僕らの日常




「そういや自己紹介まだだったね。あたし、鳥居真魚まな。りぃって呼ばれること多いけど、まー好きに呼んでよ」

「……え」

「なに?」

「苗字?」

「あはは、ウケるよねー」

 りぃって言うからてっきり、『りさ』とか『りな』とか『りか』とか、そういう系の”名前”かと思ってた。『とりぃ』の『りぃ』だったとは……

「ちなみに命名私ね」

「山口……」

「とこちゃんがつけるから、みんなマネしちゃってさー」

「山口ィ……」

 そんなふうにくすくすと笑いながら、僕らは弁当にありついていた。



 事の発端、も何もない。

 なんかがんばってるみたいだから、交友関係広げよう――ラインするねー――来るってー――今に至る。

 そんな感じで、あの日話した屋上前の踊り場で、僕らは床に直接座り込んでランチタイムだ。

「でもさァ、桜庭」

「なに?」

「がんばってるのはまぁ、見てれば伝わってくるけど……いいの?」

「な、なにが?」

「言ってないの?」

「いちいち言わないよそんなの」

 女子二人の内緒話。気になる。僕が何かしでかしたのか。

「ほら、とこちゃん、ワックス苦手じゃん」

「え」

「言うんかい。この流れで言うんかい」

「言っとかなきゃ。そこがんばっちゃうと、明後日の方向行っちゃうよ」

「そうだけどさぁ。せっかく最初の一歩だから、水差さないようにしてたのに」

 割と冗談抜きで、本気で落ち込む。

 山口の優しさがなおさら痛いよ。

「ごめんね。私、どうもカッチリした感じが苦手で」

「何もいじってこなかった分、桜庭髪質良さそうだもんなぁ。とこちゃん好みだったのに」

「いや、知らない、し」

「明日からはブローだけで来なよ。とこちゃんが喜ぶ」

「もー」

 ぶーたれながらも、山口はそれを否定しなかった。つまり、そういうことなんだろう。

 せっかく母さんに教えてもらったところで、少し心苦しくはあるけれど、まぁ仕方ない。山口が嫌がるんなら、意味がないから。

「でも桜庭、慣れてない割にずいぶん上手いじゃん」

「あ、これは違って」

「お母さんだよね」

「あ、そう、そう……知ってるの?」

「有名な話だよ。全部やってるの、珍しいんだから」

「……何の話?」

 父さんと母さんの関係の話。そういえば、鳥居さん・・・・は知らないか。

「桜庭のお父さん、姫崎真吾だよ」

「え、は? マジで?」

「うん。あんまり、言わないでよ」

「いや、言うなって言うなら言わないけどさ……へえぇ」

 マジマジと僕の顔を見る鳥居さん。うつむく僕。

 比較されることに恐怖感はあるけれど、なぜだか、この二人には「恥ずかしい」が勝ってしまう。自分の弱い部分を散々さらけ出した手前、隠しきれない劣等感も、そういうものかと受け入れられる。

 何より山口の手前、慣れない鳥居さんも、そこまで根掘り葉掘り聞くことはしないだろう。

「お母さんが? ヘアメイク? 衣装とメイクまで? すげー」

「まぁもちろんヘアメイク以外は専門外だから、ところどころあれ? って思うことはあるけど。でも、ハイレベルでまとまってるから、よほど勉強したんだろうなーって伝わってくるよ」

「ところどころあれ? って、思えるのが、すごいよ」

 母さんのコーディネートで、疑問に思ったことは一度もない。一つもない。それがわかるってことは、山口もまたそれなりの勉強をしているってことだ。少なくとも、僕なんかよりずっと。

「とこちゃんかっこいい」

「わはは、もっと褒めろ」

 それにしても、喧嘩していたのが嘘のようだ。

 怒られていない僕が怯えるほど怒っていたのに。泣きそうなほど、喋ることさえできないほど怯えていたのに。

 ごめんねの一言で、このとおりだ。さっぱりしていて気持ちの良い性格が、関係が、少し、うらやましい。

 キャイキャイしながら互いの髪を触り合う二人を見て、なんとはなしに思い出す。

「鳥居さんのは、なんだっけ……バレイ、なんとか」

「お、知ってんなぁ。バレイヤージュカラーってやつ。シルバーアッシュでね」

「なんで知ってるの?」

「え、なんか母さんの持ってた雑誌に」

「読んでるんだ」

 引かないでほしい。内容はほとんど覚えてないし、モデルがどんな人だったかもわからない。ただその名前だけ印象的で、覚えてたってだけなんだから。

「とこちゃんどんな髪型も似合うからずるいよなぁ」

「まぁ顔の印象が薄いメリットってとこだね」

「顔の印象が……薄い……?」

「とこちゃんこれいつも言うんだよ。嫌味か」

「いやほら。そうじゃなくてさ、これといった特徴がないってこと」

 ああ、鳥居さんとそろって山口の顔を見てみる。

 確かに、ツリ目だとかタレ目だとか、鼻が高いとか低いとか、唇が薄いとか厚いとか、そういうわかりやすさ・・・・・・は、あまり見受けられない。だからこその調和で、だからこその人形ドール感だ。

