番氷室冷夏を輝かせると確信している様子で、僕だって、そう思っている。

 あるいはだからこそ、柏木さんはあの日、僕らを人通りの多い名駅周辺にまで呼び出したのかも知れない。もう我々には、隠すつもりすらないのだ、と。

 氷室冷夏は、世界の中心でいい。炎上なんて、実力でねじ伏せるに決まっている。

 僕のことはもう、いい。僕が自分を卑下するということはつまり、彼女にとっての僕を否定するということ。それは絶対にやってはいけないことだから。気にならないわけじゃないし、気にしてないわけじゃない。ただ、表に出さないよう、努力はできる。

 それに、今はそんなことより、クリスマスだ。

 僕は彼女に、プレゼントを買いたい。自分が働いて、自分で稼いだ、自分のお金で。

「悩んでるなぁ、少年」

「いや、母さん」

「いいじゃない。そうして頭を悩ませるのも、なんだか冷夏ちゃんに支配・・されてるみたいで」

「……母親の言うこと?」

 ぎくり、としてしまった内心を、母さんは見透かしたように笑うんだ。

「私は、もちろん直樹の味方よ」

 答えになっていない答えで、やっぱり母さんは楽しそうに笑う。

「アクセサリーとか手作りとか、一般的には重いってされてるけど、冷夏ちゃん、そういう重いの好きそうよね」

「……ソウダネ」

 プレゼントはできていないけど、僕の選んだものを身に着けてはいる。言えやしない。

「ま、そういう雑誌ならいろいろ持ってるから、欲しかったら言ってね」

「うん。お金の都合が、ついたらね」



 バイトの都合は、その日の夕食時にはもうついていた。母さんは仕事が早い。

 自宅から歩いて十五分ほどのところにある小さな美容室は、昔の知り合いが自分の地元にと建てたお店らしい。母さんの後輩で、その人はずいぶんと母さんに懐いていたらしく。即決に近かった、と笑っていた。

 バイトは来週から、だっていうのに、僕はずいぶんと舞い上がってしまっていた。お風呂上がり、ベッドの上、ついつい山口に電話をかけてしまうくらいには。

「へぇ、バイト」

「うん。ほら、役所の近くの」

「あー、あそこ。いつから?」

「来週の水曜から、週三で、とりあえず二週間?」

「へー」

 気のない返事。

 妙に機嫌の悪い山口の、電話越しの声。舞い上がった僕の頭が、どんどんと冷えていく。

「……ごめん、なんか」

「あ、ちがうちがう。そうじゃなくてぇ」

「うん」

「一緒にいる時間、減っちゃうなぁって」

「……あ、うん」

 冷えかけた頭が、また急速に熱くなる。

 そういえば、本当に、毎日のように彼女と一緒に過ごしてる。勉強して、遊んで、食べて飲んで、笑って。

 バイトの時間すら、ちょっと惜しいと思えてしまうくらいに。

「あの、さ」

「うん?」

「その、クリスマス」

「あー。りぃから聞いたかー」

「うん。ごめん」

「や、別にサプライズとかしたいわけじゃないからね? そっかそっか、それで、バイトかぁ」

「……うん」

 ああ、なんか恥ずかしいな。サプライズとか、したかった気持ちも、なきにしもあらずで。

 それでもいつもの、あの面白がるような声のトーン。よかった、これがやっぱり、似合う。

「かわい」

「……それ、やめてほしいな」

「え、なんで?」

「いや、めっちゃ……照れる、というか」

「えぇ……かわい」

 からかわれてるなこれ。

 そう思っていると、カメラのアイコンが点灯したことに気づいた。

「えぇ、なんで今」

「いいじゃん、早くぅ」

「しょうがないなぁ……」

 こっちもカメラをオンにして、スマホを持ち上げる。

 うつ伏せに寝転んだまま、枕に顎先を埋めて、画面の向こうにはパジャマ姿の山口の姿。かわいらしいエアモコのジャガードプルオーバー。ハート柄だ。上からクリーム色のクロシェカーディガンを着ていて、なんだか今日の山口は、印象がずいぶん丸い・・