「なんかこう、泣きぼくろとかあったらセクシー感出たりするのかな」

「……そういえばほくろ見ないな」

「あるよ。ほら」

 それにしても白い。けれど決して病的ということもなく、健康的なハリのある。そんな首筋、右側のやや下のほう、確かにある。

 ……なんだろう、すごく、いけないものを見ている気分になってくるんだ。

「とこちゃん……エロい……」

 言うんかい。

「言っても私ショートだし、いつでも見えてるものだし」

「そうだけどさぁ」

 いつでも見えてるけど、いつも見てるわけじゃないんだよ。

 見てみてと見せられれば、そこにエロさを、感じてしまうんだ。

「ちなみにりぃの」

「やめぃ」

 ……隠されても、やっぱり、エロいんだよなぁ。


 そんな思春期の内心を悟られることもなく、鳥居さんは自分の教室へと帰っていった。

 山口にはバレていた。さもありなん。

「りぃとはもう、普通に話せるね」

「初手弱み晒し、だったからなぁ」

「あー。じゃあもう、全校集会で弱み暴露してみる?」

「ショック療法が過ぎるよ。ショック死するよ」

 そもそも、僕の問題なんて、他の不登校生に比べれば本当に、大した問題じゃないんだ。あくまでも僕個人が折れてしまっただけで、周囲に問題があったわけじゃ、ないんだから。

 だからこういう軽口にも平気で乗っかれてしまう。

 僕なんて本当は、ちょろいんだ。大した事情も抱えてない。それを少しずつ、受け入れられるようになってきた、気がする。

 くすくすと笑う山口に、影はない。

「……明日、ワックスはやめとくよ」

「そっか。そうしてくれると、うれしい」

「あと、これからも、言って欲しい、かも。何か、あれば」

「そうする。あ、早速だけど、香水もできたらやめてね」

「うん」

 そういえば、彼女から、なんというかこう……不自然・・・な香りがしたことはない。

 さりげない程度のシャンプーの香りも、少し離れればもう感じないんだ。

「におい、ダメ?」

「強いにおいはどうしてもね。すこーし、なら、いいかも」

「……じゃあ、やめとこう」

「あはは」

 本当に、山口の嫌がることはしたくない。

 気づけば生活の中心に彼女がいる。行動の基準に彼女がいる。そして何より、そこに何の不快感もない自分がいる。

 僕は、彼女のために何かできるだろうか?

 僕は、してもらってばかりだ。もらってばかりだ。弱っていたままなら、それでよかった……そうすることしかできなかった。

 前に進もうと決めた今、彼女に何か少しでも、ほんの少しでもいいから返したいと思う。

 山口は、氷室冷夏は、僕の持たない何もかもを持っている。お金も、周囲の評価も、美しい容姿も、才能も、あるいは努力すらも、何もかも。

 強いて言えば学力くらいだけど、それだって飲み込みの早さは相当のものだ。地頭がいいってこういうことなんだろう。やっていなかった期間が長かっただけで、一度やり始めれば要領よく知識を蓄えていける。まだまだ追いつかれることはないだろうけど、でも。

 僕の手を必要としなくなる日は、遠くない。

「ね、ね、ここ、どうするんだっけ」

「あ、うん。ここは――」

 テキストを寄せて、ノートを共有して、息の掛かりそうな距離で。

 これも、たぶん、遠くないうちに。

 ああ、きれいだなぁ。本当に。

 触れてもいないのに、肩口が少しくすぐったいんだ。ささやくような声に、体温まで感じてしまうんだ。

「はー、やっぱ桜庭、教えるのうまいよね」

「そ、っかな」

「うん。うまいってか、もしかしたら、私に合ってるだけかも、だけどね」

「……そ……かな」

 そのほうが嬉しい。

「そだ、ディスコ、スマホにも入れてる?」

「あ、いや」

「入れよ、入れよ。私、ほんとはディスコ派なんだよー」

「そうなんだ。鳥居さんとは、ラインだったよね」

「ラインはどっちかっていうと、広く浅くの関係だなぁ。あ、今のりぃには内緒ね」

「うん」

 ああ、なんでこんなにも、君は僕の心をくすぐるんだろう。

 舞い上がった僕は、これ・・を失うことに、耐えられるだろうか。

「そもそも、私、そんな親しい友達も、いないけどね」

「……意外」

「続けてこんな喋ってるの、桜庭が久しぶりだ」

「へ、……そ」

「へそ?」

「いや、なんでも」

 あんまり舞い上がって、言葉を失ってしまった。んん~、と面白がる山口は、やっぱり僕のそんな内心を見透かしたように瞳を覗き込んでくるんだ。

「何しろ私、今日で普通の教室の登校日数超えちゃったしね」

「えぇ」

「脅威の四日だよ。半年で、四日」

「絶対単位足りないじゃん」

「いやいや、特別補修っての受けてるから。学外でね」

「そんなのあるんだ」

「ただ、あんまり多いから、バーチャル授業受けろってことにね」

「ああ、それで」

「……ラッキー、だったね」

 ぐ、と喉が鳴る。

 ああ、もう、本当に山口のの上だ。うまい具合にひらひら踊らされて、それがまた楽しい。それを面白がる彼女は遥か雲の上、垂らした糸で僕を操る。

「一緒に進級、しようね」

「……うん」

 小テスト、超がんばらないと。




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