 いつもの白いソファにぐでっと背を預けて、頭には動物柄のヘアターバン。

「……無防備」

「お互いね」

 気を許されてる。信用されてる。そういう期待を、少しだけ。

「すっぴんの私は、そういえば初めてかな」

「……うん」

 メイクをしていない分、顔の境目・・というか、強弱・・というか、そういうものが薄くなる。そうすると顔のバランスが変わったりするものだけど……やっぱり山口は山口で、氷室冷夏だ。

 奇跡のバランス。黄金比。なんならメイクしているときより、人形ドール感が増す。

「これを知ってるのは、両親と芹ねぇくらいだぞー」

「うん、うん……すごい」

「……すごいっての、やめない?」

 そんな調和を、ジト目で乱すんだ。僕はついつい目をそらしてしまう。

「あー」

 いや、照れ隠しというか、なんというか。

 やっぱり「かわいい」とか「きれい」とか、面と向かって言い放つのは、照れ臭いんだ。

 もちろん、褒め言葉はどんどん言っていいことくらいわかってる。言わなきゃだめだってことくらい。

「かわいい?」

「……かわいい」

「んん~」

 聞かれたらそりゃ、答えるしか、ないわけで。そうしたら途端に楽しげに笑うんだから。

 いつだったかも、聞かれたっけ。「かわいいとかきれいとか」って、それで僕は「すごい」って答えたんだ。

 そのときに比べたら、成長したってことなのかな。

 にやにやと面白がっている山口を半目でにらむと、彼女はなおさらに笑みを深くするんだ。そんな彼女を、やっぱり僕は「かわいい」と思ってしまう。

「ねぇ」

「うん?」

「プレゼント、桜庭が選んでね。誰にも相談しないで」

「……ハードル高いなぁ」

「絶対だよ」

「うん。わかった」

 母さんに雑誌を借りるくらいはセーフだろうか……いや、山口のことだから、たぶんそれもアウトだろうな。

 自分でいろいろとお店を巡って、自分の目で見て、選べ。そういうことを言ってるんだ。なにしろ彼女は全部に全力で、編集者や流行のバイアスがかかった情報なんて、すぐに見破ってしまうから。

 黙り込む僕に、彼女は人差し指を立てて優しく笑いかける。

「じゃあ、一個だけリクエスト、いい?」

「あ、うん、もちろん」

「桜庭の欲しいものが、欲しいな」

「……難しいな、それ」

「そのままの意味なんだけどなぁ」

 僕の欲しいもの、か。

 新しいダンベルとか、プロテインとか、そういうことじゃないよな。当たり前だけど。

「私の前で悩むなぁ」

「あ、ごめん、ごめん。じゃあ、まぁ、がんばるよ」

「うん。がんばれ」

「それじゃあ、今日は」

「もうちょっと。もうちょっと、話そ」

「……うん」

 時刻は午後九時。寝るにはまだ早いし、WiFi環境だから、通信量には問題ない。

 なにより、なんだか山口が楽しそう。

「ね、バイト、様子見に行ってもいい?」

「えー」

「嫌そうじゃん。なんでー? 髪、普通に切りに行くよ?」

「まぁ、それなら、止めらんないけど」

「そろそろだと思ってたしねー」

「そんなに、伸びたかなぁ」

「毎日会ってると、気づかないかもね?」

「……そう、かも」

「んん~。ついでに、桜庭も切ったらいいのに」

「僕はまだ、母さんでいいよ」

「ああ、そっか。そっかそっか。母さんでいいよ、なんて、ぜいたくだなぁ」

「……いや、そういうことじゃなくてね」

「わかってるって。桜庭の初労働、楽しみぃ」

「正直ちょっとビビってる」

「だいじょぶだいじょぶ。誰だって初めてはあるんだから」

「うん」

「がんばれ、桜庭」……



 ……


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